51 生きていく場所

「へぇ! じゃあ今日、阿蘇さんが退院すんのか!」


 三条の明るい声に、僕は頷いて返す。堅苦しいスーツに身を包んだ僕らは、食堂外のテラスで談笑していた。

 だらしなくネクタイを緩めた三条は、オレンジジュースをすすって言う。


「お前の叔父さんも入院してたんだろ? 景清も一時期学校休んでたし、マジでどうしたのかと心配してたんだぜ」

「ご、ごめん」

「元気ならいいよ!」


 明快な男である。以前不気味な事件に巻き込まれた彼なら話せば事情を分かってくれるとは思ったが、聞かれない限りこちらからは言わなくていいだろうと僕は判断していた。


「退院祝いのパーティーとかすんのか?」

「うん。良かったら来る? もう殆ど退院祝いにかこつけたケーキバイキングなんだけど」

「そうなの!?」

「阿蘇さん甘党だから……」


 今頃、藤田さんと柊ちゃんがスイーツショップを巡って様々なケーキを物色しているのだろう。僕も行きたかったが、今回は大学生らしい事情を優先したのである。

 けれど、そろそろ僕も行かなければならない。そう伝えると、三条は笑って手を振ってくれた。


「ありがとう、景清! オレも後から絶対行くよ! ……あ、大江ちゃんも誘っていい? あの子も阿蘇さんの退院をお祝いしたいと思うからさ!」

「そりゃ勿論構わないけど、そんな気を遣わないでいいからね? 慰労会みたいなもんだし、お金は全額負担するから心配しなくていいって田中さんも言ってたから」

「田中さん?」

「曽根崎さんのパトロンでめっちゃ金持ちの人」

「すげぇ!」


 三条に説明するのは楽でいいな。

 こうして僕は一旦友人と別れ、アルバイト先に向かったのであった。










「どうも、来ましたよ曽根崎さん」

「やぁ景清君。今日もよろしく」


 いつも通りデスクに座る雇用主の顔を確認して、僕は事務所の中に入る。まずは、道中で買ってきた諸々の品をしまいに給湯室へと向かった。


「今日はスーツなんだな」

「ええ。大学で就活セミナーがあって」

「就活セミナー?」

「三条と一緒に行ってたんですよ。マナー講習なんかもあって、企業の人から直接話を聞けたりで面白かったです」

「彼は教師志望じゃなかったか」

「教師志望ですよ。でも、行って何か減るもんでもないでしょう」


 それに、就活というものを齧っておくのも、教師になるにあたって決して無駄にはならない経験だろう。

 そう思いながら曽根崎さんを見ると、何故だか彼は奇妙に顔を歪めていた。


「……どうしたんですか?」

「いや……君も就職するのだなぁと」

「そりゃしますよ。いつまでもアルバイトではいられませんし」

「……そうだな」


 そうだよな、と繰り返す。……なんなんだ。どういう感情なんだ、それは。

 しかし、あまり深くはツッコめない。僕も僕で曽根崎さんに伝えなければならない事があるからだ。

 どう切り出したものかと迷いつつ、大根を冷蔵庫の野菜室に突っ込む。


 ……だが、言うタイミングとしては今しか無い。むしろ今を逃したら永遠に言えなくなる気がする。

 俯き、大きく深呼吸をする。それから立ち上がり、僕は給湯室を出てズカズカと大股で雇用主の元に歩いて行った。


「曽根崎さん」

「うん?」

「少し、お話よろしいですか」

「なんだよ改まって」


 いきなりやってきた僕に、彼は驚いたらしい。作業をしていた手を止め、無表情にこちらを見上げる。

 それに怯みそうになる僕だったが、どうにか耐えて彼の目を真正面から見た。


「実は、相談したいことがあるんです」


 ――心臓は早鐘のように鳴っている。声に至っては今にも震え出しそうだ。

 だが、それを悟られてなるものか。僕は深く息を吸い込んで、言った。


「曽根崎さんは、株式投資などもやられてますよね?」

「ああ」

「……そこでお願いなんですが……その内の一部を僕、竹田景清に投資してもらいたいんです」

「――投資?」


 唐突な提案に、曽根崎さんはぽかんとする。それに、僕ははっきりと頷いてみせた。


「はい、投資です。今までのような借金じゃなくて、投資。曽根崎さんの意思と判断に基づいて、僕という個人に資金を提供して欲しいんです」


 ――ずっと、考えていたのだ。


 曽根崎さんと出会って、幾度となく人知を超えた事件に巻き込まれて。その中で、彼の立つ場所がどれほど危ういものなのかを知ってしまった。

 この薄氷上に身を置く人を、確固たる生に繋ぎ止めるにはどうしたらいいか。

 いつしか僕は、そんな事を本気で考えるようになっていたのである。


 考えて、考えて、考えて。そうして凡人たる僕がやっと出した結論が、これだった。


「……曽根崎さん。僕らは、黒い男をぶっ潰してやると決めましたよね?」

「ああ」

「では、そこから先の話です。黒い男を潰し、“怪異の掃除人”を廃業したとします。でもその後、アンタは一体どうするつもりなんですか?」

「……えー……」


 曽根崎さんが言葉を詰まらせる。それをいいことに、僕はここぞとばかりに畳み掛けた。


「えー、じゃありませんよ。今だってあれだけ呪文に頼ってるのに、それが無くなってもまだ怪異の掃除人をやっていくなんて言いませんよね?」

「そ、それは……」

「実際、今回の件でも二日間入院しましたし」

「あれは検査入院みたいなもんだよ」

「そうかもしれませんが、そうじゃなくてもしょっちゅう死にかけてるじゃないですか。歳だって取る一方なのに、こんな事いつまでも続けてはいられませんよ」

「う」

「でもそうなってくると、オカルトフリーライター一本でやっていけるのかって話になるわけですが……。ぶっちゃけ収入とかその辺り、どんなもんです?」

「微々たるもの」

「ですよね」

「しかし、私は君の言う通り株だのなんだのやっているから、それで食い繋いでいく事も可能だぞ」

「何を仰る。アンタ、なんやかんやで“動きたがる”人間でしょう」


 この指摘に、曽根崎さんは実にバツの悪そうな顔をした。

 ……面倒だの何だのと言いながら、結局生まれ持った頭脳と知的好奇心を眠らせておくことができない。そんな厄介な特性を、彼と会ったこの数ヶ月で僕はちゃんと理解していたのである。


「……だから、僕に投資しろって言ってるんですよ」


 さあ、ここからが本題だ。虚勢混じりでも、僕はせめて堂々と見えるよう胸を張った。


「今僕は、法律について勉強しています。いずれは法科大学院に進み、司法試験に挑む予定です。そしてそれに合格し、考試にも通ったなら――」


 ――ここでふいに、不安が胸を過ぎる。僕の考えが、この人の望むものでなかったらどうしよう。あまりにも、厚顔無恥だと拒絶されてしまったら。


 ……いや、構うものか。言え。言え。言ってしまえ。

 どうせ言わなくったって、既にやると決めてしまったんだ。

 もう、後に引くつもりだって無いんだ。


 迷いを捨てた僕は、彼に向かって言い切った。


「――曽根崎さん。僕は貴方のもとで、専属弁護士として働きたいと考えています」

「……!」

「この場所の名前は、曽根崎探偵事務所とでもしといてください。僕がここで働くなら弁護士付きの探偵事務所になって箔もつくし、アンタには顔の広い知人もいます。うまくいけば、食べていけるぐらいの収入は得られるようになるでしょう」

「……君」

「曽根崎さんって人の秘密を探ったり、尾行したり、猫を見つけたりするのは得意ですよね? 探偵向きの性格だと思いますよ。というか、できなくてもやってもらう必要がありますが……」

「……」

「ほら、これで怪異の掃除人を引退してもうまく収まります。でも残念ながら、根本的な問題として今の僕には法科大学院に通う金銭的余裕が無い。だから――」


 ――僕を青田買いしてください、とか、未来の社員への先行投資と捉えてくれませんか、とか。多分、この時の僕はそんな事を言おうとしたのだと思う。


 けれど、突然腕を引かれ、

 その弾みでバランスが崩れて、

 そこを包み込むように、長い腕を回され。


 もじゃもじゃ頭が、僕の顔の真横に来て。


 ――曽根崎さんに抱きしめられていると分かった瞬間、僕が用意していた全ての文言が頭から吹き飛んでしまった。


「………………ナァアッ!!!??」

「……景清君。君は……君というヤツは、つくづく……!」


 間近で声がする。髪の毛がくすぐったい。締められた腕が痛い。

 僕は、どうしていいか分からず完全にパニックに陥っていた。


「ああああああっわああああああああダアァァァァッッッ!!!!!???」

「私に……生きる理由だけでなく、生きる場所までくれるとは……!」

「ほびゃああああああああああぎゃああああああああ!!!!!????」

「本当……どこまで、お人好しなんだよ……!」

「あばああああああああああああああああ!!!!!????」

「君、うるさい」


 叫ぶのに必死で、振りほどく事を完全に忘れていた僕である。かくして僕は、抱きしめられながら無抵抗に奇声を上げるという、客観的に見てとんでもない絵面になってしまっていた。


 コイツ、こんな事するヤツだったっけ!?

 

「……いくらでも、投資するとも」


 曽根崎さんは、心なしか声を震わせて僕に言った。


「君のような優秀な人材を逃す手は無い。君から来てくれると言うなら尚更だ。学費だろうが受験費だろうが、何でも遠慮無く申請しろ。全部経費で落としてやる」

「びゃ、あ、ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらの方だ。……まったく、本当に君は……」


 小声で紡がれる言葉に、耳を傾けようとする。

 けれどそれは、突如勢いよく開け放たれたドアの音に他愛もなくかき消されてしまった。


「ヤッホー、シンジ! ケーキとタダスケとナオカズを連れて来てあげたわよ! そんでもってこのボクが、今日という一日を満遍なく最高の時間にしに来てあげ――」


 ――颯爽と現れた絶世の美女と、目が、合う。


 沈黙。


 柊ちゃんの睫毛の長い目がまんまるに見開かれ、「あらあらあらあら」と言わんばかりにニヤニヤとしたものになる。後ろから覗いた藤田さんは、一度ギョッとした顔の後に真顔になった。阿蘇さんだけは、なんとなく状況を察しているのか平然としている。


 僕は、曽根崎さんに抱きしめられたまま、自分の顔から血の毛が引く音を聞いていた。


「――その、邪魔しちゃってゴメンね?」

「違う違う違う違う柊ちゃん誤解です誤解ああああああ!!!!」

「曽根崎さん、甥を持っていくならオレに一言挨拶してくれと言ったでしょう。順番が違いますよ順番が」

「あああああ持ってくってなんだ! そんなんじゃねぇっつってんだろ!」

「真っ昼間からお盛んなことだなー。大丈夫、祝儀は二人分包むから安心してくれ」

「阿蘇さんもノらないでください!! 御退院おめでとうございます!!」


 曽根崎さんを突き飛ばし、離れる。だが、誤解は悪い大人の悪ノリと共に加速していく。


「そうだ、オレまだ景清の女装見てないんだよな。ついでだしちょっとやってみて?」

「ついでってなんだ、ついでって! 何も繋がるもんはねぇだろ!」

「シンジが誰かに対してアクションを起こすなんて初めて見たわぁ。感慨深いわね」

「俺も初めて見たかもな。歴史の教科書に載せて後世に伝えるべきだ」

「しみじみすんな、そこ! あああもう曽根崎さんからも何か言ってください!」

「詳しい話は後でしよう、景清君。こういった関係になったからには私も責任を持つ。まずは君に誠実でいられるよう、それを証明する適切な書類を作成してだな……」

「ほのめかすなバカ!! アンタも敵側かよチクショウ!!」


 僕をオモチャにしてる時点で誠実も何もねぇんだよ!

 クソッ、やっぱコイツの所で働くなんてやめだ、やめ! 金だけ貰ってシレッと弁護士資格だけ取ってトンズラしてやる!


 怒りに頭を沸騰させていると、彼らを皮切りとするかのようにぞくぞくと人数が集まってきた。


「おやおや、既に姦しいことだねぇ! 本日の出資者が顕現したよ、みんな諸手をあげて僕を崇めるがいいさ!」

「藤田君、良かった。君も元気そうだね」

「はい、ありがとうございます、六屋さん。お陰様で助かりました」

「曽根崎ィ、ケーキあるって聞いたんだけどどこよ。抹茶ある? 抹茶」

「君達! 部下なら部下らしくまず僕を称えたまえ!」

「景清ーっ! ケーキ食べに来たぞ! 大江ちゃんも一緒だ!」

「三条さん、ケーキよりもまず阿蘇さん達にご挨拶ですよ! 阿蘇さん、このたびは御退院おめでとうございます。ですがどうかご無理はされませんよう……」

「ああ、久しぶり大江さん。俺はもう大丈夫だよ。今日は来てくれてありがとう」

「こんにちは! 柊ちゃん! 先生! お邪魔します!」

「え、佳乃!? お仕事休んで良かったの!?」

「休むよ! こんな大事な日休むに決まってるでしょ! もううう柊ちゃん! 全然連絡くれなくなったと思ったら、突然よかったら退院パーティーに来てだなんて……! そういうのが無くても遊ぼうって言ったでしょ!」

「ふええええ!?」


 田中さん、六屋さん、烏丸先生、三条、大江さん、光坂さんまで現れて。なんだか、一気に賑やかになる事務所内である。


 そんな中、曽根崎さんはというと――。


「景清君、味噌汁」

「マジでブレねぇなアンタ」

「ゆくゆくは弁護士として登用するとはいえ、今の君はアルバイトだ。現在の業務に励めよ」

「人使い荒い……。でもこれ弁護士になっても変わらねぇんだろうな……」


 肩を落とし、給湯室へと行こうとする。しかしその前にふと思い出した事があって、曽根崎さんを振り返った。


「……曽根崎さん、一つ友人の話をしていいですか?」

「うん」


 冷たい目をした一人の男。奇妙な巡り合わせで出会えたソイツについて、どうしても分からない点があったのだ。


「僕、そいつにもこうして味噌汁を作った事があるんですけどね。それがどんなに工夫してやっても、絶対ケチをつけてきやがったんですよ」

「ふぅん」

「……そいつ、味噌汁が嫌いだったんですかね。それともグルメなだけだったとか?」

「……さぁなぁ」


 僕の問いに、曽根崎さんはこちらを見ようともしない。しかし椅子に深くもたれたまま、小さな声で答えてくれた。


「――もしくはただ単に、我儘を言ってみたかっただけのクソ甘ったれだったんじゃないか」


 身も蓋も無い、吐き捨てるような口調である。それでも僕は、そこにほんの僅かな照れ隠しのようなものを感じ取った気がして、頬を緩めた。

 後ろでは、柊ちゃんと藤田さんが選んだケーキがお披露目され歓声が上がっている。明るい笑い声を背に、僕はたった一人に味噌汁を作る為だけに、給湯室に引っ込んだ。


 ――今日は、少し薄めに作ってやるとしようか。


 どこかの誰かに言われた最後の文句を胸に、僕は鍋を手に取ったのである。




 続・怪異の掃除人 完

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