第15話 決戦は今夜に

「ねぇ、景清は大丈夫なの?」


 翌日、曽根崎と柊は誰もいなくなった洞窟に来ていた。鉄扉の前でうつむきウロウロする曽根崎に、柊は心配そうに尋ねる。


「あの子、昨日はここに監禁されてたんでしょ? だったら、アンタの言うオカエリ様に洗脳されたんじゃ……」

「無論、全くの無事ではないだろうな」

「それなら」

「かといって、大人しく洗脳されただけとも思わない」

「どうしてそう言えるのよ」


 訝しげな柊に、曽根崎は顔を上げずに強い口調で言った。


「そう約束したからだ。私を動かす為に自らオカエリ様の元に行くというのなら、一秒たりとてヤツに寿命をくれてやるなと」

「うわ、アンタそんな口約束だけで景清を行かせたの? 信頼してんだかバカなんだか」

「信頼してんだよ。君が思ってるより、彼は律儀な人間だぞ? こんな約束でも、景清君ならしっかり心臓に根を張らせて守ってくれる」

「……変わったわね、シンジ」


 柊がぽつりと言う。冷たい洞窟の壁に背中を預け、入り口から誰も入ってこないことを確認するよう首を伸ばした。


「以前のアンタなら、景清の言うことなんて完全無視して、村も放置でさっさと出て行ったでしょ。それを協力して潰すだなんてどういう風の吹き回しよ。まさか正義感だけが理由じゃないわよね?」

「別に。私は私なりに思う所があるだけだよ」

「ふーん」

「まあ、それはそれとして……」


 曽根崎は長い体を折り曲げ、積み重なった石をどける。その中から、一冊の黒い手帳を拾い上げた。


「ほら、 “ 情報 ” だ。昨晩彼が得たものは、きっとこの中にある」


 土埃だけではない汚れにまみれたその手帳に、柊は様々な思いの詰まったため息をついたのだった。










 次に意識が戻った時、僕の視界に映ったのは旅館の天井だった。


「……あれ、初夜は?」


 気怠い体をなんとか起こし、頭を振って呟く。返事は期待していなかったのだが、すぐ後ろから声がした。


「心配しなくていい。花婿の仕事はちゃんとやりきったよ。偉かったな、景清君」


 この声は、阿蘇さんである。僕はのろのろと振り返り、彼の姿を確認した。……阿蘇さんも、どこか疲れている顔をしているような気がする。どうしたのだろう。


「大丈夫ですか」

「それはこっちのセリフだ。今の景清君、相当酷い顔をしてるぜ。何があったか知らんが、右手の指もぼろぼろだし」

「え? あ、ほんとだ」


 言われて右手に目を落としてみると、人差し指と中指に絆創膏が巻かれてあった。多分この人が手当てをしてくれたのだろう。しかし、この傷がどうつけられたものなのか、全然思い出すことができなかった。

 だけど、それを思い出すために頭を働かせるのも億劫である。僕はまた布団に倒れ込んだ。


「……まだ眠いです」

「寝ていればいい。しばらく一緒にいてやるよ」

「ありがとうございます」


 優しい言葉に甘えて瞼を閉じようとする。が、その前に一つの疑問を解決しようと、首を捻って阿蘇さんの顔を見上げた。


「曽根崎さんと藤田さんは?」


 その問いに、阿蘇さんは一瞬困った顔をした。


「……兄さんは、どこにいるかまだ分からない。藤田はそんな兄さんを探しに行ってるよ」

「そうですか。早く見つけないといけませんね」

「ああ。このままでは儀式に差し障りが出る」


 うんざりしたような阿蘇さんの言葉に、僕は首の動きで同意を示した。

 あの放っておくと何をするか分からない曽根崎さんが逃げてしまったという事は、由々しき事態である。一刻も早く捕らえ、事故に見せかけて殺してしまわなければならない。そうでないと、オカエリ様や村の人が辛い思いをしてしまうからだ。

 不安で寝られそうも無かったが、それにも勝る体のだるさが僕を少しずつ眠りに誘っていく。とろとろとまどろむ脳で、少しでも村の役に立つにはどうすればいいかを考えていた。


 ――僕が囮になれば、曽根崎さんを見つけられるだろうか。


 いい案かもしれない。何故なら、僕は彼に手帳を返す必要があるからだ。オカエリ様の情報が書かれた手帳を、あの人に渡さなければならない。


 そう誓ったのだ。オカエリ様に僕の一片すらやらないで、曽根崎さんに情報を持って帰ってやると。


 ――そこを、狙って……?


 なんで? なんで曽根崎さんをおびき出さないといけないんだ?


 あれ? 僕は、今、なんて――。


「ばわぁぁ!?」

「うわっ! なんだ!?」


 僕はガバリと跳ね起きた。頬を両手でバチバチ叩き、無理矢理脳を覚醒させる。


 ――何をしているんだ、僕は。何を考えてるんだ!

 よりにもよって、曽根崎さんをおびき出して殺すだなんて!


 焦りながら、僕はジーンズの尻ポケットに手を突っ込んだ。


 ――無い。


「阿蘇さん、僕が持ってた手帳を知りませんか!?」


 阿蘇さんにすがりつき、問い詰める。対する阿蘇さんは、どこか暗い目をして言った。


「黒い手帳? ……あれなら捨てたよ。景清君が持っていても仕方ないと思って」

「……っ!」


 そうだった。

 阿蘇さんも藤田さんも、既におかしくなってしまっているのだ。ほんの少し前まで、曽根崎さんを殺そうとしていた僕のように。


 僕は阿蘇さんから離れると、手帳を回収する為外に向かって走り出そうとした。


「待て」


 しかしすぐに阿蘇さんに足払いをかけられ、その場に昏倒する。うつ伏せになった僕の首に、阿蘇さんの大きな手がかけられた。


「景清君。落ち着いて聞け」


 すぐ耳元で、低く抑えられた阿蘇さんの声がする。それは、無理矢理絞り出しているかのような苦悶に満ちたものだった。


「あの手帳は、洞窟の鉄扉の前にうまく隠した。兄さんなら、あれでちゃんと見つけてくれる。だから安心しろ」

「あ、阿蘇さん……!?」


 どういう事だ? 阿蘇さんは洗脳されてしまっているのではないのか?

 僕の疑問を察した彼は、やはり苦しそうに答えてくれる。


「…… “ 刷り込み ” はあるよ。かなり脳の深い所にまで入ってるのがわかる。……だけど、俺がその気になれば、まだ抵抗ぐらいはできる」

「それって、その気になったぐらいで抵抗できるもんなんですか?」

「多分普通はできない」

「じゃあなんで阿蘇さんは?」

「俺、理性強いから」


 なんだその理由。しかし、それを信じるより他に、阿蘇さんの様子に説明がつくものは無さそうだった。

 僕は体の力を抜き、阿蘇さんにこれ以上暴れないことを約束する。


「……なんで、曽根崎さんが殺されないといけないんですか」


 僕の中に刷り込まれているのは、ただ彼を野放しにしてはいけない、消してしまわなければならない、という衝動だ。曽根崎さんを目の前にして、この気持ちが抑えられる自信がまるで無かった。

 阿蘇さんも同じなのだろう。僕の首にかかる手に、力が入った。


「単に邪魔なんだろ。俺がオカエリ様でも同じ事を考えるよ」

「曽根崎さんが脱走した事は何となく脳に情報として入ってるのですが、あれから他にやらかしました?」

「ああ、うん。やらかした」


 阿蘇さんの手が離れる。自由が戻った体で彼の顔を見ると、何故か少しだけ笑っていた。


「……地区長の家から、鉄扉の鍵が盗まれていた」

「え、でも……!」

「そう、あの鍵には順番がある。四種類の鍵を、対応した鍵穴に正しい順番で入れなければならない。ま、運が良ければ開けられないこともないかな」

「なら、今鍵は曽根崎さんが持ってるんですか?」

「いや、戻ってきてる」


 戻ってきてる?


「……朝、玄関先に丁寧に置かれてたんだとよ」


 阿蘇さんは、キョトンとした僕の鼻先を人差し指で突いた。


「そんなわけで、深夜の内に兄さんがオカエリ様の祠に侵入した可能性がある。……大犯罪だ。殺しとかなきゃ、だろ?」


 確かに、許されざる行為だ。もしもその仮説が本当なら、中にいた僕が曽根崎さんに手帳を渡せていないはずはないのだが、そんなことはどうでもいい。ただ、こみ上げる彼への殺意が僕の脳を満たしていた。


 ――彼は、動いている。

 僕らの想像の遥か上を越えながら。


「……きっと、今夜ですね」

「ああ、今夜だ」


 僕らは顔を見合わせ、ニヤリと笑う。その感情は、何も言葉を交わさなくてもピタリと一致していた気がした。

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