19 ファミレスを出て

 会計を済ませて、ファミレスを出る。「あまりキョロキョロするな」と阿蘇に言われていたものの、藤田は警戒心からつい辺りを見回してしまった。


「……怪しい人はいないと思うけど」

「いや、見えてねぇだけだ。人通りの多い道を選んで行くぞ」


 まっすぐ前だけを見て歩く阿蘇の隣に、藤田も並ぶ。人波をかき分け、歩道の真ん中を足早に進んだ。


「いいか、合図をしたら敵側の発信器を落とせ。さりげなくだ」

「分かった」

「そんで電車に乗るからな、スムーズに改札通れるように……」


 その時、突然阿蘇の声が遠くなった。まるでリモコンで音量を絞っているかのような感覚に、藤田は頭を抱える。


 ――この時、藤田の体に最初の異変が起こっていたのだ。いよいよ声は聞こえなくなり、耳鳴りばかりが酷くなる。だが、それを彼に伝えようとした所、ぐわんと目の奥が揺れてバランスが崩れた。阿蘇が察する前に、藤田の体はフラフラと何人かにぶつかり、とうとう地に膝をつかせる。

 その弾みで一気に聴覚が戻った。けれどガヤガヤとした音の世界の中、彼の目は何の光も映さなくなっていた。


「……ッ!」


 呆然とし恐怖する。そんな藤田の左腕を、乱暴に掴む手があった。


「大丈夫ですか? ご体調が悪いのでは……」

「……ッ」


 ……誰だ? 男? ……姿が、分からない。

 まばたきをするたびに、脳の奥におぞましき巨大な影がチラつく。吐き気を催すような咆哮の幻聴が、神経を震わせる。

 その虚像を握り潰そうと空いた方の手を伸ばした瞬間、藤田はすぐそばで友人の声を聞いた。


「――ご心配無く。彼は俺のツレですので」

「しかし、顔色が……」

「お構いなく」


 自身の腕を阿蘇の肩に回され、体を支えられる。だというのに、オレの左腕はまだ男に掴まれたままだった。


「……その手を離せ」

「そうはいかねぇ。ソイツを置いていってもらわねぇと」


 ドスのきいた男の声に、幾人かの悲鳴が混ざる。少しずつ光が戻ってきた視界の中、ようやく藤田は現状を理解した。

 腕を掴んだ男。そいつに、オレはナイフを向けられていたのである。


「ソイツは金になる。お前だって、お友達を守る為だけに怪我したくはねぇだろ?」

「……日本の治安舐めんなよ。往来でこんな事しようもんならすぐお縄になるぜ」

「ヒヒヒッ、どうだろうなぁ。コイツさえ引き渡しゃ、高飛びしても余るぐらいの金が手に入るんだ。一人や二人殺してもお釣りが来る」

「は? お前そんな金持ちになる予定なの?」


 阿蘇の反応同様、藤田も同じ疑問を抱いた。――いくらミートイーターが植わっているとはいえ、たかが男性一人の誘拐だ。相場なんざ知らないが、そんな莫大な報酬が用意されるものなのだろうか?

 しかし、仮にそうだとすると、今回の件の犯人は一体どれほどの財力を持って……。


 いや、今はそんな事を考えている場合ではない。何とかここを切り抜けなければ。

 吐き気の収まってきた藤田は、男に見られぬよう阿蘇をつついた。


「……!」

「生きてさえいりゃ、痛めつけてもいいと言われてんだ。五体満足でいたいならさっさとコイツを置いて……」

「……ああ、分かった」

「おー、やっとわかってくれ――」

「今だ、藤田!」


 阿蘇の掛け声に合わせて、藤田は勢いよく頭を下げた。自由になった阿蘇の手は手刀の形を取り、ナイフを持つ男の手首をしたたかに打つ。


「グッ!?」


 思わず離したナイフを男が掴み直す前に、藤田が掠め取った。その隙に阿蘇が男の両腕を捻り上げ、地面に引き倒す。

 一瞬の出来事であった。瞬く間に、二人は形勢を逆転させてしまったのである。


「ハッ、他愛も無ぇ」

「ぬ、ぐぐぐっ……!」

「これでお前の動きは封じたぞ。ここから先は俺らの質問に答えてもらう」

「……!」」

「そこのお姉さん、動画撮ってる暇あんなら通報してくれ。さーて観念しろ。ひとまずは、依頼主についてだが……」


 阿蘇の威圧に、ナイフすら失った男は悔しそうにこちらを睨みあげる。

 だが、藤田は直感した。男の顔にまだなお潜む、底知れぬ余裕を。

 ――悪い予感は総じて当たるものである。藤田の見る前で、男はニヤリと口角を上げた。










「人数が足りない?」


 部下の阿蘇から情報を得た刑事課の部長である丹波は、共に暴力団のアジトに乗り込んでいた組織犯罪対策部の檜山に聞き返した。檜山は皺の多い口元をすぼめて首を振る。


「そう。ここの組織のボス、そして部下数名がおらん」

「そりゃ参りましたねぇ、長がいないとあっては」

「羽猪はタチの悪ぃヤツじゃ。義を通さずに悪知恵ばかりを働かせる男でな。そうそう、義を通さんと言やぁ先日うちに来た野良猫もワシの植木鉢を……」

「厄介ですねぇ。……あ、もしや、阿蘇のアパートを襲撃したメンバーの中にいたということは?」

「いや、そこにも奴はおらなんだ。それに合わせたとて数が足りんよ。ああ、数が足りんと言やこの間近所の婆さんが……」


 ということは、複数名まだ動向の分からない者がいるというわけか。すぐに話が脱線する檜山を放置し、丹波は近くの机に向かった。そして、そこに置かれていたノートパソコンを開く。


「……ん? 檜山さん、これは何ですかね?」


 声をかけられ丹波の隣に来た檜山は、画面を見るなり年で薄くなった眉毛を思い切りひん曲げた。


「けったクソ悪ぃ。こりゃレーダーじゃ」

「レーダー?」

「最近現場でよく見る。追跡用の小せぇ機械をホシにくっつけときゃあ、離れた所からでも追えるってわけよ」

「はー、ハイテクですねぇ」

「しっかし、金回りの悪ぃ羽猪がこんなモン持ってるわきゃねぇ。後ろ盾は相当強いんじゃねぇか?」


 後ろ盾と言う言葉に、丹波は頷く。言われてみれば確かにそうなのだ。

 しかし、そうなると分からないのが、学生の身である深馬がどうやってその金を用意したかである。事前調査でも、そんな金があるような人物であるとは思えなかった。


「なぁ、兄ちゃんよ」


 丹波は捕らえられた組員の目線に合わせ、かがんでやる。


「ちょっとでもいいから、何か知らないかい? あんな一院生が、お前さん方を雇えるような金もコネもあるはずないんだ。今回の件、誰か裏で糸を引いてるヤツがいるんじゃねぇのか?」

「……」

「檜山さん」

「あいよぅ、とりあえずしょっぴいて色々お願いしてみるよ。丹波も来るかい?」

「うーん」


 レーダーとやらに目をやる。……きっと、あれは部下である阿蘇の居場所を示しているのだろう。ならば羽猪もそこに向かっているに違いない。

 ……応援を向かわせるか? いや、曽根崎案件が絡む話だ。安易な判断でただの警官を関わらせるわけにはいかない。


 それに元々連絡手段を断つと言ったのは阿蘇の方からなのだ。ならば、こちらで下手に動くよりは彼を信じて要請を待つべきだと思う。

 無論彼の安否は心配だ。だが、自分の予想が正しければ恐らく“彼ら”も動いているだろうから――。


 答えは決まった。丹波は立ち上がり、檜山に向き直る。


「……はい、俺ァ檜山さんについて行きます」

「おう、そうか。しかしオメェさんの事だ、まーた悪ぃ事でも考えているのかと思ったぞ」

「俺が? まさか、考えた事もありませんよ」

「いかつい見た目のくせに、妙に砕けた喋り方。なんか裏がありそうに見える」

「はぁ……」


 それは知らなかった。自分としては、あまり気を遣ってもらうことがないようフランクに接しているつもりだったのに。

 少なくないショックを受けた丹波だったが、気にせず檜山は続ける。


「そういやこんな噂も聞いた。お前さん、警察長の娘さんと結婚してるじゃろ? あれも上司の弱みを握ってその娘を誑かしたとか何とかって……」

「えええええ!? 早紀さんとは交換日記から実らせた五年越しの純愛ですよ!?」

「他にも秘密裏に自組織を作り手足のように動かしてるだの裏から内閣を牛耳っているだの……ああすまん、ワシの悪い癖じゃな。ついつい話が脱線する」

「いやいやいや途中でやめないでくださいよ! 何ですかそれ! 誰から聞いたんです!?」

「急ぐぞ、丹波! お前さん所の拷問特化型自警団には敵わんが、ワシらも早いとこコイツらを締め上げねばならん!」

「なんだその怖すぎる自警団!? そんな噂もあんの!?」


 知らぬ間に湧いていたらしい根も葉もない噂に大いに動揺しながらも、丹波らはノートパソコンを片手にその場から撤収したのである。











「キャアアアッ!!」


 絹を裂くような女性の悲鳴に、場が凍りつく。阿蘇と藤田の視線の先には、組み敷いた男とは別の男。男は、先ほど阿蘇が通報を頼んだ女性の後ろに立ってその頭に拳銃を突きつけていた。

 阿蘇は青ざめた顔で、しかし拘束の手を緩める事なく尋ねる。


「お前……コイツの仲間か?」

「そうだ! そいつを解放し、車に乗れ! でねぇとこの女の命は無ぇぞ!」

「……ッ」


 二人が振り返ると、道路に黒いワンボックスカーが止まっていた。その中から、二、三人の男がこちらを覗いている。

 冷や汗を浮かべ、藤田は呟いた。


「……まさかお仲間がいたとはなぁ」

「あぁ、予想外」

「阿蘇さん、これはちょっと手詰まりですよ」

「だな」


 ため息をつき、阿蘇は男を解放する。立ち上がった途端、男は阿蘇の顔面目掛けて拳を振り上げた。

 鈍い音がする。けれど阿蘇は、鋭い眼光で睨みつけるだけで微動だにしなかった。


「阿蘇っ!」

「や……これぐらい平気平気。そんじゃ行こうぜ、藤田」


 殴られた拍子に口の中を切ったのか、阿蘇はペッと血を吐き捨てる。

 そうして存外従順に、二人は黒のワンボックスカーへと乗り込んだのであった。

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