第22話 襲撃者共

 曽根崎と景清が神菅大学に向かう二時間前。藤田は一人ぼんやりと惣菜パンをかじり、阿蘇との会話を思い返していた。


「ちょっとスーパーに行ってくる。だけど流石に目隠し男を連れて行く勇気はないから、お前は留守番だ」

「はーい」

「いいか、何があっても、誰が訪ねてきてもドアを開けるんじゃないぞ」

「セフレを呼ぶのは?」

「てめぇで考えろ」


 まあダメっすよね。


 そんなわけで、藤田は一人退屈を弄びながらアパートで留守番をしているのであった。

 何せ目隠しをしているのだ。できることといえば、音楽を聞くか、テレビの音を拾うか、音声読み上げソフトでインターネット上の小説を読むか、落語を聞くことぐらいである。結構あったわ、できること。

 だが、昨日あった事を思えば何もやる気が起きず、藤田は無断で頂戴したパンを時間をかけて咀嚼することに専念していた。


 ……阿蘇との“アレ”も、いつまで続けるんだろうな。


 はぁ、と息を吐き、自分の意志薄弱にげんなりする。そしてまた一口パンをかじった、その時である。


 玄関前に、人の気配を感じた。


「……?」


 阿蘇が帰ってきたのか? だが、それにしては錠の回る音がしない。代わりに、カチャカチャと金属をいじる小さな音が自分の耳に届いてくる。

 それから、靴底が地面を擦る音も。その数は二つ……いや、四つ? いずれにしても、複数人によるものだ。


 ――コイツら、何をしに来たんだ?


「……」


 音を立てないように、慎重に立ち上がる。恐らく、ここに侵入しようとしているヤツらは昨日レポートを盗みに来たヤツらと同一だろう。阿蘇がいないのを見計らって来たのなら、今日の狙いはオレということになる。


 ……マズイねぇ。

 男連れ込んだってバレたら、阿蘇に怒られちゃうぜ。


 藤田は、一切の躊躇も無く目隠しを取り去った。











 鍵が壊され、ドアが開く。靴すら脱がずドカドカと上がり込んできた複数の足音は、開きっぱなしのドアから覗くリビングに寝転がるシャツ姿の男を見つけるや否や、まっすぐにそこに向かってきた。

 しかし、先頭にいた一人が部屋に足を踏み入れた瞬間、横から飛んできた棒にこめかみを突かれ昏倒する。


「だ……誰だ!?」


 反撃されるとは夢にも思わなかったのだろう。倒れた男の後ろで、当惑の声が上がった。

 だがそれもすぐに途切れる。声を上げた男が腹部を押さえ、その場に崩れ落ちたのだ。


「お前……!」


 ここでようやく侵入者共は、リビングの入り口の傍で物干し竿を構える男の姿に気づいた。

 少しダボついた服を着た優男は、自分のシャツをかぶせたクッションを一瞥し、場違いなほど爽やかに微笑んでみせる。


「――いやぁ、古典的な罠に引っかかってくれたようで何より」


 直後、藤田は無駄の無い動きで物干し竿を前に突き出した。咄嗟に男共が避けたその隙をつき、彼は走り抜けようとする。

 しかしそう簡単にいくはずもない。物干し竿を取られ、藤田の体は後ろに重心を取られた。


「……ッ!」


 物干し竿から手を離す。狭い室内で藤田は受け身を取り、すぐに床を蹴って一人の男の足にかきついた。

 その男がバランスを崩した所で素早く立ち上がり、またドアに向かって逃げる。

 だが、意識を取り戻した一人が彼の背後に迫ってきていた。後ろから襟に手をかけられ、強引に床に押し倒される。


「よくもやってくれたな……!」


 男は物々しいスタンガンを取り出し、スイッチを入れた。バチバチと音を立てるそれに、流石の藤田も顔から血の気が引いていく。


「……そ、それはいくらなんでもキツいかな?」

「手こずらせやがって。死ぬまで気ィ失ってろ!」


 物騒な一言と共に、彼の白い肌にスタンガンが押し当てられようとする。

 

 ――しかしいざ凶器が体に触れるその直前、男は藤田の体の上から吹っ飛んだ。


「藤田、無事か!」

「阿蘇!」


 警棒でスタンガンごと男を殴り飛ばした阿蘇が、息を切らせて立っていた。片手で藤田を引き起こし、自分は前に出る。

 友を庇いながら、阿蘇は向かってくるガラの悪い男共を的確な警棒術でのしていく。その間に藤田は靴を履き、外へと逃げる準備を整えた。


「行けるか!?」

「おう!」


 藤田の応答に阿蘇は頷くと、ポケットから取り出した何かを男共に投げつける。大いに怯む男らを部屋に置き去りにし、二人は全速力で外へ飛び出した。その際ポケットから目隠しが落ちたが、拾う暇などあるはずもない。

 階段を駆け下りながら、藤田は阿蘇に尋ねた。


「……さっき何投げたワケ?」

「ん? 百均で買ったオモチャのパイナップルを緑に塗ったヤツ」

「あー、見ようによっては手榴弾」

「つーかなんでお前俺の服着てんの。後で絶対洗って返せよ」


 こうして足止めに成功した藤田は、阿蘇が真下に止めていた車に乗り込み、窮地から脱したのだった。










「で、ここからどうすんの」

「どうしようかね」


 藤田の問いに投げやりに返した阿蘇だったが、言葉とは裏腹にもう何をすべきか決めているようだった。何よりの証拠に、彼の持つハンドルは迷いなくある場所を目指している。


 平静を装い、藤田は阿蘇に尋ね直した。


「阿蘇。オレはね、人気ひとけが無くて音も漏れない場所に行って、お前が何をするつもりなんだって聞いてんだよ」

「……」

「これアレだろ。オレが昔いた宗教施設へのルートだろ」

「……」

「阿蘇」


 しつこく呼びかけられた阿蘇は、前を向いたまま黙って左手の親指で後部座席を指した。

 それに従い後ろを見た藤田は、驚きで小さく悲鳴を上げる。


 後部座席に横たわっていたのは、ガムテープで口周りと全身をぐるぐる巻きにされた一人の男だったのだ。


「誰コイツ!?」

「俺んちの下で見張ってたヤツ。何か知ってそうだったけど全然口を割らなかったから、とりあえず気絶させて捕まえてみた」

「捕まえてみた!?」


 カブトムシ見つけた虫取り少年かな!?

 いや全然そんなほのぼのとしたもんじゃねぇわ! ヤバ過ぎるだろお前!


 混乱する藤田は、男と阿蘇を交互に見て両手で頭を抱える。


「どうするんだよ、これ!」

「取り急ぎ、色々と白状させようかと考えてる」

「白状させるって……いやコイツら何者だよ!?」

「多分犯人が雇った連中だ。放置しておくとまた藤田を狙ってくる」


 阿蘇の顔色は変わらない。ハンドル捌きだって、いつもと同じ丁寧さである。


 ――逆に怖ぇよ。


 戦慄する彼に、阿蘇は落ち着いた声で続ける。


「だから潰しとこうかな、と思うんだ」

「潰す?」

「コイツに拠点を吐いてもらって、一人残らず殲滅する。……まぁ兄さんが上手く犯人を追い詰めてくれてりゃ万事解決なんだけど、何が起こるか分かんねぇし、頼りっぱなしってのもアレだしな」

「……つまり阿蘇は、後ろのヤツの口を割らせる為に例の施設に行くってのか?」


 確かにあの場所なら、相当手荒なことをしても外に漏れる心配はないだろう。

 見慣れた場所に出る。いよいよ近づく目的地に、藤田は声を曇らせた。


「……やめろよ。お前はそんなことしていい人間じゃない」

「手段選んでる時間はねぇだろ」

「マジで犯罪者になるつもりかよ」

「いいよ別に。この案件に協力するって決めた時から、俺は腹を括ってんだ」


 車が止まる。降りようとする阿蘇の腕を、藤田は強く掴んだ。

 その手を、阿蘇は迷惑そうに振り払う。


「何」

「――もう見ていられねぇ」

「何が」

「オレ、怖いんだ……! そんなことに手を染めたら、阿蘇はまた元に戻っちまうんじゃないかって!」


 緊迫に声を張り上げる藤田に、阿蘇は眉をひそめた。


「……え、元にって?」

「わかんねぇのか!? あの時のお前にだよ!」


 困惑する阿蘇の前で、藤田は端正な顔に熱を帯びさせ、いよいよ勢い込む。


「そう――縄で縛らせりゃ魚は産卵、鞭を持たせりゃ鳥すら喘ぐ」

「何」

「蝋燭垂らせばそれ我先にと豚化した人間が滑り込み」

「何何」

「サド侯爵も『お前にゃ敵わん』と泣いて尻を差し出した――。かの伝説のサディスト調教師・『マスター阿蘇』だった頃にな!!」

「何!?!?!?」


 ――あまりの衝撃に。


 それはもう、あんまりな衝撃に。


 阿蘇は全ての感情を放棄し、唖然とした。


「阿蘇……いや、マスター阿蘇……」


 しかし藤田は、容赦なく続ける。


「外からも内からも人体をグズグズに蕩けさせる貴方の御業は、今もなお衰えていないことと存じます。ですが、その手をこちらの年若き青年に振り下ろされるのはどうかご勘弁くださいませ。故郷の村にさえ排斥されたマスター阿蘇の手練手管は、人の人生をいとも容易く狂わせる――。友の名を被せた貴方様の下僕であるこの直和、未来ある若者が性欲と支配の虜となることを見逃し難く思います!」

「……」


 ――もしここにいたのが景清であれば、藤田の堂々たる嘘に、惑い、怒り、しばき倒していただろう。だが、残念ながらいるのは察しの良すぎる男・阿蘇である。

 全てを悟った彼は、みっちり数秒間絶望に堕ちたあと、潔く切り替えた。


「……直和、今日のお前はご主人様に向かってえらく吠えるんだな?」

「申し訳ありません!」

「喘ぐ他にご主人様にたてつくことを覚えた耳障りな喉なら、もう無い方がいいんじゃねぇか。キリで喉に穴ァ開けて、そこから栄養摂れるように変えてやってもいいんだぞ?」

「勿論、それがご主人様のお望みとあれば……!」


 ――ああ。


 ――俺、なんでこんなヤツの為に頑張ってんだろうなぁ……。


 だが、腹を括ったと言ってしまったのは阿蘇である。彼はうんざりしたため息をつくと、藤田の本当の狙いを達成すべく後部座席に向かって身を乗り出した。


「――さてお兄さん。本当は君起きてんだろ?」

「……!」

「盗み聞きなんて人が悪いぜ」

「……ひ」


 阿蘇はベリベリとガムテープを剥がすと、男の口の中に押し込んでいたハンカチを取った。

 怯えて悲鳴すらあげられない男に阿蘇は顔を近づけ、顎を人差し指で持ち上げる。そして、妖艶に微笑んだ。


「……下僕の命を守る為という名目はあるが、いくら痛めつけてもいい豚は久しぶりだな。ほら、せっかく建前上拠点を吐いてもらう為に最後まで声帯は残しとくんだ。情報なんて後回しでいいから、できるだけ長く啼いてくれよ……?」

「すいませんすいませんすぐ言いますのでどうか解放してくださいマスター阿蘇様!!」

「……」


 ほら落ちましたよ藤田さん。これでいいスかね。


 涙目で懇願する男を置いて、阿蘇は藤田を振り返る。彼は、男に見えない所でグッと親指を立てていた。


 ――アイツだけは、後で本当にシめよう。


 そう決断し、阿蘇はサディストの面を崩さないよう気をつけながら、男の言葉に耳を傾けたのであった。

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