第30話 三階

 阿蘇さんは、藤田さんを追う為に。曽根崎さんと僕は、深馬をぶっ倒す為に。

 こうして僕らは、また二手に別れることになった。


「一応、藤田君の周辺には警備を敷かせている。だが穴に行けるのは穴を認識できる人間だけだ」

「分かってるよ。そこから先は俺一人でやる」

「……忠助」

「ンだよ」

「ファイッオー」

「テメェ死ぬ前に殺すぞ」


 放った拳を軽く曽根崎さんにかわされた阿蘇さんは、忌々しげに舌打ちをして事務所を去って行った。


 ……彼は、藤田さんを救う方法に目星がついているのだろうか。どうかそうであってほしいのだけど。


 阿蘇さんが出て行った後すぐにタクシーを捕まえた僕らは、穴に向けて出発した。


「――今回の最終目的は、“穴を閉じること”でいいんですね」

「そうだな」


 外は雨が降り出した。窓にあたっては流れていく雫を、じっと目で追う。


「どうやるんです」

「言ってもいいが、止めるなよ」

「はい」

「……深馬を、穴に突き落とす」


 その無情な言葉に、僕は自分の服の裾を握りしめた。……想像はついていた。だが、面と向かって人の死を宣言されてしまってはとても穏やかな心情ではいられない。


「召喚者である深馬を、穴にいる“何か”に食わせる。逆説的な論にはなるが、今の所今日以降に落ちた死体は出ていないから、このやり方がキーになる可能性は高いだろう」

「……」

「……深馬の死は、死体が現れた三日前から決まっていた。だから今から私が深馬に対してしようとしていることは、運命に巻き込まれた結果の事象として割り切るべきだ」


 雨の音に紛れさせる程度の声量で、曽根崎さんは窓の外を見ながらぽつぽつと呟く。


「つまり私が手を下さずとも、深馬は勝手に穴に落ちるようにできている。そうでないと歴史に矛盾が発生するからな」

「ならいっそ近づかなきゃいいんじゃないですか? 深馬は運命に任せて、曽根崎さんは事務所で大人しくしてましょうよ」

「それができないんだなぁ。忠助のやろうとしていることがしくじったら、私が動かないといけない」


 ということは、曽根崎さんには阿蘇さんの行動が推測できているらしい。


「……曽根崎さんって、弟さん含め全人類が穴に飲まれても平気で味噌汁かっ込む人間だと思ってました」

「バカ言うな。味噌汁作る人間がいないと、かっ込むもんもかっ込めないだろ」


 おお、なんだか珍しい言葉を聞いた気がする。

 しかしそこまで言うのなら、この僕が気を張って曽根崎さんを見ていてやらないといけない。


 冷たいガラスにもたれた曽根崎さんの息が、窓を白く染めた。

 

「……それにしても、つくづく運命とやらはよくできてるよ。これまでに起きた全ての出来事が、自ずと私を穴に向かわせている。あたかも、私がシナリオの登場人物であるかのように」

「じゃあちゃぶ台返しします? 今から曽根崎さんを活火山に放り込めば、運命は変わると思いますが」

「ずっと思ってたんだが、烏丸先生といい弟といい君といいなんで事前に私を殺したがるんだ。愛か、愛故なのか」

「どちらかというと日頃のシンプルな恨みです」


 妙に気が抜ける会話の後、タクシーはとある建物の前で止まった。

 僕は先に降り、雨粒を払いながら五階建てのビルを見上げる。


「……ここに深馬がいるんですか」

「穴全体を見渡せ、かつすぐに向かえる空きビルは数少ない。私ならここを選ぶかなという推理だが、間違ってないと思う」


 濃いクマを引いた目を細め、曽根崎さんは窓の一つ一つを探る。


「――三階」


 言うなり、彼は走り出した。

 テナント募集中の張り紙が貼られた階段を、響く足音を厭わず駆け上がっていく。僕も慌ててその後ろを追った。


「オラッ!」


 やっと追いついた時、曽根崎さんは三階のドアをその長い足で蹴り飛ばしていた。安い作りの内開きのドアは、意外なほどあっさりとその身を開く。


 がらんとしたその部屋を覗き込む。窓の近くで、ゲッソリとやつれた深馬がこちらを向いて立っていた。


「……ひ、へへ、へっへ、へ」


 だが、何か様子が変だ。目は血走っており、口の端からはダラダラと涎が伝っている。


「……曽根崎さん」

「ああ」


 笑い声の合間に、不気味な言葉が混じる。そんな深馬の姿に、曽根崎さんは唇を歪めた。


「……まだ、彼は狂気に陥ったままらしいな」


 深馬は、僕らを無視してべたりと窓に張り付いた。ぺたぺたと両手で叩き、体を擦り付ける。


「たね、たね、たね、たね、まだか、まだか、まだか、まだか、まだ、まだまだ、まだまだまだ」


 ――藤田さんのことだ。ヤツは、藤田さんを待っているのだ。


 完全に正気を失っている深馬に足が竦む。だが、このままでいるわけにもいかない。


「深馬さん」


 僕は、ヤツに向かって一歩踏み出した。剥かれた目がグルリと僕を捉えたが、構わず深馬に呼びかける。


「もう、呪文を唱えるのはやめませんか。……十分でしょう。これ以上やっても、貴方の精神が削れるだけだ」

「イヒッ、ひひひ、ひっ」

「……深馬さん、こちらに来てください」


 深馬の目は、そろそろと窓に近づく僕から離れない。まばたきすらしないその目は彼の異常を如実に表していて、視線を合わせているだけでも辛かった。


 けれど、怯んではならない。僕は、片手を差し出した。


「呪文を唱えるのをやめて、僕と来てください。そして、逃げましょう。もうこんな穴なんて放っといて。遠く離れていれば、きっとミートイーターの影響力も受けずにすみます」

「……」

「だから、こっちに……!」


 だが、僕が一歩踏み出したその時。

 突然深馬が奇声を発しながら、飛びかかってきたのである。まるで獣のように、口で僕の肉を噛みちぎらんとすべく。


「させるか!」


 しかし深馬の後ろに回っていた曽根崎さんが、ヤツの背中にスタンガンを食らわせた。バチバチという音と共に、焦げた臭いが漂う。

 深馬は確かに動きを止めていた。だけど、その口元は――。


「曽根崎さん、逃げて!」


 僕の声に曽根崎さんが飛び退く。――間一髪であった。さっきまで彼がいた場所に、深馬の上体がめり込んだのである。


 “めり込んだ”のだ。深馬は、コンクリートの床に埋めて血塗れになった頭を、ゆっくりと引き抜いた。


「……えへっ、へへへ、へ……」


 だらしなく緩んだ口元から垂れる液体に、赤いものが混じる。……痛みを感じていないのだろうか。もしくは、ミートイーターの意思が既に深馬の脳をのっとってしまっているのかもしれない。

 つーか普通コンクリートの床に頭埋めたら死ぬよね? どうなってんの? 


 僕は、深馬から距離を取る曽根崎さんに走り寄った。


「これ、思ったよりヤバそうですよ!」

「そのようだな」

「いっそ財団呼びます!?」

「お、その手があったか」


 嘘だろ、コイツ。今存在すら忘れてなかったか?

 曽根崎さんは襟元に取り付けたマイクで、ツクヨミ財団の特殊部隊に指示を出す。これで、一分後には深馬の包囲網ができあがるはずだが……。


「ア、ァ、ッギャァァァァァァア!!」


 突として起きた凄まじい絶叫が、窓の外から僕らの耳をつんざいた。


 ――これは、誰の声だ。


 認めたくない悪い予感に、僕と曽根崎さんは呑まれ硬直していた。


 一方の深馬は、見開かれた目を段々とねじ曲げていく。ダラダラと流れる血は、煩わしいだろうのに拭おうともしない。


 そして、ニヤァと笑うその口から、最も僕が恐れた言葉を発したのである。


「――たねがきた」


 深馬は、驚くべき勢いで窓に向かって突進した。

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