18 激辛ラーメン

 一方その頃、とあるファミレス店にて。


「お待たせいたしました。こちら超絶激辛爆撃ラーメンセットに苺マシマシはっぴぃジャンボパフェ、パンケーキセットです。……えーと……」

「あ、ラーメンはオレね。残りはこっちのお兄さんによろしく。重たいのにありがとねー」


 爽やかなイケメンに笑いかけられ、店員の女性は頬を染めながらラーメンを彼の前に置いた。それから向かいに座る目つきの悪い男の前に、パフェとパンケーキセットも。


 店員が去ったのを確認し、藤田はラーメン鉢の前で箸ごと手を合わす。その目は、捕食対象を見つけた肉食獣の如く爛々としていた。


「フヘッ、へへへへヘ……! 来た来たぁっ! いい辛さのラーメン出すんだよ、ここはさぁっ……!」

「お前、激辛ラーメンの事となるとちょっと人格変わるよな」

「ヒッヒッヒ、食べる前から汗が止まんねぇぜ。いただきますっ!」

「聞いちゃいねぇ」


 話ができないのでは仕方ないので、阿蘇もパフェに口をつける。そうしてしばらく黙々と食べ進んでいた二人だったが、額に汗を浮かべた藤田がふと口を開いた。


「そういや阿蘇、お前いつにも増して糖分多めだね」

「あー、ストレス溜まるとダメなんだよな。どうしても糖に逃げちまう」

「太るぞー」

「太らねぇように鍛えてんだよ」

「糖尿になるぞー」

「ならねぇように言って聞かせてんだよ」

「誰に? すい臓?」


 軽く茶化すも、藤田はじわりと胸の内が疼くのを感じていた。

 ……彼のストレスの原因は、間違いなく自分による所が大きいのだろう。昨日不自然なタイミングで会った景清。ずっと起きていたらしい阿蘇。そして、ここ二日間における阿蘇の態度。

 見えない所で何かが動いているのだ。しかも、できるだけ自分には知られないように。


 それなら尚更知らんぷりを決め込むべきだ。そう弁えた判断をする藤田だったが、渦中の人間であるにも関わらず他に負担をかけるしかない状況に変わりはない。不甲斐ない事実を、彼はただただ煩わしく思っていた。


「これ食ったらさ、どこ行くの?」


 なるべく平然と藤田は問いかける。それに対し、本来なら女子高生数名で囲むはずのメニューを一人で平らげる阿蘇は、短く返した。


「遠くへ行く」

「遠く? 電車でも乗るの?」

「いや、徒歩」

「徒歩かよー」

「大学院生は運動不足だろ。歩け歩け」

「はっはーん、運動不足かどうかは是非あなたの目で直接ご確認頂ければと」

「腹を見せるな。しまえしまえ」


 そうして一際大きな苺を口に放り込んだ後、阿蘇はぽつりと言う。


「小さい頃、二人で秘密基地作ったの覚えてるか?」

「ああ、キャッスル・マチルダ?」

「それそれ。とりあえずそこに潜伏しようと思うんだ」

「マジで? 秘密基地っつったけど、ぶっちゃけアレ民家じゃん」

「長く人は住んでない。空き家だ」

「不法侵入には変わりねぇだろ。警察がそんな事言っていいんスかね」

「何? 通報する?」


 スプーンの先を向けて疲れたように笑う阿蘇に、藤田は首を横に振った。……実際は存在しないだろう警察内部の間者さえ疑い、スマートフォンまで捨てて逃げているのだ。今更そんな腑抜けを言うつもりは無い。

 だが、仮にも警察官が率先してそういう事をするのは、やはりどうかとも思う。


「……ねぇ阿蘇」


 ――もうオレを置いて逃げちゃえよ。


 喉まで迫り上がったその言葉を、藤田は無理矢理飲み下す。……逃げてどうなるというのだ。今の阿蘇は、絶対的な監視下に置く必要のある自分の居場所を知る、唯一の人間だというのに。

 その上、彼がオレを見捨てた所で、ミートイーターが生えてくる未来そのものは変わらないのだ。自分は死んでも仕方ないが、そのせいでミートイーターの犠牲者が増えるのだけは何としても避けねばならない。


 かといって、その負荷を全て阿蘇一人に背負わせるというのも……。


「……」


 ラーメンを食べる手は、もうだいぶ前から止まっていた。代わりに食べてもらえるようなものではないから、一人で完食しないといけないのに。

 そうと分かっていても、箸を持った手が上がらなかったのだ。押し込めたはずの言葉が別の感情を伴って腹からこみ上げ、鼻の奥をツンとさせる。


「……辛い」


 ――結局、自分から彼にしてやれることなど何も無いのだ。阿蘇が目の前で消耗していくのを、ただ見ていることしかできない。

 胸が灰色の煙で詰まったような気持ちになって、藤田はうなだれた。


 そんな彼に、阿蘇はシロップを手に取りつつ言う。


「……泣くほど辛いなら、食うなよ」

「でも美味いんだコレが」

「じゃあ残さず食えや」

「……」

「お前が好きで選んだんだ。好きで選んだものにぐらい、責任を持て」


 厳しいなぁ、と藤田は笑う。

 ――そんで優しいよなぁ、ほんと。


 藤田は一度顔を袖で拭い、箸を持ち直した。


「……食べるぅー」

「おう、食え」

「つかお前、食べるの早いよね。もうパフェ食ったの?」

「食ったねぇ。今はパンケーキ頼んだ責任を取ってる」

「オレもさ、全人類が好きだから今後も頑張って責任を取るよ」

「お、今盛大に飛躍したな」

「こうしてる間にも産院では新たな人類が産まれてんだ。死にかけてる場合じゃねぇ」

「新生児をそういう目で見るヤツ初めて見たわ。そんじゃまぁ、せいぜい気張って長生きしてくれ」


 ラーメンをすする。

 辛い。熱い。舌が焼ける。喉を通る時も痛くて、また涙が出そうだ。


 でも、生きている。


 ――ああ、オレはまだ、生きている。


「そうだ、忘れねぇ内に渡しとく」


 既にパンケーキを半分食べた阿蘇が、ポケットに手を突っ込んだ。そうして差し出された手の平に載っていたのは、二つの小さな機械。


「何これ」

「お前を監視する為の装置です」

「ってぇと、逃げたらビリビリするヤツ?」

「そこまで非人道的な手段は取らない。いいから左手を出せ」


 黙って左手を出すと、その手を掴まれた。機械の片方を手首にあててボタンを押すと、飛び出したチェーンがぴったりと巻きつく。

 ちょっとゴテゴテとしてはいるが、見事なブレスレットに早変わりだ。


「すげっ、かっけぇ」

「発信器だ。外すなよ」

「いや外れねぇだろ、これ。ギチギチじゃん。いつぞや教団に乗り込む時もブレスレット型の発信器を借りたけど、あれとはまた違うヤツなんだな」

「ああ。今回は、“人間には絶対に外せない”をテーマに作ってもらったらしい」

「お、おお……」

「つまりお前はもう逃げられない。間違っても俺を振り切ろうとするなよ」

「ヒェッ」


 半分冗談、半分本気だろう。怖。いや、頼もしいのか。

 ……これでいよいよ、黙って姿を消せなくなったなぁ。


「で、そっちの機械は?」

「ああ、これは……」


 だが、それを説明しかけた阿蘇の目が吊り上がる。……コイツがこういう顔をすると本当に怖い顔になるのだ。ビビりつつも、藤田はなんとか「どうしました?」と尋ねる。


「……お前、その襟の所」

「え、襟?」

「触ってみろ」


 言われて、撫でる。すると襟の後ろに何やら固いものが当たった。

 それを握って、顔の前まで持ってくる。


「何これ。装置……?」

「……多分、これも発信器だな。クソッ、アイツらに仕込まれたか」


 舌打ちし、一気にパンケーキをかきこむ。慌てて、藤田もラーメンに手をつけた。


「行くぞ、藤田」


 音を立てて阿蘇は椅子から立ち上がる。


「会計はお前持ちだ」

「御意に、マスター」

「オイそれ引っ張るんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」


 彼に倣って、藤田も席を立つ。

 ガラス越しに見える歩道は、何事も無いいつもの風景である。けれど今となってはどうしても不穏に見えてしまい、藤田は唇を引き結んだ。

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