第14話 死体という確定
「景清君、こっちだ!」
警察病院の入り口の前で、スーツを着たもじゃもじゃ頭が手を振っている。彼のそばには、一台のパトカーが止まっていた。
「やー、カラオケ振りだねぇ」
そう言って運転席からたくましい腕を出したのは、四十歳前後の日に焼けた警察官である。名は、確か丹波と言ったか。
「なんせ人命がかかってるんだ。超特急で君らを運んであげるから、早く乗りなさい」
僕は頷き、曽根崎さんに続いてパトカーに入った。後部座席に長身を押し込みながら、彼は僕に片手を差し出す。
「資料」
「はい」
その手に自分のスマートフォンを乗せる。曽根崎さんは画面を見て被害者の顔を確認するなり、濃いクマを引いた目を見開いた。
「……なんてことだ……いや、そうか。クソッ、私としたことが!」
「どうしました」
「丹波部長、今から私が指示する場所に車を出してください! 景清君、君は柊に電話を!」
「は、はい!」
曽根崎さんのスマートフォンを渡され、僕は急いで柊ちゃんに電話をかける。しばらくコール音が鳴った後、溌剌としたハスキーボイスが返ってきた。
『ハァイ、シンジ! どしたの、追加情報でもくれるのかしら?』
それに答えようとした僕だが、横から曽根崎さんにスマートフォンを掠め取られた。殆ど怒鳴るように、彼は柊ちゃんに指示を出す。
「柊! 緊急事態だ! 今すぐ火町さんに連絡を取れ!」
『え、な、何よ急に……。わ、分かったわ! ちょっと待ってて!』
容赦ない丹波部長のパトカー捌きに体を揺さぶられる中、一分ほど沈黙が続いた。そして、柊ちゃんの声が返ってくる。
『ダメね、出ないわ。念の為、会社とボクのスマートフォンからかけてみたけどどっちも応答無し。何かあったの?』
「後で説明する。すぐに火町の情報をまとめて忠助に送ってくれ」
『了解』
電話が切れる。同時にカーブに差し掛かり、曽根崎さんの体が僕に倒れかかってきた。
「火町さんって……曽根崎さんは、この人を知ってるんですか!?」
重たい体を押し返して、僕は尋ねる。重力に逆らおうとしない曽根崎さんは、難しい顔をしつつも答えてくれた。
「……昨日、柊ちゃんを通して紹介された人でな。死んだ和井教授の愛人で、彼女も“穴”が見える人間の一人だった」
「そ、それってもしかして、穴が見える人は全員植物に寄生されてるってことに……!?」
「いや、忠助は寄生されていないのに穴を視認できた。よってミートイーターに侵食されることは必要条件では無い。……もっとも、十分条件ではあるかもしれないが」
彼の言葉に、こんな時だというのに一安心してしまう。そういう訳であれば、僕や曽根崎さんが寄生されている可能性は低いだろう。
しかし、ならばいつ彼女はミートイーターに寄生されたというのだ。愛人であれば、和井教授と二人きりで会う機会もあっただろうが……。
「とにかく、我々は今から穴に向かう。死体が三日前に戻されたのなら、彼女はそこに行くはずだ。間に合えばいいが……」
曽根崎さんはまたこちらに倒れながら、前方を睨み付けて言った。抵抗を諦めた僕は、できるだけ隅っこの方に体を寄せ、頷く。
「――確か、この角を曲がった所だったね?」
ハンドルを大きく切った丹波部長が、後部座席の曽根崎さんに問いかける。横になって僕のスマートフォンで資料を眺めていた彼は、「ええ」と外を見もせずに返した。
それに、丹波部長はフンと自虐的に笑う。
「幸か不幸か、俺にその穴は見えないねぇ。不審な人影も見当たらないし、これ以上俺にできることは無さそうだ。ちょうど赤信号に変わるから、そこで君ら二人は降りちゃいな」
「分かりました、ありがとうございます」
体を起こし、曽根崎さんはスマートフォンを僕に渡す。そして歩道側のドアから二人で飛び出した。
……丹波部長は、何も見えないと言っていた。もしも僕が事前情報一つ無くその言葉を聞いていたなら、そんなバカなと笑っていただろう。
「……近くで見たのは初めてです」
僕らの眼前には、ごまかしようもないほど巨大な穴がぽっかりと広がっていた。
「あまり寄るなよ。老けるぞ」
緊張で汗ばむ手を握りしめる僕に、一歩下がった所から曽根崎さんが忠告してきた。……できるならもう少し早く言って欲しかったものだが。
僕は曽根崎さんよりも後ろに下がってから、ぐるりと穴の周りを見回す。
広い。でかい。しかしどこを探しても人影は無い。
皆が皆、ある一定の所まで来たら穴を避けてしまうからだ。
「……まだ、彼女はここに来ていないのでしょうか」
「だといいが……」
曽根崎さんはまたいつの間にか僕のスマートフォンを奪っており、それを見て何か考えていた。そんな彼にツッコミを入れるのももどかしく、僕は引き続き辺りに目を走らせる。
その時だった。ちょうど向かいにあたる場所で、一つの影が人波から弾き出されるのを僕の目が捉えたのだ。
「……曽根崎さん、アレ!」
曽根崎さんの反応を待たず、僕は穴に沿って走り出していた。その影はよろけつつ、しかし迷いなく穴へと向かっている。
……穴の直径は五十メートルぐらいだ。ならば僕はあとどれぐらい走らなきゃいけない? ……いや、そんな事を考える暇は無い。助けられるかもしれないんだ。僕が、間に合いさえすれば――!
膝をついて穴を覗き込む女性に届くまで、あともう十メートルという所まで来た頃だろうか。突然、僕はぐいと後ろに体を引っぱられた。
曽根崎さんである。
振りほどく隙など一切与えず、彼は自分の身に僕を引き寄せると、力尽くで地面に押し倒した。
「アンタ、何をっ……!」
「彼女を見るな。……もう間に合わない」
頭を押さえられているので、曽根崎さんを見上げることしかできない。彼の顔は、恐怖で口角が上がってしまっていた。
――嘘だ。
僕は直感した。
この人は、嘘をついている。彼女は、あともう少しで引き止められる位置にいたではないか。
「曽根崎さん! 手を離してください!」
「ダメだ……」
「なぜ!?」
「今、植物が目を突き破った」
ヒュッ、と僕の喉が鳴った。
――いや、まだだ。まだせめて体だけでも、この世界に留めておけるかもしれない。
曽根崎さんから離れようと僕は足掻いたが、彼はそれを阻もうと殊更強く押さえつけてくる。
「……聞け、景清君。和井教授の死体検分をして分かったんだが、ミートイーターは一体化した脳や神経からその細胞を引きちぎり、開花する」
「それがどうしたっていうんです……!」
「花が咲けば、もう宿主は助からない。……ならば、歴史に逆らってまで彼女を助ける必要はあるのか?」
曽根崎さんの淡々とした言葉に、僕は驚きのあまりもがくのをやめた。彼は、彼女の死を目に焼き付けようとしているのか、真っ白な顔でじっと穴の方向を見ている。
「……開花を邪魔されそうになった和井教授は、忠助に暴力を振るった。彼女を止めようとした際にも同現象が起こり、弾みで君まで穴に落ちてしまったらどうする。……彼女の死は歴史が証明しているが、君の死は確定していない。巻き込まれた君が穴に落ちた瞬間、どこかで君の死体が発見されるかもしれない」
「歴史歴史って……アンタこれからそれを覆そうとしてるんじゃないんですか!」
「うるさい! いずれにしてももう遅いんだよ!」
曽根崎さんの手が僕の頭から離れる。彼はその手で自分の顔を覆い、うずくまった。
僕はそんな彼に構う余裕も無く、急いで起き上がって彼女の姿を探す。
しかし、既にどこにも彼女の姿は無かった。
「……あああ」
全身の力が抜けて、へたり込む。
――助けられなかった。
僕は、彼女の体をこの世界に引き止めることができなかったのだ。
――分かっていた。頭のどこかで、彼女を止めることができれば曽根崎さんも同様に救えるかもしれないと思っていたのだ。
しかしそれが潰えた今、僕の中で彼の死は一層濃厚な存在となってしまっていた。
「……嫌だ。嫌ですよ、僕は」
泣き言が僕の口から漏れる。人が死ぬのを目の当たりにし、自らの死も目前にした曽根崎さんが横にいるというのに、僕という人間は自分の迎える絶望に立ち上がることすらできないでいた。
だが、歴史とやらは残酷なまでに忠実に記録を刻んでいくらしい。呆けた僕らを急かすように、曽根崎さんのスマートフォンが着信を知らせた。
「……はい」
ノロノロとした動きで、曽根崎さんは応答する。しばし気の無いやりとりがあった後、彼は電話を切り、背を向けたままで僕に言った。
「……警察病院に戻るぞ、景清君。また一つ死体が上がった」
「……またですか」
「ああ。……今度の死体も、変わり種だよ」
一体何なんだろうか。うまく働かない頭でぼんやり考えている間に、彼は答えを教えてくれた。
「――発見地は、隣の区だ」
……近い。
「そして今回、骨は無事だったが……二つ妙な点があった」
「というと」
「……全裸にされ、体中を隙間がないほどめった刺しにされていたそうだ」
ようやく曽根崎さんは振り返った。逆光で顔に影が落ちる中、彼は微笑んだように見えた。
「行こう、景清君」
今の僕では、それが彼のどんな感情を示すのかすら、読み取ることができなかった。
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