第21話 秤

 藤田は、目の前の友人の様子をじっと観察していた。阿蘇は目を閉じたまま、真っ青な顔で額に汗を浮かべている。その呼吸は荒く、苦しそうだ。


 ――抗っているのだ。オカエリ様の刷り込みに。


 自分の精神力であれば、とっくに洗脳に支配され村人たちの手に落ちていたのだろう。それをここまで抑えるとは、幼馴染の目から見ても、彼の凄まじい自我への執念には驚嘆の念を抱かずにいられなかった。


 ――でも、それがお前なんだよな。


「忠助はどうだ、藤田君」


 知らないうちに隣に立っていた曽根崎が、藤田を見下ろし尋ねた。それに藤田は、首を横に振って返す。


「ダメですね。こちらの呼びかけにはまるで応じません」

「だろうな。念には念を入れられたのか、よっぽど深く脳に刷り込まれてしまってるんだろう。至急記憶を消した方がいいが……しかしそれだと鍵の情報が手に入らない。……一度全員で逃げて出直す? いや、村人が全員ここに集うなんてチャンスは二度と……」

「……」


 顎に手をあて、打開策を捻り出そうとうつむく曽根崎をよそに、藤田は考えていた。


 阿蘇の正気を取り戻す方法に、心当たりが無いわけではない。しかし、それは決して正攻法とは言い難いものだ。

 その行為は、阿蘇の精神を引きちぎり、信頼を踏みにじるものだと彼は理解していた。


 藤田は、周りに目線を巡らせる。

 必死で脳を回転させる曽根崎、でたらめに鍵を突っ込む景清、軋むかんぬき、気絶したままの柊、刷り込みに抗う阿蘇。


 ――まあ、彼らが生き残るというならば、手放すか。


 誰にも知られることなく悲痛な決断をした藤田は、場違いなほどに落ち着いた声で曽根崎に言った。


「曽根崎さん。オレ、コイツの洗脳を解いてみます」


 その一言に、曽根崎は顔を上げる。


「洗脳を解く?」

「といっても、一瞬だけですけどね。精神的なアレコレは分かりませんが、恐らく脳にかかる負担は尋常じゃないので、鍵の順番を聞き出したらすぐに記憶を消してやってください」

「……そんな事が可能なのか」

「大丈夫ですよ。ホント一瞬ですが」


 藤田は曽根崎に微笑を返すと、阿蘇に更に寄った。彼の顔に手をあて、あかんべえをするように両目をこじ開ける。焦点の合わないぼんやりとした目が、藤田の顔を映した。


「さて、阿蘇。オレの姿は見えるかな」


 両目を開かせた藤田は、片袖を捲り、自身の左腕を露わにする。そこには、未だ消えぬ生々しい大きな傷跡が走っていた。


「声は聞こえるよね? ……あの鉄扉の鍵の順番を知りたいんだ。左から鍵穴の番号を1から4まで振った上で、どの鍵をどんな順番で差し込めばいいのか教えてくれ」

「……」

「……そうだよな、話す余裕なんて無いよな。今のお前はそれどころじゃないんだ」


 阿蘇の無反応に優しく答え、藤田はナイフを取り出す。それをクルクルと手でもてあそびながら、彼は言った。


「こう見えて、オレが結構嫉妬深いのは知ってるだろ?」

「……」

「いやぁ、オカエリ様だとか、脳への刷り込みだとか、それがどんだけお前の脳の深い所にいるか知らねぇけどさ」


 藤田はナイフを掲げる。その顔には、今にも泣き出しそうな歪んだ笑みが張りついていた。


「――ねぇ、阿蘇。まさか、オレがいる場所よりも深い所にそのクソ女据えてるなんて、言わないよな?」


 言うなり、彼は勢いよく自分の左腕目掛けてナイフを振り下ろした。血肉を切り裂く耳障りな音と共に、くぐもった呻き声が上がる。


 藤田のナイフは、彼の左腕に届く前に伸びてきた阿蘇の右手を貫いていた。


 ギロリとした阿蘇の鋭い目が、藤田を憎々しげに睨みつける。それでも藤田は、正気の戻った彼に問いかけた。


「阿蘇、鍵」

「……3412、華鳥川山」

「曽根崎さん」

「あ、ああ」


 藤田の呼びかけに、曽根崎は阿蘇の耳元で記憶を曇らせる呪文を唱えた。阿蘇の体が脱力し、地面に崩れ落ちる。

 その体を支えた藤田は、曽根崎に顔を向けた。


「オレは阿蘇の傷の手当てをします。曽根崎さんは扉の元へ」

「わかった。ありがとう」


 曽根崎は短く返答し、先ほど得た情報を脳内で繰り返しながら走り去っていく。


 藤田は、痛みに顔をしかめる阿蘇を壁にもたれかけさせ、ナイフが刺さった手をそのまま持っていたハンカチで固定した。


「……ごめんな、阿蘇」


 震え声の謝罪に、阿蘇は疲れを滲ませつつも吐き捨てるように言った。


「……お前に心配されるほど、浅かねぇんだよ」


 その言葉に、藤田はいつもの軽口を叩くこともできず、袖で顔をこすったのだった。












 ――いや、無理だろ。


 僕は、四種類の鍵をどんどん鍵穴に突っ込みながら、心の中で吐き捨てた。


 576通りだよ? つまり当たる確率は576分の1であり、パーセンテージに直したら……えー……。


 こうしている間にも、鉄扉の向こうの圧はどんどん増していく。穴からパイプ爆弾を拾い上げ追いついた村人が加勢しているのだろう。扉に二本差したかんぬきの限界も近かった。


 イライラした僕は、つい心の中だけにあった愚痴を叫ぶ。


「つーか爆弾はどうしたんだよ!? 爆発するんじゃなかったのか!」

「あれは嘘だ。村人を穴に落とし数を分断させる為のな」

「うわぁびっくりした!」


 突然隣に現れた曽根崎さんに、飛び上がらんばかりに驚いた。いや元々そう離れてもいなかったのだけど。


「何しに来たんですか! 阿蘇さんは!?」

「鍵の情報を吐いてくれたから記憶の処理をしてきた。さぁそいつをよこせ」

「クソ、勝手なオッサンだな……」


 悪態をつきながら鍵を渡す。曽根崎さんは鍵を一通り眺め、その内の一つを右から二番目の鍵穴に差し込む。

 確かな手応えがあったのか、曽根崎さんは頷いた。


「よし、では次は鳥の鍵を――」


 だが、曽根崎さんが手を放した途端、鍵は弾かれるように鍵穴から戻ってきた。

 僕は慌ててそれをキャッチし、元通りに差し込む。


「曽根崎さん、これは……?」

「……全ての鍵が施錠されるまで、鍵を押さえておかないといけない仕組みのようだ。景清君、手伝ってくれ」

「わかりました」


 右手でグッと花柄の鍵を押さえ込む。曽根崎さんは鳥の絵が描かれた鍵を手に取ると、右端の鍵穴に入れた。一周回した状態で、曽根崎さんの手から僕の手にバトンタッチする。


 その時であった。


「やめてくれ! どうしてその鍵を君達が持っているんだ!」


 地区長の声が、扉の向こうから聞こえた。仰天した僕が鍵から手を放しそうになるのを、すかさず曽根崎さんが上から押さえつける。

 僕は逃げもできず、彼らの悲鳴を聞かされることになった。


「私達をここに閉じ込める気か!? そんなことをすれば、景清君だって人殺しになるんだぞ! ……やめなさい。私は君にまでそんな業を負わせたくない!」

「そうだ! それに、ここは暗くて、寒い……! 子供や老人だっているのに!」

「助けて! 助けてください! 外に出たいわ!」

「俺の妻を轢き殺したヤツを出せ! 同じ目にあわせて殺してやる!」

「お腹が空いたよ」

「助けて」

「出して!」

「どうして? なんで?」

「こんなの、酷い……!」



「曽根崎さん」



 曽根崎さんに押さえられた手が、まるで自分の手ではないかのように痺れている。感覚がわからない。きっと、この人が強く握りしめているせいだ。


「……放してください」

「放せば、君は鍵を壊してしまうだろう」

「どうしてそう思うんです」

「君はこの行為に疑問を抱き、揺れているからだ」

「……」


 彼の推察は的中していた。あの時に押し込めた疑惑が、また僕の中で頭をもたげてきていたのだ。


 ――ここまでする必要があるのだろうか。

 だって、こんな所に閉じ込めてしまえば、ここにいる六十人は死んでしまうだろう。後で救出するのか? いや、だとしたら人を轢き飛ばしてまでここまで逃げてきたことに筋が通らない。


 この人は、最初から第五地区住民をこの鉄扉の向こうに閉じ込めるつもりだったのだ。


 果たしてそれは、正しいのか?

 いくら数多の人を殺してきた者共とはいえ、人間である以上は別の贖い方があるのでは――。


「少なくとも、私はこれが最善策だと思っている」


 僕の考えを読み取った曽根崎さんの声が、頭上から落ちてきた。


「ヤツらは、自らが生き続けることを最優先事項に置いている。放置していれば、永遠に君や橋野氏のような身寄りのない若者を犠牲にし続けるんだ」

「……」

「――彼らがここから出られないと知った時、中で何が起こると思う?」


 察しがついた僕は、何も言わずに唇を噛んだ。


「まず間違いなく、オカエリ様に産み直しをしてもらおうとその体に群がるだろう。その結果、運の無い隣人がエネルギーとして消費されたとしても、だ。だが、卵になった所でどうなる? 卵は外から割ってもらうより他、孵る方法はないんだ。となると、孵化しない卵の中でどんどん若返っていくソレは、幼児になり、赤子になり、胎児になり……いずれ消滅する」

「……」

「そして、定期的なエネルギーが供給されなくなったオカエリ様も、活動を止める。鍵は破棄され、洞窟も埋め立てられ、二度と中にいるモノが陽の目を見ることはなくなるだろう。――これにて、多間村第五地区の民話はめでたく御仕舞い、大団円さ」


 ――喧騒が、悲鳴が、罵倒が、僕の横を通り過ぎていく。ただ僕は、曽根崎さんの低い声に耳を傾けることしかできなかった。

 何をどう尋ねれば、自分が納得できる結論を彼から引き出せるのかがわからない。自身に失望する中、ようやく言葉を絞り出した。


「……曽根崎さんは、この人達を殺すことに抵抗は無いんですか?」

「逆に尋ねるが、これは人といえるのか? 数百年の時をバケモノの力を借りて生き、しかしそのバケモノに操られているとも知らず、何の罪も因果もない人を殺してきた彼らを。……まあいい。私にとっては、結局どちらでもいいんだ」


 耳元で、不気味な文言が囁かれる。曽根崎さんの手が僕から離れたが、僕の両手は凍りついたように鍵を固定していた。


 自由を奪う呪文である。

 強力だが、負担も大きい為、曽根崎さんは制限しているはずだったのに。


「曽根崎さん!」

「……これ、ぐらいなら、大丈夫だ。すまんが、時間が無い」


 曽根崎さんはふらりと一度揺らめくと、水が流れる模様の鍵を一番左に差し込んだ。ぐるりと回したそれを手で押さえたまま、最後の鍵を持ち上げる。


「ここでヤツらを止めねば……真実を知る君に、いつか危害が加えられる。これは私の考え過ぎか? 人を信用する事ができなくなっているだけか? ……しかしダメだったんだ。どうしても、不安が消えない。一人残らず消しておかないと、今日別れた君が二度と姿を現さなくなるかもしれない。それは、それだけは……」

「……」

「……君の倫理を尊敬している。だが、許せ」


 最後の鍵が、ガチャリと無機質な音を立てる。その音を確認した曽根崎さんは、糸が切れたようにその場に片膝をついて沈み込むと、頭を垂れた。


「――私の秤は、君に傾いてしまうんだ」


 それは、いつか車中で聞いた彼の誓いの姿だった。

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