23 本物
雇用主が、うなされている。
僕は洗濯物を畳んでいた手を止めて、ベッドで眠る曽根崎さんを振り返った。あの爆発事件の後、柊ちゃんの助けを借りて気絶した彼を僕の家に運び込んでいたのだ。
それからかれこれ四時間。疲れも溜まっていたのか、曽根崎さんは一度も起きることなく眠り続けている。
……起こしてやった方がいいのだろうか。
しかし普段から不眠症を患う彼だ。眠っているのであれば、そのまま寝かせておいてやりたい気もした。
とはいえ、やらなければならない事もあるので、もうじき目覚めてもらう必要はあるのだが……。
そんな事を考えながら目を閉じる曽根崎さんをしげしげと眺めていると、眉がぴくりと動いた。
「……だれ、だ……」
呻くように曽根崎さんが喋った。寝言である。
よく見れば、脂汗を浮かべ苦しそうに顔を歪めてシーツを握りしめている。
「……曽根崎さん?」
「……かげ、き……よ……、……かわ……」
どうやら、僕の名前を呼んでいるようだ。
で、何? かわ? 川? 皮? 可愛……いや、それは無いか。
呼ばれたなら返事をした方がいいのかな。そう思った僕は、曽根崎さんの耳の近くで声をかけた。
「はい、景清です。僕はここにいますよ」
「……っ」
彼は唸り、こちらに背を向けてしまう。まるで僕を避けているかのようだ。
「おいコラ」
そっちから呼んでおいてなんだその態度は。
広い肩を掴み、ゆさゆさと揺さぶる。それでも、曽根崎さんが起きる気配は無かった。
苦しそうに目を閉じる姿に急に胸が詰まる。僕は、空から川に落ちた直後の光景を思い出していた。
「曽根崎さん」
少々手荒に肩を叩く。起きないので、もう二、三発追加する。
何故かは分からないが、曽根崎さんの顔色はどんどん悪くなっていた。あれほど荒かった息も、今ではとてもか細いものになって――。
焦った僕は、右手を振り上げた。
「曽根崎さん!」
「ぐっ!?」
思い切り横っ面をひっぱたくと、初めてまともな反応が返ってきた。やがて曽根崎さんの目がうっすらと開き、真っ黒な瞳がこちらを覗く。
……起きてくれた。ホッとした僕はベッドに這い上がると、彼から見やすいよう真正面に陣取った。
「曽根崎さん、どうしたんです? 何か変な夢でも見たんですか?」
「……君……」
「はい?」
手を伸ばされる。まだ寝ぼけているのだろうか。
見守っていると、そのまま頬に触れられた。
冷たい指が、僕の肌を撫でる。表面ギリギリを擦られるくすぐったさに、僕は思わず身を竦めた。
何してんだコイツ。
「キモッ」
即刻、ハエを追い払う要領でオッサンの手を叩き落とした。
「やめてくださいよ。誰と勘違いしてるのか知りませんが、僕は男です」
「あー……おはよう、景清君」
「? はい、おはようございます」
「……罵倒もぶん殴られもしなかった。正解率としては三割といった所か」
「何の話です?」
ぶん殴りはしてるから、五割でいいんじゃないだろうか。そう思ったが、あえて言うべきでもないかと僕は黙っていた。
「……ここは……君の家か」
少し身を起こし、辺りを見回した曽根崎さんが言う。
……もう大丈夫そうだな。僕は一足先にベッドから降りて、台所へと移動することにした。
「そこ座っててください。お茶でも入れますから」
「ああ、ありがとう。……ベッドを借りてしまってすまなかったな」
「それぐらい構いませんよ。僕だっていつも曽根崎さんのベッドを借りてるんですし」
冷蔵庫から作り置きの麦茶を出す。適当なマグカップを出し、ついでに僕も飲もうと自分用のコップを手に取った。
麦茶を注いでいると、リビングから少し悔しそうな声が聞こえてきた。
「……結構寝てしまった。クソッ、四時間は痛いな」
「何を仰る、たかだか四時間ですよ。まだ全然取り戻せる範囲です」
「悠長だな。審判の日は明日なんだぞ。一秒たりとて無駄にはできない」
「だからこそですよ。いざって時に、寝不足所以の判断ミスするよりは断然いいじゃないですか」
曽根崎さんの口元に麦茶を押し付ける。彼は片手でマグカップを受け取ると、一気に飲み干し大きく吐いた。
「……それもそうだな」
物分かりが良い三十一歳である。
「それじゃあ気を取り直して、まずは現状把握をするとしよう。景清君、あれからどうなったか教えてくれるか?」
「はい。曽根崎さんが意識を失った後、僕と柊ちゃんで深馬を拘束し財団の部隊に預けました。周囲に被害が出ないよう監禁して、明朝例のビルにて解放する予定です」
「ふむ。今の所、重要な情報を吐くなどは?」
「まだ話せる精神状態ですらないようです。ずっと錯乱しているらしくて……。あ、そうだ」
だいぶ頭も明瞭になってきたらしいスーツの男は、こんなタイミングで大きく伸びをする。それを見届けてから、僕は言った。
「阿蘇さんと藤田さんが、深馬の手引きする暴力団に拉致されました。既に解決したとのことですが、救出に向かった田中さん曰く、この事件に別の組織が関わっていると分かったそうです」
「別の組織?」
「はい。宗教団体の“種まき人”と聞きましたが……」
田中さんから教えてもらったこの団体は、僕ですら聞いたことがあるほど世間に知られた名前だった。だいぶ前の話とはいえ、犯罪に絡んだ事が大きいのだろう。
しかし曽根崎さんにとってはより印象深い名前だったらしい。濃いクマを引いた目が一層鋭くなり、ぐいと体が前のめりになる。
「なんだと? 今“種まき人”と言ったか?」
「ええ、最近再組織されたそうです」
「……どこまで本当か知らんが、それが事実なら面倒だな。ミートイーターの発現にまで関わっている可能性もある」
「あ、田中さんもそう仰ってました。でも、そこって教会ですよね? なんでただの教会がミートイーターを作れるんですか?」
「ただの教会じゃないからだよ。かつてはバイオ系の研究所も持っていてな、そこで色々と怪しげな開発をしていた」
「はぁぁ」
独自の研究施設を持つ宗教組織とまでは知らなかった。なんだろう、変わった教会だな。
「……ま、その件は田中のジイさんに任せとけばいいだろう」
後で調べてみようかなとぼんやり考えていた僕は、曽根崎さんの発言に慌てて頷く。
「ええ、一度探りを入れてみると言ってました」
「うん、それなら我々は我々にできることをしよう。そこで聞きたいんだが、君、財団から何か預かっている物はないか?」
「あ、はい。使いだって人が来て、これを」
僕が指を差した荷物を、曽根崎さんは手で引き寄せる。何の躊躇いもなく中身を確認する彼に、手持ち無沙汰になった僕はふと尋ねた。
「すいません、少し気になったのですが」
「どうぞ」
「講義室でのことなんですがね。以前霧に包まれた時は、曽根崎さん吐きそうになっただけで気絶はしなかったじゃないですか。なのに、なんで今回はあんなに霧が効いたんです?」
「……うーん……」
少し悩んだものの、曽根崎さんは答えてくれた。
「……恐らくだが、私のコンディションが良くなかったのだろうな」
「コンディションですか」
「そう。この辺りは感覚の話になるから、うっすら理解してくれると助かるんだがな。呪文の力を行使することは、なんというか……精神が凄まじく疲弊するものなんだ」
「はい」
それは、普段の曽根崎さんを見ていればなんとなく想像がつく。
「だから元々呪文保持者が疲れるなどして、気力を著しく失っていたとするだろ。その状態で外から無理に力を引き出された場合、命の危機すら感じるほどの負荷が体にかかるんだ。まるで胃の中のものを全部吐いたのにも関わらず、大量の催吐剤を使われるように」
「ゲェ」
「それなりに耐えていたんだがな、間も無く限界が来た。私の精神と内臓は霧にかき回され、防衛措置として本能的に脳が閉じられた」
「それは……大変でしたね」
「規格外の力を持つのもそういい事ばかりではないのさ。気力だとか生命力だとか人間が生きていくのに必要な力の脈があるとして、呪文を使うという行為はその脈に穴を開けるようなものだ。そして一度開いてしまった穴は、二度と閉じることはない」
「……」
「だから君は間違っても、呪文が使えるようになりたいなんて思うんじゃないぞ」
曽根崎さんは、僕に空になったマグカップを返して言った。
……呪文とは、そんな取り返しのつかないリスクを伴うものなのか。
いや、そんなら尚更しっかり睡眠を取ってくれよ。やっぱめちゃくちゃ疲れてたんじゃねぇかアンタ。流石に雇用主の寝かしつけはアルバイトの範囲外だから、そこは自分でなんとかしてもらわないと。
だけどそのツッコミを口に出す前に、曽根崎さんは淡々と荷物の中身を取り出していく。ノートパソコンにディスクを入れ、ソフトをインストールしながら液晶タブレットを接続する。
無視もできず、僕は尋ねた。
「……それ、何なんですか?」
「対巨大穴封印装置。この液タブに表示される通りに線をなぞっていけば、専用プロジェクターから穴の真上に絵が表示される。これを使って封印の図を作るんだ」
「へぇ、すごい。よくこんな短時間で、そんなものが用意できましたね」
「財団の保有する技術力の賜物だな。あれはありとあらゆる方面に精通している」
「へぇぇー……で、その封印作業はいつから始めるんですか? 穴に到着するなり早速?」
「いや、そこは少し様子を見ようと思ってるんだ。深馬が落ちることで穴が消える可能性も無くはないし、加えて君が落ちるまでは穴を開けておかねばならないしな」
「あ、そうでしたね」
それに……と曽根崎さんはソフトの動作確認をしながら、呟いた。
「私にも、やる事があるからな」
「……?」
「それについては今から説明するよ。さ、昨日の続きを始めよう。まだ少し残っている分のインプットをしなければ」
座り直す曽根崎さんに倣い、僕もプリンターを起動させる。すると、肩を人差し指で叩かれた。
「景清君、これ、切り抜き」
「ありがとうございます。相変わらずハサミ使いが上手いですねぇ」
「小学校低学年の頃は重宝されたぞ」
「どんな自慢ですか。でもその頃に活躍したなら妙なあだ名ついてそうですね」
「ハサミャー曽根崎」
「ついてた」
黒い紙きれを受け取る。その際チラッと曽根崎さんの顔を見ると、真っ黒な目と視線が合ってしまった。
「……何スか」
なんとなく気まずくて、上体を後ろに反らせつつ問いかける。曽根崎さんは首を傾けたが、やはりじっと僕を見ていた。
「――いや何、やはり君は本物だなと思ってな」
「だから何の話ですか」
意味が分からないと悪態をつく僕だったが、どういうわけか曽根崎さんは少し愉快そうに微笑んだのである。
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