17 ミス

「本当に……僕がいる……」


 視界に映るは、深馬を追いかけて入ってきた“僕”。

 普通に生きていれば絶対に相対することはないだろう存在を前に、僕はつい小さな声で呟いた。

 それを隣で聞いた柊ちゃんは、不思議そうに首をかしげる。


「当たり前でしょ? アンタ未来から来たんだから」

「いや、まあそうなんですけど……。だからなんでそんなに信じてくれてるんですか。ちょっとは疑ってくださいよ」

「疑いようがないじゃない。実際ああやって前清がいるんだし」

「前清? ああ、前の景清って意味ですか」

「ボクとしては、前清も今清もどっちも信じてあげないと可哀想だと思うわ」

「今の景清って意味ですか」


 ツッコんではみたものの、柊ちゃんの言う「信じる」という言葉に胸の内がふんわりと温かくなった。確かに、田中さんや阿蘇さん、烏丸先生や六屋さんにも協力はしてもらっている。だけどここまで手放しで僕らのことを信じられる人なんて、もしかしたら彼女をおいて他にいないのかもしれない。


「……手を貸してくれてありがとうございます、柊ちゃん」

「あらやだ、ボクだって下僕の為なら一肌脱いであげるぐらい、なんてことないのよ?」

「あ、まだ僕下僕扱いなんですね」


 そういやそんな設定を頂戴していたな。

 下僕かぁ……友達に聞かれたくない響きだけど、多分三条なんかも下僕認定されてる一人なんだよな。全然気にしてなさそうだけど。

 なんだか随分長く会ってない気がする。友人の屈託のない笑顔を思い出し、僕は少し寂しくなった。


 しかし、ポンポンと曽根崎さんに肩を叩かれ、僕は問答無用で現実に引き戻される。


「君達、イチャつくのは構わないが、そろそろ私の登場シーンのようだぞ」


 曽根崎さんの一言に慌てて口を押さえた。恐る恐る見てみると、ぼーっと突っ立った僕(前清)に、ドアから入ってきた曽根崎さんが血相を変えて駆け寄ってきている。


「……この時の曽根崎さんって、あんな顔してたんですね」

「らしいな」

「うわー、僕まんまと深馬に騙されてるよ。何が“逃げました”だよ。恥ずかし」

「呪文を使われたんだ、仕方ない。あまり自分を責めるな」

「恥ずかしい」

「ちょっと何モタモタしてんのよ前シンジ。そこに犯人が隠れてるじゃないの。じれったいわねぇ」

「こっちの美人はヤジを飛ばし始めるし」

「なんだかアレね、ポップコーンとオレンジジュースが欲しくなってきたわ」

「まぁ見てろよ柊ちゃん、じきに私が深馬を引きずり出すから」

「えー、そう? ……やった! 前シンジが掃除用具入れの前まで来たわよ! さぁここからどうなるのかしらね、ハラハラするわ今清……!」

「柊ちゃん、静かにしてください」


 それから間も無くして、深馬が曽根崎さんの手によって床に転がされ、怪異の掃除人による謎解きが始まった。

 ……当然の話ではあるのだが、未だかつてこんなに自分を客観的に見る機会なんて無かった。観察していて分かったが、僕は自分で思うより遥かに考えている事が表に出ているらしい。

 今後はもっとポーカーフェイスを貫こう。僕はひっそりと心に決めた。


「……さぁ、気を引き締めろ。もうすぐ出るぞ」


 近くで曽根崎さんの声がする。かと思うと、間髪入れずに男の絶叫が続いた。


「うわああああああ!! いやだああああああ!!」

「うわっ、わ!?」

「景清君、離れろ!」


 唐突に騒がしくなる場に、姿勢を正す。――いよいよだ。

 いよいよ、黒い男が出現する。


「男! 呪文を! 穴の召喚呪文をよこせ! 重ねがけして……絶対に藤田さんを誘き出すんだ!!」


 藤田さん、という言葉に柊ちゃんが反応した。


「俺は生きたい! こんなことで死にたくない! 藤田さんを何が何でも穴に引き寄せて――絶対にタネを手に入れるんだ!」


 長い睫毛で目が覆われた美麗な目が、嫌悪に細められる。僕は彼女が飛び出してしまうんじゃないかと気が気じゃなかったが、なんとか堪えてくれたらしい。


「ボク、アイツ嫌いよ」


 代わりに、冷たい声が落ちた。


「ボクは、ボクの下僕を苦しめるヤツはみんな嫌い。あの深馬は勿論のこと……」


 深馬のサングラスの下から黒い霧が噴出する。その霧の一部が、人の顔のようなものを形作った。


「――アイツもね」

「はははは、はは、ああああははは!!」


 笑っているのは深馬のはずだ。なのに、ここにいる僕らからは、あたかも黒い男がこちらを向いて笑っているようかのように見えた。

 ――気付かれているのだ。ここに僕らが潜んでいることを。深馬を攫おうとしていることを。


「……曽根崎さん、アイツは深馬を守るでしょうか」

「……」

「アイツは、ゲームが面白くなるよう動きはすれど、必要以上に庇うこともしないと僕は捉えています。ならば、この状況における男は特に脅威ではないと考えていたんですが……」


 気が急く僕は、早口で曽根崎さんに問う。だが、一向に返事は返ってこない。

 目が離せない現状だというのにどうしたのかと焦れて横を見ると、曽根崎さんは青白い顔で口元を押さえていた。


「そ、曽根崎さん?」

「……ッ」

「どうしたんです。一体何が……」


 そう尋ねかけて、僕はハッと思い出す。あの時、黒い霧が立ち込め始め、僕は咄嗟の判断で曽根崎さんを担いで逃げ出した。その際、僕のすぐそばにいた彼がどんな状態になっていたか――。


「……忘れ、ていた……」


 曽根崎さんが苦しそうに俯く。力が入らないのか、そのまま椅子のバリケードに体を預けた。


「あの霧は……呪文保持者の力を、無理矢理、引き出す……。深馬が、強大な、呪文を……成功させる為、の……」

「なら、曽根崎さんは影響無いはずじゃ……!」

「無理矢理、と……言っただろ……。だか、ら……今、の、私は……!」


 ドサリと倒れる。弛緩した手足は投げ出され、手にしていた起動装置が音を立てて転がった。


「……息を……すること……す、ら……」


 それきり曽根崎さんは動かなくなった。黒い霧は深馬を中心に渦巻き、ますます濃くなっていく。


 ――僕のせいだ。


 腹に溜まるような自責の念に、脳が痺れる。拭えぬ思考が、それ一色になる。


 ――どうしよう。僕のミスのせいで、また曽根崎さんが……!


「景清!」


 バチン、という容赦の無い音と共に思考が途切れた。一寸遅れて、じわじわとした痛みが頬に広がる。

 柊ちゃんだ。柊ちゃんが、僕に平手を食らわせたのである。


「何ボサッとしてんのよ! とっととシンジを窓から放り出すわよ!」

「で、でも、深馬は……」

「そんなもんギリ間に合うに決まってんでしょ! このボクが一緒にいるのよ!?」


 根拠の無い断言に目が覚めたような心地になる。頷き、僕は起爆装置を拾って曽根崎さんを担ぎ上げた。


「こっち!」


 先回りした柊ちゃんが窓を開けている。植え込みに向かって曽根崎さんを放り投げ、二人ですぐに戻った。

 走り逃げる僕らの後ろ姿が見える。いくら起爆装置はこちらの手にあるとはいえ、爆発のタイミングを遅らせることはできない。急がなければ。

 柊ちゃんに人差し指を唇にあてて合図する。ここから先は、僕のスマートフォンが声を拾ってしまう可能性があるので喋ることはできない。


 黒い霧をかき分ける。

 高笑いが耳をつんざく。


「はははは……み、よ。神よ。ひひひひ……引き寄せ……ははははは……しに、死にたく……はは……な……い……ヒャハハハははは!!」

「……ッ!」


 走りながら、僕はあらかじめ預かっていた“過剰防衛グッズ(ホームセンターしろせ製)”を広げる。それは、幅五十センチの対ヒト捕獲用粘着テープであった。

 その端を柊ちゃんに渡し、一度目線を交わして黒い霧の中心に突っ込む。即座に感じた鈍い手応えに体が持っていかれぬよう体勢を立て直し、彼女と二人で対象物をぐるぐる巻きにする。

 そして今や身動きが取れず蛹になった深馬を、柊ちゃんと二人で担ぎ上げた。ついでに、ヤツにつけられていた発信器も外して捨てる。悪趣味な御輿を肩に乗せ、僕らは全速力で窓に向かった。


 曽根崎さんの時に開けておいた窓から深馬を投げ、即座に僕らも外に出る。柊ちゃんが身を伏せたのを確認した瞬間、僕は起爆装置のスイッチを押した。


 凄まじい爆発音と風圧。全身がビリビリと振動し、舞う埃を吸い込まぬよう目と口を閉じる。

 何の音もしない空白があった。それらの余韻が収まるのを待って、僕は目を開ける。


「……」


 自分に積もっていた砂を払い落とす。割れた窓ガラスの向こうに見える講義室は、散々たるものになっていた。


 ――いや、散々具合ではこっちも負けてないか。


「ちょっとー、マジでシンジが動かないんだけど」


 粘着テープで巻かれた深馬。

 植え込みに刺さる行動不能状態の曽根崎さん。

 そんな彼らを、棒でつつく柊ちゃん。


 今からの僕は、これらの処理をしていかねばならなかった。


「……柊ちゃん、本当に助かりました」

「どういたしまして! さ、早いとこ田中のオジサマに連絡なさい!」


 そこで彼女が「はい」と差し出したのは、なんと爆発に巻き込まれたはずの僕のスマートフォンだった。


「な、なんでこれを?」

「え? アンタ部屋で落としてたじゃないの。んもうドジねー。次からは気をつけなさいよ?」

「あ、はい。ありがとうございます……」


 まさか、ここで戻ってくることになるとは。戸惑いながらも、画面の汚れをズボンになすりつけてから起動させる。


 柊ちゃんが黒い男を視認した。深馬も拘束できた。これで、当初の目的二つは達せられたことになる。


 だけど――。


 僕は、少し遠くでぐったりとする曽根崎さんを見た。


 ――この想定外に関しては、僕のミスだ。


 こみ上げてきた後悔に心臓を揺さぶられながら、僕は田中さんへと繋がる電話をかけたのであった。

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