第3話 視線
占い館「ダスク」の受付は明るく小綺麗で、まるで美容室にでも来たかのようであった。そこそこに繁盛しているのか、午前十時にも関わらず若い女性が何人か待合室のソファーに座っている。
確かにこれは、男一人では来にくい場所かもしれない。
とはいえ――。
「……男二人で来るのも相当珍しくないですかね?」
「すまん、読み違えた」
読み違えたらしい。
とはいうものの、曽根崎さんは元々人目を気にしない人である。平気な顔で受付に向かい、光坂さんのいる部屋を教えてもらっていた。
周りから刺さる好奇の視線に耐えながら、僕は足早に曽根崎さんの後をついていく。
そして、館内のBGMに紛れるぐらいの声で、彼に話しかけた。
「……占い師って、光坂さんだけじゃないんですね」
「まあな。ここは規模も大きいから、ざっと十人以上は抱えている」
「行方不明になった方は、どの占い師についてたんですか?」
「全員違う人だ。しかも、予約してではなく、たまたま空いていた人に占われたそうでな。よって、ここにまだ規則性は見えない」
そこまで話した所で、光坂さんの待つ部屋に着いた。
ノックをし、声が返ってくるのを待ってから部屋に入る。
「ようこそ、お待ちしておりました」
ドアを開けた瞬間、ふわりとアロマの香りが漂ってきた。シックなテーブルを挟んだ向こうに、昨日会った光坂さんがゆったりと座っている。
頭を下げると、彼女は控えめに僕らに笑いかけた。
「わざわざお越しいただきありがとうございます。景清君まで、ご面倒をおかけしますね」
「そんな、とんでもないです」
「そう、気に病む必要は無い。君と契約をしたからには、こちらも仕事で来ているんだ。では、手短に聴取を済ませよう」
曽根崎さんは椅子に腰掛けると、手帳を手に早々に切り出した。恐らく、さっさと済ませて失踪事件の方に取り掛かりたいのだろう。
彼は長い足を組み、単調に問いかける。
「まず、視線を感じるという点についてだが」
「はい」
「君が何をもってそう言い切れるのか、そこを私に教えてもらえないか?」
「何をもって、ですか?」
光坂さんは、垂れがちの目を細めて考えていた。少し待っていた曽根崎さんだったが、言葉が足りないと判断したのか説明を付け加える。
「……様々な観点で研究されてはいるが、多くの場合において “ 視線を感じる ” 現象はただの気のせいだ。ふと振り返ったら目が合ったという偶然が起こっただけなのに、強烈な体験として脳が記憶するせいで、視線を感じた自分がいるように錯覚する。誰だって一生に一度ぐらいそんなことはあるが、その一度が “ 視線を感じる ” を信用するに足る経験になってしまうんだよ」
「えーと……つまり曽根崎さんは、私の感じる視線は気のせいだと?」
「いや、そうじゃない。君の場合は、何も無いはずなのに何度も気配を感じているからな。加えて心身共に健康なんだろう? だとしたら、そこには必ず視線を感じると思った理由があるはずだ」
それは物音かもしれないし、風が吹いたといった皮膚感覚かもしれない。普通であれば知覚できないほど些細な信号であっても、敏感な人ならキャッチできるというのである。
「という点を踏まえて改めて尋ねるが、君は何故視線を感じたと思った?」
もじゃもじゃ頭の再度の問いかけに、光坂さんは目線を下にやり、記憶を探りつつ答える。
「……そう言われてみれば、音、かもしれません」
「音?」
「ブラウン管テレビのある部屋に入った時って、消音にしててもテレビがついてるって分かりませんか? あの感覚に近いんです」
「だとするとモスキート音か。結構大きな手掛かりだな」
モスキート音といえば、加齢と共に聴こえなくなっていく高周波音のことである。最近では猫よけなどの為に、駐車場や入口前に設置されていることも多い。
「で、それを感じるのは、いつ、どこでだ?」
「そうですね……。ここで占いをしている時とか、夜や休みの日に家のリビングにいる時とか、帰り道、でしょうか」
「他の場所では?」
「気づいてないだけかもしれませんが、ありません」
「……それが、二ヶ月前からほぼ毎日起こっているんだな」
「はい」
光坂さんの優しげな目が曇った。
……なるほど、それは精神的に追い詰められてしまう頻度だ。しかも、二カ月という長期間となると……。
え、二カ月?
「曽根崎さん」
思わず声をかけてしまった。その期間に該当する話を、僕は昨日曽根崎さんから聞いたばかりだったからだ。
曽根崎さんは、手帳から顔を上げずに返事をする。
「なんだ景清君。トイレか?」
違ぇよ。
違うのだが、ここで連続失踪事件の話をした所で、益々光坂さんを不安にさせるだけである。それに気づいた僕は、だが他に返す言葉も思いつかずに仕方なく頷いた。
「はい、トイレです。すいませんが中座しても構いませんか」
「だからあれほど出掛ける前に大丈夫かと聞いたのに。今後は気をつけるんだぞ」
ここぞとばかりに曽根崎さんは僕をからかってきた。二十一歳を子供扱いするんじゃない。後で覚えてろよ。
「景清君、お手洗いの場所は分かりますか? 右に出て突き当たりの所にあるのですが……」
「大丈夫です、ほんと大丈夫ですから」
言いながら、逃げるように席を立つ。いやもう、本当に行ってきてやろうか。せっかくだし。
心配そうな光坂さんと無表情の曽根崎さんを残し、僕はドアを開けたのである。
結局トイレには行かず、僕はぐるりと館内を一周して帰ってきた。時折話し声に混ざりすすり泣く声も聞こえてくるのは、流石占い館といった所か。
中には、パッション溢れる女性の叫び声も――。
「お願いします!! サインを!! ください!!」
アンタかよ!!!!
部屋に戻ってきた僕を迎えたのは、跪き、曽根崎さんに雑誌を掲げる光坂さんの姿だった。
僕がいない間に何があったんだよ。
「お願いします……っ! 本当に好きなんです……っ!!」
「あ、景清君、おかえり」
「全部の雑誌にサインをとは言いません……っ! でもせめて、この一冊だけは……っ!」
「意外と早かったな。次回からはちゃんと事前に済ませておけよ」
「いや、光坂さんの話を聞いてあげてくださいよ。僕と会話してないで」
「最近よく愛を叫ばれる気がする。モテ期だ」
「モテ期とはまた違うと思いま……ちょっと待て、アンタ今何をカウントした」
戯言をほざく曽根崎さんの足を後ろから軽く蹴り、光坂さんの隣に行く。彼女の手には、「月刊ウー」と赤文字で印刷された古雑誌。よく見れば、光坂さんの背後に同じ雑誌が山と積まれている。
まさか、あれ全部持ってきたのか……?
ドン引きしつつも、彼女の肩を叩いた。
「……光坂さん、曽根崎さんが調子に乗り始めているので、そろそろやめていただけませんか」
「か、景清君! いつの間に……!?」
「さっき帰ってきました。曽根崎さんもサインぐらいいいじゃないですか。何渋ってるんです」
「嫌だよ。私の字がどれほどマズいか君も知ってるだろ」
「関係ないでしょう。むしろ光坂さんなら喜んでくれるかもしれませんよ」
「無名先生、字が汚いんですか! ああああ想像通りです!」
「ほら」
「不思議と嬉しくない」
だけどその後ものらりくらりとおねだりをかわし、結局断固としてサインを書かなかった曽根崎さんである。
しょんぼりとする光坂さんであったが、曽根崎さんは意に介さない。
「さて、もうこんな時間だな」
椅子から立ち上がり、長身の男はテーブルに置かれた時計を見た。
「私は他の占い師の人に、この辺りで不審な人物を見ていないか聞いてくるよ。それじゃ光坂さん、また明日同じ時間によろしく」
「はい、わかりました」
「あ、待ってください、僕も……」
「すまん、今回はあくまで占いに行くという名目なんだ。予約も私の名前で取ってるし、ここは一人で行かせてくれ」
「え、じゃあ僕どうしたらいいですか」
「先に事務所に帰ってもいいし、待っていてもいい」
そんな勝手な。
いきなり放り出されどうしようかと悩んでいると、隣にいる光坂さんがのんびりと提案してくれた。
「では、私が景清君を占ってあげましょうか?」
「いいんですか?」
「はい。今回は特別大サービスで、お代も結構ですよ」
それは素直に嬉しい。占いというものをしたことがないので、正直大いに興味はある。僕はありがたく、光坂さんのご厚意に甘えることにした。
「それじゃ景清君、またな」
「はい、また後で」
曽根崎さんが出て行ったので、僕は光坂さんに占ってもらおうと椅子に座る。しかし、彼女はドアの向こうを見たまま動かない。
「……どうされました?」
「あ、いえ、ごめんなさいね」
急いでこちらを振り返った光坂さんは、それでも落ち着かなさそうに辺りを見回した。
「……また、視線を感じた気がしたんです」
まとわりつく気配から身を守るように、彼女は両腕で自分の体をさすっていた。
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