49 ここ最近の話

 ――それから、二週間が経った。


 穴は閉じ、藤田さんは生還し、曽根崎さんは黒い男との契約更新を終えることができた。

 とてつもなく長く、神経の擦り減るような数日間。だが、それを経て僕らが得たものは何も無い。


 ただ、当たり前の“日常”を取り戻しただけである。


「――故に、弊社ではソフト開発を主とした事業を展開しておりまして……」


 そして僕は今、大学で開催される就活セミナーに参加していた。

 スーツを着て、パイプ椅子に座り、時折手元のメモ帳に書き込む。コピーでもしたかのように右に倣えの人間が、ここには何人何十人といる。

 ……あの偉そうな曽根崎さんにも、こんな風に人に混ざって誰かに選ばれようとする時期があったのだろうか。


 いや、無いな。無い気がする。なんとなくだけど、絶対無かったと思う。


 僕は頭を振って、偏見めいた邪念を打ち消す。けれど少し気が散った間に、もう企業担当の人の説明には追いつけなくなっていた。


 ……ここのブースは、諦めよう。


 就活生らしからぬ諦念に身を委ねた僕は、手帳にペンを挟んでここ最近の出来事を思い返すことにしたのであった。











「ええええ!? あのワイヤー使ってバケモノが登ってきてたの!?」


 事件の収束から四日後。事務所内に轟いたハスキーボイスに、僕と曽根崎さんの鼓膜は貫かれた。

 よほどショックだったのだろう。絶世の美女はソファーに沈み込み、ヨヨヨと打ちひしがれる。


「なんてこと……ボクの提案のせいで、そんなトンデモ事態になってたなんて!」

「そんな、もう大丈夫ですよ! 事件は解決しましたし!」

「でもすっごく大変な思いをさせたわ! ごめんなさいね景清、ボクが余計な事をしたばっかりに……!」


 柊ちゃんは今にも泣き出しそうである。いたたまれなくて、僕は曽根崎さんを振り返った。


「だ、だけど、そのローラーを落としたからこそ時間稼ぎができたんですよね! ね、曽根崎さん!」

「しかしそれに関しても色々謎なんだよな。バケモノに穴を這い登れる力があるなら最初からそうすべきだったし、どうしてわざわざワイヤーを引っ張ってみたのか……」

「そんなの知りませんよ。バケモノの思考なんて、僕らには永遠に分かりません」

「あるいはワイヤーが降りてきた事で、バケモノが閉じかけた穴に気づいたのかもしれな――」

「ごめんなさいいいいい!!」

「曽根崎さん!!」

「可能性の話だ。責めてるわけじゃない」


 涙目の柊ちゃんを慰めながら、無神経な男を睨みつける。

 ……僕としては、彼女に無用な罪悪感なんか持って欲しくなかったのだ。今回の事件で誰より僕らを励まし、信じてくれた人なのに。

 というか、そもそもローラー自体柊ちゃんの落ち度だとは思ってないんだよな。あの時点では何が起こるかなんて分からなかったし、色んな未来を鑑みるならローラーは残すべきだと僕も思っていた。


「……でもまあ、“オモチャ”があったからこそ、バケモノの気が逸れたと考えられなくもない」


 僕からの無言の圧に、事務机前の椅子に座る曽根崎さんが取り繕うように言った。


「逆にローラーが無ければ、バケモノはとっとと穴を這い登ってきていたかもしれん。ワイヤーと戯れる時間があったからこそ、私達は奴の挙動に気づき対応する事ができたんだ」

「シンジ……」

「うん。だから、うん。景清君、続き」

「はい。……だから柊ちゃん、どうか気に病まないでください。僕は、柊ちゃんの提案もあったからこそ全て上手くいったんだと思っています」

「景清ぉ……」

「……最後まで見守るという約束を守ってくれて、本当にありがとうございました」

「景清ーっ!!」

「わあっ!?」


 涙目の柊ちゃんに飛びつかれ、もみくちゃに撫で回される。彼女の肩越しに曽根崎さんを見ると、「ヨシ」と言わんばかりに親指を立てていた。


 ――ん?

 もしかして今コイツ、柊ちゃんのフォローに僕を頼ってくれた?


 いつだったか、その場の勢いで“これからは僕が曽根崎さんを補いたい”と言ってしまった事を思い出す。……あれか? あれを実行したのか?

 だとしたら、なんだか嬉しいような照れ臭いような……穴があったら入りたいような。

 なんとも妙な感情を抱いたが、ともあれ今は柊ちゃんのケアを最優先とする僕なのであった。











 そしてその翌日に、田中さんらが訪れた。


「いやぁ、今日も今日とて実に陰気な巣穴じゃないか!」


 還暦間近にして、なおとどまる事をしらない田中さんの減らず口である。けれど、今回はそれを叱ってくれる人がいた。


「田中さん! いくら自分が気に入らないからといって、そういう事をズケズケ仰るのはどうかと思いますぞ!」

「あー、煩い煩い。まったく、とんだ小舅を雇ってしまったもんだよ。まさかこの年でお小言をくらう羽目になるとは」

「おやおや、素晴らしい部下じゃありませんか。部下の目を見れば上司の良し悪しが分かるとは誰の言でしたっけねぇ、田中さん」

「ぐぬぬ」


 曽根崎さんの嫌味に、唇を噛む田中さんである。

 六屋さんはというと、お辞儀をした僕に微笑み丁寧な会釈で返してくれた。この事件により環境が大きく変わってしまった内の一人だが、元気に過ごされているようでひとまずはホッとする。


「……しかし、景清君が曽根崎君の下でアルバイトをしているというのは本当だったのか」


 ぎゃーぎゃーと言い合う曽根崎さんと田中さんを遠巻きにしつつ、六屋さんが声を潜めて僕に尋ねた。


「はい、それがどうしたんですか?」

「……うむ……お節介だとは思うのだが、ここは君のような者が働くにはあまりに危険ではないかと思ってな。田中さんから聞いたのだが、今回のような事も一度や二度ではないのだろう」


 ……まあ、言われてみればそうかもしれない。六屋さんなど特に、ある日突然死んだことにされツクヨミ財団入りするという怒涛の人生転換を果たした人だ。同じ一般人である僕に対し、余計にそう思うのだろう。

 いい機会である。これからも彼とは付き合いがありそうだし、ちゃんと伝えておこう。

 頷くと、僕は六屋さんに耳打ちした。


「ええ、その事なんですが……僕自身、少しワケありの身なんですよ」

「ワケありの身?」

「はい。ここだけの話、紆余曲折の末、今曽根崎さんに莫大な借金をしてるんです」

「ば、莫大な!? なんと、それはどれぐらいの……」

「数千万」

「すすす数千万!!?」


 あまりの金額に六屋さんが飛び退いた。……うん、僕も同じ状況なら同じ反応をするだろうな。

 追い討ちかなとも思いつつ、僕は続ける。


「あと、ここは時給も破格で随時ボーナスが出たりとやたら待遇がいいんですよ。なので効率を考えると、“曽根崎さんの所で働き曽根崎さんに借金を返す”という循環が一番良いという結論に至りまして……」

「ははぁ……そりゃ大変だ。君も複雑な境遇なんだねぇ」

「恐れ入ります」


 それでも、六屋さんほどではないと思うのだけど。

 もう少し説明しようとしたが、彼にとっては僕が納得してさえいれば良かったらしい。話題は次へと移った。


「……その、深馬君の話だが、君は聞いているかな」

「はい。彼が起こした殺人はきっちり彼の罪として裁かれるという所までは、曽根崎さんから聞きました」

「うむ。とはいっても、深馬君は既に亡くなった人間だからね。罪の意識に耐えかねて自殺、被疑者死亡のまま書類送検という筋書きで世間には発表されるのだろうが……」


 一呼吸置いて、六屋さんは続ける。


「……もし、ご遺族が遺体の引き取りを拒否されるのなら。その時はせめて、私が彼の葬式をやってやろうと思ってな」

「え。お葬式ですか?」

「ああ。無論、景清君らに出席しろとは言わない。私とて、彼の凶行に思う所が無いわけでもないしな。……だが、彼の犯行に対して私が何の責任も感じてないかと言えば、それも違う」


 六屋さんは、難しい顔をしていた。ひょっとすると、彼の中でもまだ明確な答えは見つかっていないのかもしれないと僕は思った。


「彼は、正しくない行いをした。私も、それを理解する事ができなかった。……けれど、もし何か一つでも違っていれば……私が彼に何か声をかけてやれていれば、凶行を防げたのではないかと思うことがあるんだよ。少なくとも私は、他の人よりは彼に近い場所にいたのだから」

「……」

「まあ、これも落ち着いた今だからこそ思えるのだろうがな。加えて、とんでもない思い上がりであるという自覚もある。……しかし、彼の立場に近かった者として、また私の責任として、彼を弔ってやりたいと思ったのも事実だ」

「……そうですか」

「うむ。……もう取り返しはつかないが、せめて今一度、彼が君を苦しめた事を詫びさせてほしい。……すまなかった」

「いえ、そんな」


 頭を下げる六屋さんに、僕はあわあわと首を横に振る。

 この事件で、彼に非があるとは思えなかった。かといって、それをどう伝えていいのかも分からず、結局彼の謝罪を拒否しきる事もできなかったのは僕の情けない所である。


 そんな僕らの一方で、いつの間にか喧嘩をやめていた曽根崎さんと田中さんは、何やら早口で話し込んでいた。


「――それでは、“種まき人”は元々南米の現地警察も買収していたと?」

「そう。少し脅したらあっさりと吐いてくれてね」

「となると、ライト博士の発見自体、怪しいものになってきますが」

「ああ。君のご推察通り、やはりミートイーターは彼らの手により作られた新種なんだろうね。で、博士はそれを敢えて“見つけさせられた”可能性が高い」

「幸いなのは、二度は同じ手を使わないという教会の暗黙のルールでしょうか。クソッ、また面倒な組織が復活したもんだ。……しかし、何故“今”なんです? 何か裏があるのでは?」

「そこはもう少し調べる必要がある。まあ、また何か情報が入ったら連絡するさ」

「……私は、奴ら絡みの仕事はしませんよ」

「そこは僕じゃなくて神か黒い男に直談判するべきだろう。ま、僕の予想では、たとえ君がどんなに目を瞑ろうとも、向こうが無理矢理こじ開けてくると思うが」


 ……あまりよく聞こえないが、事件の後処理についての話だろうか。

 割り込むのも難しくてしばらく様子を伺っていると、思い出したように田中さんはポンと手を叩き僕を向いた。


「そうだ、烏丸君から君らに言伝があるんだった」

「え、そうなんです?」

「うん。今入院している、お寝坊君のことなんだけどね」


 ――阿蘇さんのことだ。


 その情報にドキリとする。……入院してすぐ目を覚ました藤田さんとは違い、阿蘇さんはずっと眠ったままだったのである。

 思わず前のめりになった僕に、田中さんは刻まれた皺をますます深くしてにんまりとした。


「――ようやく、お目覚めになったそうだよ。もう安心していいってさ」

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