4 六屋実成准教授の死について
不気味な男に死の宣告をされた数分後。
私こと
――なんなんだ、あの男は。
和井教授の部屋から現れて一度いなくなったと思えば、次は私を捕まえて脅しつけるなど。
訳が分からない。
だが、それはあの男に限ったことではない。学会で様子のおかしかった和井教授が姿をくらまして、もう二日。性格や思想には難があるものの、彼は決して仕事を疎かにする人間ではなかったはずだが……。
そんなことを考えていたからだろうか。気づけば自分の足は、自然と和井教授の部屋へと向いていた。
「……」
人のことは言えないな、と思いながら部屋の中を覗く。誰もいないと踏んでいたが、すぐにその予想はひっくり返された。
なんと教授の机は、一人の男により嵐のような勢いで荒らされていたのである。
「き、君! 何をしているんだ!」
思わず私は叫んでいた。――見た所学生だろう。いや、誰であろうと一教授の机をあのように乱暴に扱ってはならない。怒りのあまり、私は彼の側に行き腕を掴んでいた。
「……なんだ、六屋准教授ですか」
反抗的な目で睨んできた男の顔に、一瞬怯む。その人物の名は、不気味な男が告げてきたそれと同じものだった。
「……深馬君」
だが、ここで引き下がる訳にはいかない。この大学に携わる者として、彼が何故このような事をするのか問いたださねばならないからである。
そんな私の質問に、青年は面倒臭そうに顔をしかめた。しかし少し考え込んだかと思うと、ニヤリと意味深な笑みを浮かべる。
「……そういえば、六屋准教授って和井教授のことをお嫌いになってましたよね?」
「それがどうしたというんだ」
「いえ、だとしたら俺の計画にも賛同してくれるかなと思って」
――この時。
ここですぐに否定できなかったことを、私は今でも後悔している。
確かに、自分より若い和井教授が先に教授になったことについて何も思わないではなかった。性格的にも真反対で、一晩酒を酌み交わし語れるような相手では決してない。
けれど、だからといって、和井教授を憎むなどありえなかった。こと彼の研究に対する熱意や目の付け所、それを強引にでも成し遂げる手腕は研究者として高く評価してすらいたのである。
どんなにいけ好かない男だろうが、和井教授は科学の発展において重要な人物だ。今、彼について尋ねられれば間違いなくそう断言できる。
だが、この時の私は深馬君の異様な圧にたじろぎ、つい口をつぐんでしまったのだ。
するとその沈黙を肯定と取った彼は、あろうことか私を自身の味方であると早合点したのである。
「……実は俺、教授が発表しようとしていた新種の植物を手に入れることに成功しましてね」
「し、新種の植物?」
「はい。これはすごいですよ、なんと人に寄生して成長する植物でして……」
――深馬君は、意気揚々と恐ろしい計画について語り始めた。
和井教授を苗床にし、死に至らしめた彼の体から二粒の種を入手したこと。そして、今後も人を苗床に、この種を増やしていこうと考えていることを。
その研究生が語るにつれ、私はショックのあまり息がまともにできなくなっていった。視界に映る光景に現実感が無くなり、足元が覚束なくなる。
……和井教授が死んだ、だと?
何故だ? どういうことだ?
どうして目の前の彼は、それをさも英雄譚のように話しているのだ?
「……え、し、死? 和井教授が? き、君は、何を言って……」
「何を怖気付いてるんですか。本当のことですよ。俺のこれからの人生に、アイツは一番不要な人間……准教授にとってもそうでしたでしたよね?」
「……」
「俺は、これからこの植物を発表します。世間は驚き賑わい、深馬仁の名は一躍有名になるでしょう。俺は栄光と名誉を得、科学の発展の為にこの新種植物の研究に莫大な費用が割かれることになる。俺の才能は正当に評価され、日の目を浴びることになる……」
――何を言っているのか、全く理解ができなかった。
次々と信じがたい言葉を発するこの男が、自分と同じ人間だと露ほども思えなかった。
「……だけど俺は、准教授の気持ちも理解することができるんです。あのムカつく口ばかりの男を、あなたは憎み恨み煩わしく思っていた。この邪魔者が消えればいい、この邪魔者は生かしておくだけ無駄だ、と。分かります。アイツは、教授のくせに俺の才能すら見抜くことができない愚図でしたから」
何故、コイツは恥ずべき思想や行為を自慢げに晒しているのだろう。
何故、行動して結果を出した者を、膨れ上がるばかりで中身の無い自己評価をかざして糾弾できるのだろう。
分からなかった。心底不可解だった。
けれどその戸惑いの中で、私は凄まじい怒りを募らせていた。
「……君」
正しくない。そのあり方は、人としても研究者としても、全く正しくない。
だが、自分しか見ないような男が、私の怒りを悟れるはずもないのだ。彼は、嬉しそうに笑って私に提案した。
「どうでしょう、准教授。これからは俺の下で働きませんか。俺はあなたを特別に優遇し、この偉大なる研究に混ぜてあげても構いません。何ならゆくゆくは教授の地位も確約しましょう。俺と共にいることで名誉も得られますし、悪い話ではないと思いますが……」
「ふざ……ふざけるな!」
そうだ、これはとんだ寝言なのだ。とんだ茶番なのだ。
私は掴んだ彼の腕を強く握り、決して許してはならない愚行への怒りを爆発させた。
「お……お前の頭はおかしい! そんなことをして許されるものか! 二度と研究界隈に姿を出せると思うなよ!」
「……」
私の行動は、きっと間違ってなかったと思う。
しかし、正しくもなかったのだろう。
その言葉を聞いた深馬君の目から、一気に温度が無くなった。
「……そうですか」
声も、打って変わって冷たくなっている。
「せっかく、この俺がチャンスを上げたのに無駄にするなんて。こんなつまらない人間を准教授にまで押し上げてたとか、やっぱりこの大学は腐ってる」
彼の腕が持ち上がる。その手には、透明な何かが摘まれていた。
――種だ。
事前に不気味な男から情報を教えられていた私は、咄嗟にそちらの腕も掴んだ。
「うわっ、なんだよ!」
「……ッ!」
「離せ! 離せって! 落としたらどうすんだ!」
落とせばいい。落としたなら、踏み潰して粉々にしてやる。
確かに和井教授が持っていた時には研究対象だったかもしれない。だが彼が持っている今では、ただの殺人道具でしかないのだ。
たとえ新種植物だろうと、彼の手に渡るぐらいならここで跡形も無く消してやる。研究者として望ましくなくとも、この時の私は本気でそのつもりだったのだ。
そうして必死で揉み合っていると、彼の手からつるりと種が離れた。
「ア」
それが、宙を舞った直後。
親指の先ぐらいの大きさの透明な種は、まるで吸い込まれるかのように深馬君の右目に落下した。
「……あ、アアア、アア」
瞬間、彼の体がぶるりと震える。その顔はなぜか恍惚としており、目に入り込んでくる異物を抜こうともしない。
口が開く。その端から涎が伝う。喘ぎ声にも似た呻き声が上がる。
種が刺さっていない方の目は焦点が合わず、何の景色も映していなかった。
――あたかも、種が彼を“受け入れさせている”かのように。
「あ……あああ」
吐き気がするような異様な光景に、私は半分腰を抜かしながら逃げようとする。だが、足が思うように動かない。
恐ろしい。おぞましい。汚らわしい。存在してはならない。こんなものが、あろうことか私の目の前にあるだなんて。
この場にいたくない。あんなものを飲み込んだ男と、同じ部屋になど。
誰か、誰か。
「誰か、助け……っ!」
「ええ、准教授。その為に、我々は貴方に接触したのですから」
落ち着いた低い声と共に、長い足が視界に入り込んでくる。続いて、幾人かの足も。
それらは足早に深馬君を取り囲むと、何やらゴソゴソとやり始めた。へたり込んだまま何が起きているか把握できず呆然とする私だったが、やたら顔の整った青年が覗き込んできたことでハッと我に返る。
「良かった。お怪我は無さそうですね、准教授。立てますか? 僕で良ければ、肩をお貸ししますが」
その彼が、少し前にこの部屋の前にいた者だとすぐに分かった。厚意に甘え、私は彼の肩を借りて立ち上がる。
急いで部屋を後にしながら、それでも一度だけ振り返った。……作業服姿の数人に紛れて、私そっくりの男が仰向けに倒れていた。
「……たった今、六屋実成准教授は発狂した深馬仁に刺されて亡くなりました」
私の視線に気づいた青年が、気を遣った様子で言う。
「でも、貴方自身は確かに生きてらっしゃいます。今はまだ、受け入れられるのは難しいかと思いますが……その、今後は、僕たちが准教授をお守りいたしますので」
切羽詰まった表情と、しかしなお私を安心させようと言葉を選ぶ姿。なんとなく彼は誠実な人間なのだろうなと思い、やっと肩の力を抜いた。
――こうして和井教授から始まった一連の怪事件は、私の“生”を終わらせて一つの区切りを迎えたのだ。
……だが、今後私の身に起こることを考えれば、これは単なる序章にしか過ぎなかったのだと。それを後になって、私は痛感することになるのである。
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