第18話 答え合わせ

 曽根崎さんを渡すつもりは無い。だが、阿蘇さん達を見殺しにすることもできない。

 汗が額を伝う。――僕は、どうすればいいのだ。


 そうだ、阿蘇さんはその気になれば刷り込みに対抗できると言っていた。ここから合図を送って、逆に藤田さんを捕らえることができれば……。


「忠助には期待するなよ」


 僕の考えを読み取った曽根崎さんが、平坦な口調で言う。


「弟が正気なら、君に死装束を着せる真似など絶対にしない。君とどんなやり取りをしたかは知らんが、アレはもう殆ど洗脳されたと見なせ」

「そんな……!」

「抵抗できるとバレて、何か対処されたかな。まぁ案ずるな。目の前の敵は厄介だが、恐れるほどじゃないよ」


 僕を押しのけ背中にやりながら、長身の男はうっすらと笑みを浮かべた。その表情に、僕はゾクリとする。


 この状況が怖くないのか? なんやかんやで結構ビビりな曽根崎さんが?


 ――まさか、感情表現だけではなく、恐怖感覚自体も壊れ始めている?


 僕の不安に気づかない曽根崎さんは、何を思いついたのかポンと手を打った。


「ここらで一つ、答え合わせでもしてみようか」


 そして、がらんどうの洞窟によく響く声で語り始めた。


「名探偵、皆を集めてさてと言い――というのは、誰の言だったのでしょうか。ともあれ、私にとっては大変都合良く、今この場には第五地区の方全員がお集まりいただいているようです」


 ……全員? その言葉によくよく見てみると、今まで姿のなかった女性や子供が複数人、集団に混ざっていた。

 曽根崎さんは、顎に手を当てて探偵気取りである。


「てっとり早く、結論から参りましょう。第五地区の皆様は、こちらのオカエリ様の力で寿命を迎える前に “ 産み直し ” をしてもらい、卵の中で赤子まで若返っては、また同じ人生を生きてきている。――村の秘密とは、この事で間違いありませんね?」

「……やはり、気づいていましたか」


 先頭に立つ地区長の顔が、苦々しげに歪む。


「ここまで見られてしまったからには、誤魔化すこともできません。仰る通り、我々は遥か三百年の時を、若返りし続けることで生き続けてきました。それらは全て、オカエリ様のご加護のおかげ。かの女神様がいらっしゃる限り、我々は永劫の時を死の恐怖に怯えず生きていくことができるんです」


 その言葉に、曽根崎さんは淡々と返した。


「……一人の産み直しにつき、一人の身寄りのない青年を犠牲にしてまで、ですか」

「そんな言い方は……! いや、申し開きなどできない。我々は、そう言われても仕方の無いことをしてきました」


 地区長は叱られた子供のようにうつむき、掠れた声で言う。


「……罪悪感が無いわけではありません。だからこそ、できるだけ彼らがオカエリ様の花婿となった後も生き続けていられるよう、可能な限り生気を残してきたつもりです」

「生気ねぇ。追跡調査をした所、この村でオカエリ様の花婿となった男性は、早くて半年、長くて三年の内に亡くなっていましたが」

「……」

「ああ、努力不足を責めるつもりはありません。実際、あなた方はとても上手くやってきました。第五地区の中から必ず産科医を出し、卵から孵っただけの赤ん坊を、あたかも一女性から産まれたように処理して戸籍を与えさせた。地区人口についてもそうです。一度に複数人が同時に寿命を迎える事がないよう、調整をしてきた」

「……その通りです。参りましたね、何から何までお見通しですか」


 決まり悪そうに頭をかく地区長に、曽根崎さんは表情の一つも変えないままだ。

 僕はといえば、第五地区への身勝手な行為への怒りよりも、未だ藤田さんに拘束される阿蘇さんへの焦燥よりも、滔々と彼らの口から述べられる真実にただ呆然としていた。


「……しかし、それにしても疑問だ。いつ私達は、貴方に綻びを見せてしまったんですか」


 静かな洞窟に、くたびれた声が反響する。月明かりに照らされた曽根崎さんは、少し首を傾げてその問いに答えた。


「小さな違和感はいくつかありましたが、まず決定的だったのは、宴会の時に貴方の言った写真家の青年の談です」


 その一言に、僕は宴会での出来事を思い返す。……あれは確か、僕らがこの村に来ることになったきっかけの写真を撮影した人物について、地区長が話していた時の事だ。 “ そういえば彼も気持ちのいい青年でした ” 。それが、彼の発言だった。


「――違うんですよ」


 彼は、あの写真を撮った人物を知っていたのだ。


「五年前にここに訪れ、写真を撮ったのは、ある強烈な個性を持った絶世の美女だったんです。気持ちのいい青年とは、程遠い存在のね」

「……!」

「思い出しました? きっと、その青年が訪れたのは百年前の方だったんでしょうね。脳の容量に限界は無いという説もありますが、溢れかえるほどの情報は記憶を混乱させる。途中卵化する期間を除けど、この三百年という時間は情報を蓄積するにあまりに膨大だった」


 ――そう、膨大過ぎたんだ。

 僕の前に立つもじゃもじゃ頭の彼は、呟いた。


「……ここから先の謎解きは、あなた方ですら気づいていない真実になります」


 怪異の掃除人は、長い人差し指を唇に当てる。地区長並びに村人は、黙って彼の言葉の続きを待っていた。


「皆様の中には、一歳にも満たないような赤ん坊もいますね。……ところで伺いたいのですが、果たしてそこの赤ん坊も、あなた方と同じような記憶を持っているのでしょうか」

「当然です! 彼女だって何度も生を繰り返して……!」

「ならば、彼女に尋ねてください。この中で、那巻といえば誰を指すのかを」


 彼の一言に、村人は何の反応も示さなかった。不気味なほど静まり返った洞窟内で、曽根崎さんの声だけがする。


「……脳というのは、身近ながら未だ謎の多い器官です。しかし、どうも幼児期健忘が起こるといわれる三歳ぐらいまでは、記憶を司る海馬が未発達であるという。……であれば、その未発達な器官に、どう三百年の記憶を保持させるというのでしょう」


 僕はハッとした。

 そうだ、人間の脳は、完成されずに生まれてくるのだ。


「――不可能ですよ。大人と赤ん坊の脳は千グラムも違うんです。いくら若返っただけだからといって、赤ん坊では三百年の記憶を受け入れるなんてできない」


 だったら、この現象はどういうことなのだろう。地区住民が口を揃えて、自分達は三百年を生きていると断言している、この現象は。


 ――まさか。いや、だけど、そんな。


「刷り込みさ」


 曽根崎さんは、考えたくも無いようなおぞましい答えを叩きつける。


「オカエリ様が、毎晩三百年の記憶を住民の脳に刷り込み、同期させていたんだ。同じく悪夢を見たという忠助や藤田君が、教えられてもいない村人の名前を知っていたのが何よりの証拠だよ」

「だ、だけど曽根崎さん! それじゃあこの人達は……!」

「ああ、君は賢いね。……そうだよ、そうなんだ」


 僕を振り返り、曽根崎さんは笑う。


「彼らはとっくに、真っ当な人間だった頃の意思や記憶なんて残っちゃいないのさ」


 ――なんということだ。


 僕は、恐ろしさに膝をつきそうになるのを必死で堪えていた。


 オカエリ様に都合良く塗り替えられた記憶を自らの意思と信じながら、他人の命を犠牲にしてひたすらに生を繰り返す。


 それが、ここ第五地区住民の真実だったのだ。


「……何の、為に?」

「ん?」

「何の為に、オカエリ様はそんな事をしたんですか」


 震える声で、僕は尋ねる。曽根崎さんは、平気な顔をして言った。


「さぁな。でも、“ ただ生き続ける ”、案外理由なんてそれに尽きるんじゃないか」


 これは、曽根崎さんの想像だ。だけど、どうしようもないほどに、それが核心をついてしまっている気がした。


 せめて、ここに集まった六十人が、戸惑い、怯え、怒りに拳を振り上げてくれたなら、僕はいくらか救われただろう。ああ、彼らは人間なのだ。刷り込みがあるとはいえ、それぞれが確かな意思を持っているのだと。


 しかし、彼らはシンと立ち尽くし、無表情な顔をこちらに向けるのみだった。


「……曽根崎さん」

「うん」


 彼らは、僕と曽根崎さんを決して逃しはしないだろう。オカエリ様の秘密を知り、こんな場所まで来てしまったのだから。

 出口は村人に塞がれている。阿蘇さんと藤田さんは人質に取られている。そして背後には、オカエリ様と胎動する卵塊。


 ――八方塞がりではないか。


 絶望感に支配される僕に、曽根崎さんはのんびりと疑問を口にする。


「それはそうと、オカエリ様とはどんな漢字を書くんだろうなぁ。女神の元に帰ってくる、お帰り様。孵化する、お孵り様。あるいはその両方とか」

「何、能天気な事言ってるんですか。このままじゃ僕ら、オカエリ様のエネルギーになって死にますよ」


 村人達は、ゆっくりとこちらへ距離を詰め始めた。思わず一歩下がる僕だったが、背後の穴を思い出しすんでで踏みとどまる。

 こうなりゃヤケだ。死ぬ前に、このオッサンに不満をぶつけておこう。


「っていうか、なんで答え合わせなんてしちゃったんですか! やっぱりなんもワカリマセンでしたで貫けば、もしかしたら洗脳されるだけで助かったかもしれないのに……!」

「無理無理、こちとら家屋爆破してんだよ」

「そうだ、アンタもうテロリストなんでしたね」

「肩書きが増えるなんてワクワクするな。あとあれだ、別に私は知り得た情報を褒めて欲しくて、ヤツらに発表会をしたわけじゃないぞ」

「え?」


 どういうことですか、と尋ねようとした僕だったが、遠くに聞こえた車のエンジン音に気を取られ言葉を飲んでしまう。それはたちまちの内に爆音となり、僕らが何か反応するより先に、暗い洞窟内をまばゆいばかりのライトで照らし出した。


 状況が理解できず動きを止めてしまった村人達と僕を前に、曽根崎さんは一人、やれやれと困ったように言う。


「……やっぱり、方向音痴に一人で来させるのだけは、判断ミスだったな。時間を稼ぐのも楽じゃないんだよ」


 曽根崎さんの言葉が聞こえたのだろうか。軽トラの運転席から、鋭いハスキーボイスが飛んできた。


「あらあら何よ! せっかく来てあげたってのに、感謝の涙一つも見せないなんて助け甲斐の無い男どもね! なんならこのまんま帰るわよ!?」


 そこに現れたのは、長い黒髪をなびかせ軽トラを運転する、強烈な個性を持った絶世の美女だった。

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