第24話 空に願う

「景清!! 無事!?」


 あれから一週間が経ったある日のことである。大声を上げながら事務所のドアを開けたのは、友人の三条だった。


「ここに来るなんて珍しいな。どしたの?」

「良かった、いた! これ! このニュース!」


 息を切らせた三条が差し出してきたのは、スマートフォンに表示された一つの記事である。ある村で大規模な土砂崩れが起き、祭事の為に一箇所に集まっていた地区住民が一人残らず生き埋めになってしまったという。

 僕が驚きに目を見開いていると、安堵に緩んだ顔で三条が背中をバシバシ叩いてきた。


「お前が行ってた村ってここだろ!? 良かった! ちゃんと戻ってきてたんだな!」

「心配かけてごめん。でも電話かけてくれりゃ良かったのに」

「かけたよ? でも繋がんなかったからさ」


 どうやら充電が切れていたらしい。最近事務所と家との往復なので、つい油断してしまった。

 三条に謝り、曽根崎さんに目を向ける。ちょうどこちらを伺っていたらしい曽根崎さんは、訳知り顔で頷いた。


 この災害も、どうやらヤツの手筈らしい。


「……一人でも助かるといいね」


 スマートフォンを三条に返しながら、心にもない事を言う。それに気づかぬ三条は、神妙な顔で「ほんとにね」と返してくれた。


「けど、よくここにいると分かったね。もしかして家にも寄ってくれた?」

「いんや? まっすぐここに来た。守銭奴の景清が家で暇を持て余してるワケないだろ」

「僕、お前に守銭奴発揮したことあったっけな?」

「でもさぁ、ここめっちゃ時給いいんだろ? いいなぁ、オレも働きたい」


 外の暑さにやられたのかぐったりとソファーに埋もれる三条に、曽根崎さんは事務的に言う。


「今は募集してないよ。人手は足りてる」

「残念だなぁ。お金欲しい」

「三条、家庭教師やってるだろ。それじゃ足りないの?」

「んー……」


 言い淀む三条の横顔には、ほんのり赤みがさしていた。きっと、夏の気温だけが理由じゃないのだろう。


「……大江ちゃんの誕生日が、もうすぐでさ」

「へぇ」


 大江ちゃんとは、彼が家庭教師を受け持つ女子高生である。可愛らしい子で、一途な恋慕を三条に向けているが、当の本人は全く知らないのが残念な所だ。

 それが誕生日プレゼントだなんて、進展したものである。僕はなんだか嬉しくて、思わず口元を綻ばせていた。


「大江ちゃんの家庭教師するお金でプレゼント買うのも、ちょっと違う気がしてるんだ。だから、短期でバイトでもしようかなって」

「偉いじゃん」

「そう? ありがとね。そんなわけで景清、なんか良さそうなバイト知ってたら教えてよ」

「交通量調査のバイトとかならすぐに紹介できるよ。あと、もし大江ちゃんの誕生日に間に合うなら、選挙の出口調査と電話調査のバイトも口利きできる」

「頼りになるぅー……」


 それから少しだけ話して、三条は事務所を去っていった。これから大江ちゃんの所へ行くらしい。


 家庭教師に支障が出ない程度のアルバイトを、後で連絡してやらねば。出て行く彼の背中に手を振りながら、僕は思った。


「なんとも甲斐甲斐しいことだな」


 三条がいなくなり、空になっていたお茶を取り替えていると、曽根崎さんが言った。


「金に名前は書かれていない。何で稼いだ金で何をしようと変わらんと思うがな」

「変わるんですよ。人の心というのは、そういうものです」

「わからんなぁ。例えば君も、私にプレゼントをしようと思ったら余所で稼いでくるのか」

「いえ、僕の場合は家にある読み終わった本や聞き飽きたCDを持ってくると思います」

「私は古本屋か何かか」


 曽根崎さんのツッコミが入った所で、僕は空の湯呑みを持ってキッチンへと引っ込んだ。


 実際、どうなのだろうな。温かいお茶を入れながら、僕は考える。――正直、僕がどんなものを選んだとしても、あの人が喜ぶイメージが一向に湧いてこなかった。ただ、うむうむ言いながら無表情に受け取る姿だけが浮かぶ。


 今度、試しに何か贈ってみようかな。僕の脳に住む曽根崎さんと、現実の曽根崎さんが一致するかどうか確かめてやらねば。


 しかし、その為に物を買うとなれば、僕は多分この人から貰う給料から出すことになるのだろう。それを思うと、つくづく三条という友人は立派な男だと感じ入らざるを得ない。


「……お金に名前は書かれていない、というのは名言ですね」

「なんだよ、急に」


 お茶を机に置きながらしみじみと言う僕に、曽根崎さんは訝しげな目をしていた。その真っ黒な瞳に、僕はつい例の黒い男を連想してしまう。

 何も知らない柊ちゃんの善意と好奇心を利用し、僕らを不気味な村に叩き込んだあの男である。僕らが命がけで動いたにも関わらず、結局ヤツの手のひらの上で踊らされていただけではないのかと思うと、ゾクゾクするような怒りがこみ上げてきた。


「曽根崎さん」

「ん?」

「今回、僕らはあの黒い男に勝ったんでしょうか」

「んー」


 曽根崎さんは読んでいた雑誌を机に放り投げると、僕の顔を見た。その瞳には、僕が映っている。


「ヤツにとってはゲームですらなかったと思うぞ。ただの暇つぶしといったところか」

「暇つぶし?」

「そう。子供なんかがよくカブトムシを戦わせたりして遊んでるだろ? アレとコレ、ぶつけてみたらどっちが勝つのだろう。……ヤツはそういう神の視点で、我々をあの村に送ったんだよ」

「腹立つなぁ」

「そこで恐怖より怒りを示す君は本当に頼もしいな。今後ともその調子で頼む」


 なんとなく呑気な張本人であるが、どんな壮絶な環境でも人は慣れてしまえるということだろうか。それとも、終わったことで気が抜けているだけか。

 何にせよ、ここでこの話題は終わりだった。曽根崎さんはニヤリと唇の端を持ち上げると、僕に向かって身を乗り出す。


「それより、ちゃんと旅行の準備はしてきたか? じきに柊ちゃんが迎えに来るぞ」

「ええ、勿論。しかしあの人も急ですよね……。まさか一週間後に、別の旅行の予定を組んじゃうなんて」

「彼女は待つのが不得手なんだ。許してやれ」

「困ってるわけじゃないんで、構わないんですが」


 むしろ、楽しみなくらいである。橋野さんの死や黒い男の存在など、僕の心に色濃い影を落とした今回の事件だ。それらを全てかき消すほど、楽しい旅行になるといい。


 事務所の窓から覗く爽やかな空に、僕はそんな期待をかけたのであった。



 第2章・完

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