第13話 悲鳴にも似た

「――なぁ、もう寝たら?」


 片隅だけ明るい部屋の中。

 ベッドに寝転がる藤田は、ノートパソコンに向かう阿蘇に声をかけた。


 帰ってきてからかれこれ数時間、ずっと彼はこうしているのだ。事態が事態なだけに強くは言えないが、それでも藤田は調査を切り上げない彼の身を案じていた。


「少しは休めよ。添い寝が必要ならしてやるから」

「いらん。さっきまた財団から資料が送られてきてな、それも今晩のうちに見ときたいんだ」

「今晩っつったってもう二時だぜ? 草木も眠る丑三つ時だよ。なぁー、ねーよーうーぜー」

「だから先に寝ろっつったろ。俺はいいから」

「オレ人肌が無いと寝られないんだよ」


 藤田がそう言うと、阿蘇は「嘘つけ」とキーボードを叩く手を止めた。もっとも、目が見えないので音だけでの判断になるのだが。


「……仮説は二つとも外れたろ。目が覚めてもお前は生きてるし、俺に植物は生えてこない。だから安心して寝とけ」


 いつもより柔らかな友人の声色に、藤田は複雑な思いで頬杖をついた。

 ――こういうヤツなのである。

 自身の兄の死体を直視したばかりなのに、まだ他人なんぞを気にかけている。普通の人であれば、どこかの段階で喚き散らし、とっくに逃げ出していてもおかしくないのに。


 ダメージを受けていないわけがない。不安になっていないわけがない。

 ただ、他の人とは比べものにならないほどに、彼は“耐える人間”だった。


 強いヤツである。肉体的にも精神的にも。


 ――だがそれだからこそ、阿蘇が曽根崎や景清とはまた違う危うさを孕んでいると、藤田は知っていた。


「あのさ」


 藤田はため息をつくと、体を起こしベッドから足を下ろす。


「ンだよ」

「何かオレにできることない?」

「は?」


 阿蘇はこちらを振り返ったんだろうな、と思った。まあ見えないから確認しようもないが。

 彼は少し黙っていたが、やがてぼそりと答えてくれた。


「……特にねぇけど」

「あるだろ。無くても捻り出して言えって。オレ察しいい方じゃねぇけど、今だいぶ無理してんだなってことぐらい分かるよ」

「……別に無理なんて」

「してんじゃん。バリバリじゃん。お前自分で思ってるほど隠せてないからな?」

「……」


 黙ってしまった。いやほんと、ミートイーター生やしてる今のオレが言えた義理ではないような気はするけど。


 そんでも、誰かツッコまねぇとお前ずっと頑張るじゃんよ。


 藤田は自らの片足を抱え、更に訴えた。


「……現実逃避でも、安心材料でも構わない。子守唄歌ってくれ、とかでもいいんだ。とにかくなんでもいいから、オレはお前の荷が欲しいんだよ」

「……藤田」


 自分の言葉に、阿蘇が立ち上がる気配がする。彼はそのまま自分の隣にくると、ストンと座った。


「じゃ、こっち向け」


 目隠しに手をかけられ、解かれる。パソコンの明かりに目がチカチカする中で見た阿蘇の顔は、やはり酷く疲れていた。


「一つだけ、お願いがあるんだ」


 なんだろ。オレがあまりにもカッコ良かったからキスしたくなったとかかな。


 だが勿論そんなはずは無く、鋭すぎる目つきの男はまっすぐな眼差しで、あるものを手に取ったのである。










「という成り行きがあって、目隠しがグレードアップしました」

「さいですか」


 僕の目の前には、何の光も通しそうにない目隠しをした藤田さん。

 僕と阿蘇さんと藤田さんの三人は、脳のレントゲンを撮るために警察病院を訪れていた。

 別に僕が行く必要は無いんじゃないかと思ったが、「念の為輪切りにしてもらえ」と曽根崎さんに言われ、ここにいるのである。


 なんでもいいけど、CTを輪切りって言うな。


「でも、いよいよ派手になりましたね。見た目はいっそ、ビジュアル系バンドに近くなったような……」

「え、マジ? 今ナンパしたら景清ノッてくれる?」

「それはノリませんが……」


 阿蘇さんは一足先にレントゲンを終え、ノートパソコンと睨めっこしている。昨晩から調べてくれているのだが、コレという死体は見つからなかったらしい。

 今は、ひたすら各地警察と財団の情報更新を待っているという。


 そして曽根崎さんは、知人の医師と教授の死体を確認しに行ったので、この場にはいなかった。


「じゃ、オレも輪切ってもらってくるよー」


 藤田さんはニコリと笑うと、片手をヒラヒラさせ部屋に入っていった。

 ……この三人の中では、一番えげつない事になっている人である。なぜあれほどいつも通りでいられるのか、僕にはさっぱり分からなかった。


 大らかな叔父に思いを馳せてボーッとしていた僕は、いきなり阿蘇さんに話しかけられ飛び上がった。


「昨日、兄さん家に泊まったんだって?」


 慌てて「はい」と返事をする。

 彼は何か考えるように目を薄めると、そのまま僕を一瞥した。


「世話をかけるな」

「いえ、それを言うなら藤田さんもですし」

「アイツはいいんだよ。……なぁ景清君。君は昨夜、兄さんとどんな話をしたんだ?」


 またノートパソコンに目を落とした阿蘇さんから、感情の無い問いを向けられる。

 ……なんとなく、余裕の無い雰囲気だ。彼らしくない素振りに僕はまごついたが、それを態度に出さぬようハッキリと返す。


「……生きてくださいと言いました。僕に、曽根崎さんを救わせてくれと」

「そうか」

「はい。そうしたら、ほっぺつねられて本物かどうか確かめられましたが」

「うちのアホがすまない」

「いえ」


 ボディーブローで帳消しである。気にしていない。


 しかし、僕の予想とは違い阿蘇さんは大きくうなだれた。どうしたのだろうと覗き込む僕に、彼は低い声で言う。


「景清君」

「はい」

「少し、言わせてもらえないか」

「? ええ」

「……救わせてくれだなんて言うのは、もうやめた方がいいと思う」


 一瞬、彼の言っている意味が分からなかった。だがそれを問う前に、阿蘇さんは言葉を続ける。


「君はな、多分自分で思ってる以上にうちの兄に固執してるぜ。それこそ、アレを助けないと自分に価値が無くなってしまうと思うぐらいには」

「それは……」

「違わねぇだろ?」


 彼の指摘に、ドキリとした。

 つい先日、黒い男に言われたことを思い出したのである。


 ――『貴方は彼の為に隣にいるのではない。貴方は、自らの所属欲を満たす為だけに曽根崎を利用しているのですよ』


 男の嘲笑う声が、僕の脳内で反響していた。


 答えを出せない僕に、阿蘇さんは決まり悪そうにガリガリと首の後ろをかく。


「……今のままだと、兄さんが死んだら君もいなくなりそうで怖ぇんだよ」

「……」

「いいか? たとえ兄さんを救えなかったとしても、それは君の価値と何ら関係性は無い。それぞれ独立した話なんだ。――ここまでは分かるな?」

「……はい」


 飲み込めなかったが、なんとか頷く。阿蘇さんはそんな僕の様子を見ながら、慎重に続けた。


「……だったら、もう兄さんの命に自分の命まで乗せようとすんじゃねぇ。兄さんを救うことで自分が救われようともするな。……君も兄さんも、そんなに弱い人間じゃねぇってことを、忘れないで欲しい」

「……」

「ンなことしなくても、君には十分生きる価値があるんだよ」


 寸分の狂いも無く核心をついた阿蘇さんの優しい言葉に、僕は愕然とする。両手で顔を覆い、指の隙間から細いため息をついた。


 ――ああ、やはり自分は、そんな脆い状態になっているのか。


 だが、それでも何か言わなければならない。僕は、声を絞り出した。


「……はい、分かりました」

「おう」

「すいません。僕すごくみっともないことになってますね」

「みっともなくはねぇよ。君が経験してきた事、兄さんとの関わりを考えりゃ、そうならない方がおかしいぐらいだ」

「……そうでしょうか」

「ああ。……だけど、もう自分の価値を勝手に誰かに委ねるようなことだけはするなよ」


 苦しそうな声だった。

 ふと違和感を抱き、顔を上げる。視界の中の阿蘇さんは、自分の左腕を握り潰しそうなほど強く押さえていた。

 痛みに耐えるかのように引き結ばれた唇から、ともすれば聞こえないほどの言葉が漏れる。


「――それは、殆ど心中みたいなもんだ」


 その吐露は、まるで自分自身への弾劾だった。


「……阿蘇さん?」


 思わず、僕は阿蘇さんに声をかける。阿蘇さんの中にある頑丈な柱が、わずかに揺れた気がしたのだ。


「ねぇ阿蘇さん、何か……」


 しかし、僕の問いかけは明るい通知音に遮られる。不明死体データベースの更新を知らせる合図だ。


「……きた」


 パソコンの画面を見た阿蘇さんの目に光が戻り、いつもの鋭さになる。

 彼は即座にスマートフォンを取り出すと、曽根崎さんに電話をかけ始めた。

 ワンコールもたたずに出た曽根崎さんに、阿蘇さんは早口で告げる。


「兄さん、死体の情報が出た。即刻動いてくれ」

『分かった、詳細を教えろ』

「死体は女性、発見地は大阪の山中。全身の骨を抜かれて、目からは見たこともないような植物を生やしている」


 その言葉に、僕は驚いて阿蘇さんを見た。目から生えた植物――ミートイーターが離脱していない例は初めてだったからだ。

 だが、まだ情報は終わりではない。阿蘇さんは青ざめた顔で、曽根崎さんに言った。


「……彼女の死後経過日数は、三日。つまり、彼女の死亡予定日は――」


 今日だ。


『……ならば、まだ助けられるかもしれない』


 曽根崎さんの応答に、阿蘇さんは「ん」と頷いた。


「景清君にデータ持たせて病院前に行かせる。至急手を打ってくれ。いいな?」

『分かった。景清君、聞こえたな?』

「はい、すぐに向かいます」


 データ持ち出し不可のノートパソコンの画面を写真に撮り、最低限の情報を得た僕は冷たい廊下を走る。


 ――阿蘇さんの零した言葉の意味を、とうとう聞くことができないままに。

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