14 二日目の夜

「ただいま、オレんち!」

「断じてお前んちではない」


 時間は流れて、午後八時。藤田のベルトにねじ込まれていた紙の指示通り、阿蘇はアパートに帰宅した。

 何も知らない藤田は、目隠しをしているにも関わらず慣れた階段をヒョイヒョイと上がっていく。

 が、いざドアの前まで来た時。阿蘇は、ドア下に置かれた何かを目敏く発見した。


「あ、ちょっと待て」


 目の見えない藤田を傍に寄せ、しゃがんでそれを取り上げる。――紙封筒だ。その表には、景清の文字で“藤田さん資料在中”と書かれてある。


 ……これでもし、内容がコイツの爛れた交友関係についてのものだったら即シュレッダーなんだけどな。


 馬鹿げた想像をしながら、音を立てないよう注意して厚みのある封筒の中を覗き込む。そこに入っていたのは、レントゲン写真数枚と小型の機械が二個。そして、何やら文字が書かれた紙が一枚。

 まずは確認だ。そう思った阿蘇が、紙の方を引っ張り出して書かれていた字を目にしたその瞬間である。

 彼の心臓は、ドクンと大きく鼓動した。


 ――丁寧に描かれたミートイーターの絵と、それを眼球から引っ張り出した時に起こる血管や神経への影響。どんな力加減でやれば患部の損傷を最小限に抑えられるかなどの、具体的で明瞭な考察。

 それらは全て、藤田に呪文を施すにあたり阿蘇が必要としていた知識だった。知りたくても知り得なかった情報。その内容が、医学的かつ植物学的知見から、こと細やかに書かれていたのである。


「……ッ」


 ――助けられる。


 阿蘇は、ごくりと唾を飲んだ。


 ――これさえあれば、治すべき場所をイメージすることができる。


 震える手でなんとか紙を封筒にしまう。そして自分を不審に思っているだろう藤田を振り返り、指示された言葉を吐いた。


「……誰かが、家に入った形跡がある」

「警察呼ばなきゃ」

「俺だよ」

「そうだった。えーと、曽根崎さんがコッソリ入ったとかじゃなくて?」

「あんなのに俺が鍵渡すわけねぇだろ。あ、でもアイツなら勝手に開けて入るか。クソッ、なんて兄だ」

「でも曽根崎さんだったら、後で教えてくれるよね。……しかし阿蘇、よくそんなのが分かったな」


 それもそうだ。

 藤田からの的確なツッコミに、阿蘇は思わず言葉を詰まらせる。

 ……事前に景清君から教えられていた、などと言えるわけがない。藤田は何も知らないのだ。


 何かそれっぽいごまかしを……何か……ええと……。


「……まあ、出掛ける前にドアに挟んでた紙切れが落ちてたからな」

「何してんの?」


 おう、我ながらそう思うわ。何言ってんだ俺。探偵ドラマの小技かよ。

 けれど藤田は信じてくれたようである。アホで良かった。


 藤田は阿蘇の背をバシバシと叩き、不安そうに提案する。


「今日は別んとこ泊まろうぜ」

「……いや、ここに帰る」

「何言ってんだ、危ねぇだろ」

「少なくとも今夜は大丈夫だ」


 どうしてそんなことが分かるんだよ、とでも言いたげな間があった。だから阿蘇は、また口から出まかせで答えてやる。


「敵が危害を加えるつもりなら、俺らがいる時間帯に来たはずだろ。が、留守を狙ったというなら、ヤツらの目的は別にあると考えるのが自然だ」


 この暴論に、藤田は渋りながらも納得してくれたらしい。

 ……ヤツらの襲撃は、翌日俺が藤田を残して家を留守にした時と分かっているのだ。ならば今晩、このアパートほど安全な場所はこの世に無いだろう。


 ――さて、今夜は徹夜だなぁ。


 阿蘇は封筒を胸に抱え、ドアノブに手をかけて回したのである。










「――なぁ、これどう思う?」

「そうですね……パッと見こっちが先だと思いますが……」

「残念! この線の尻尾が十二番の線の上に来てるから、これは十五番だ!」

「分かってんなら聞くんじゃねぇ! こっちだって忙しいんです!」


 舞台は変わって、再び僕の家である。やはり少しテンションが高い曽根崎さんを適当にあしらいつつ、僕はとある作業に従事していた。

 その作業とは、異次元の封印を遂げたあの壁の絵――モノクログラフィティアートの描き順の再現である。

 曽根崎さんは、田中さんの部下がX線で解読してくれた線の一本一本をデジタルデータで確認しつつ、自分のスマートフォンで撮った写真と見比べて、描き順を調べていた。

 で、僕はその描き順に番号を振ったり、デジタルデータの印刷をしたり、逆に取り込んだりしていたのだが……。


 さっきから、オッサンがちょっかいをかけてくるせいであまり捗っていなかった。僕は足で曽根崎さんを遠くにやりつつ、新たなデータをプリントする。


「……あ、曽根崎さん。これ順番違うと思いますよ」

「どれどれ」

「ほらここ。黒が二回続けて線を引いてる」

「あーそれはな、多分邪魔が入ったんだ。この部分、白の線が少し切れてるだろ」

「ほんとだ」

「少しでも引いた線に異常が加わると意味が変わってしまうらしい。修正の為なら二回行動もオーケーなルールなのかな」

「……」


 冷や汗が流れる。せっかく曽根崎さんが丁寧に説明してくれているというのに、僕は別のことを考えてしまっていた。

 ……この線の切れ目は、もしかして黒い浮浪者の邪魔をしたあの男のものなのだろうか。手を出してしまったせいで黒い浮浪者の逆鱗に触れ、異次元に押し込まれてしまったあの男の。

 異次元から突き出た、ダボダボの皮膚の六本指を思い出す。僕は心を落ち着ける為、曽根崎さんから見えない角度で深呼吸をした。


「……これで、最後の四十一手目か」


 そうしてその作業も三時間かければ、なんとか一つの目処がついたようである。疲れ切った僕は最後のプリントボタンを押すと、ため息をついてこたつテーブルにしなだれかかった。


「もう嫌だ……しばらく白と黒のものは見たくない……」

「まったくだ。パンダやシマウマ見ても描き順を考えそうだな」

「じゃあもう動物園とか地獄じゃないですか……」

「……」

「……」

「わー、パパ見て! シマウマさんだよ!」

「ははは、可愛いな。一手目はあの尻の一番太い線かな」

「違うよパパー、あの首の所の線だよー」

「確かに、描きやすさと後に続く線としてはそっちのが適切だと考えられるな。よし、ではそれを前提として全体の描き順を組み立てて……」

「……」

「……」

「ああー」

「うあー」


 奇行を繰り広げる僕らを責めないでやってほしい。

 時刻は既に深夜十二時を回っているのだ。その上、帰ってきてからずっとしているこの作業である。

 そりゃ多少人格が壊れても仕方がない。脳細胞がプチプチ死んでいく音がしてんだ。眠い。


 僕は頭を上げ、仰向けに倒れた曽根崎さんの顔を覗き込んだ。


「……そんで、これでなんとかなるんですか?」

「なる……と思う。後は、これを白黒交互にズレ無く描いていけばいい」

「それができるのかって聞いてるんです」

「むしろそれはできるんだ。ただ……」


 なんとなく歯切れの悪い言い方をする人である。まどろっこしくなって、僕は立ち上がった。


「どこ行くんだ」

「お腹空いたんで夜食作ります。煮込みうどん」

「火傷しない程度に冷ましてくれ」

「アンタいっつも自分が食べる前提で話しますよね。いいけど」


 狭い台所に立ち、鍋に目分量の水を入れる。そこに麺つゆを投入しながら、曽根崎さんに尋ねた。


「あれですか、どうやってあの巨大な穴に魔法陣を描こうか、という所で悩んでるんです?」

「それについては手を打ってあるから大丈夫だ」

「どうするんです?」

「空中に絵を描く」


 驚いた拍子に、麺つゆが多めに入ってしまった。水を足して調整しつつ、曽根崎さんを向く。


「なんですソレ。可能なんですソレ」

「可能だよ。空気中に存在する分子に光を当てて反射させて……あー、つまりそういうスーパーマシンがあるんだ」

「説明面倒になってんじゃねぇよ」

「で、そのスーパーマシンを使い、出力装置に繋いだタブレットに絵を描けば、穴の真上に封印の図式が登場するという仕掛けだ」

「はぁ……すごい技術があるもんですね」

「それでうまくいけばいいんだがな。もしダメだったら……」

「ダメだったら?」

「クソでかい布に図を描いて、それを穴の上で広げるしかない」

「アナログだけど効果はありそうだな……」


 あくびを一つする。こんな時でも眠くなってしまうとは、人とは不便な生き物だ。


「先に寝るといい」


 僕の様子に気づいた曽根崎さんが言う。


「曽根崎さんは?」

「私はもう少し起きてる」

「……」


 冷凍うどんを投入する。その音に、多少なりとも脳が覚醒した。


「僕も起きてますよ」


 なんとなく、曽根崎さんがこちらを見た気がする。


「ここまで来たなら運命共同体ですよ。曽根崎さんが起きてるなら、僕も起きてる。夜食を食べるなら、僕も食べる」

「ほう」

「ほら、確か対象を観察してる間は、他の面見てるその人との入れ替わりは生じないんでしょ? なんかよく分かんないけど」

「ああそうだな」

「だから僕は、今見てる曽根崎さんがどこにも行かないように、起きてます」


 うどんが煮えていく。温かな蒸気に心が凪いでいくが、やはり少しつゆが多過ぎたようだ。


「……無理しなくていいのになぁ」


 そう返してくれた曽根崎さんの声色は、どこか機嫌が良いように感じた。











「――あれ!? 朝!? あれ!?」

「おはよう景清君」

「なんで僕ベッドにいるんですか!? 僕はうどん食べた後、曽根崎さんと作業してたはずじゃ……!」

「うどんを食べてきっかり十五分後、君は突然立ち上がったかと思うとベッドによじ登り、丁寧に布団を肩までかけて寝息を立て始めた」

「全く覚えていない……!」

「驚き過ぎて声もかけられなかった」

「すいません……!」

「いいよ。よく眠れたか?」

「ええ、まあ……。しかし曽根崎さんはいつも早起きですねぇ。せっかく買ったパジャマが泣いてますよ」

「だから言ってるだろ。私は不眠症だと」

「……」

「そんな顔するな。寝られるというのはいい事なんだ。眠って翌日の能率が上がるなら、そうした方がいいに決まってる」

「……はい」

「特に今日は、爆弾仕掛けたり発狂者を取り押さえたりするからな。体力はあればあるだけいい」

「え、なんですそれ聞いてない」

「さ、朝飯朝飯! 今日は何の味噌汁かなー?」

「もおおおお作りますよ! でも作ってる間に説明してくださいよ!? おい聞いてんのかオッサン!」

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