第5話 三条通でつかまえて!

 次の日曜日。


 クラスメイトの橋本と、市内観光すると玲に言えないまま、さくらは家を出てきてしまった。


 玲は今日も仕事。

 仕事熱心なのはよいことだが、高幡家にはあの祥子がいる。つまらない嫉妬だと分かっていても、胸が騒ぐ。ふたりが笑い合っているところや、身を寄せているところを想像しただけで、引き裂いてやりたくなる。

 ……なんて醜い感情なのかと、さくらは自分に愕然とした。



 歩きで来てほしい、という希望だったので、自転車ではなくバスで御池(おいけ)へ来こうと思ったら、目的のバスの本数が一時間に一本。極端に少なかったので結局、地下鉄の最寄駅まで黙々と、早足で歩いた。


 二十分以上かかるけれど、少し歩いたら冷静になれた。春の陽を浴びた額が、うっすらと汗ばんでいる。


 玲と祥子の仲は、今にはじまったことではない。いとこだ。そして、過去は過去。玲を信じよう。


 先日の金沢行きも道中、祥子は玲にべったりだったようだが、仕事はきちんとこなすし、挨拶も丁寧で先方には気に入られたらしかった。今度はふたりで、泊まりの旅行においでと誘われたという。

 祥子と恋人どうしに間違われても、玲はなんとも感じていないようだし、さくらにかわいい金沢みやげ……さくら色をした和三盆糖のお菓子を買ってきてくれたので、ぐっとがまんしたけれど、祥子は許せない。

 特に用もないのに、毎日のように町家へ上がり込んできて、玲との金沢での思い出を、さくらに対してべらべらと自慢しにやって来る。


「あー、もう!」


 思い浮かべるだけでも、頭にくる! なんで、また思い出しちゃったの、自分!

 さくらは空気を蹴るようにして、ずんずんと歩いた。



 今日は二万歩、歩ける準備をしてきた。

 服は、ドット柄の長袖シャツに、動きやすいパンツスタイルにした。空はよく晴れてはいるが、肌寒かったとき用に一応、パーカーもバッグの中につめてある。


 到着が早すぎたので、さくらは駅周辺をうろついてみた。日曜日だけあって、人が多い。観光客も買い物客もたくさんいる。


 待ち合わせ場所は地下鉄の五番出口。

 ゆっくり歩いていると、五分以上前だというのに、すでに橋本は到着していた。


「おはよう、橋本くん。早いね」


 さくらが駆け寄ったところ、橋本はやや驚いていた。


「おはよう。いつもと、印象が違うね」

「違う?」


 自転車通学なので、パンツ姿はほぼ毎日のこと。違うといえば、髪の結い方ぐらい。


「簪でまとめただけなんだけど、そんなに違うかな。変?」

「ううん。似合っているよ、とても」


 ふだんは下している髪をひとつにゆるくまとめただけで、橋本は認めてくれた。小さなことでも、なかなかうれしい。


「ありがとう!」


 でも、照れる。こういうやりとりは、玲とはまったく、ない。玲は、さくらの外見に無関心。類は敏感なのに。


「今日は、いいお天気でよかった。観光っていうか、遠足。社会科見学、かな」

「社会科、見学?」


 橋本は手製の地図を用意していた。二部。そのうちのひとつを、さくらに手渡す。

 大きな見出し文字で、『建築学科的三条通』とある。


「建築学科的、三条通」

「そう。今日は、三条通の建造物について、重点的に見学しながら歩きたいんだ。見たこと、ある?」

「いいえ」


 さくらは首を横に振った。


「三条通にはね、近代建築が集中して残っているんだ。以前は、京都の中心を担っていたから。東京……江戸の日本橋から続いていた東海道の終点が、三条大橋っていうことは知っているよね」

「ええ」


 ふたりは階段を上り、地上に出る。外の光が眩しく、そして懐しかった。


「東海道を歩いて入洛した人々は、まず三条の大通りに出る。そこで目にする建築物群には、目を瞠ったと思うよ。京都は、戦争中でも被害が少なかったし、よく残っている。いわゆる都会的な繁華街は、より道幅の広い四条に形成されたからね」

「な、なるほど……べんきょうになります」

「柴崎さんは、京都に来てからだいぶ観光した?」

「ううん。私は、御存じの通り追加だから、時間もなく京都に来て、ほとんどまわれていなくって。大学までの通学路、町家のある西陣周辺とか、あとは以前に嵐山を少々。玲……兄も多忙だし、週末は引っ越しの片づけと家事。観光は、高校の修学旅行以来かな?」

「そっか、よかった。唯一の心配は、柴崎さんがすでに見学済み、っていうことだったから」

「全然だよ、全然。すごく楽しみ!」


 さくらは地図に目を落とした。建築学を志す者としては、垂涎の企画である。


 ふたりの口からときおりこぼれる建築の専門用語を除けば、完全にデートだった。橋本が意識してかしないでか、適度な距離を保っているために、さくらは橋本に遠慮しないで済んでいる。


「京都って、ただ古くて歴史があるだけじゃないんだよね。新しさもある」

 

 昼食を終え、界隈の銀行や、郵便局の建物を見て歩く。

 中でも京都文化博物館は、外せない。荘厳な赤レンガの外壁に、広い屋内。


「ここ、一日中いてもいいな」


 さくらは感激だった。

 いちいち、壁や扉の意匠まで確認したりして時間もかかるし、どうにも動き回らずにはいられないので、やはり運動靴で来てよかったと安心した。


 橋本は、カメラで写真を撮っている。携帯電話のカメラではなく、しっかりとした一眼レフのデジタルカメラであるという点がポイント高い。


「喜んでもらえて、よかった。こういうちょっとマニアックな観光、ふつうの人にはつまらないかもしれないからさ、同好の士である柴崎さんと来られて、ほんとうによかった」

「うん。私も。誘ってくれてありがとね。さすが観光都市。お寺や神社だけじゃないね。実は私、急に京都の大学を受験することに決めたから、京都っていまいちピンと来なかったんだけど、好きになれそう」

「えっ。うちの大学が、第一志望じゃなかった?」

「言わなかったっけ? 去年の秋までは、東京にある大学で建築学科を受験する気だったから」


 橋本が関東人なので知っていると思い、さくらは東京で受験した、いくつかの大学の名前を挙げて教えた。


「聞いていないよ。そこから勉強して、よく合格したね。すごいや」

「でも、そのせいで追加ちゃん扱いだけど。私の噂が、知人のいる文学部のほうにも知れ渡っているらしくて、恥ずかしいよ」

「ううん、追加でも合格は合格。入学すれば、みんな同じスタート。でも、どうして突然京都の大学に」


 玲と一緒にいたかったから、とはまさか言えない。


「実家を、出たかっただけだよ。実は、父が再婚したばっかりで。お相手は、とてもいい人なんだけど、兄が京都で職人を目指すって言うし、ちょうどいいかなって。ほら、家賃が浮くし」

「あのかっこいいお兄さんは、職人なのか。進学しなかったんだね。何歳上なんだっけ?」


 そのあたり、突っ込まれると綻びが出るだろう。さくらは慎重にことばを選ぶ。


「玲とはね、同じ歳なの。珍しい兄妹でしょ。玲が五月生まれ、私は早生まれの三月。高校も同じで。ややこしいから、内緒にしておいてくれる?」


 言いながら、さくらは考えた。

 来月は玲の誕生日がある。なにかイベントしたい。想いが通じてからはじめての誕生日、記憶に残ることがしたい。


「あー。そういうこと、たまにあるって聞くね。わかった」


 橋本はいやに納得してくれた。申し訳ない気持ちに襲われるものの、現段階では真相はまだ語れない。


 実は、血のつながっていない兄妹です、だなんて。


「あ、あっちの建物も見よう。こういう大きな建物好きだけど、私は大学を出たら、個人住宅を設計したいんだ。家族が住む家を作りたいの」


 さくらはそう言いながら、先に進んだ。


「柴崎さんなら、大手の建築会社にだって、きっと就職できると思うよ。個人の設計事務所?」

「うん。小さな会社で、小さな家」


 家族が集まる家。団欒の記憶がないさくらには、憧れだった。


「へえ、そういうのも素敵だね」


 三条通を中心に、ときには上がったり下がったり、ふたりは建物を見て歩いた。

 商店、旅館、商業ビル。ときどき、寺社。


***


 終点は、三条大橋。夕景に、鴨川はゆるやかに流れている。


 時刻は午後五時。


「今日はここまでだね」

「楽しかった。ありがとう。京都に来て、こんなに楽しかったのは、今日がいちばんかも」

「ほんとに?」

「うん」


 立て続けに起きるトラブルに、さくらは不安やら不審やら、負の感情を蓄積していた。京都へ来たことを、後悔する日もあった。

 けれど、今日は明るい屋外をずっと笑って歩けた。自転車のお礼のつもりが、またまた、橋本に感謝、である。


 三条大橋を渡りながら、さくらはバス停に向かっている。三条京阪駅前から、西陣を通るバスが出ていたはずだ。


「脚、歩き過ぎで痛くない?」

「だいじょうぶ。それより、また企画してね!」

「任せて。桂離宮とか、近いうちに行きたいと思っているし。あ、そういえば、柴崎さん……ゴールデンウィークの予定は、どうなっているの?」

「連休?」

「そう。いったん、東京に帰るとか」

「その逆。家族が大挙して、西陣の町家に押し寄せるんだ。どんな暮らしぶりなのか、やっぱりすごく心配みたいで」


 玲は節度ある真面目人だが、涼一の心配は半端ない。京都へ来たころは、毎晩電話があった。家も、己の目で確認しておかないと、気が済まないようだ。

 兄妹とはいえ、義理の仲。しかも一応は、相思相愛である。


「そうなんだ、忙しそうだね」

「でしょ? アルバイトも探したいし。あっ、バスが来た。帰ったら、すぐに夜ごはんを作らなきゃ。玲が、おなかを空かせて帰って来るから。橋本くん、また明日教室で。橋本くんも、同じバスに乗る? あの系統だと、大学のそこそこ近くも、たぶん通ると思うよ?」

「い、いや、おれは歩いて帰るから。ほら、急がないとバスが出発するよ。市バスの運転って、けっこうせっかちだからさ」


 まだ歩くのか、さくらは一瞬だけ驚いたけれど、すぐに笑顔を返した。


「そっか。じゃあね。今日はありがとう」


 橋本は、夕食も一緒に食べようとか、大学が休みになる連休中にも会いたいとか、次の約束の日時をとうとう言い出せずに、手を振ってバスに乗り込んださくらを見送った。

 何度も、家族や兄の名前を連呼されては、今の橋本には、お手上げである。

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