6 正義とは

 強引、かつ雑過ぎる案だと思わないではなかった。

 いくら六屋准教授を助ける為とはいえ、深馬の隙をつき用意した偽の死体とすり替えるだなんて。


『――五十代ぐらいの男性の死体を用意しろ、だと?』

「ええ」


 話は、曽根崎さんと田中さんが電話をしていた数時間前まで遡る。

 不審げに語尾が上がる田中さんの声に一切臆することなく、曽根崎さんは言った。


「これから、ある准教授が一人の男に殺されます。それを未然に防ぎましょうという提案です」

『いや、未然に防ごうったって……そもそも何故君がその事を知っているんだ? 死体を用意するにしても、畑から大根を抜いてくるわけじゃない。それなりの根拠が無いと案を飲むことは……』

「根拠ねぇ……。いやぁ実は私、三日後の未来から来た曽根崎慎司でして」

『は?』

「ほぇ!?」


 突然のカミングアウトに、田中さんだけでなく僕も驚いた。

 え!? ここで言っちゃうの!?


 すると案の定、電話の向こうから訝しげな声が飛んできた。


『……君は僕をからかっているのか?』

「とんでもない。からかうつもりも騙すつもりも、毛頭ありません」

『……』

「少し時間をください。どういう流れで今私がここにいるか、お話しいたします」


 そうして曽根崎さんは、端的に僕らの置かれた状況を説明し始めた。


『……』


 その間、田中さんにしては珍しく口を挟むことなく黙っていた。姿は見えないが、きっと渋い顔をしていたのだろう。


『……随分と手の込んだ寝起きドッキリだな』


 とはいえ、聞き終えた後の開口一番は流石であったが。


『しかし、それを事実として僕に認めさせるにはあまりにも多くが足りない。それは君も分かっているんだろう?』

「ええ」

『だとしたらどうして、君はその薄い論舌で僕を動かせるなどと結論づけたんだい』


 田中さんのもっともな問いを、曽根崎さんは鼻で笑い飛ばした。


「――何を仰るかと思えば。貴方は、私の言葉の真偽などどうでもいいはずではありませんか」


 不適に笑う唇から、言葉がこぼれる。


「そこに脅かされる命があると知れば、救わずにはいられない。たとえ茨に足を貫かれようとも、踏み出さずにはいられない。私の知る田中時國は、そういう男です」

『……』

「私が間違っていると判断した瞬間、引き上げてくださって構いません。何なら貴方ご自身の手で背中から撃ち殺してくれたっていい。――けれど、くれぐれもお忘れなきよう」


 曽根崎さんの声が、脅すように低くなる。


「私の死は、何の罪も無い哀れな一准教授の命を取り落とす。同時に、貴方の望む正義すら一つ潰してしまうことを」


 曽根崎さんの挑発的な発言を、僕はハラハラしながら横で聞いていた。

 だが、対する田中さんは少し笑ったようである。


『……ハン、なんという傲慢だ。これで昔とそう変わらないというのだから驚きだね』

「お陰様で」

『まったく。――今の言葉を、ぜひ彼女に聞かせてやりたいもんだ』


 ……彼女?


 疑問に思って曽根崎さんを見たが、彼は反応しない。どうやら聞こえないふりをしたようだ。

 一方田中さんは、少し沈んだ声から打って変わって元気に言った。


『ま、ご推察の通り、僕は正義の味方の田中さんだよ。そこまで言うなら、その稼働率の高い口車に乗って動いてやろうじゃないか。……で、なんだっけ? 五十代ぐらいの男の死体だったっけ』

「あ、少々腹が出ていたので田中さんが代わりになるのは難しいかと」

『ならんよ、死体には。君ねぇ、あとで覚えてろよ? これは“貸し”だからね』

「あーもう面倒くさい。今回は景清君もいるので、ほどほどでお願いしますよ」

「うぉ、サラッと巻き込まれた。できるなら最後までそっとしておいて欲しかった」


 ――それから、瞬く間に時間は過ぎ。何をどうやったか知らないが六屋准教授そっくりの死体が準備され(本物ではないらしいが定かではない)、今に至るのだ。

 一時はどうなることかと思ったが、見事僕らは彼を無傷で生還させることができたのである。


 ……本当に、できるもんなんだなぁ。


 講義室の壁にもたれ大きく深呼吸をする僕に、隣でガムを噛む田中さんが笑いかけた。


「為せば成る、ということさ。ガニメデ君」

「ずっと言おうと思ってたんですけど、そのガニメデ君呼びマジでやめてくれませんか」

「なんでだい、ピッタリじゃないか」


 ただでさえ構内禁煙で不満げな田中さんは、プゥとガムを膨らませて抗議する。知らん。無視する。


 曽根崎さんはというと、少し遠くの場所で誰かと電話していた。途切れ途切れに「小型の爆弾……」だの「強制気絶……」だの不穏な単語が聞こえてくるが、一体どんな相手なのだろう。


「た、助けてくれたのはありがたいが……」


 ここで恐る恐る口を開いたのは、まだ立ち上がる気力すら戻らない准教授である。


「しかし……死体? そこまでする必要があったのか? それに、表向きは私が死んだことにしろ、などと……」

「なんだい、クレームをつけようってのかい?」

「そ、そういうわけでは……」

「いいか? 死体でも残しておかなきゃ、あの狂人は決して君への矛を収めなかっただろうよ。なんせあんな非人道的な計画を知られているんだからね。君をこれからも生かす為に、アレは必要な措置だったのさ」


 風船ガムをパチンと割り、田中さんは言う。


「ま、三途の川で水浴びをしたいと言うなら話は別だが。君の死神はまだあの場所にいるだろうし、良ければ訪ねてみるといい」

「ぬ、ぬぬ」

「ちょっと田中さん、六屋准教授はいきなり異常事態に巻き込まれたんですよ? 配慮ってもんは無いんですか」

「フン、人間の腕が二本しか無い理由を知っているかい? 必要なもの以外持たないようにする為さ」


 哲学じみた言葉のように聞こえるが、要するに屁理屈である。

 もう一言何か言い返してやろうと思ったが、その前に六屋准教授が口を開いた。


「ならば私は……六屋実成は、世間的には既に死んだ人間ということになるのか?」

「そうだよ」

「……夢なら覚めてほしい、が……これは現実なのだろうな。不幸中の幸いなのは、私が独身で妻子もおらず、両親も既に他界していることか。……なんという皮肉だ。こうして孤独であったことが、最も誰の迷惑にもならんとは」

「……六屋准教授」


 うつむく彼に、何と言葉をかけて良いか僕には分からない。

 ……これからこの人はどうするのだろう。世間的に死んだことになっていては、まともな職など就けるはずもない。しかし生きていく為には、生活する場所もお金も必要だ。

 となると、僕としては絶対的な権力を持つこの人に何とかしてもらいたいと思っているのだが……。


「六屋実成君」


 田中さんが、懐手をしたまま、ずいと准教授の前に立った。当然狼狽する准教授は、彼をおずおずと見上げる。


「え……な、何です。っていうか貴方、どちら様……」

「僕かい? 僕ァ、たった今職無しになった君に一つ働き口を紹介してやろうかと考えている、しがない慈善事業家さ」

「慈善事業家……」

「そう。ところが、だ。こちとら“職無し”は良くても、“脳無し”を引き取る気はさらさら無くってね。人材は欲しいがお荷物はいらない。我儘で実にすまないが、そういう事情で今から君の入団試験と洒落込みたいんだ」

「は、はぁ……」


 いまいち状況が飲み込めないものの、准教授はひとまずの了承を返す。

 それを確認した田中さんは懐から仰々しくキセルを取り出し、その先で六屋准教授の顎を持ち上げた。


「では、君」


 涼やかな目が、楽しそうに細まる。


「――正義とは、何だと思う?」


 それは、実にシンプルで漠然とした質問だった。


 だが、人一人の今後の生活が関わっていたのではそう易々と横入りもできない。僕は固唾を飲んで、准教授の答えを待っていた。

 彼もきっと当惑したに違いない。それでも数秒迷った後、田中さんの銀縁眼鏡の向こうにある目を覗き込んだ。


「正義とは……」

「うん」

「……ひ、人には無くてはならぬ良心の尺度だ。行動の指針だ。しかし一方で、盲目に振りかざせば人をも殺す、覆しがたい思い込みだ」

「ハイ採用!!」

「えぇ!?」


 採用しちゃった!!

 なんで!? いや、それで全然良かったんだけど……!


 目を白黒させる僕に、田中さんは煙草が入っていない煙管を口の端に咥えてニヤリとした。


「……景清君ならご存知だと思うが、僕ン所は所謂“正義の集団”でね。しかれども、僕らの扱うこの正義というのは実に厄介なシロモノなのさ」

「や、厄介? 正義がですか?」

「そう。何故かっていうと、人間は正しいと思い込んだ事に対し凄まじい行動力を見せる生き物だからねぇ」


 准教授を見下ろすと、彼も小さく頷いて同意していた。そんな彼を視界の隅に入れつつ、田中さんは続ける。


「そりゃそうだ。人は社会性の生き物、自分と同じ意識が蔓延すればするほど居心地が良くなるってもんだ。つまり人は大なり小なり、“正義”という名目を用い社会で思想の陣取りゲームしているのさ」

「な、なるほど……」

「だからこそ、うちに来る人間が自分の正義に酔いしれた“脳無し”では困るってわけだ。罪人だからと激情のまま殺し、迷い悩み思考することなく、堂々と正義を名乗るような“脳無し”ではね」

「では、六屋准教授は……」

「彼はいいんじゃない? 真っ当だし、ちゃんと報連相もしてくれそうだ。何でも許されてしまう権力の甘美に呑まれることも無いだろう」

「や、ま、待ってくれ。確かに今の私は、あなたの紹介してくれる職に就くしか生きる手段が無い。それを分かった上で聞きたいんだが、そもそもあなたは一体何者なんだ? こんな問答に答えるだけで、戸籍すらない男の職を斡旋できるなんて……」


 オロオロとする彼の問いに、田中さんは待ってましたとばかりにふんぞり返る。煙管を口から離し、大きな手振りでそれを掲げた。


「申し遅れたが、僕の名は田中時國。……そう、何を隠そう世界を股にかけた超絶大組織――ツクヨミ財団の理事長その人さ!」


 この表明に六屋准教授は目を見開き、腰が砕けそうなぐらい驚いた。……然り、ツクヨミ財団は日本の研究や学者に対し、多大なるバックアップをしているのである。その名を知らないはずはない。

 一方田中さんは、新しい部下の望ましき反応にニヤニヤと悦に入っていた。


 ――一番権力の甘美に呑まれてんのは、アンタじゃないんですかね。


 そんなツッコミが喉まで迫り上がるも、なんとか腹に押し戻した僕なのである。

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