第21話 そこにいたのは
植え込みを抜ければ、神菅大学のすぐ裏手に出る。僕らは息を整えてから、深馬と約束していた場所に早足で向かった。
休日とはいえ、チラホラ学生とすれ違うのが気になった。深馬の危険性を思えばできるだけ人の少ない所で待ち合わせをしたかったが、あまり辺鄙な場所を指定して怪しまれてもいけない。自分達がしていることの無責任さを感じながらも、どうか何も起きるなと願うしかなかった。
「確か、A棟の第二講義室でしたね」
「ああ」
構内に入った僕らは、ドア上に取り付けられたプレートを眺めつつ歩いていく。
そして、やがて該当する部屋の前に着いた。
……いよいよだ。事前に打ち合わせした通り、二ヶ所ある出入り口の前にそれぞれが立って深馬の逃げ場を塞ぐ。
曽根崎さんと頷き合い、せーのでドアを開けた。
「お待たせしました、深馬さん。早速お話を……」
だが、その続きが彼の口から出てくることは永遠になかった。
「――やぁ、どうも」
部屋の中央に立つ姿に、曽根崎さんの目が驚愕に揺れる。
背の高い、黒いシルエット。室内だというのに、目が隠れるほどすっぽりと深く被ったつばの広い帽子。
――ヤツだ。
諸悪の根源である例の黒い男が、こんな唐突に僕らの前に現れたのだ。
「なんでお前がいるんだ! 深馬さんは……!」
言いかけて、僕は怒りに顔を歪める。
「……お前、アイツとグルだったのか!」
頭に血が上った僕は、男に向かって声を荒げていた。対する男は優雅に一礼すると、嘲るように笑う。
「グル、というのは少々言葉が悪い。私は少しでも彼が長く生きられるよう、最低限の手助けをしているに過ぎません。どんな人間でも、それこそ悪人でも生きる価値はある。そうではありませんか?」
「何をいけしゃあしゃあと……!」
「景清君、ヤツの言葉に耳を貸すな。ここは私が話す」
曽根崎さんが一歩前に出る。それを見た男は、大袈裟な手つきと共に頭を振った。
「ああ、なんと美しい友情だ。まるで見ているこちらが赤面するような、三流映画監督の演出の如く。……しかしその反応を見るに、景清君は今回私の存在を知らなかったのでしょうか。いやですねぇ、曽根崎君。年若い友人にちゃんと教えてあげないと」
「……」
「曽根崎さん、どういうことですか」
もじゃもじゃ頭を見る。彼は僕と目が合うと、片手を立ててあっさり「すまん」と言った。
「以前“玩具の試練”の説明をしただろ。あれですっかり伝えた気になっててな、ウッカリしてた」
「オラ見ろオッサンの他意のないウッカリだコラァ! 僕を動揺させようったってそうはいかないぞウラァ!」
「おやおや、それこそ私にそんな他意はありませんよ。……そんなことより、構わないのですか?」
男の真っ黒な指が、僕の背中を差す。
「貴方は、彼に会いに来たのでしょう?」
その一言に、つられて辺りに視線を巡らせた。廊下を走る足音に気づきそちらに体を向けると、ちょうど角を曲がって逃げていく見覚えのある後ろ姿が――。
深馬だ。
「この……逃がすかっ!」
「待て、景清君!」
曽根崎さんの声を背に、僕はヤツを追いかけていた。……罠かもしれない。危険かもしれない。だが、曽根崎さんと藤田さんの命がかかっているのだ。追いかけずにはいられなかった。
角を曲がる。長い廊下に深馬の姿は無い。
……あの速度で逃げていれば、ここで見失うことは無いはずだ。ということは、どこかの講義室に逃げ込んだのだろう。
そうアタリをつけた僕は、慎重に耳を澄ませて廊下を進み歩いていく。
――とある講義室の前で、誰かがこもった咳をした。
「ここだな深馬ァ!!」
宣言と共に、ガラリとドアを開く。講義室の隅で、サングラスをかけた男が「ヒッ」と悲鳴を上げた。
……何故サングラス?
いや、今はそんなことどうだっていい。僕はズカズカと部屋に入り込むと、少し距離を開けて彼の前に立った。
「もう逃げられませんよ、深馬さん! 観念して投降してください!」
「な、何なんだよ、お前は……! なんでオレのことを……!」
「よく分からない事件を追い、解決するのが僕らの仕事だからです! ……加えて、今僕の親戚がミートイーターに侵食されています。貴方には、その除去方法も吐いてもらわないといけない」
「藤田さんの?」
あれ、この人は藤田さんの事を知っているのか。深馬は僕をじろじろと見て、何とも感情の読み取りづらい顔をした。
「悪いな。俺だって死にたくないんだ」
「死にたくないって……!」
「それに、藤田さんはもう手遅れだ。君には悪いが諦めた方がいい」
「アンタがあれこれしなきゃいいんでしょうが! 今なら手荒なことはしませんから、早くミートイーターの除去方法を……!」
「無理だ。ミートイーターを安全に取り除く方法なんて無い。取り除けば最後、ミートイーターは脳周辺の細胞や肉を無理矢理引きちぎってしまう。……どうせ死ぬ体だ。だったら最後ぐらい、穴に落ちて俺の命の役に立つべきだろ」
「お前、なんてことを!」
カッとなった僕が深馬に掴みかかろうとするが、スルリとかわされ手は空を切った。
さっきとは一転した無表情を僕に向け、深馬は言う。
「……顔も良くて、研究成果も評価されて、学会界隈での人気も高い。あんな順風満帆な人生を送ってきたんだ、最後ぐらい俺がおこぼれを貰ったっていいだろ」
「勝手なことを言いやがって……! お前が藤田さんの何を知ってるってんだ!」
藤田さんの顔が浮かぶ。整った顔をヘラッと崩した、気の抜けた顔が。
それを胸に、僕はギッと深馬を睨みつけた。
「あの人相当ヤベェ人だぞ! 人類性的愛者だかなんだか知らないけど、セフレも彼女も彼氏も複数人いるし、その上最近肉親が全滅したからか甥への執着が酷くなって、あろうことか専用アルバムまで作り始めて!」
「それが何だよ」
「ほんとだ何だろ! ……でもそんな風にヘラヘラしてるけどな、あの人アレで根が真面目だから、裏ですげぇ努力してんだぞ! 研究室だって人気だって、全部あの人の自力だ! あれはあれで犠牲になっていい人間じゃないんだよ!」
「……そんなこと知らないよ」
本人がいないのをいい事に肩に力を入れて熱弁をふるう僕に、深馬はつまらなそうに吐き捨てる。
「全部オレには関係ない。……それに、お前が何と言おうともう遅いよ。俺は既に藤田さんを手に入れたんだ」
その一言に、ガンと頭を殴られたようなショックを受けた。目眩がしたが、耐えて深馬を睨みつける。
「嘘だ。藤田さんの事は阿蘇さんが守ってる」
「それって一緒にいた男のことか? そいつなら今頃どこかに監禁されてんじゃないかな。後で苗床にする予定だし」
「そんなはず……!」
「じゃあ試しに連絡を取ってみろよ。誰も出ないと思うけど」
深馬は余裕綽々でそんなことを言ってのける。
……藤田さんが、既にコイツの手の内に落ちている?
いや、ハッタリだ。実際に死ぬのはコイツの方なのだ。だって、実際に僕らは死体を見て――!
しかし、その切り札をどう有効に使えば深馬を追い詰められるかが分からない。迷っていると、彼はいよいよ満足げに笑った。
「さあ、あとは藤田さんを穴に突き落とすだけだ。タネを回収して、誰かに植えて、また穴に落とす。そのサイクルを繰り返していれば、俺は生き続けられるんだ。……お前なんかに邪魔はさせない」
「……アンタは、もう包囲されている。ここからは逃げられない」
「どうだろうな。俺には最終兵器があるんだ。見せてあげようか?」
僕が身構えるより先に、ゆっくりと深馬の唇が動く。
不気味な、とても言葉と表現するにはおぞましい音。その響きは、曽根崎さんの使う呪文によく似ていた。
――しまった。ヤツも、呪文を持って――!
耳を塞ごうとするが、手が動かない。どうしてだか、動かし方が分からないのだ。
「お、まえぇ……っ!」
――チクショウ、なんで僕は何も持ってないんだよ。
平凡たる一人間が呪文に抗う術などあるはずも無く、僕は自分の思考が壊れていくのをただ感じることしかできなかった。
曽根崎は、黒い男と対峙していた。
早く、景清を追わなければならない。だが、それが分かっていながら彼の目は男の腕から離れられなかった。
男の腕はまるで触手のように長く伸び、うねうねと曽根崎を取り巻いていたのである。
「……しばらく見ていましょうよ、曽根崎さん」
男は、曽根崎を嘲笑う。
「素晴らしいじゃないですか。貴方のご友人が、貴方を守るために奮闘しているのですよ。……心地良いでしょう? 盲目的に自分を慕う人間が、命を賭して自分を救おうとする姿を見るのは」
「彼の無鉄砲に妙な解釈を施すな。……早くそれをしまえ。よもやこのゲームに貴様の暴力を介入させるとは言わないな?」
「ええ。そんなことをすれば忽ちゲームバランスが崩れてしまう。ああ、なんと人は脆いことだ」
触手がしまわれ、ただの腕に戻る。それを確認した曽根崎は、景清を追おうと男に背を向けた。
だが、後ろから伸びてきた腕が体に回され動きを封じられる。二度も行動を引き止められた曽根崎は、射殺さんばかりの眼光で男を見た。
「……何の真似だ」
「曽根崎。……貴方、今回は契約を更新しないつもりですね?」
男の指摘に、曽根崎は何も答えなかった。だが、男はそれこそを確かな肯定として捉えたようである。
黒い指が、曽根崎の頬を撫でた。
「考え直しませんか? 貴方はとても頑丈で壊れにくい。これまで数多の人間を観測してきた私とはいえ、その類稀なる才を失うのは大変惜しく感じています」
「……」
「最近では、貴方の周りの状況も変わりました。ここからまた、どんどん面白くなりそうだったのに」
「いい加減邪魔だ」
曽根崎は裏拳を黒い男に食らわせようとした。が、その瞬間男は霧散し消えてしまう。
黒い霧に包まれた曽根崎は、鬱陶しそうに手で払った。
「――クソ野郎が」
口汚く言い捨て、景清の駆けて行った方を見やる。しかし、さぁ行かねばと足に力を込めたタイミングで今度は電話がかかってきた。
もう止まるものかと走り出しながら、一応画面に表示された電話の主をチラリと見る。
だがその名を目に入れた瞬間、曽根崎は先ほどの決意も忘れそこに立ち尽くしてしまった。
その電話の主は、音信不通となっていた彼の弟――阿蘇忠助だったのである。
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