第3章 彼女を覗く窓
第1話 美女の挙動と占い師
「あれ、柊ちゃん」
「まぁ、景清」
とある午後。自転車で曽根崎さんの事務所に向かっていた僕は、ばったりと絶世の美女に出くわした。彼女は今日も艶やかな黒髪をなびかせて、神に与えられた容姿を惜しげも無く晒している。
「バイト?」
「ええ。柊ちゃんはお仕事ですか?」
「そ。シンジにちょっと野暮用でね。良かったら一緒に行かない?」
「……喜んで」
「今一瞬、予想される到着時刻から時給を逆算したわね?」
げ、鋭いな、この人。
当たっていたので、返事はせずにそっと自転車から降りた。
まだまだきつい日差しの中、僕らはなんでもない会話を交わしながら事務所へと歩いていく。
建物の階段下まで来た時、ふと僕は以前から気になっていた質問を彼女にぶつけてみることにした。
「そういえば、柊ちゃんに恋人はいないんですか?」
「ボク? いないわよ」
「へぇー。意外ですね、美人なのに」
「ヤダ、モーション? アンタには悪いけど、ちょっとタイプじゃないのよね」
「まぁ僕男ですし……。逆にどんな人がタイプとかあります?」
「んー、そうねぇ……」
階段を上りながら、レズビアンを公言する柊ちゃんは美麗な指を頬にあてて考える。
「……ま、このボクの恋人になるんだから? それこそ最上級の才女だったり、世界から認められるようなプロポーションの持ち主だったりしちゃうんじゃないかしら」
「うわぁー、滅茶苦茶だけど柊ちゃんが言うと現実味がある」
「そりゃあボクってば絶世の美女だから!」
高らかな宣言と共に、彼女はドアノブに手をかける。事務所のドアを開けたその先には、いつものように不審者面した雇用主が一人ぽつんといるはずだったのだが……。
「お願いします!! サインを!! ください!!」
今日はもう一人、いた。
――なぜか跪き、曽根崎さんに両手で雑誌を突き出している女性が。
「貰うまで帰りませんから、私!!」
「
「これが上げられるもんですか! まさかあの内臓ドロドロの生々しい描写を淡々と描き切り、数多の読者を虜にした
「言うほどのことでもなかったから……」
「ああああえっと、“ 血の湧く硯 ” 、とても興奮しました! 私の中では短編サスペンスホラーの最高峰とも言えるほどで!」
「あれ、一応恋愛小説なんだがな……」
ぼやく曽根崎さんの前で「ほんとですか!? 新見解!」とパッと顔を上げた女性は、ようやく僕らの訪問に気づいたようである。慌てて姿勢を正すと、こちらに向かって深く頭を下げた。
「すいません、お客様が来られていたとは全く知らず……! では曽根崎さん、私はお暇しますね」
「ああ、気にしなくていい。男の方はうちのお手伝いさんで、女の方は馴染みの雑誌編集者――」
しかし、彼が全ての言葉を言い切る必要はなかった。なぜなら初対面のはずの二人は、食い入るようにお互いを見つめていたからである。
数秒の沈黙の後、女性は恐る恐るといった様子で問いかけた。
「……柊ちゃん?」
対する柊ちゃんも、驚きにアーモンド型の目を見開いて言う。
「
「わぁ、柊ちゃん!」
女性はふっくらした手を嬉しそうに合わせ、柊ちゃんに駆け寄った。
「すっごい美人になったね!」
それは、信じられないような光景であった。
僕は生まれて初めて、柊ちゃんが少女のように赤面する瞬間を見たのである。
「この方は
「先ほどはお見苦しい姿を見せて申し訳ありません。まさかこんな身近に大ファンの無名先生がいらっしゃるなんて夢にも思わず、つい我を忘れてしまいました」
ソファーに座る女性――光坂さんは恥ずかしそうに謝った。曽根崎さんも柊ちゃんも彼女を知っているので、自己紹介するとなれば僕しかいないのである。
そして “ 無名無実 ” とは、曽根崎さんのペンネームだ。オカルト専門ライターも、長くやっているとファンの人もできるものなのだな。
僕は彼女にコーヒーを差し出しながら、「いえ」と首を横に振った。
「それにしても、佳乃とシンジが知り合いで、しかもボクんトコの雑誌の愛読者だったとはねー」
これは、ミルクを入れたコーヒーに口をつける柊ちゃんの言である。
「世間は狭いわ」
「そうだねぇ。もう十年ぶりぐらい?」
「あら、そんなになるのかしら」
彼女らは旧い友人同士らしい。笑う光坂さんに微笑み返す柊ちゃんは、それはもう見惚れるほどに美しかった。今は落ち着いたのか、彼女の頬に差した赤みが無いのが惜しい所である。
光坂さんという女性は、ふんわりした人だった。ふんわりした髪型に、ふんわりした体型。いや、太ってるわけではないのだ。でも、こう、まるでマフィンのような体型というか、そんな柔らかな印象の人なのである。
なんだろうな、マシュマロ女子というのが彼女のような存在を指すのだろうか。いや、ちょっとちがうな。もっとこう、ぬいぐるみとかそんな……。
彼女を的確に表現する形容を探しあぐねていると、向かいに座る曽根崎さんにツッこまれた。
「景清君、多分だけど今、失礼なことを考えてないか?」
「考えてませんよ、失敬な」
「言っておくが、あまり彼女の前でアレコレ思わない方がいいぞ。この人は、頭の中を読む」
「頭の中を読む?」
曽根崎さんの言葉に、光坂さんは困ったように両手を胸の前で振った。
「そんなんじゃありませんよ。職業柄、お客様のお気持ちに添う機会が多いだけです」
「どうだかな。君自身が気づいていないだけで、案外本当に読んでいるのかもしれないぞ。でなければ “ レディ・マム ” なんて包容力溢れた通り名はつかないだろう」
「弱りましたね。私まだ独身なのですが」
そう言い、ふふふと頬に片手をあてる光坂さんである。それに、曽根崎さんも珍しく口元を緩めていた。
……。
この人、いつもより楽しそうじゃないか?
「それで、どうして光坂さんは、本日こちらにいらっしゃったのです?」
差し出がましいかなと思いつつも、彼女に尋ねた。対する光坂さんは別段気を悪くした様子も無く、お伺いを立てるように曽根崎さんを見てから、丁寧に答えてくれる。
「今日は、曽根崎さんに相談したいことがあってここに来たんです」
「相談ですか」
「ええ。……実は最近、家にいる時でも仕事をする時でも、誰かの視線を感じることがあって」
「それって、ストーカーがいるってこと?」
不穏な内容に驚いた柊ちゃんに、曽根崎さんが補足をする。
「それがどうも単純な話ではなさそうでな。視線に気づいて振り返ってみても、誰もいない。気配はあれど影は無し、というやつだ」
「佳乃の気のせいなんじゃないの? 仕事に疲れてるとか」
「うん、私もそう思って病院に行ってみたんだけどね。先日とうとう、心身共に健康優良児の太鼓判を押されて帰されたものだから……」
「ああ、見るからに血色いいものね、アンタ……」
かといってそのまま無視し続けることもできず、藁にもすがる思いで曽根崎さんを訪ねてきたという訳である。
しかし、曽根崎さんの専門は “ 怪異 ” である。対人間の問題であれば、阿蘇さんなどの警察に頼った方がいいのではないだろうか。
そんな考えが顔に出ていたのか、曽根崎さんに先回りされた。
「……警察にも相談したそうだが、如何せん “そんな気がする ” という根拠薄弱だ。見回り以外の対応はできかねるのが現状だよ」
「そうか、そうですよね」
「佳乃、犯人に心当たりは無いの?」
「常連さんは何人かいるけど、心当たりってほどの人は誰もいないね」
「……うーん」
まるで空を掴むような話である。
……ああそうか、だからこその曽根崎さんなのか。
やっと察したと同時に、光坂さんは疲れたように僕に向かって笑った。
「……本当に、気のせいならどれほど安心できるかと思います。ここに来たのも、オカルトに精通している曽根崎さんなら、何か納得できる答えを見つけてくださるのではないかと思ったからなんです。……荒唐無稽な発想で申し訳ないのですが」
「そうだったんですね」
確かに、余程追い詰められでもしない限りは、こんな怪しい人に頼ろうとなんて結論は出てこないだろう。
そう考えつつチラリと曽根崎さんを見ると、ジトッとした目と目が合った。
「……景清君、多分だけど、今度は私に失礼な事を考えてるだろ」
「考えてませんよ、失敬な」
なんでだろう、今日は本心がよくバレる。
「それで? 結局シンジとしてはどうすんのよ。まさかここまで聞いて放り出すなんて言わないわよね?」
ほぼ答えを決めつけている柊ちゃんの問いに、曽根崎さんは顎に手を当てて答えた。
「……まあいつもなら、断っているところだが」
「だが?」
「……今回は光坂さんが心配だからな。ちゃんとした依頼として受けようと思うよ」
え、受けるの?
しかも、“ 心配だから ” なんて人道的な理由で?
予想外の対応に目を剥いて曽根崎さんを見る僕だったが、彼はあえて僕から目を逸らしているようだった。そして、光坂さんに一枚の書類を差し出す。
「成果報酬という契約で構わないだろ。動きはするが、事件解決の確約はできない。あと、私はボディーガードではないからな。生活上の身の安全は自分で何とかしてくれ」
「け、契約ですか?」
「おや、言ってなかったか。時折こうやって私は、警察では処理できない不可思議な事件を請け負っているんだ」
淡々と自分の仕事について説明する曽根崎さんに、光坂さんは少し戸惑ったようだった。
「……とても心強いですが、本当にいいんですか? 先程も言いましたが、何の証拠も無いんです。オカルト方面であるかどうかも分かりませんし……」
「構わないよ。早速明日、占い館にいる君を直接訪ねてみたいんだが、いいかい?」
「は、はい。十時ぐらいなら……」
「うん、ありがとう。金額も身内価格で引き受けてあげよう。さ、ここにサインを」
言われるがままに、彼女は契約書にペンを走らせる。それを確認した曽根崎さんは紙を引き抜くと、その端を唇にあてて目を細めた。
あ、この人カッコつけてるな。
悟った僕は冷ややかな目をしたが、光坂さんはその姿に見入っているようだった。
「――それでは、君のその怪異も、綺麗さっぱり無きモノにしてやろうではないか」
なんとなく、久しぶりに聞いた彼の決め台詞であった。
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