第2話 連続失踪事件
帰路につく光坂さんのボディーガードに名乗りを上げたのは、柊ちゃんだった。
最初は「悪いから」と断っていた光坂さんであったが、最終的に強引に押し切られた形である。それでもどこかホッとしたような彼女を見るに、もしかしたらあれぐらいガンガン来てくれる人の方が、今はありがたいのかもしれない。
何度も頭を下げる光坂さんを見送る。
そうして二人きりになった事務所にて、僕は曽根崎さんに向き直った。
「曽根崎さん」
「はい」
「どういう下心の吹き回しですか」
「それを言うなら風の吹き回しだろ」
遠回しな嫌味が通じないオッサンである。僕は冷ややかな目を崩さずに、柊ちゃんと光坂さんのカップを片付け始めた。
そりゃ曽根崎さんも三十一歳である。気になる女性がいたらアプローチぐらいはするだろう。
だけど、それにしたってあのやり方はどうかと思う。
キッチンに向かいながら、僕は彼に苦言を呈した。
「正直、見損ないましたよ。まさか曽根崎さんが、女性の弱みに付け込むような人だったなんて」
「ん、勘付いてたのか?」
「露骨でしたからね。普段の曽根崎さんなら、心配だからという理由で人助けはしないでしょう」
「参った、君は鋭いな」
言葉とは裏腹に全く堪えた様子の無い曽根崎さんは、スタスタと自分の机に戻る。それから山積みになった資料の中程から慎重に紙を引っ張り出し、僕に手招きした。
「おいで、景清君。そこまで知られているなら、君も巻き込んでやろう」
――え、巻き込む?
何に? 三角関係とか?
真意を計りかね混乱する僕は、カップをシンクに置いて、のこのこと曽根崎さんの所に歩いていく。彼は長い指で摘んだ紙を、「読みなさい」と眼前に突きつけてきた。
それは、光坂さんのものとはまた別の契約書だった。
「……青い膿連続失踪事件?」
「ああ。いわゆる “ 曽根崎案件 ” だよ。先日、忠助を通して警察から依頼が入ってな。ちょっと色々調査をしてたんだ」
……ん?
あれ?
「そこにも書いてあることだが、まぁざっと説明してやろう。ここ二ヶ月の間に、四件の類似した失踪事件が起きた。名前の通り、その全ての現場に青色の激臭を放つ液体を残して彼らは姿を消した……。私に依頼が来るぐらいだ。当然殆ど手がかりは無い」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「なんだ」
「……曽根崎さんの目的って、この案件に関するものなんですか?」
「そうだよ。なんだ、君はそれを分かってて言ったんじゃなかったのか?」
曽根崎さんの黒い瞳が、まっすぐに僕を射る。
……まずい。この勘違いは恥ずかしいぞ。
僕はできるだけ動揺を抑え、紙で顔を隠した。
「……ええ、分かってて言いました。それでは続きをお願いします」
「開き直るんじゃない。君ごまかすの下手くそなんだから」
「いいから、続きを」
「何を考えていたのか後で教えろよ。絶対だぞ」
「いいから。で、光坂さんがその事件に関わってくる理由って、一体何なんですか?」
無理にでも押し通そうとする僕に、曽根崎さんは呆れたようにため息をついた。が、片手でボールペンを回しながら渋々答えてくれる。
「……さっき私は、事件の手がかりは殆ど無いと言ったが、一つだけ共通点がある」
「共通点ですか」
「うん。それがこれだ」
曽根崎さんは一枚のカードを差し出した。そこに印刷された名前は知らないが、どうやら占い館の名刺らしい。
「もしかして光坂さんの職場です?」
「その通り。これは、ここで働く占い師全員に支給されている、占い館の紹介カードだ」
「それを、行方不明になった人みんなが持っていたんですか」
「いや、持っていたのは二人だった。だが調べてみると、残る二人もこの占い館に行ったことがあるようでね」
……なんだか、曽根崎さんが光坂さんの依頼を受けた理由が見えてきた気がする。
嫌悪感に満ちた僕の顔に気づきもせず、曽根崎さんはあっけらかんと言う。
「ほら、男一人がしょっちゅう占い館に出入りするのは目立つだろ? ところが、光坂さんのストーカー調査という名目があればどうだ。堂々と占い館に入る口実ができ、事件の捜査は進むしストーカーについては何か分かるかもしれない。……な? 一挙両得とあらば、彼女の依頼を断る理由が無い」
「やっぱりそういうことか! 最低だアンタ!」
「まあそう吠えるな。大丈夫だよ、引き受けたからには光坂さん絡みもしっかり調べる。解決できたら金も入るしな」
「聞けば聞くほどクズが露見していく!」
僕は両手で頭を抱え、雇用主の倫理観の無さを嘆いた。
……一瞬でも、この人が光坂さんを好きなのではないかと疑った自分が情けない。無理だわこれ。これが人を好きになるわけがなかったわ。
曽根崎さんはというと、悲憤する僕に向かって人差し指を立ててみせた。
「ちなみにこのことは、光坂さんには勿論、柊ちゃんにも内緒だぞ」
「言えるかよ、こんな人でなしの裏事情」
「酷い言い草をしてくれる。こちとら今回も臨時ボーナスを弾もうと思っていたのに」
「え、マジですか?」
「マジはマジだけど、君、ここで食いついている時点で人のこと言えないからな?」
ついいつものように、ボーナスという餌に釣られそうになった僕である。が、今回ばかりは、ある一つの事実が僕を冷静に引き戻した。
言おうかどうか迷ったが、聞かないと悩みそうだったので、口に出すことにする。
「……曽根崎さん」
「なんだ、まだ何かあるか?」
「その案件、いつ引き受けたんです?」
僕の質問に、曽根崎さんは怒ったような顔を持ち上げた。
……相変わらず不器用な表情筋だ。多分、不思議に思っているだけなのだろうけれど。
「いつ……って、一週間ぐらい前かな。忠助が訪ねてきた時だから」
「僕は聞いてませんが」
「別に言わなきゃならんことでもないだろ」
至極もっともな返答に、僕はぐっと言葉を詰まらせた。
――そうだよな。そうなるよな。
仕事が入るそのたびに、曽根崎さんが僕に内容を告げる必要は無いのだ。
僕は曽根崎さんの助手でも何でもない、ただのお手伝いさんなのだから。
たとえ彼の身に起こる何かを未然に防ぎたいと思った所で、僕はそんな立場にはないし、それによって引き起こされる全てに責任を負えるわけでもない。
……わかってはいたのだが。
「……わー」
「ぶっ。なんだいきなり!」
曽根崎さんの顔に持っていた紙を貼りつけた。八つ当たりである。
「やめろ! さっきから様子が変だぞ、君!」
「そんなことありませんよ。明日十時に占い館でしたっけ」
「あ、ああ。いや、でも大丈夫か? 調子が悪いなら断ってもいいんだぞ?」
「この体が動く内は、這ってでも目の前のお金を掴みたい気持ちなんです」
「難儀な性格してるな。そりゃ君が来てくれるなら助かりはするが」
もじゃもじゃ頭の男は、顔から紙を剥がして机に置いた。散らばる資料の中に、失踪した現場と思しき写真も混ざりこんでいる。
見る影もなく荒らされた部屋。数カ所に落ちた血痕。
そして、そこかしこにこびりつく、毒々しい青色の液体。
一目見ただけで分かるその異様さに、僕は目をつぶった。
だがこの人は、またこんな場所に自ら飛び込んでしまっているのだ。
「……僕も行きますよ。明日、事務所で首を洗って待っていてください」
「占い館に行くだけなのに、気負い過ぎじゃないか?」
「いやもう、こういう流れだと大抵何かが起こるじゃないですか。油断は禁物ですよ」
「それはそうかもしれんが……」
「パターンだけで見るなら、気絶した僕がさらわれる可能性が大です」
「悲しい経験積ませてごめんな」
謝られたが、僕は一切気にしていなかった。それよりも、これからのことである。
……事件を解決していく中で、少しでも彼の背負う荷物を減らすことができればいいと思うのは、僕の傲慢なのだろうか。
僕の心中など知る由もなく、曽根崎さんは訝しげに顔を覗き込んできたのであった。
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