3 三日間の目標
「あ、あなたはさっきの……! 一体何をしに来たんです!」
腰が抜けた壮年の男の前に立つは、黒いスーツに身を包んだ長身。まるで手入れされていないボサボサの髪の下から見える不審者面を不気味に歪めた彼は、恭しく一礼した。
「まずは驚かせたこと、お詫び申し上げます。私の名は曽根崎慎司。人の手では解決できない謎や怪事件、そういったものを秘密裏に始末する“怪異の掃除人”を生業としております」
「か……怪異の掃除人?」
耳慣れない単語に当惑するも、曽根崎慎司とやらは一切取り合わない。誘うように片手を差し出し、話を続ける。
「そう身構えないでいただけませんかね、六屋実成准教授。何、私はこれから貴方に訪れる運命について、お伝えしに来ただけなのです」
怪しいという点では、百点満点である。しかし男の異様さと発言に身が竦み、六屋准教授は動けないでいた。
「一つ、予言をさせてください」
男の薄い唇から、言葉が漏れる。
死神に告げられるかのような、恐ろしい言葉が。
「――六屋准教授。これから貴方は三十分以内に、和井教授の研究室生である深馬仁の手にかかり、死ぬ」
一気に青ざめた准教授に、男はまた妖しく笑いかけたのだった。
時刻は午前八時。曽根崎さん宅のマンションにて。
僕は、彼とテーブルを挟んで向き合っていた。
「――それじゃあ景清君、いいな?」
「ええ」
新しいスーツに着替えた曽根崎さんは、大きく息を吸い込む。
「では行くぞ。目標その一!」
「皆を助ける!」
「目標その二!」
「表の僕らをサポートする!」
「目標その三!」
「黒い男と契約更新する!」
「目標その四!」
「え、まだ何かありましたっけ!?」
「特に思い浮かばん!」
「じゃあ続けんな! 止めろ!」
調子に乗る曽根崎さんの頭を軽く叩くと、乾かしたてのもさもさ髪に手が埋まった。
この感触、目をつぶっていればまんま長毛犬である。
そんな戯れはさておき、僕と彼は今後三日間における行動について作戦会議をしている所であった。ちなみに先ほど僕が言ったこの三つが、これからの大まかな行動指針である。
「曽根崎さんに言われて、三日間に起こったことをできるだけ書いてはみましたが……」
曽根崎さんから拝借した黒のタートルネックに顎を埋め、手帳を見返す。ミミズののたくったような字の隣に、筆圧低めの僕の文字が並んでいた。
「これで概ねやるべき事が分かるって本当ですか?」
「まぁ嘘はついてないよ。例えばここ。忠助が電話で君に“私が死んだ”と連絡をしてきたな。ということは、それまでのどこかで彼に“私の死”という情報を伝えておかねばならない」
「ほうほう」
「あと、今日の晩から君が私の部屋に泊まりに来ることになっている。だったら私はその間どこで寝泊りしようかな、とか」
「新聞紙って重ねれば意外とあったかいらしいですよ」
「遠回しに野宿を勧めるな」
とりあえず、その話は保留でいいだろう。僕は手帳に書かれた文字を追って、これからのタイムスケジュールを想像してみた。
……半日後の僕は、曽根崎さんの死体が見つかったことを知らされ大いに動揺することになる。こうして解決できたというのに、あの時の心情を思い出すと未だ胸の奥がざわざわとした。
可能なら、表の僕に声をかけてやりたい。大丈夫だよ、と。気をしっかりもてよ、と。
そもそもお前誰に対して慌てているか落ち着いて思い返してみろ、と。相手は可愛い女の子でも何でもない三十路の不審者面した男だぞ、と。本当にそれでいいのか僕、と。
「景清君」
「はい」
「もしかしてだが、また私に対して失礼なことを考えてないか?」
「僕ってそんなに顔に出てます?」
「チクショウ当たってやがった。嘘でも違うと言えよそこは」
一度がくりと首を落としたあと、すぐ気持ちを切り替えた曽根崎さんは僕を見た。
「ところで景清君、取り急ぎ確認しておきたいことがあるんだが」
「何です?」
僕が頷いたのを確かめ、彼は言う。
「まず、君が言う“面”というヤツの仕組みについてなんだがな」
「はい」
「こいつは、観測者である私達が観測し続けることで、連なり歴史として確定していく。ここまではいいな?」
「ええ」
慎司に説明してもらった話である。僕はそれを曽根崎さんに伝えていたのだ。
「ということは、だ。まだ“表の私達が見ていない場所”、及び“認識していない事柄”については、不確定のままだということになる」
「えーと、はい」
「ならば、表の私達が“誤って認識していた事柄”を、裏の私達が“正しく観測する”ことも可能かもしれない。そう私は解釈したのだが、君はどう思う?」
「……んんん? どういうことですか?」
いまいち内容の理解が追いついていない僕に、曽根崎さんは人差し指を立ててみせる。
「つまり、死んだと思っていた人間を助けることも可能じゃないかという話だよ」
「え!? ……というと、和井教授や火町さんとか?」
「いや、和井教授はこの時点で既に死んでいる。火町さんに至っては、我々の目の前で穴に落ちたんだ。よって実質助けられる可能性があるのは、たった一人」
そう言われて、頭の中で被害者の姿を思い返す。これから起こる死の瞬間を観測していない唯一の人物の名は、すぐに口から出てきた。
「――六屋准教授」
その通り、と曽根崎さんは頷く。
だけど、六屋准教授といえば犯人である深馬に殺され、全身滅多刺しにされた状態で発見された人である。あの現実を覆すなどどうやって……。
考えが及ばず顔をしかめる僕に、曽根崎さんは軽やかに言う。
「何を言う。それが可能かどうか確かめる為に、アレコレ試してみたいんじゃないか」
「オイ、人の命がかかってるのに試してみたいとか言うな」
「何故だ? うまくいけば本人だって助かるし、私達もデータが得られる。いいこと尽くめだろ」
そこじゃねぇ。倫理的にその表現がどうかって言ってんだよ。
だがモラルハザード気味のオッサンはともかく、もしそれで本当に六屋准教授が助かるならやってみるべきだと思う。けれど、そんな方法が僕ごときの頭にすんなり浮かんでくるはずもなく。
腕を組んで唸っていると、曽根崎さんはスマートフォンを取り出してきた。
「あれ、川に落ちたのに無事だったんですか」
「防水仕様。あと“穴落ち”の日は雨が降ってたからな、念の為ビニール袋に入れていたのが功を奏した」
「ちょ、あの衝撃的なシーンを“穴落ち”言うな」
そして電話をかける。スピーカーフォンからこぼれる数度のコール音が切れ、代わりに電話口から聞こえてきたのは――。
『おやおや、モーニングコールを曽根崎君に頼んだ覚えは無いんだけどねぇ』
――一言も二言も多い、田中時國ツクヨミ財団理事長のバリトンボイスであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます