第28話 貴方と迷う
「――それ、って」
キッチンの裏にしゃがみこみ、僕と曽根崎さんは話をしている。
まるで、全てを血の色に染めていく夕焼けから隠れるかのように。
「曽根崎さんが、呪文を使ったことで、防げていた傷を、全部、一気にくらってしまう。そういう、意味、ですか」
「そうだよ」
「ヤバい、じゃないで、すか……! それに、阿蘇さん、だって……!」
「忠助は大丈夫だよ。アレは私の呪文を肩代わりしているだけだ。だから、彼が治した怪我を引き受けるのもこの私ということになる」
「死に、ますよ!」
「確かに死ぬかもしれない。が、死なないかもしれない」
曽根崎さんは、まっすぐに僕を見つめている。息を切らせる僕は、彼の本心を見抜こうとその目を覗き込んだ。
……多分。
多分だけど、この人は本気で言っている。
「以前半身を潰されたこともあるんだが、それでも生きてたしな。こう見えて私は結構しぶといよ」
「そこは、見たまんま、ですが」
「あ、そう。……まあとにかく、私はズルズルと奴との関係を引き延ばすのが嫌になったんだ。命の危険があるとしても、一か八かここらできっちり精算しておきたい」
「……」
いや、死ぬだろ。絶対に、間違いなく死ぬだろ。
半身潰されて背中から刺されて全身に拷問浴びせられたら、人は死ぬ。
「なんで……なん、で」
――だからなんで、この人は今更そんなことを言うんだ。これまでだって、状況は同じだったじゃないか。
「そこに、さしたる深い理由は無いんだがな」
また呼吸が荒れようとしていく僕の両肩を何でもないように叩き、曽根崎さんは不器用な笑顔を作ってみせた。
「……強いて言うなら、普通に生きてみたくなったんだ」
“普通に”。
僕は口の中で、歯痒さの体現でもある言葉を繰り返す。
「そう。怪異も、不気味な呪文も存在しない世界。……かつて確かに飽き飽きしていたはずのその場所に、今になって私は戻ってみたくなった」
「……別に、今じゃなくても」
「後回しにすればするほど、契約破棄は困難になる。事実、少しずつ“玩具の試練”も過酷になっているしな」
「……」
彼の気持ちは、うっすらと理解できた。
僕だって、夢想しないではなかったのだ。
僕はブツクサ言いながら、やっぱりご飯は食べ忘れる曽根崎さんの事務所を訪れる。変に暗い事務所の奥には、デスクに向かって柊ちゃんから依頼された原稿を執筆する彼の姿。そんな毎日の時々に、近くまで来たからと阿蘇さんや藤田さん、三条までもが遊びにやってくるのだ。
ただそれだけであったなら。
それだけの毎日であったなら、どんなに良かっただろう。
「……もう、心に決めてるんですね」
「まぁな」
軽い調子で肯定する曽根崎さんに、僕は胸が締めつけられる思いがした。
僕には、何も言うことができない。
――表に見えない彼のその壮絶な覚悟を、僕ごときに止められるはずないではないか。
「……曽根崎さん」
「ん?」
だから、僕は今まで通り彼のお手伝いさんでいるしかない。
少し後ろを歩き、声をかけられれば「はい」と返す。
最期の一秒まで、距離を置いたままで。
「……なんだ。なんで君、私の胸ぐらを掴んでるんだ。うわ体勢変えた」
僕では、貴方を引き止められない。
僕の我儘一つで、貴方の覚悟を変えさせるなんてできない。
「ちょ、これアレだよな? 景清君、待て、落ち着け」
――僕という人間は、これほどに無力なのだ。
「景清、ストッ――!!」
「……でぇっ、りゃああああああああ!!!!」
「わあああああああっ!?」
自分の体を回転させ、僕は掴んだ曽根崎さんの体を思いきり床に叩きつけた。
仰向けになって目を白黒させる曽根崎さんを前に、僕はがくりと膝をつく。
「……僕は無力だ……!」
「……えええええええええ!?!?」
行動と言動が完全分離した僕の嘆きに、曽根崎さんはパニックに陥っていた。
いやもう、僕にも何が何だか分からない。心で流したモノローグも台無しである。
何これ。なんで僕さっきこの人を背負い投げしたの?
「うう……曽根崎ぃ……!」
「なんだ!? 何が起こってるんだ!? どういうことだ!?」
「いつも余計なお喋りばっかして、肝心なことは何も言わないで……!」
「え、なんだなんだ!?」
「そんなに死に急ぐ曽根崎はもう死ねばいい……!」
「思ったよりぶっ壊れてる! すまない、話し合おう景清君!!」
何かを察した曽根崎さんに、泣きそうな僕は背中や頭や顔をワシャワシャと撫でられる。僕は犬か。いや犬でも怒るわ、この雑さ。
「よーしよしよしよし、いい子だいい子だ」
「噛みつくぞテメェ……!」
「お、だいぶ景清君が戻ってきた」
「クソ曽根崎……!」
「まだ足りないようだ。わーしゃわしゃわしゃ」
「足りるも足りねぇもねぇんだよ! アホか!」
強めに手を払い落とす。
だが、どうやら涙は引っ込んだようだ。
ふぅ、と息を大きく吐き、曽根崎さんを見据える。
「……」
……なんか、バカらしくなってきたな。
なんで僕、このオッサンに対して我慢しようとしてたんだろ。
「……とりあえず、今回は更新しときません?」
「なんだと?」
そう思ったら、あっさりと一番言いたい一言が出てきた。
「惰性で続ける保守契約か?」
「その例えはよく分かりませんが、それでいいですよ。死ぬほどの怪我するよりはずっといいです」
「君なぁー、分かってるのか? 君だって危険に巻き込まれるんだぞ?」
「知ったことじゃありませんよ。そこはもう、その都度頑張って解決しましょう」
「ええー……」
眉間に皺を寄せる曽根崎さんに、イヒヒと笑う。我ながら情緒がジェットコースターだ。この人もこんな僕に困っているだろう。
……僕は無力だ。それは間違いない。
曽根崎さんの隣に立って戦えるほどの力は無いし、不気味な謎を解き明かせる頭脳も無い。
正真正銘、ただの一大学生である。
何なら借金まみれという点で、他の大学生よりハンデを背負っているとさえ思う。
……でも、この人が生きたいと思って手を伸ばしたあの時、その先にいたのが僕だったのだとしたら。
「――全部、まるっと解決してみませんか」
よく見れば整っているような気がしないでもない顔に向けて、僕は無責任な案を提示する。
「探しましょうよ。曽根崎さんが、無傷でケロッと契約破棄できる方法」
「そんな都合のいいやり方があるものか」
「分かりませんよ? 誰も試したことがないだけかもしれません。僕としては、新規の手法を探さずに諦めて、従来のやり方に依存するなんてちゃんちゃらおかしいと思いますが」
「……君、若いなぁ」
「どうも。一応十は年下なもので」
――非力な僕に役目があるとしたら、この人の隣で一緒に道に迷ってやることではないだろうか。
そして、あっちでもない、こっちでもない、と共に道を選ぶのだ。
どんなに暗い道であろうとも、彼を一人にさせない。名を呼ばれ、名を呼びかけて。時々取るに足らない言葉を交わして、歩き続けるのである。
正しい道を知らなくても。まばゆい光で照らせなくても。
一緒にいるぐらいなら、平凡たる僕にもできるかもしれない。
――曽根崎さんはしばらく黙考した後、体育座りをしたままもじゃもじゃ頭をかいた。
「……まあ、それも一理あるか」
「でしょう。それじゃ契約続行ということで」
「ひとまずな。またネガティブな背負い投げされても困るし」
「そこは話し合おうとしないアンタが悪い」
話し終えたところで、立ち上がる。この人と話し込んでいたら、すっかり日が暮れてしまっていた。
「さて、どいてください。夕食の準備するんで」
「お、待ってました。百万やるから一分で作ってくれ」
「え、嘘、マジですか? ちょっと本気で考えるんで時間くれません?」
「本気で考えさせたら、味噌汁にありつけるまで半日はかかりそうだな……」
もう動くつもりの無さそうな曽根崎さんを避け避け、お手伝いさんの僕は夕食を作る。
たまにしょうもない会話をして、黙って開けていた口に唐揚げを放り込んだりしながら。
そうして、街は夜に落ちていく。
その間中、僕は心のどこかで、どうかこんな日が続いてくれればいいと願っていたのであった。
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