24 二人の王様

 母親の説教だとか、教団でのイザコザだとか、学校での揉め事だとか。

 そういった嫌なものから逃げたくなった時、俺と藤田はよくここに来ていた。


『……ねぇただ君、本当にこんな所に入っていいの?』

『シーッ! バレなきゃ大丈夫だって』

『で、でも、人ん家……!』

『住んでねぇからいいんだよ』

『よ、良くはないと思うよぉ……』


 今からすると嘘みたいに大人しい子供だった藤田を引き連れ、俺は意気揚々と床下から空き家内部へと侵入する。狭い場所ならつっかえるほどの大きなリュックサックにお菓子とゲーム機、懐中電灯と毛布とダンボールを詰め込んで。

 床板を外してリビングに上がり込む。クシャミをする藤田の頭の埃を落としてやりながら、当時の俺は宣言したものだ。


『よし、ナオ! 今日からここが俺らの拠点だぞ!』

『うう、見つかったら絶対教祖様からお叱りを受ける……』

『そんときゃ俺のせいにしていいからさ。ほら、秘密基地に名前つけようぜ! 俺辞書持ってきたんだ!』


 「城って英語で何ていうんだ?」だの、「船とかには女の人の名前をつけるらしい」だの。そうやって小学生男子二人が頭を捻りに捻って命名したのが、“キャッスル・マチルダ”だった。ダサいと言うなかれ、当時はすげぇカッコいい名前だと思ったのである。なんたって英語だし。


『キャッスル・マチルダ! いい名前になったな! じゃあ今から俺はこの城の王様だから!』

『え、えーと、なら僕はただ君の家来になればいい?』

『なんで? お前友達じゃん』

『でも王様は一人しかいないでしょ?』

『“おーひ”っていなかったっけ?』

『王妃は女の人しかなれないんだよ』

『んー、男でもなれるやつない?』

『し、知らない……』

『そんじゃ二人とも王様でいいじゃねぇか。俺は強い王様で、お前は頭いい王様でさ! 悪いやつがいたら俺がやっつけて、困ったことがあったらナオが解決するんだ!』

『え、えええ? 僕にできるかな……?』

『できるだろ! お前俺より頭いいじゃん!』

『そ、そう? えへへ……』


 はにかむ藤田に気を良くして、その勢いで国の紋章だとか国歌だとか考えて。玉座を二つ並べてダンボールに描いて、上に乗っては笑い合っていたのだ。

 ここは、俺たちだけの秘密の居場所だったのである。


「……」


 あれから、二十年近い年月が経ち。以前にも増してみすぼらしくなった空き家に、二十七歳の俺たちは訪れていた。


「……ぐ、う、う……! ああっ、あ、あ……!」

「藤田……藤田!」


 苦しそうに呻く藤田の両肩を掴み、呼びかける。しかし彼は頭を押さえ、固く目を閉じているばかりだ。

 俺の声など、まるで届いていないかのように。


「もう少しだけ頑張れ。あと少しで、夜明けがくる」


 そうだ、夜明けだ。夜さえ乗り越えることができれば、景清君から指示された時間に合わせられる。

 烏丸先生から貰った錠剤は、とっくに使い切っていた。否、効かなくなってしまっていた。最後の一粒など、投与したとて彼の体に何の変化も起こさなかったのである。

 藤田は、荒い息の中うっすらと目を開けて俺を見た。前髪は汗で張りつき、普段の爽やかな様子は影も形も無い。

 色を失った唇が、何か言いたそうに動いた。


「……分かってる」


 本当は、何を伝えたいのか全く分からなかった。だが、彼に少しでも安堵を与える為にはそう答えるしかなかったのである。


「でも耐えろ。そうでなきゃ、お前が……!」


 その時、突然藤田の首がガクンと落ちた。全身の力が抜け、ずるりと体が崩れる。


「藤田」


 だが、目は。


 ――空虚な目だけは、巨大な穴の開いた方向を見つめていた。


「オイ!」


 俺の声が空き家に虚しく反響する。

 もはや個人としての思考を失った藤田は、何の予備動作も無く立ち上がると、歩き出した。機械的とも見えるその動きにゾッとしつつ、俺は彼を引き止めようと腕を掴んだ。


 藤田のガラス玉のような目が、俺に向けられる。


「……ッ!」


 ありえない馬鹿力で無理矢理引き剥がされた。壁に叩きつけられたが、俺は即座に跳ね起きる。

 もう一度、藤田に掴みかかった。

 邪魔だと言わんばかりに、腕に藤田の爪が食い込んだ。肉が抉られたが歯を食いしばって耐え、彼の顔を両手で挟んでこちらに向ける。


「藤田」

「……」


 数秒、何故か藤田が静止した。その隙に、俺はとある機器を奴の耳に押し込む。


「――待ってろ。絶対助けに行くからな」


 空っぽの意識に向かって言い切る。だというのに、俺はまるでそれを自分自身に言い聞かせているかのように感じていた。

 藤田の表情は変わらない。だが次の瞬間、俺の体は吹っ飛ばされていた。


「ぐぅっ!」


 腐食した柱にぶつかり、瓦礫の中に埋もれる。腕を突っ張って立とうとしたが、下半身が痺れてうまく起き上がれない。

 両腕からは、ダラダラと血が流れていた。

 そんな俺を顧みることもなく、藤田は虚な足取りで空き家を去っていこうとする。


「……」


 ――ここまでだろう。


 窓から射すぼんやりとした暗い光に、俺は頭を垂れた。


 ――発信機で藤田の位置は特定できる。後は外で待機していた財団職員が、一般人と彼を接触させないよううまく動いてくれるに違いない。


 血を乱暴に服で拭い、ようやく取れてきた痺れを確認してからその場に立つ。ふと足元を見ると、ダンボールのような屑が落ちていた。

 人差し指と親指で、俺はそれを摘み上げる。


「……」


 脳裏に、幼い藤田の控えめな笑顔が蘇った。

 ……玉座の色は、俺が赤色でアイツが青色だったか。いや、逆だったような気もする。


 俺は、皮膚に同化しそうなほど強く屑を握りしめた。


「……強い王様なら、悪いやつをやっつけに行かなきゃな」


 ――外は、今にも雨が降りだしそうだった。

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