第8話 女装

 これ、言わなきゃダメだよな。僕はポケットの中の水晶を握りしめ、先ほど見たものを曽根崎さんに報告すべく立ち上がろうとした。


 が、間の悪いことにそのタイミングで柊ちゃんが帰ってくる。


「景清ーっ! ボクのスペシャルコーディネートを持ってきたわよーっ!」


 そう言う柊ちゃんの右手には、黒のミディアムウィッグとワンピースがはためいていた。


 いらねぇー。


 でも拒否もできねぇー。


 有無を言わさず一式を押し付けられた僕は、曽根崎さんへの報告を後回しにせざるを得なくなった。


「景清、アンタコレ一人で着られる?」

「着たことが無いんでなんとも。良かったら付いてきてもらえませんか」

「ヤァよ。シンジにでも頼みなさい」

「柊ちゃんの方が慣れてるじゃないですか。服もそうだし、それに……」


 男の着替え見ても大丈夫だろうし、と言いかけた僕の口は、いきなり飛んできた柊ちゃんの手に塞がれた。何か弁解する前に、彼女の美麗過ぎる顔がずいと近づく。


「……ボクは、 “ 女の子 ” だから。 “ 男 ” であるアンタの着替えは手伝えないわ」


 “ 女の子 ” という部分を強調する柊ちゃんにただならぬものを感じた僕は、何度も頷いて目で許しを請い願った。その甲斐あってすぐに解放されるや否や、僕は着替えを引っ掴み無言でキッチン裏へと逃走したのである。










「はい、こんにちは。竹田景子です」


 ここまで来たならもうヤケである。開き直った僕は、内巻きにした黒髪とワンピースの裾を揺らし、曽根崎さんらの前に参上した。


「……」


 何か言えや曽根崎!!


「まあ、可愛いですね! 景清君!」

「いえ、まだダメよ。まだオスが抜けてない」

「何スかその恐ろしい慣用句」

「ちょっとシンジ! 何アンタ見にくいもの見る時の目ェしてんのよ! 早く褒めてあげなさい!」

「や、だっていつもの景清君がスカートはいてるようにしか見えな……」

「あの子結構目鼻立ちハッキリしてるから化粧ノリしないのよ! でも顔立ちは完全男だからすんごく難しかったわ! 女装向いてない!」

「何故だろう、断言されると少し傷つく」

「なんかすまん」

「だけど大丈夫、顔がいいから! あとは心を女の子にして仕草を変えればイケるわ! 顔がいいから!」


 褒められているのか貶されているのかサッパリである。

 つまりはもっと女になれということらしい。


 ……どうしろと。


 半眼になる僕に、曽根崎さんは顎に手を当てて言う。


「……景清君は、下手に演技をしようとすると大根役者になるからな。ボロを出すよりは、ずっと黙っている方がいいだろう」

「それ、問題は無いんですか」

「私がフォローするよ。君は周りの環境に目を光らせ、ヤバいことになったら即私をつれて逃げてくれ」

「はあ」

「じゃ、代わりに君が極めるべき女性仕草について指南してやろう。まず足は閉じろ。そして常に指先を意識してだな……」

「アンタ何故詳しい」


 ツッコみながらも、とりあえず指示通りちょこんとソファーに座る。さあここからどう女性として過ごすべきかと考えていると、向かいにいる光坂さんが出し抜けにパンと手を叩いた。


「でも、本当にお似合いの二人ですよね! 奈谷さんも美人な方ですが、きっとお二人の運命が勝つと思いますよ!」


 げ、なんだなんだ。


 突然のデスティニー発言に驚き光坂さんを見ると、彼女は真面目な顔で人差し指を目に当てていた。


 ―― “ 見られている ” 。


 それは、事前に決めておいた、光坂さんが視線を感じた時の合図だった。


 皆が緊張する中、いち早く状況を飲んだ曽根崎さんが悠々と言う。


「……な? 君もそう思うだろ。ポッと出の女性に裂かれるようなもんじゃないんだよ、私達の仲は」

「その割に全然その人から離れてなかったんでしょ? 怪しいわねー。景子もそう思わない?」


 話題を振られたが、喋るなと言われているので黙って首を横に降る。

 それを見た曽根崎さんは、大袈裟なため息をついた。


「もう勘弁してくれないか、景子君。私には君しかいないんだ」

「ねぇ景子、いつまでこんな女ったらしの不審者面に構ってるつもり? アンタ可愛くて真面目なんだから、他にもっといい男が見つかるわよ!」

「柊ちゃんは余計な口を挟まなくていい。景子君、今から二人きりで話せないか」

「マーッ、うちの景子に何をなさるおつもりかしら!? 景子、こんなのほっといてドーナツパーティしましょ!」

「待て。私の景子君に勝手な真似をするな」

「フフン、普段はぞんざいに扱っておきながら、離れていきそうになったら焦るのね。ダメな男の典型よ。せいぜい失ってから後悔するのね!」

「景子ー!」


 ノリノリだなお前ら!!


 女装した僕を中心とした昼ドラ的展開は、光坂さんの「もう視線は感じなくなりましたよ」の一言が出るまで続いた。

 こんなエセ修羅場劇場を見せられるとあっては、ストーカー稼業も楽ではないのだと痛感する。


「……前回、君がここに来た時には、例の視線は感じなかったんだよな?」


 終了宣言が出た途端に、普段の無表情になった曽根崎さんである。光坂さんは、小さく頷いた。


「はい。今までは家か仕事場かのどちらかでしたから」

「妙な話だな。頭の片隅に留めておくとしよう」


 その言葉に、あ、と僕は思った。例の水晶のことを言わなければならない。

 彼の名を呼び、話を切り出そうとしたその時だった。


 事務所のドアが開く。入ってきたのは、警察服のお兄さんだ。


「どーも。兄さん、いるか? 急ぎの話が……」


 顔を上げた彼の動きがはたと止まる。その目には、女装した僕が映っていた。

 僕は脂汗を流しながら、完全に硬直する。


 ――見られた。

 阿蘇さんに、見られた。

 どう弁解しよう。曽根崎さんの命令で無理矢理女装させられたとか? ダメだ取りようによっては最悪の誤解が爆誕する。曽根崎さんの血を見ることになる。


 パニックになる僕を見つめる阿蘇さんは、眉をひそめ、小さく首を傾げた。


「……えーと、どちら様ですか?」

「あ……え?」

「すいません、曽根崎のお客様ですか。私は彼の弟で、警察官の阿蘇と申します。このたびは巡回がてらここを訪ねまして……」

「あ、阿蘇さん! 僕です、僕!」


 丁寧に自己紹介をしてくれる阿蘇さんに、急いで正体をバラす。声で初めて僕を認識してくれた阿蘇さんは、その鋭い目を見開いた。


「か、景清君? なんでそんな格好を?」

「えーと、まあ、色々な事情がありまして……」

「ビックリした。誰かと思ったよ」


 そう言って、彼は照れ臭そうに笑う。


「……普通に女の子かと思った。景清君はかわいいんだな」

「ブギャッ!!」

「景清君!?」


 なんかどエライ破壊力の言霊を食らった僕は、その場に崩れ落ちた。

 阿蘇さんが心配して駆け寄ってきてくれたが、顔をまともに見ることができない。


「なんで死んだ!? 大丈夫か!?」

「これが……天然ジゴロ……!」

「天然ジゴロ!?」

「やっちゃったわね、タダスケ……。まあアンタはそういう男だわ」

「何の話だよ!!?」


 うろたえる警察官に、顔を覆う女装した男。そして流れを楽しむ絶世の美女に、のほほんと静観する占い師。


 いよいよ新喜劇じみてきたこのカオスな空間を収めたのは、曽根崎さんだった。


「忠助、説明してやるから彼女から離れろ。景子君も寝転んでないで茶の準備を頼む」

「すまん、兄さん……」

「うぇ、は、はい……」


 曽根崎さんに背中を叩かれたので、起き上がってワンピースの汚れを払う。そして彼が阿蘇さんと事務机の方へ行くのを見送ってから、キッチンの裏へと引っ込んだ。


 ……まさか、かわいいと言われて嬉しいと思う日が来るとは思わなかった。

 阿蘇さんの天然タラシぶりに戦慄する僕は、彼にココアを入れるため、ヤカンに水を張ったのである。

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