第22話 多少の障害物に

 鍵がかけられた瞬間、ピタリと喧騒が止んだ。もはや何の音もせず、本当にそこに人がいるのかどうかすら疑わしいほどである。しかしその変わりようよりも、僕はさっきまでの自分の考えに愕然としていた。


 ――僕は、あんな状況で何をグダグダとやっていたのだ。

 倫理を議論するよりも、まず僕らの身の安全確保が優先されるべきだったろうに。


 うずくまる曽根崎さんの両肩を掴み、罪悪感と申し訳なさに頭を下げた。


「足を引っ張ってすいませんでした!!」

「……あー……様子がおかしいと思ったんだよ。君やっぱ変になってたのか」

「言い訳になるか分かりませんが、変でした。曽根崎さんが無理矢理僕の手を固定してくれなかったら、どうなっていたことか」

「まあ終わり良ければ全て良し、だよ。あれか、ヤツらの言葉に洗脳の共鳴みたいなものが起きてたのかもな」

「なんです、それ」

「適当に推測で言ってる。なんとなく理解しろ」


 曽根崎さんは濃いクマを引いた顔をこちらに向け、どことなく憂いを帯びた目を伏せた。


「……それに、あながち私の行いに疑問が無かったわけじゃないだろ」

「無いと言えば嘘になりますが、この結論が最善だったと今の僕なら断言できます。……藤田さんが性欲を抱かない人間は人間じゃないと、もっと早くに割り切るべきだったんです」

「割り切り方の根拠が雑過ぎる」

「僕の迷いと覚悟不足が、曽根崎さんに呪文を使わせ、皆を危険に晒しました。……本当にすいません」

「……」


 わしゃり、と頭を撫でられる。この人にこうされるのは何度目か分からないが、そのたびに波立った心が凪いでいくのはなんともみっともなく、情けなかった。


「……君は、胸を張っていいぐらいの事をしたんだ。ただ逃げたって構わないのに、立ち向かい、今後犠牲になるはずだった多くの人間の命を救った。私一人が気づいただけであれば、見て見ぬ振りをしただろうからな」

「そんなことは」

「実際逃げるつもりだったんだ。そんな私を引き止め、動かし、第五地区の因習を断ち切ったのは君だ。……いつぞや田中のジイさんに、景清君は怪異の掃除人を動かす唯一の存在だと揶揄されたが、そろそろ笑い飛ばせなくなってきたな」


 彼が冗談のようにこぼした一言に、僕の息は止まった。


 ――そうだ。今回の僕は、最初からこの人をアテにし、頼りにしてしまったのだ。

 曽根崎さんの能力が、この悲劇を止められると。今までのように、綺麗に無かったことにしてしまえると。


 その結果がこれだ。確かに事件は解決したが、曽根崎さんはまた呪文を使い、身を削ってボロくたになってしまっている。


 ――僕は、いつかこの人を殺してしまうのではないか?


 そんな予感が、僕の頭をぶん殴った。


「……曽根崎さん」

「え、何。なんで更に泣きそうになってんだ。私慰めたのに。ちょっと、景清君」

「本当にごめんなさい……」

「いや、だからいいって。呪文だって別に減るもんじゃないし……減るな。ああいや、忘れてくれ。えーと……うわ、珍しい顔してるな、君。逆に興味が湧いてきたが多分これ言ったら怒られるよな」

「漏れてますよ、心の声」

「参考程度に聞かせてくれ。私が構わないと言っているにも関わらず、なぜなおも君は謝る? どういった思考をした? いまいち私の慰めや励ましに効果が見られないのは、恐らく君が最も強く後悔した部分を私が把握していない所に由来すると思うんだが、どうだろう。そこの齟齬を解消しないことにはこれ以上の会話が機能しない可能性があるため一刻も早く本音を」

「うるせぇー!!」


 ぐいぐい寄ってくる三十路男の胸ぐらを掴み、地面に放り投げた。ぎゅう、と呻いてオッサンは地面に伸びる。

 そんな彼を一瞥し、僕は胸の前で拳を握った。


「……よし。今回の失敗は、今後に生かそう」


 やってしまった事は仕方ない。後悔が胸を締めつけてやまないが、前を向くしかないのである。これから先、曽根崎さん目掛けてやってくる案件を、せめて僕が少しでもはたき落せるように。


 僕ごときが、曽根崎さんの前に立つ壁になるとは思えない。だけど、多少の障害物ぐらいにはなってみたいものだ。


 とっくに涙が引っ込んでいた僕に、仰向けに転がったままの曽根崎さんが問いかける。


「決意を新たにするのはいいんだが、その失敗ってなんなんだよ」

「すいません、勝手に悩んで勝手に解決してしまいました。もう大丈夫です」

「だから失敗ってなんなんだよ」


 ――言ったら、この人は気にするかな。

 まぁ六十人と僕を秤にかけて僕を選んだ人だから、余計な心配をかけるよりは黙っていた方がいいかもしれない。


 重い人だな。今更だけど。


「あんまり僕に比重を置かないでくださいよ」

「ガンガン置くよ。君がいないと相当に困るんだ、私は」

「そっすか」

「軽ぅ」


 正気の錨という役を置かなければならない状態というのも、楽ではないんだろう。何の力も無い一人の人間に、ここまで固執しなければならないのだから。


 そんなことを思いながら、曽根崎さんの手を取り、立ち上がる手助けをする。ふと人の気配に顔を横に向けると、阿蘇さんと藤田さんが隣にやってきていた。

 ――なぜか、藤田さんは片頬を腫らしていたが。


「……どうされました?」

「仲直りの拳をくらっただけだよ」

「ちょっと違うな。俺はもういいっつってんのに、体で謝罪するって聞かねぇもんだからさ。それじゃ遠慮なくってんで、こうなった」

「ああ……」

「甥が叔父さんに向ける目じゃないよ、景清」


 二人の間でどんなやり取りがあったのかは知らないが、仲直りしたのなら何よりである。

 僕がうんうん頷いていると、曽根崎さんが阿蘇さんの手を覗き込んできた。


「忠助、手は?」

「運転しなきゃいけないから、もう手っ取り早く呪文使って治したよ」

「え、怪我されてたんですか?」

「まぁな」


 とはいっても、阿蘇さんの手のどこにもそんな傷は見当たらない。傷を癒す呪文を知る阿蘇さんであるが、殆どそれを行使することはない人だ。今回の怪我はそれほど酷かったのだろうか。


「とにかく、一度帰ろう。ここでできることは、もう何も無い」


 曽根崎さんが、四本の鍵をジャケットにしまいながら言う。僕らは頷き、気絶している柊ちゃんを背負って、洞窟を後にしたのだった。

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