第3話 星占いのラッキーアイテムって③

 授業が終わると、クラスメイトのうち八人ほどが、さくらの家に突撃してきた。

 これでも、アルバイトやサークル活動、ほかの約束があるなどと言う者が出て、だいぶ減ったが結局、持ち込みでの夕食会となった。


「おじゃましまーす」


 がやがやと、団体御一行さまが吸い込まれてゆく。

 部屋は広いので、大人数が収容されてもさほど狭くは感じないものの、雑然とした、がやがや感は初めてのこと。毎日ふたりきりだった町家が、一気ににぎやかになった。


 さくらは、とりあえず室内へいちばんに入って、居間に掲示してある誓約書を押入れの中に隠した。これだけは、絶対に見られたくない。『さくらには手を出さない』なんて書いてある、血判の捺された誓いの紙を誰かに読まれたら、それこそ大変なことになる。


「自転車は土間に並べてね」


 さくらは諦観を悟った。


「ほんま、お構いなく。飲食物は持参。ごみも、ちゃあんと持って帰るさかい」

「へー。古いけど、きれいやん」

「ええな、ここ」


 みな、感心している。


「古い町家だけど、水回りのリフォームは済んでいるから使いやすいよ。家主さんの条件で、エアコン設置禁止がつらいけど」

「で、兄はどこ?」

「遅いよ、仕事だから。たぶん」


 さくらが油断している間に、各所であら探しがはじまっていた。やっぱり、その流れだよね。ふー、あぶない、あぶない。


「ちょっと待ってや、このファッション雑誌の数。壁にポスターまで貼って。追加ちゃん、北澤ルイのファンなん?」

「しかも相当な、入れあげよう」

「いくら好きになっても、相手は芸能人やん?」


 雑誌のラックには、類がモデルとして出ているファッション誌、それに写真集が山積みになっている。類の姿を見ると、活躍がうれしくて、ついつい買ってしまうのだ。そのあと、本人からも雑誌が送られてきたりするので、同じものが二冊あることも少なくない。

 写真の中の類……北澤ルイは、毒も吐かないし、襲ってもこないし、いつもやさしく笑っているだけなので、さくらは心底いやされる。もちろん、玲はいい顔をしないけれど。


「見ないで、見ないでったら」


 さくらは焦った。北澤ルイが義理の弟ですなんて知られたら、大騒動になる。


「ま、男前やしね。新しいコマーシャルも、ええわ。画面的にはきわどいけど、厭味があらへん。まだ十代なのに、女性化粧品のイメージキャラクターの起用されて『その唇に、触れさせて』とか、微笑で萌え萌え台詞。年下には思えへん」

「そやそや。唇だけやのうて、どんどん触ってくれはってー」

「ルイくん効果で、化粧品もバカ売れらしいで」


 今月から流れはじめた、新しい化粧品のコマーシャルを見た玲は、本気で盛大にお茶を噴いた。さくらも恥ずかしくて、テレビ画面を直視できなかった。いまだに刺激が強すぎて、目に悪い。

 途中の演出で、白い布一枚をまとった半裸の類が、共演の女性モデルと濃厚に絡むシーンがある。『あれは、さくらねえさんを想像して演技した』という内容のメールが届き、さらに頭がくらくらした。

 少年さわやかモデルのイメージから、オトナへとシフトしているのだろうが、根はエロ魔人なので似合いすぎて、ハマりすぎて。


「いいから、ね。そんなに見ないで」 

「ふーん。えらいあわてようやね」

「ち、違うの。これは。北澤ルイは趣味だから、ただの趣味。ね、そろそろはじめよう。私、おなか空いたし」


 さくらの態度に皆は不審を感じたが、早く食べようということになり、和やかな空気で夕食会がはじまった。

 お構いなくと言われたが、主婦業が身についているさくらは、飲み物を配ったり、紙皿を用意したり、こまめに働いたせいか、追加ちゃんではなく、『柴崎さくら』という、名前を覚えてもらえた。交流会、それなりの成果はあった。



「それにしても、兄の帰宅は遅うおすなー」


 ひととおり食べて騒いだクラスメイトは、次第に冷静になりつつある。


「いつも、もっと遅いんだ。明日もあるし、そろそろ解散を……」


 いいタイミングだと思ったのに。


 そこへ、さくらの携帯電話が鳴った。

 着信画面は類の笑顔画像、着信音も類の選曲。『勝手に変えたら襲う』と言い渡されているので、カスタマイズされたまま。


 視線が、いっせいにさくらへ集まった。

 画面を隠しながら、さくらは皆に断って土間の隅っこに移動し、電話を取った。


『もしもーし』


 とろんとした甘い声の主は、類。さきほどの会話のこともあるのでつい、さくらは身構えてしまう。

 星占い、最下位どころか厄日だよきっと、厄日。


「……こんばんは」

『おいおい、なんで普通にこんばんは、なの。電話に出るの遅いよ、まったく。ぼくの多忙っぷり、分かってんの?』


 少しどころか、相当棘のあることばで、類はさくらを非難した。これがいつもの手口なので、類のペースに飲まれないようにしなければならない。


「う、うん。毎日、おつかれさま。忙しいよね」

『そう思うなら、頑張っているかわいい弟に、毎日激励電話およびメッセージぐらい、寄越してくれてもよさそうなのに。つれないさくらねえさん。自分の用事があるときだけ、連絡してくるなんて』

「ご、ごめん。でもちゃんと見ているから。雑誌とか。全部、すてきだった。かわいい弟、自慢の弟だよ!」


 さくらは類が出ていた雑誌名を三つほど挙げ、もっとも気に入ったページも詳しく指摘した。


『そう? そこまで見ているなら、いいけど。自転車の件だったよね?』

「うん」


 昼間のうちに、さくらは自転車のことで、類にメールを送っていた。サインを入れたのか、と。

 相手は年下とはいえ、売れっ子芸能人。忙しい人だから、正直素早い返事は期待していなかった。連絡したその日のうちに反応があっただけ、よしとしなければならない。

 ただ、さくらにとっては時間が悪かった。クラスメイトたちが興味津々の目でさくらのことを見ている。


『てか、今ごろ気がついたわけか。ほんと、鈍いよね』

「だって、目立たない場所に書いてあったから。すごく驚いたんだよ」

『愛だよ、愛の成せるわざ。さくらねえさんが、毎日ぼくの上に乗っかっていると想像するだけで、すっごい興奮するんだよねえ。ああ、さくらねえさん。早く逢いたい。動画でもいいから送ってよ、ぼくの上にまたがっている、と・こ・ろ』


 類は積極的、というか嗜好がかなり特殊である。


「類くん。乗るのは、自転車だから。自転車」

『冗談冗談。あ、もしかして、玲に喰われちゃったとか』

「玲はそんな人じゃないよ。父さまとも、約束したし」

『絶対に襲わないっていう、例の? どうだかな。あ、そろそろ撮影はじまるから行かなきゃ。五月の連休にはそっちに行くから、ちゃんと待っていてよ』

「家族旅行先、京都に決まったの?」

『聞いてない? 市内に、オトーサンが勤めている会社の、系列ホテルがあるでしょ。玲は連休中でも仕事だろうし、でも近場なら一泊するぐらいならできるだろってことで。まあ、母さんは関西支店の視察も含めて京都、ってことらしいけど。ぼく、あと一泊ぐらいはできるかな。両親はホテル宿泊のあとどうするのか知らないけど、ぼくはさくらねえさんの家に泊まるから、よろしくね。あ、時間だ。さくらねえさん、だいすき。愛してるよ、ちゅっ』


 用件だけを言い終えると、類はさっさと電話を切ってしまった。


「……相変わらずだなあ、もう」


 類は、両親の再婚後に姉となったさくらを、からかい続けている。超モテの類に、どうにも反応が薄いさくらの態度が意外たっだらしい。なびかないさくらに好奇で接し、自分のものにしようと企んでいる。

 あの容姿と態度でずっと迫られたら、抵抗できないかもしれないのに。玲が好きだから京都までついてきたはずなのに、冗談でも類に言い寄られるとぐらついてしまう、自分の甘さが嫌いだ。


 きょうだい、なのに。


「柴崎さん、だいじょうぶ?」


 土間でぼんやりしていると、心配した橋本がさくらの様子を見に来てくれた。


「う、うん。るいく……弟、からだったんだけど、いつも調子のいい子で。こっちのペースを乱された」

「へえ、弟さんもいるんだ。何歳?」

「いっこ下。かわいけど、超絶生意気男子だよ」

「でも、いいじゃん。俺も三歳上の姉貴がいるけど、電話番号も知らないよ。連絡を取り合えるだけ、仲がいい証拠だって。柴崎さんが京都へ進学したから、さみしいんじゃないかな?」

「うーん。さみしい、のかなあ」


 からかう相手がいなくなって残念、ぐらいにしか考えていないような気がするけれど。

 類は毎日仕事で、美形の女子に囲まれて華やかに過ごしている。少しおっとりで世間に疎いさくらのことが、もの珍しいだけなのだと思う。

 そして、すぐに飽きるだろう、とも。

 さくらに特別執着しているのように見えるのは、きっと玲への対抗心。


「追加ちゃーん、リニアー。そないなとこ立っておらへんで、こっち来たらええねん」

「いつまで内緒話、してはるん?」


 クラスメイトがふたりを呼んだ。

 さくらは頷き、茶の間に戻ろうと畳に手をかけたとき、がらがらと玄関の戸が開いた。


「ただいま」


 玲が帰宅した。

 さくらは振り向く。

 すぐ隣には橋本。居間では、五人以上が輪をつくってさかんに喋っている。


「おかえりなさい、玲。あのね、これ」


 時計を見れば、午後八時。

 驚いた。

 玲の帰宅がこんなに早かったのは、京都に来て以来、初めてのことではないか。東京から送った荷物を解く暇も惜しんで、糸染めの修業に専念しているけれど、陰鬱な顔をした玲を見たのは初めてだった。


「は、早かったね」


 それしか言えない。だめさくら。自分でもいやになる。運気も、ほんとに最悪だ。


「ああ。お前が、しつこく早く帰れというから。でも、邪魔したみたいだな。乱交パーティーでもはじめるつもりだったか、うちで?」


 玲は、さくらのすぐ隣にいた橋本を鋭く睨んだ。


「あああの、玲。大学のクラスメイトだよ、全員。ねえ橋本くん」


 動転したさくらは、橋本に助けを乞うた。


「は、はい! 初めまして、お兄さん。おれ、じゃない僕、柴崎さんと同じ建築学科の一年で、橋本譲と言います! 出身は神奈川県相模原市、将来的にはリニアの駅が設置される予定の場所です」


 橋本は懸命に自己紹介をしたが、玲はほとんど興味を示さなかった。


「いきなり、お兄さんとか呼ばないでくれるかな。こいつにだって、言わせていないんだ。さくら、俺は明朝、おじさんと金沢まで出かけることになった。始発の特急で行くから、みんなには悪いけど帰ってもらってくれ。早く、休みたい」

「出張?」

「ああ。加賀の織物で、いいものが出たらしいから、見に行くんだ。明日の弁当、作れないが、夕食には間に合うよう、帰るつもりだ」

「分かった。仕事だもんね。き、気をつけて」

「おふろ、沸かしてくれ」


 玲はすたすたと居間を通り過ぎ、さっさと自分の部屋に籠もってしまった。無視されたクラスメイトたちは、完全にしらけている。


「ご、ごめんね、みんな。うちの玲ってば、極度の無愛想なの。ちょっと、照れているんだと思う」

「いや。男前やなあ」

「氷のようやわ」

「今どき、あんまり見かけへん硬派」

「今度、またゆっくりと話できたらええねんな」

「けど、ふろ、寝る、とか、まるで夫婦の会話……」

「ほら。ハシモもぼーっとしとらへんで、こっち来よし」


 みんなはしきりに口を動かしながらも、後片づけをはじめた。このへんは、優等生のいい子ちゃんで助かった。

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