25 最後の朝
カーテンの隙間から差し込む薄暗い光で、僕は夜明けを知った。
空はどんよりと曇っていて、今にも泣き出しそうな気配である。普通だったら折り畳み傘でも持って行こうかなぁなんて思うような、他の人にとってはなんでもない朝。
しかし僕と曽根崎さんにとって、今日は紛れもなく運命の日であった。
「全体的な流れの把握は問題無いな? ご飯のお代わりをくれ」
「はい。そちらも救急車の手配は万全ですね? 醤油を取ってください」
「無論。まぁ烏丸先生らは穴を認識できないから、そこまで連れて行く必要はあるが。オイふりかけはいらないと言っただろ」
「分かってます。だから柊ちゃんと二人で担架に乗せて移動させようと考えて……いやでも、そんなこと言ったってアンタ栄養偏り倒してるじゃないですか。もうふりかけぐらいからしかカルシウム摂る手立てがないんですよ」
「それがいいな。牛乳をご飯にかけて一気に流し込めば解決する」
「そうしましょう。食を楽しむ努力ぐらいはしてください」
午前七時。僕ら二人は、いまいち緊張感の伴わない会話と共に朝食を噛み締めていた。くだらない応酬だが、こうして気を紛らわせていないと不安に押し潰されてしまいそうだったのである。
やれる事はやったと思う。脳がゆだるほど考え、ありとあらゆる可能性を想定したと思う。
それでも足りている気がしなかった。まだやり残していることが、あるいは見逃していることがあるのではないかと。
強迫観念にも似た空想は、砂糖を入れ過ぎたはずの卵焼きの味すら僕から奪っていた。
「……今回の件は、君の存在が肝だ」
だが、このオッサンはそんな僕にも問答無用で圧をかけてくる。
「君が使い物にならなくなった時点で、計画は破綻する。一から十まで気を抜くなよ」
「それは曽根崎さんもそうでしょう」
「そうだ。私もやりきる。だから君もやりきれ。やればできる、信じればできる、神は乗り越えられない試練を与えはしない――そんなクソみたいな精神論でもいいから自分をごまかし、今日という日を乗り切るんだ」
曽根崎さんが味噌汁を一気飲みし、音を立ててお椀を置いた。彼の行儀の悪さを指摘できる余裕も無く、僕も味噌汁を一気飲みしてお椀をテーブルに叩きつける。
「……承知しました」
「それでいい」
いつも通り偉そうな曽根崎さんを残し、お皿を重ねてシンクに持っていく。その際、今朝からずっと胸にしまっていた疑問を投げかけた。
「そういや、昨日田中さんが仰ってた“種まき人”についてなんですが」
「うん」
「あれから何か分かったんでしょうか」
「あれねぇー。即刻教会を直撃取材してみたんだが、残念ながらなしのつぶてだったよ、ガニメデ君」
「それは誠に遺憾です。では何か対策を講じる必要があるのでは?」
「だから曽根崎君の私見を拝聴しにきたってわけさ。おや朝食は済んだ後かい。僕もご一緒したかったなぁ」
「……」
「……」
僕らの会話に自然と入り込んできていたバリトンボイスを振り返る。視線の先では、和装のロマンスグレーが味噌汁の入った鍋の蓋を持ち上げている所だった。
「……なんでいるんですか、田中さん」
「僕を塞ぐドアなどこの世に無きに等しい」
「あああああ鍵が開けられてる! ドロボー!」
「不法侵入常習犯の君達に言われたくはないね。いわば同じ穴の狢だろう」
「曽根崎さーん!」
「はいはい。ジイさん、徘徊は結構ですがウチには上がり込まないでくださいよ」
「アンタのウチでもないけどな!」
「そうがなりなさんな。折角“種まき人”について報告に来てあげたんじゃあないか」
田中さんは鍋の蓋で僕から身を守りつつ、曽根崎さんの方にすり足で寄る。無表情の曽根崎さんは、そんなパトロンからしっかり距離を取って私論を述べた。
「……大層に心配するほどの事では無いと思いますがね」
「やはり君もそう思うか」
「ええ。聞けば、種まき人教会の司祭がじきじきに動き、大枚を叩いたそうじゃないですか。とてもミートイーターの予備がある者たちの行動とは思えません」
「種子が手元に無いからこそ、深馬君を通して回収しようとしたというわけか? それこそ遠回りな事だが」
「それが彼らの手口でしょう。しち面倒臭い“種”を撒き、育った頃に“収穫”する。……ああ、そう考えるとちょうど深馬も収穫期だったのかもしれません」
僕の知らない事について、曽根崎さんと田中さんがやり取りをしている。……内容はよく分からないが、もしかすると以前財団とトラブルでもあったのかもしれない。
「とはいえ、何も起こらないとは限りません。特にミートイーターの摘出時には、辺りによく気を配るべきでしょう」
「そうだね。部下にも言っておくよ」
「まぁ今回黒い男も関わっているので、その辺りどこまで叶うか分かりませんが……」
「実に厄介な事だ。……その契約についてだが、此度も滞りなく更新できそうかい?」
田中さんの問いに、スーツの上着を手にした曽根崎さんの動きが止まる。なんとなく、伝えるべきかどうか悩んでいるようにも見えた。
「……試練の解決の目処が立った後、日の入り前に男に触れることができれば、更新の話ができるとのことです」
だが、結局言うことにしたらしい。
それを聞いた田中さんは、懐のライターを漁りながらめいっぱい顔をしかめた。
「男に触れるだと? 何とも胸の踊らない話だが、どうせ一筋縄じゃいかないに決まってる。奴は君と鬼ごっこでもしたいのかね」
「そうかもしれません」
「言っとくが僕は穴を認識できないぞ。君らで何とかしてもらわないと」
「元よりそのつもりですよ。私ももう半泣きで背負い投げされるのは勘弁ですし」
「あれ、今いきなり僕に喧嘩を売りました?」
飛んできた皮肉にファイティングポーズを取る。
喧嘩なら買うぞ? これは脅しでも何でもないぞ?
しかし対する曽根崎さんは素知らぬ顔である。田中さんの口からから煙草を奪い取り、握り潰して言った。
「……加えて、こちらにも策が無いことは無いですから」
「策?」
「そう、策」
曽根崎さんは、ようやく僕に不審者面を向ける。
「まぁ……藤田君が助かって忠助が生き残って、かつ景清君が無事でいることが大前提になるんだがな」
「難易度高くないですか?」
「高いも何も元より我々の目標だろ。改めて言葉にしない方が良かったか?」
「んんんんんんなわけないだろ! バカにするな!」
「おや、すまなかった」
嬉しそうに口元を綻ばせる奴を、思いきり睨みつけてやる。
……そりゃ難しい前提だとは思うよ。けれど、彼の言う通り僕らはその為に動いてきたのだ。目的の先に更に目的ができただけだというのなら、怯む理由など無い。
だからそんな顔をするな。僕だってやる気なんだぞ。
「――よし、ならばそろそろ出ようか」
曽根崎さんがバサリとスーツのジャケットに腕を通す。その首には、洗い立てのグレーのネクタイが締められていた。
「現場まではジイさんが車で送ってくれるんですかね?」
「別に送ってやっても構わないが、お願いする側にも適切な態度というものがあるんじゃないかい?」
「聞いたか景清君。拳を温めてこのジイさんを脅しつければ二人分の座席が空くらしいぞ」
「物騒なこと言わないでくださいよ。弱点は腰でしたっけ」
「もうタクシーで行け、君らは」
田中さんとお馴染みの軽口を交わし、僕らはアパートを後にする。
――必ず、やりきってみせるのだ。
僕が観測した運命を、丸ごとひっくり返す事ができるように。藤田さんと阿蘇さんを、助けられるように。
誰一人として、これが最後の朝にならぬように。
肌にまとわりつく湿った空気を振り払い、僕は一歩を踏み出した。
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