第5話 誤解です

「……つまり景清君ご本人は、『人に仇なす悪妖怪に、見せる下着も情も無し!』とは言わないんですね」

「言うわけないでしょう。何書いてんだあのオッサン」


 あれから三十分は経っただろうか。ようやく僕は、長きに渡る光坂さんの質問地獄から解放されようとしていた。

 全く疲れた様子の無い光坂さんは、上気した頬のまま「ほぅ……」とため息をつく。


「まさか、あの『ミニスカ妖怪退治シリーズ』のモデルの方と話せるなんて夢にも思いませんでした。嬉しくもあり、かたや羨ましくもあり……本当にありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして」


 お礼を言う彼女に、半笑いで片手を振って返す。


 ……ただし、二度とやりたくないけどな……!


 遠い目をしながら、光坂さんの前では今後一切この話題に触れないでおこうと固く心に誓った僕であった。


「でも、すいません。かなりお時間を頂いてしまいましたね。曽根崎さんをお待たせしていないといいんですが」


 済まなそうに言って立ち上がる光坂さんに続き、僕も腰を上げる。


 どうだろな。あの人のことだから、先に帰っているかもしれない。


「とりあえず、待合室まで戻ってみます」

「本当にごめんなさいね。無名先生のこととなると夢中になってしまって……」

「だからそれあんまり言わない方がいいですって。光坂さんのイメージが一気に真逆に吹っ飛びますよ」

「でもそれが私だから……」

「清々しい人だな……」


 僕のツッコミに、光坂さんは小柄な体を震わせて笑った。

 その素朴な姿に、僕の頬は自然と緩む。


 ――この人は、いい人だ。自然体で気を張る必要が無いので、一緒にいるとなんだかホッとした気持ちになれる。

 曽根崎さんから聞いたレディ・マムという通り名も、この温かな女性を的確に言い表わしているように思えた。


 ドアを開けた僕に、彼女は手を振る。


「ではまた明日、景清君」

「はい、光坂さんもお気をつけて」

「私は大丈夫ですよ。状況が落ち着くまで、柊ちゃんが迎えに来てくれるそうなんです」


 そう言う光坂さんは、目に見えて嬉しそうだった。

 そりゃそうだ。なんせ会ったのは十年ぶりだというのに、そんなの御構いなしに心から心配してくれる友人がいるのである。


 その優しい笑顔に僕まで嬉しくなりながら、ドアを閉める。しかし待合室に行こうと足を引いた所で、靴の踵に何か小さな物が当たった。


「……?」


 しゃがみこみ、拾う。絨毯に埋もれかけていたそれは、手のひらに収まるくらいの角ばった水晶だった。


 誰かの落し物だろうか。そう思って顔を上げた僕は、その先にあった光景にギョッと体を引く。


 ――まさに占い館といった雰囲気のある僅かなほの暗い廊下にいたのは、グラマラスな女性を抱き締める曽根崎さんだった。












 何故、このような事態になったのか。話は数分前に遡る。


「ふむ。反応は無し、と」


 曽根崎は、手のひらに収めた小さな機械を見ながら呟いた。これは、温度・電波などを頼りに監視カメラや盗聴器のありかを調べる発見器である。時々確認していたが、彼女の部屋はおろか占い館内でも、この機械が何かしらの警告を知らせてくることはなかった。

 逆を言えば、この占い館自体防犯カメラをつけていないのである。老婆心ながら、少々防犯意識が低いのではないかと曽根崎は思った。


 しかし、少々疲れたな。長身の男は、肩に手を当てぐるりと首を回す。

 失踪者を占ったという占い師に会ったはいいが、「恋愛運が高まっているから」としつこく婚活を薦められ続け、気づけばこんな時間である。まあ、事件に関係が無いと分かっただけでも良しとしよう。


 さて、景清君はもう占いが終わった頃だろうか。


 彼の待っているだろう待合室に向かおうと、曽根崎が機械を内ポケットに押し込んだ時だった。


「あら? そこの御方……」


 後ろから声をかけられた。聞き覚えの無い声だったが、曽根崎は振り返る。


 いつの間にそこにいたのだろう。スラリと背の高いグラマラスな美女が、深い赤のネイルを唇にあて、なまめかしい目つきでこちらを見つめていた。


「……何か御用ですか」

「ええ……。貴方、以前どこかで私とお会いしたことがあって?」

「いえ、存じ上げませんが」


 そうは言ったものの、事前にウェブサイトで情報を得ていた曽根崎は、彼女を知っていた。


 彼女は、占い館「ダスク」の占い師の一人、奈谷秋姫なたにあきである。


 ミステリアスかつ妖艶な雰囲気をまとった彼女は霊視占いを得意としており、その容姿も相まって非常な人気を獲得していた。

 まるで心の中を見透かされたような語り口で紡がれるその占いは、実際よく当たると評判らしい。


 しかし、いくら有名とはいえ、自分が会ったことがあるかと問われればノーである。


 だから話はここまでだと判断し背を向けた曽根崎であったが、足を踏み出す前にグイと腕を掴んで引き止められた。


「お待ちくださいませ。私、どうしてもどこかで貴方を見かけたように思うのです」

「失礼ですが、人違いでは?」

「そんなことはありませんわ。私、人の顔を覚えるのは得意ですの」


 掴んだ腕に柔らかな体を寄せて曽根崎を見上げてくる奈谷の目は、何故だか熱っぽく潤んでいた。

 流石にそんなことをされると、少しは落ち着かない心持ちになる。が、知らないものは知らないので、曽根崎は掴まれた腕をやんわりと振りながら言った。


「私も人の顔は覚える方ですが、貴女のことは記憶にありません。離してください」

「そんなことを仰らないで……。少し、お話しさせてもらえません?」

「ほう、何についてです?」

「ええ……そうですね」


 曽根崎の質問に、奈谷の厚い唇が弓の形に曲がる。


「――例えば、光坂さんについて、とか」


 声を潜めて発せられたその一言に、曽根崎は驚いて彼女を見た。


「……何故、彼女の話を?」

「お聞きになりたいんじゃありません?」

「それよりも先に根拠を知りたい。どうして貴女は、私の知りたいこととして光坂さんの名前を挙げるに至ったのです」

「……それはきっと、私が前世から貴方を知っていたからでしょう」

「は?」


 突然繰り出されたスピリチュアルに曽根崎が呆気に取られていると、そっと頬に奈谷の右手が添えられた。

 彼女の香りが、鼻腔をくすぐる。


「初対面のはずなのに、貴方と会って懐かしく感じた……。これは、目に見えない前世の繋がりが私達を結びつけているからですわ。だからこそ、魂で会話できる私は、言葉を交わさなくても貴方の考えていることを読み取れた」

「いや、私全然そんな懐かしさを感じてないんですが」

「それは現世で長く生き過ぎたから……。大丈夫。私といれば魂が同調し、すぐに同じ感覚を得られるようになります」


 理屈はそういうことらしいが、ともあれこの女性は光坂さんについて何か知っているらしい。ならば、誘いに乗ってみるのも一つの手ではある。


 ――だが、なぁ。


 曽根崎は、好意を剥き出しにした女性に分からぬよう、嘆息する。


 ――シンプルに、色々怪しいんだよなぁ。


 しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言う。曽根崎が取るべき行動を決めかねていると、急に後ろのドアが開いた。


「キャッ!」


 ドアの開く音に気を取られたのか、曽根崎にもたれていた奈谷のバランスが崩れた。高く不安定なヒールが災いし、彼女の体はあっさり前のめりに倒れる。

 咄嗟に曽根崎は片腕を差し出した。転ぶ寸前だった奈谷は彼の腕に引っかかり、そのままそっと体勢を戻される。


「大丈夫ですか」

「あ、ありがとうございます……。やはり、貴方は運命の人……」


 そう呟く奈谷は、既に一人で立てるはずなのに曽根崎の腕の中から離れない。彼女の長い睫毛で覆われた目はますます熱を帯び、彼を見つめていた。


 ――おい、これは誰かに見られたらマズいんじゃないか?


 この女性とは、まず物理的な距離を置いた方がいい。やっと自身の取るべき方向を定めた曽根崎であったが、残念ながら時すでに遅しであった。


「……曽根崎さん?」


 聞き馴染んだ声に、思わずビクリとする。恐る恐るドアの方に目を向けると、眉間に皺を寄せる景清と視線がぶつかった。


「……何してるんですか」

「えーと……」


 なんだか頭が回らない。今自分がどんな表情をしているかも分からない。

 それでも何か言おうとした曽根崎は、やっと一言を絞り出した。


「……その、誤解です」

「浮気がバレた男かよ」


 あまりにも情けない言葉に、すかさず景清のツッコミが放たれたのであった。

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