42 二つ名にふさわしく
そして僕と曽根崎さんは、一度彼のマンションを経由してから事務所に到着した。
――だが、僕はすっかり忘れていたのだ。
あの日、曽根崎さんを失った自分がどれほどえげつなく慟哭していたのかを。
「……今すぐ出て行って慰めてやりたいな」
「やめろやめろやめてくださいマジでやめて」
悲痛な声が漏れる事務所前で、僕はしゃがみこむ曽根崎さんの耳を後ろから両手で塞いでいた。
……耳栓を持ってくるべきだった。痛烈に後悔するも、今となっては遅すぎる。
なので僕は、さほど意味も無いと知りつつも曽根崎さんの耳を押さえる手に力を込めていた。
「で、袋はどのタイミングで置いてくればいいんだ?」
「……あー……多分もうそろそろですかね。じゃあ行ってきます」
「私も行って……」
「いいからここにいてください」
つーか連れてくるんじゃなかった。僕一人で事足りただろ、これ。
音を立てないように注意して、僕は二階にある事務所に向けて階段を上る。そしてドアの前にビニール袋を置くと、息を潜めてノックした。
「……開いてますよ」
中から聞こえてきた力の無い声に、きまり悪くて顔を顰める。
……そんなの知ってるよ。僕は、そそくさと階段を降り始めた。
足音が近づいてくる。
――姿を見られてはいけない。だけど焦って妙な音を立ててもいけない。
ジリジリとした焦燥に駆られたが、なんとか階段を降りきることができた。それと同時に、階上でガチャッとドアの開く音がする。
「あれ?」
明瞭になった表の僕の声を確かめて、曽根崎さんを手招きした。……この後、表の僕は曽根崎さんを探す為に窓を開けて外を見回すのだ。その前に撤退しなければならない。
近寄ってきた曽根崎さんは、ちらりと階段を見て僕に耳打ちした。
「渡せたか」
「勿論」
「……その、すまなかった」
「何が」
「……私は少々自分を過小評価していたようだ。君があれほど私に会いたがってくれていたとは露知らず……」
「違います、そういうんじゃないですよ。食材を買い置きしてると思って家に帰って冷蔵庫が空だったらそれなりに凹むじゃないですか」
「なんだそれ」
「それと一緒です」
「何一つ腑に落ちていないんだが?」
とにかく、これで裏の僕は表の僕に繋げることができた。任務完了である。
足早に去りつつ、けれど一度だけ僕は事務所を振り返った。そして、中にいる自分の事を思う。
――頑張れよ。耐えろよ。何度だって手を伸ばして、何があったって諦めるなよ。
きっとお前を助けてくれる人がいる。お前が助けたい人だって、生きようと足掻いてくれている。
どこにいたって、お前は一人ぼっちじゃない。
大丈夫だよ。お前の願いは、ちゃんと叶うから。
「景清君」
名を呼ばれ、頷いて曽根崎さんに追いつく。
少しずつ明るくなる空に、彼の名を呼ぶ僕の声が響いた。
とはいっても、表の僕が穴に落ちるまでもう少しの時間がある。
そういうわけで、僕ら二人は曽根崎さんのマンションにて朝食をとることにした。
「あの二人の件についてだが」
烏丸先生との電話を終えてテーブルに戻ってきた曽根崎さんが、椅子に座りながら言う。
「とりあえず、命に別状は無いとのことだ」
「そ、そうですか……」
「まず、忠助。少々の傷はあるが、致命的な外傷は無いそうだ。安心していい。恐らく最後の呪文が効いて、それで粗方治されたんだろうな」
「なるほど……」
「しかし、やはりというべきか精神にかかった負担は尋常じゃない。今はこんこんと眠っているが、いつ目覚めるかは分からないのが正直な所だとさ」
「……はい」
「私も後で様子を見に行く。……そうしょげるな。睡眠は悪いことじゃない。脳が整理され準備ができたら、自然と目覚めるさ」
「ええ。……藤田さんは?」
「藤田君は……あの時見る限り、蘇生時における後遺症は特に出ていないようだったがな。歩行障害及び脳障害は……まあ詳しく検査する必要はあるが、問題無いと見ていいだろう。無論、しばらく入院して経過を見る必要はあるが。こちらも今はよく眠っている」
「……良かったです」
息を吐いて頭を垂れる。……まだ、全てが解決したわけではない。でも、決して暗いばかりではない展望を聞けただけでも、僕の心は少し軽くなっていた。
「おや、目玉焼きだ」
一方、朝食を前にする曽根崎さんは嬉しそうである。食に興味は無い人だが、メニューを見るのは好きなのだ。
「はい。こっちは固焼き、こっちは半熟です」
「わざわざ二種類作ってくれたのか?」
「いえ、うまく焼けなかっただけです」
「そうか」
「どっちが好みですか?」
「特に好みとかは無い」
「そうですか。なら僕が半熟をもらいますね」
白米に乗っけて、卵かけご飯みたいにするのが好きなのである。昔親には行儀が悪いと怒られたけれど、曽根崎さんは僕に輪をかけて行儀が良くないのでこういう事もできるのだ。
「いただきます」
「いただきます」
両手を合わせて頭を下げるなり、曽根崎さんはお椀を引っ掴んで味噌汁を一気飲みした。やっぱ食べ方に品が無いな、この人。
「……うん、美味い気がする」
「ありがとうございます」
「しかしあれだな。食べるには食べるが、果たして今日の作業後でどれぐらい胃に残存してくれるもんだろうか」
「嫌なこと言わないでくださいよ。なんで吐く前提で話すんですか」
「君だって昨日ヤバい状態になってただろう。あの時幻覚を見たと言っていたが、何を見たんだ?」
「……えーと、白いオバケを見ました」
「そうか。私は黒いオバケを見たよ」
それを聞いて、きっと彼が見たのは黒い浮浪者だったのだろうなと直感した。となると、この封印の儀は曽根崎さんの負担の方が大きいのかもしれない。
黒と白の行ったゲームにて、黒は封印、白は解放を目的としていた。かつ、このゲームは黒の一手によって終幕を迎えるのである。
開いている何かを抑え、封じ込める役割を持った曽根崎さんの方が、“支払うコスト”が大きい気がしたのだ。
……ん? 支払うコストって何だ?
「とにかく、一晩休めた事でだいぶ私は回復したよ」
僕の思考を遮るようにして、曽根崎さんは言った。
「今日は昨日の四手を含めて、全部で二十五手描かねばならない。景清君、やれるか?」
「勿論。かなり要領は掴みましたし、問題ありませんよ」
「おや、気になりますねぇセンセ。もしもコツなどおありでしたら、私にも教授いただけませんか」
「良かろう。コツとは、狂気に引っ張られる前に何も考えずとっとと描くことである」
「オイ私の出してた結論と同じじゃないか。頭下げて損した。返せ」
「え、もしかして頭下げるって、さっきの小刻みな振動の事を言ってませんよね? だとしたらどんだけ無礼なんだアンタ」
いつもの会話に肩の力が抜ける。まさかそれが狙いじゃねぇだろうなと勘繰り、しかし聞くのもバカらしくてオッサンの真似をしてご飯をかき込んだ。
――醤油と卵の混ざった味がする。勢い余って喉に詰まり、急いで味噌汁で流しこんだ。ちょうどいい塩気が混じった液体が、舌の上を通り過ぎていく。
美味しい。だけどやっぱり、この食べ方はあまり良くないな。
結局最後はいつものペースに戻して、最後にお茶をあおった。
「……ちゃんと噛んで食べてくださいよ」
「腹に入りゃ一緒だろ」
「そんなことありません。口には口、胃には胃の仕事があるんです」
「……む」
お、論破した。
とはいえ、直す気はさらさら無いようだが。
「……ねぇ、曽根崎さん」
「はいよ」
「今回も、綺麗さっぱり、消してやりましょうね」
ご飯をかきこむ曽根崎さんを見て、僕は小さく言う。
「貴方の二つ名にふさわしい最後を、飾れるように」
怪異の掃除人は返事の代わりに、お代わりを要求する茶碗を僕に突きつけた。
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