第17話 水の底には

 やたら重たい機械とホースを抱え、曽根崎さんと二人で洞窟内に足を踏み入れる。もしかするとまだ何人か村人が残っているのではないかと危惧したが、幸い全員曽根崎さんの放送に煽られ、飛び出して行ったようだった。


「ところで、君のその衣装はどういうことだ」


 開いたままの鉄扉を越えて奥へ奥へと進んでいると、曽根崎さんに指を差された。僕は服の上から着た薄く白い装束を見下ろし、首を横に振る。


「なんなんでしょうね、これ。直に着るのも嫌だったので、普段着の上に着てしまいましたが」

「そこじゃない。着物の前合わせだ」


 曽根崎さんは立ち止まり、僕の服に手をかけた。


「……左前になっている。これだと死装束だ。誰に着せてもらった?」

「阿蘇さんです。っていうか、曽根崎さんの中で僕が一人で着たって選択肢は無いんですか」

「無いな。大体君、旅館の浴衣を着るのですら私に頼ってきただろ」

「ほんとなんで帯を締めようとすると浴衣が脱げていくんですかね。腕が二本しか無い僕には到底できない芸当です」

「もう君は一生洋服着てろ」


 曽根崎さんは僕と会話をしながら、袴の帯を緩め、着物の紐をほどいてきた。どうやら直すつもりらしい。

 僕が男だったからまだいいものの、そこはせめて一言断って欲しかった。


「どうでもいいじゃないですか。一応僕は神様という名目なんですし、案外左前でも間違いないでしょう」

「鋭いな。君の言う通りだが、私が嫌なんだ。景清君は常世の人間じゃない、現世の人間だからな」

「着物一つで変わりゃしませんよ」

「私は結構縁起を担ぐぞ。さ、できた。先を急ごうか」


 無事に右前になった前合わせを軽く叩き、曽根崎さんはスタスタ歩き出した。その後ろを急いで追いながら、僕はまた重たい荷物を持って坂道を登っていったのである。










 やがて、僕らは開けた場所に出た。雲が晴れたのか、天井から月明かりが点々と差し込んでいる。

 曽根崎さんはぐるりと中を見回すと、腰に手をあてて僕に指示を出した。


「よし、景清君。ホースをできるだけ坂道に沿うよう置いてくれ。それができたら、端だけ持ってついてきてくれないか」

「分かりました。……ここに、オカエリ様がいるんですか」

「君のメモによるとそうらしいな。寒気はするか?」

「え? いや、大丈夫です」

「そうか。となると、オカエリ様はもう君をツガイとして認識していないようだな」


 曽根崎さんは、ニヤリと笑う。


「フラれたな、景清君」

「何の事だかさっぱり要領を得ないんですが」

「注意しろということだよ。オカエリ様にとって、もはや我々はただの侵略者だ」


 そう言う彼の横顔は、しかしえらく余裕に見えた。敵の本陣にいるというのに、彼の感情表現が壊れていないのは珍しい。

 無論、それはそれで頼もしくはあるのだが。


 歩を進めていると、何やら泉のような水場が見えてきた。半径二メートルほどの、なかなかの広さの水溜りである。


「あれは?」

「オカエリ様の寝床だよ。私達は今からあの水を抜く」

「何のために?」

「半分は知的好奇心、もう半分は……」


 曽根崎さんはホースの片方を水の中に落としながら、機械の電源を入れた。


「……この地区を滅ぼすためだ」


 勢いよくホースが水を吸い込んでいく。爆音が洞窟内を満たす中、少しずつ池の底が露わになっていった。

 唇を真一文字に結び、背筋を伸ばして底を見つめる曽根崎さんの姿は、まるで地獄の深淵に立つ亡者のようだ。この世ならざるその影を、僕はぼうっとまじろぎもせず見つめていた。


「見ろ、景清君。あれが君の花嫁のご尊顔だよ」


 ふいに曽根崎さんがこちらを向く。彼の言葉に、僕は殆ど空になった池の中を覗き込んだ。


 その瞬間、かつて抱いたことのない凄まじい嫌悪感が僕を襲った。


 全身を這い上るようなおぞましさに、鳥肌が立つ。目が、脳が、この光景を見続けることを拒絶している。しかし、何故だか僕は視線を逸らすことができなかった。


 ――そこにあったのは、大きな像を囲むようにして壁や池底に所狭しと張り付く、大小様々なピンク色の塊群だった。


 よくよく目を凝らしてみると、その塊の薄膜の内に人影が見える。……あれが、若返りをする村人なのだろうか。となると、この塊らがオカエリ様によって “ 産み直し ” をされた “ 卵 ” ということになる。


「……さしづめ、あの水は羊水といったところかな」


 淵に手をつき、池に落ちそうなほど身を乗り出して覗く僕の頭上で、怪異の掃除人は言う。


「中央に埋もれるアレが、きっとオカエリ様だ。どうだ、君の好みか?」

「……ほんと、タチの悪い質問をするオッサンですね」


 無理矢理口をひん曲げて笑ってやる。

 ……上から見ただけでは、その全貌は分からない。だが、ぶっくりとした薄緑色の巨体に、頭部と思しき部位に広がるでこぼことした禿頭、そして魚のように突き出た目と口を見る限りでは、僕の理想の女性とは程遠い存在だと断言できた。

 それに、何より……。


「……僕、一途な人がタイプなんですよ。男を取っ替え引っ替えするような女性は、ちょっと」

「そりゃ残念。嫁探しはまたの機会だな」

「ええ。特に未練もありませんし、今回はご破算ということで」


 しかし、それにしても、ここからこの人はどうするつもりなのだろう。眼下で胎動する卵を一つ残らず破壊するのは難しく無さそうだが、それだと外にいる村人達は放置ということになる。村人は村人で一人一人殺していくのか? いや、戸籍があるほどの人間にその対処法は現実的でない。


 僕は立ち上がり、土埃を払って彼に疑問をぶつけようとした。

 が、振り返った先で見たものに、咄嗟に曽根崎さんを庇うよう前へ出る。


「……やあ、花婿殿」


 ホースの向こう側にいた地区長が、にこやかに、しかし確かな敵意を含んだ眼差しでこちらに呼びかけた。彼の後ろには、ずらりと村人が並んでいる。


「花嫁との神聖な共寝の場に、他人を連れ込むだなんて何とも無粋じゃありませんか。オカエリ様も大変悲しんでおられますよ」

「それは……どうもすいません」

「謝罪は結構ですので、どうかそちらの方をこちらにお渡しいただけませんか。さもなくば……」


 地区長の合図に、二人の男が前に出る。その姿を見た僕は、思わず声を張り上げた。


「藤田さん! 阿蘇さん!」


 僕の叫びに、藤田さんは何の反応も示さない。ただ暗い目をして、無抵抗の阿蘇さんの首筋にナイフを突きつけている。

 頭が真っ白になった僕を見た地区長は、下卑た声で満足げに言った。


「……これ以上、あなたのご友人の首にナイフが食い込む所は見たくないでしょう?」

「なんて……ことを!!」

「さぁ、ご決断ください、花婿殿」


 地区長は、醜悪な笑みをその顔に浮かべた。


「――友人一人を庇い共々殺されるか、友人二人を救い花婿を続けるか」


 悪夢のような提案に、僕はあらん限りの憎しみを込めて、村人達を睨みつけたのだった。

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