番外編・曽根崎慎司は行動する(1)

 穏やかな昼下がり。曽根崎は、自分以外誰もいない事務所でパソコンと向かい合っていた。

 キーボードを叩く音と、椅子が軋む音。それぐらいしか聞こえない空間において、作業は捗り過ぎるほどに捗っていた。


「……」


 一週間ほど前に起きた事件の記録を、ざっと見直す。……恐らく、これをツクヨミ財団に通せば、自分の行動の正当性と必要性が認められ、幾ばくかの報酬が得られるだろう。

 窓の外に目をやる。振り返ってみれば、今回はまったく骨の折れる事件だった。

 そしてそれほどのものともなれば、当然後始末にも時間を要するわけで……。


「……やれやれ」


 窓の外に目をやる。曽根崎は、ここ数日における“金にならない”自分の行動を思い返していた。











 白い壁と、白い床と、白いベッドのある部屋。事件から四日経ってもなお目を覚まさない阿蘇忠助の病室に、藤田直和はいた。


「……こんなに綺麗な人を見たのは、本当に久しぶりだよ」


 手を取り、爽やかな風貌の彼は優しく笑う。


「まるで、オレの目が覚めるようだ」


 甘い言葉と甘い表情。細い指が、相手の手の甲を撫でる。

 ――なんせ容姿端麗の青年である。このような振る舞いをされて、どうして相手が平静を保てようものか。


 無論、その看護師の女性も例外ではない。彼女は藤田に取られた手を見て、嬉しそうに頬を赤らめていた。


「えー、でもそれ誰にでも言ってるんじゃないの?」

「当たってる。好きになった人にはオレ、誰にだって言っちゃうから」

「やだもう」


「…………」


 しかし一方で、今し方見舞いに訪れたもう一人の男は大いなる不快感を露わにしていた。


「……なあ、藤田君」

「今日、オレがこの部屋に来たのは偶然じゃないって思いたいな。あなたに会えたのなら……」

「藤田君」

「ところでもう少し話せたりしないかな。もっとあなたの事が知りたいんだ」

「オイコラ藤田直和」

「そうだ、連絡先の交換なんて……」

「よいしょー」


 曽根崎の持っていた本が、藤田の側頭部にめり込んだ。現れたもじゃもじゃ頭に恐れをなした看護師は、気まずそうに一礼するとそそくさと部屋を出て行く。

 残された曽根崎はというと、床に突っ伏す彼にそっと本を差し出した。


「見舞いに来てやったぞ。これは暇を持て余しているだろう君への差し入れだ」

「ありがとうございます……」

「少し汚れていたらすまんな」

「大丈夫です、それ多分オレの血」


 藤田が起き上がるのを確認しようともせず、曽根崎は視線を弟へと移す。

 阿蘇は、未だ目を開けない。これほど賑やかなやりとりにも関わらず、ベッドの上で穏やかに胸を上下させていた。


「……ずっと、眠ってるんです」


 呟く藤田に、曽根崎は頷いた。


「もう四日になるか。長いもんだ」

「ええ。これだけ長く寝てると、起きた時に元の筋力を取り戻すのにも苦労するでしょうね」

「そうだな」

「だからオレ、時々こうやってコイツにマッサージやストレッチをやってやってるんですよ。でも自分でやるのと人にやるのじゃ、やっぱちょっと勝手が違うみたいで……」

「君って奴は浮気なのか健気なのか、はたまたただ単に忠助の筋肉に異様な執着を示しているだけなのか全く分からんな」


 呆れる曽根崎に、藤田はへらっと笑ってみせる。風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れた。


「……曽根崎さん」

「なんだ」


 数秒の沈黙が落ちる。

 そうした後、彼は曽根崎に向き直って頭を下げた。


「……またオレを助けてくれて、どうもありがとうございました」


 真摯な礼に、しかし曽根崎は俯いた。覗き込んだとて、見えるのはいつもの無表情である。故に、藤田から彼の胸中は推し量れなかった。


「……礼を言われるような事じゃない。君には多大な負担をかけた」

「それぐらいは覚悟の上でしたよ。そもそもオレから首を突っ込んだ事だったのに」

「黒い男の指先に乗ったのが君だっただけだ。いずれは私も巻き込まれていた」

「……それでもです。今回だけじゃない、オレはずっと、あなたに助けられてきました」


 藤田は、頑なな曽根崎にも届くよう、ゆっくり言葉を紡ぐ。


「オレが教団を抜けた時だって、そうでした。他の人であれば決して選ばないだろう最善手を、あなたは躊躇う事なく提示してくれた。景清を救い、教団を脱退し、教団側もオレを諦める。それらを全て解決するやり方を」

「……とんだベタ褒めだな」

「オレは、あの時景清が殺されていたら罪悪感で生きていけなかった。阿蘇に縋らなかったら、あのまま死んでいた」

「……」

「選んだのはオレだったとしても、選べる道を示してくれたのは貴方です。オレは今、ここにいられて感謝しています」


 そう言って曽根崎に笑う藤田に、全身真っ黒な男は決まり悪そうに頭をガシガシと掻いた。


「……君はやりにくいなぁ」

「ふふ、阿蘇にも同じことを言われたことがあります」

「私には不要だよ。そういうのは忠助に言ってやれ」

「はい。ピロートークの際に伝えるつもりです」

「タイミングに関しては本当にどうでもいい」


 いつもの調子の優男に嘆息し、曽根崎は踵を返す。そんな彼を目で追って、藤田は首を傾げた。


「あれ、もう帰るんですか」

「君に見舞いも渡したし、弟が起きていないのならこれ以上ここにいる意味も無いからな」

「そうですか」

「……まあ、あまり思い詰めるなよ」

「オレはバリバリ休んでますよ」

「嘘つけ。一日の殆どをここで過ごしている事ぐらい、私は知ってるぞ」


 げ、と藤田は顔を歪める。それに目敏く反応した曽根崎は、ようやくニヤリとした。


「……君、ヘラヘラ顔よりそっちの方がいいな」

「あ、抱いときます?」

「断る。君を抱くぐらいなら砂漠のサボテンを抱きしめて、そのまま息絶える道を選ぶ」

「どんだけ嫌なんですか」

「ま、そういうわけだ。それじゃあ、また来るよ」

「ええ。……お見舞い、ありがとうございました」


 藤田に背中を向け、ドアの取っ手に手をかける。大きなドアがスライドし、柔らかな音を立てて閉まった。


「――いや、『世界の純愛ポエム五十選』って何だよ!」


 ……三十秒後に病室内に響いた差し入れへのダメ出しは、生憎曽根崎には届かなかったのである。

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