第4話 星占いのラッキーアイテムって④
***
外に出て、自転車に乗ってきた者を見送り、バスの者は大通りまで先導する。ぶらっと、地下鉄の駅まで歩くという者には道を教えた。といっても、今出川通をまっすぐ東へ進むだけだが。
最後にひとり、橋本が残っていた。自転車である。確か、大学の至近に住んでいると言っていたはずだ。
「橋本くん、道は分かる? ここは、今出川通。延々と走れば百万遍、大学前に出るよ」
さくらと同様、よそさんなので、ひとりで夜道を走らせるには不安がある。
「だいじょうぶ。道路標識を見れば、なんとかなる。京都の市街って入り組んでいるようで実は、目印が多くて道まっすぐで、わりと迷わないよ。それよりおれ、柴崎さんに自転車発見のお礼、もらいたいなって。さっき思いついたんだ。今、もう少しだけ話せる?」
「お礼? どうぞ、私にできることなら」
橋本に、玲が突っかかったことも、謝らなくてならない。たぶん、あれは嫉妬なのだ。自転車の件といい、橋本には迷惑をかけてばかり。
「ごめんね。さっきは、気を悪くしたよね。玲はいつもあんな感じなんだけど、初めての人は驚くよね」
「うーん。お兄さんのこと、まったく関係ないとは言い切れないけど、次の休日、土曜か日曜、どっちかおれに柴崎さんの時間をくれないかな?」
「休みの日を?」
「予定があるんだったら、その次でもいいし。もしかして、お兄さんとデートかな?」
「まさか!」
基本、休みの日は家にいて、授業の予習とたまった家事、買い出しなどに励んでいる。ほんとうならば、アルバイトをさがしに行きたいところだが、現状では新しい生活に慣れることで手が回らない。
もちろん、玲は仕事。一緒に出かけたい、と言ってはくれたものの、いつになるかはまだ決まっていないはず。
「うん。いいよ。私はどちらでも」
土曜日は、橋本にアルバイトがあるというので、日曜日に会う約束をした。
「行きたいところがあるんだ。ひとりでもいいかなって思っていたけど、柴崎さんもきっと興味があると思うから」
「どこへ行くの?」
「それは当日までの秘密。遠くはないよ、市内だから。でも、たくさん歩くかもしれないから、なるべく運動靴で来てほしい」
日曜日、待ち合わせは十一時に地下鉄烏丸御池駅と決め、ふたりは連絡用に電話番号とメールアドレスの交換をした。
「しかしまあ、意外。柴崎さんって、ほんとに北澤ルイが好きなんだね。見えちゃったけど、待ち受け画面まで北澤ルイなんだ」
「あ、ああ。その、好きっていうか、うん。笑顔がかわいいし、好きかな?」
「なにそれ。あれだけ買い集めておいて、『好きかな』って疑問形」
橋本が笑ったので、さくらもつられてしまった。笑ってごまかそう。義弟であることは、なるべく言いたくない。
追加入学で今の扱いだ、もう目立ちたくない。この際、北澤ルイの熱心なファンでいい。間違ってはいない。
人通りと車の往来が少なくなってきた今出川通を、橋本は東に向かって自転車をこいで帰った。
***
町家に帰宅すると、居間として使っている茶の間に座った玲が、さくらを待ちかまえていた。さくらが不在にしたこの二十分ぐらいで、さっと夕食を済ませ、ざっとシャワーを浴びたらしい。すでにパジャマ。就寝の準備が完了していた。
押入れから見つけたのか、血判つきの誓約書もいつもの位置に張ってあった。
「さくらの交友関係に文句をつけるつもりはないし、その権利もないことは承知している。だが、ここは俺たちふたりの家だ。外の関係を持ち込まないでほしい」
「うん。ごめんなさい。そうだよね。今日は私が悪かった。クラスメイトも、つまらない気持ちにさせちゃったし。今度呼ぶときは、玲にあらかじめ知らせるね。ここはふたりの……ふたりだけの家だもんね」
「俺がもっと寛大なら、笑って許せるんだけどな。ごめんな、こんなのが同居人で」
「ううん、私こそ。ね、今日はお弁当にメモをつけてくれてありがとう。すごくうれしかった! 手帳に貼ったんだよ、ほら」
さくらは手帳を取り出して見せた。
「お、おう。だけど、そんなに大切にする代物じゃないだろ」
「いいの、私には宝物! いつごろお休み取れそう? 土日がいいな、私もお休みだから。たまには、お外でごはん食べようか? 私たちって、お互いを好き合っているのに、そういうデートみたいなこと、ほとんどしたことないよね」
「言われてみれば、確かにそうだな。さくらさんは東京ではいっつも、弟の類くんとお出かけなさっていましたからね。遊園地とか、映画とか、朝帰りとか、ぜんぶ類くんと!」
東京での同居時、類はさくらを積極的に誘った。うっかり乗ってしまった、自分の甘さがいけないのだけれども。
せっかく、いい雰囲気だったのにー。なんでここで、弟の話題を出すかな、玲よ!
「あれは、類くんが強引に」
「どうだか。……休みの件は、目下取りかかっている仕事が片づいたら、申し出てみるよ。実は、おじさんも休め休めって、うるさいし」
「そうだよ! 玲、全然休まないから。身体のことも心配だし。目の下にクマが出ているもの、ほら」
そっと、さくらが玲に一歩近づいたとき、戸がかたかたと音を立てた。
「れいー、忘れ物やで」
明るい声とともに飛び込んできたのは、玲の修業先の娘であり、高幡春宵のひとりっ子・祥子だった。
春宵は、柴崎きょうだいの亡き父の兄に当たる。祥子は、きょうだいの五歳年上のいとこ。世間知らずで幼いさくらとは比べようにならないほど、容姿はもちろん、身のこなしもおとなびている。
「こんなの、明日でよかったのに」
祥子が持ってきたのは、玲のボールペンだった。断りもせず、ふたりの間にぐいっと割り込み、どっかりと座った。飲んだあとのようで、吐く息がアルコールくさい。
「ええねんって。玲に言うこと、あったさかい。あのな、明日うちも金沢へ行くことになった」
「祥子も?」
「加賀の織物、物語絵が織り込まれとるらしいんやけど、源氏物語なのかなんなのか、確信が持てへんから、詳しい人もおったら来てくれへんかって、向こうさんからのリクエスト。ん、後輩? いつから、おったん?さくら、ちっさくて気いつかへんかったわ」
祥子は、大学の先輩。ただし、院生だし、学部も違うので構内ではまだ会ったことはない。けれど、高幡祥子と言えば、国文学の新進気鋭研究者である。大学院生ながら、独特のセンスで斬新な論文を次々と発表しているらしい。専門は中古文学。平安時代、特に源氏物語を研究しているとのこと。
「こ、こんばんは、祥子さん」
「さくら、うちの研究室でも、えらい評判やで。工学部に、追加合格で入学したゆう新入生がおるって、よくよく話を聞いたら、さくらのことやん。ほんま、珍しゅうおすなあ」
何百回と聞いた、そのことば。自分は珍獣か、さくらは苦笑いをしながら、心の中で突っ込んだ。けれど、顔には出さない。がまんする。
さくらは、祥子が苦手だ。
玲も早く休みたいと言っているし、ことを荒立ててはならない。
「追加ちゃんはもうええで、おやすみ。お子さまは、二階へ行きよし。こっからは、オトナの時間や。なあ玲、明日の計画を立てとうさかい、今夜は一緒に寝ておくれやす」
「ぶっ」
さくらは思わず吹き出した。
「祥子、おじさんに怒られるよ。帰りなさい。明日の朝は、六時十五分に迎えのタクシーを頼んであるから。それに乗れば、京都駅まで連れて行ってくれる」
「うち、早起き苦手。玲の隣で寝る」
「だったら、おじさんに起こしてもらえばいいだろ。俺を巻き込むな」
「そやかて。玲がええねん」
祥子は上目づかいで媚びるようにして玲を見やった。
そう。祥子は、玲が好きだと言って憚らない。実際、過去には付き合っていた時期もあるらしい。いとこどうしとはいえ、玲も祥子も美形で並ぶと正直、とてもお似合いである。
さくらは、胸が塞がりそうな気持ちで、なりゆきを見守った。
「送る。だから、帰ろう。祥子」
溜め息をつきながらも、玲はたぶん無意識に、祥子の背中へ手を伸ばし、やさしくさすりながら土間に下りた。上着を一枚、肩の上に引っかけると、そのまま出て行った。
玄関の戸が閉まるとき、どうだとばかりに、祥子が優越感たっぷりの視線を送ってきたのも許せない。
ひとり、取り残されたさくらは、ぼうぜんと見送った。
まるで恋人どうし。
まるで訳ありの仲。
玲は、さくらと相思相愛のはずだ。京都に来てからは表面上。きょうだいの関係をしっかり守り、同居していてもすれ違いの生活ばかりとはいえ、根っこの部分では通じ合っていると信じている。
けれど、他の女性の身体に堂々と触れるような玲は、さくらの好きな玲ではない。身内とはいえ、接近しすぎなんだって!まさか玲のほうも、わりとまんざらじゃないというか、その……男性としてよころんで……? いやだ、そんな想像したくない。
「私、手しかつないだことがないのに」
軽く頭を殴られたような面持ちで、暗澹としたさくらは鬱々と茶の間を離れた。
***
玲が帰宅したのは、一時間後だった。送って戻るだけなら、十分ほどあればこと足りる。
その一時間で、なにがあったのか、さくらには聞けなかった。
明日の朝は、星占いをちゃんと見て、気をつけよう……ほんとに大切、予防線。
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