第16話 地区内放送
夜になった。僕はまた、花婿としてオカエリ様としとねを共にしなければならない。
結局あれから一度も姿を見せなかった藤田さんを心配しつつ、僕は阿蘇さんと祠に向かっていた。
周りに人がいない事を確認して、彼に小声で尋ねる。
「……阿蘇さん、藤田さんは」
「正直、俺も気にはなってた。俺が刷り込みに抵抗できるってオカエリ様にバレてたとしたら、最悪のパターンを想定してた方がいいかもな」
「……」
最悪、とは何だろう。藤田さんが村に取り込まれ、利用されるとかそういった類いのものだろうか。
いや、そんなものではない。もっと恐ろしい事が、今この村で起こっているのかもしれない。
そう、例えば……。
「……村に隠れてる女の人を、藤田さんが片っ端から食べてたりとか?」
「だとしたらそれもう妖怪だわ。妖怪子種残し」
「阿蘇さんて時々めちゃくちゃスムーズに下ネタ言いますよね」
「アイツの影響かな……。おかしいな、刷り込みは無いはずなのに藤田への殺意が溢れてきたぞ」
そんな事を話している内に、洞窟が見えてきた。昨晩の記憶は無くなっているので、今の僕には中に何があるのかは分からない。が、昨晩の僕が乗り越えられたなら、多分今日の僕にも乗り越えられるはずだ。
気を引き締め、阿蘇さんに別れを告げようとしたその時だった。
ピンポンパンポーンという馴染みの電子チャイム。それに続いて、強烈なハウリング音が僕らの耳をつんざいた。
「え!? なんですか!?」
「これは……地区内放送だな」
冷静な阿蘇さんが、村の方角に目を向ける。
「公民館のすぐ外にスピーカーがあった。恐らく、公民館の中で誰かが放送してるんだ」
誰かとは、まさか。
脳裏にもじゃもじゃ頭の三十路が浮かぶ。しかし僕が彼の名を声に出すより先に、キーキーと機械音が混ざる放送が辺りに響いた。
『えー……ただ今マイクのテスト中、ただ今マイクのテスト中。……どうも、多間村第五地区の皆様、夜分に失礼いたします』
ああ、この淡々とした低い声は、曽根崎さんだ。
僕は、殺意と安堵という相反する二つの感情を胸に、空に向かって目を見開いた。
『申し遅れましたが、私、曽根崎慎司という者です。この村では学者と名乗りましたが、失礼、私の本業は別にあるとまずお伝えしておきしょう。……“ 怪異の掃除人 ” 。人に仇をなす人ならざるモノを成敗する、いわゆる正義のヒーローをやっております』
「利己主義者が何か言ってますよ」
「ぶっ殺してぇな」
ツッコミか本心なのか分からない。本心な気がする。
『……さて、今から私は、このような場をお借りしている理由について話さねばなりません。きっと皆様は、私が儀式の邪魔をするのではないかと疑い心配していらっしゃることと思います』
僕と阿蘇さんは、一言たりとて彼の言葉を聞き逃すまいとじっとしていた。
鳥や虫の声すらしない空白の時間があり、スピーカーの向こうの曽根崎さんは言う。
『――まさに、ご明察』
遠くで爆発音がした。慌ててそちらを見ると、家屋の一つから黒い煙が立ち上っていた。
その光景に、僕は青ざめる。
「……何してんだ、あの人……!?」
「おーおー、派手にやりやがったな。正義のヒーローが聞いて呆れるわ」
「あ、あ、阿蘇さん、どうしましょう! 曽根崎さんがテロリストになっちゃいましたよ! 殺さなきゃ!」
「刷り込みも相まってえらい発言になってるぞ。とりあえず最後まで放送を聞こう」
阿蘇さんに宥められ、僕は頷いた。洞窟の中からも人が数人出てくる。きっと鉄扉を閉める係の人達だろう。
星も出ていない暗い空に、曽根崎さんの声だけがする。
『……突然驚かせてしまい申し訳ありません。今私は空き家を一軒爆破しましたが、素顔の私は至って平和主義の人間でしてね。皆様と膝を突き合わせ話し合いで解決したいというのが本音です。そういうわけで第五地区の皆様、ご足労恐れ入りますが今すぐ公民館までお集まりください。そこで私は、私が得たこの村の秘密についてお伝えしたいと思います』
「な……」
『なお、三十分が経過するごとに設置した爆弾をランダムで爆破していきます』
何をふざけた事を!
カッとなった僕は体を公民館に向けようとしたが、阿蘇さんに腕を掴まれ阻まれた。
立ち止まる僕の隣を、同じく頭に血が上っただろう村人たちが駆けていく。
「……俺が行ってくる。君は、オカエリ様の元に」
そう言った阿蘇さんの目は、暗く沈んでいた。
その目を見た僕も、それが僕のすべき事だとすぐ理解できた。だけど、刷り込みに支配される脳の片隅で、拭い去れない彼への不安が膨れ上がっていく。
「阿蘇さん。曽根崎さんはどうなるんですか」
「それは分からん。だけど、殺しときたい気持ちが強いな」
「……」
賛同も、否定もしなかった。それが精一杯だった。僕の腕から手を離し、公民館に向かって地面を蹴って走り出した阿蘇さんの後ろ姿を、僕はただ見つめていた。
――今の僕では、曽根崎さんに会えない。会えば、刷り込まれた衝動をぶつけてしまうかもしれない。
それだけは、できなかった。
うつむき、拳を握りしめる。訳の分からない悔しさに吐き気がした。
何の意味も無いと自虐を込めながら、僕は消え入りそうな声で彼の名を呼ぶ。
「……曽根崎さん」
「はい」
「いや、いるのかよ!!」
背後から来たるまさかの応答に、刷り込まれた殺意より馴染みのツッコミが勝ってしまった。
なんでいるの!?
曽根崎さんに思考を乱され慌てふためいている中、彼は僕の顔を両手で押さえこんできた。
「じっとしてろ」
そのまま顔を寄せられ、耳元で何か囁かれる。数秒後、僕の中にあった彼への殺意はすっかり消えてしまっていた。
「……何したんですか」
「記憶を曇らせた。とりあえず、これでオカエリ様の刷り込みは大丈夫だろ」
疲れたようにフゥと息を吐く曽根崎さんである。ようやく現状に脳が追いつき、僕は疑問を口にできた。
「あの放送は?」
「ただの録音だよ。村人を公民館に集めるためのね」
「なんでそんな事をしたんですか」
「鉄扉を開いた状態にし、村人がいなくなった隙に中に入る為だ。あともう一つ理由があって、ここに飛ばすドローンに気づかれないようにする為だな」
「ドローン。……とすると、何か持ってきてもらったんですね」
「そう。田中さんにこいつを手配してもらった」
曽根崎さんは、足元に転がる物々しい機械とホースのようなものを見下ろした。……よくバレなかったな、これ。相当重量がありそうだけど。
「これを敵に使うんですか」
「ふふ、よくぞ聞いてくれた」
曽根崎さんは笑い、薄汚れた手帳を取り出した。それは、旅行初日に僕が彼から奪ったものだった。
「中を拝見したよ。君の血で書かれていた情報のおかげで、お望み通り私は頭を働かせることができた」
「え? 僕、祠の中で血文字書いてたんですか? 怖……」
だから指を怪我していたのか。覚えていないとはいえ、我ながら過激なことをするものである。
曽根崎さんはどこか嬉しそうに僕の頭を撫でながら、言った。
「やはり君は強いな。オカエリ様にその身も心も渡すことはなかった」
「覚えてないんでなんとも言えませんが、それなら良かったです。で、どういう作戦を立てたんですか?」
手を振り払い、僕は曽根崎さんを真正面から見据える。対する彼は、やはり淡々と、短く言い放った。
「――池の水全部抜く」
記憶を無くした僕はその言葉の意味を全く理解できず、「はい?」と顔を歪めたのだった。
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