第11話 オカエリ様の刷り込み

 洞窟の中を、曽根崎は阿蘇の背を追って歩いている。

 温度感覚が鈍い曽根崎だが、それでもこの場所は外に比べて幾分肌寒いのであろうことは容易に想像がついた。


「忠助」


 兄の呼ぶ声に、阿蘇は反応する素振りさえ見せない。まるで曽根崎から離れようとするかのように、彼はよろよろと洞窟の奥へと向かっていく。


 ――まずいな。


 曽根崎は、足を踏み出すたびに深まる疑念に、奥歯を噛み締めた。


 ――今の忠助と二人きりになるのは、危険かもしれない。


 しかし、だからといって迂闊なことはできない。阿蘇の様子も気になるが、今は祠での情報収集を優先すべきだ。

 そう結論を出し、無言で曽根崎は歩みを進めていく。


 まもなく二人は、少し開けた場所に出た。


「これは」


 現れた意外な物に、曽根崎は息を飲む。それは、寂れた村の洞窟に存在するにはあまりにも場違いな、物々しく重厚な鉄の扉だった。

 その中央には大きな鍵穴が四つ備え付けられており、更に二本のかんぬきが上部と下部それぞれに差してある。


「……何が何でも中にいる人物を出さない、という異様な執念を感じるな。どこぞの要塞教会を思わせるが、しかしここは日本の山奥だ。たった一人を一晩逃がさないというだけに使われるには、いくらなんでも過剰に思える」


 扉を軽く叩きながら、曽根崎は言った。阿蘇はそんな兄の隣で、黙って扉に片手をついてもたれている。


「叩いて分かるが、結構分厚いな。これは成人男性が三人いても、開け閉めするには一苦労な重さになるんじゃないか」

「……」

「肝心の祠はこの先だろうが、進むには鍵が無いとダメだな。地区長に言っても貸してもらえるわけがないだろうし、大人しく帰るとするか」

「……」


 阿蘇は何も言わない。曽根崎は彼を視界に入れたまま、足音を立てないようにして間を取る。とはいえ、狭い空間では離れられる距離も微々たるものだ。数歩も歩かないうちに、曽根崎は足元に転がる石につまづいた。


「兄さん」


 その音に、やっと阿蘇は口を開く。曽根崎は尻もちをついた状態で、背を向けた弟に短く返事をした。


「なんだ」

「一つ教えてくれ」

「どうぞ」

「……アンタ、一体どこまで気づいてる?」


 それは、抑揚の無い声だった。


「……何に?」


 得体の知れぬ恐怖に、顔が勝手に笑みを作ってしまう。

 阿蘇は、未だこちらを向かない。


「何にって、何もかもだよ。村の儀式について、村人について、俺や藤田の変容について」

「……藤田君?」


 予想外の名前を聞いたその時、洞窟の外で景清の声がした。彼のよく通る声は洞窟を這い、一言一句こぼれ落ちる事なく曽根崎の耳に届く。


 “ 曽根崎さん、逃げてください ”


 彼は、確かにそう言った。


「景清君!!」


 外で藤田と待つ彼の身に、何が起こったというのか。

 曽根崎はすかさず立ち上がると、外へ向けて走り出そうとした。

 が、それより先に阿蘇の手が曽根崎のネクタイに伸び、強く地面に叩きつけられる。何とか受け身を取ったものの、阿蘇にのしかかられ身動きすらできなくなった。


「行かせない」


 阿蘇の目は、暗く沈んでいた。


「大丈夫、オカエリ様の花婿を傷つけることはしない。ただ夜まで別室で休んでもらうだけだ」

「……それを聞いて安心したよ。で、私はどうなる?」

「この場所じゃなきゃ、ずっとこうしていてもいいんだけどな」

「なんとも御免被るが」

「でもここは、オカエリ様の入り口だ。儀式の際に兄さんは邪魔になる」

「だろうなぁ」


 どこか他人事で呑気な曽根崎の言葉に、阿蘇は苛立たしげに舌打ちをした。


「……忠助の言う所の、悪夢のせいか」


 対する曽根崎は、仰向けになったままボソリと喋る。


「朝に私が尋ねた時、君は言ったな。食事の連絡に来た勝舞さんが、昨晩の宴会に参加していたかどうか分からないと。おかしな話だよ。宴会に参加していなかった男の名前なんて、いつ、どこで、どうやって知ったんだ」

「……」

「考えられる仮説は三つある。別人になったか、脅されているか、刷り込まれたか、だ。もし別人になったのなら、あからさまに体調が悪そうなフリをする意味が分からない。藤田君のようにいつもと様子を変えない方が、スムーズに事を運べるからな。脅されているというのも違う。私と君とで事前に決めている符丁を使えば、言葉を交わさなくてもすぐにそれがわかるからだ。……と、いうわけで」


 曽根崎は、色の無い目で見下ろす弟の顔を見上げる。


「君と藤田君は、何かに何かを刷り込まれた。それも寝ている間にね」

「……ペラペラとよく喋るなぁ。黙ってりゃいいのに」


 不思議とその声には、いつもの彼らしいぶっきらぼうな気遣いが感じられた。

 曽根崎は阿蘇の重みに苦しげな息を吐き、多弁を続ける。


「これも情報収集の一環だよ。どうせ根元にいるのはオカエリ様とやらなんだろう?そのオカエリ様に、曽根崎慎司がどれほど厄介かという情報が伝わるタイミングを知りたいんだ」

「すぐに伝わるかもしれねぇぜ」

「どうだかな。今の所、それは寝ている間の決まった時間だと私は踏んでるんだが。つまり私と景清君に刷り込みが起こらなかったのは、夜更かしをしていたからという推理で……。そうそう、寝ている間といえば、三尸って知ってるか? 生まれた時から人の体に住んでいる三匹の虫でな、六十日に一度、寝ている間に抜け出しては天帝に悪業を告げ口をする。それが伝わってしまえば寿命が減らされるからというんで、三尸を信じる人々はこの日だけ眠らずに夜を過ごしたそうだ」

「……よくもまあ、こんな状況で蘊蓄を垂れ流せるもんだな」


 冷ややかな阿蘇の言葉に、曽根崎はフンと鼻で笑う。そして少しだけ身を起こし、弟の顔に人差し指を突き立てた。


「ほら、こんなに時間をやったのに、忠助は私に何もしない。私を景清君から引き剥がし、どれぐらい真実を知っているか情報を集めろとまでしか刷り込まれてないんだろ。私だったら、こんな面倒くさそうな男は放っておかないね。余計な詮索を続けられ事を大きくされる前に、息の根を止めてしまう」

「……別に俺ァ、止めてもいいんだぜ?」

「私の弟はおっかないなぁ。そんなに凄まなくても、私は知ってるよ」


 曽根崎は、阿蘇の前髪をかき上げて、影の落ちていた顔を露わにする。


「――朝からずっと、その刷り込みに抗ってるんだろ」


 阿蘇の額には、涼しげな洞窟内だというのに丸い汗が浮いていた。ネクタイを掴んだ手は、力を込めすぎたせいで小刻みに震えている。

 曽根崎はというと、前髪をかき上げた手をそのまま動かし、耐えるように顔をしかめる弟の頭を撫でていた。


「……忠助、今は苦しいだろうが、耐えてくれ。後で全部、兄さんが頭の中からオカエリ様を消してやる」

「……兄さん」

「だけどオカエリ様や村人と繋がるそのパイプはとても使えそうだ。ご自慢の理性で刷り込みをねじ伏せ、私に情報を寄越してくれ」

「やっぱクソだわオメェはよ」


 呟くなり、阿蘇の頭突きが曽根崎の額に埋まった。痛みに鈍い曽根崎ですらくらりとするほどの衝撃に、阿蘇も少し正気を取り戻したようである。


「……正直、ギリギリだ。少しでも気を緩めたら、すぐに刷り込み通りの行動を取る。このままにするってんなら、どこまで協力できるかわかんねぇぞ」

「元々綱渡りなんだ。望むところだね」

「あと、藤田には期待すんなよ。あれは多分こういう洗脳に弱いタイプだ」

「まあ彼はひとまずこのままでいいよ。刷り込み状態の方が、無事に一週間生き残れる可能性が高いからな」

「やっぱそういう事か」


 思わず口を滑らせた兄に、阿蘇は複雑な表情をする。どうやら察しの良い彼は、とっくに曽根崎の行動の真意に気づいていたらしい。

 なんとなく気恥ずかしいのは、曽根崎である。


「……パイプから情報が欲しいというのは、本当だよ?」

「わかったわかった。極力頑張るから、強調すんじゃねぇ」

「はぁー、弟の察しが良すぎるのも考えものだ。せっかくカッコつけてもこれだもんな」


 無抵抗な仰向けに戻り、曽根崎は乱暴に言い捨てた。


「で? 刷り込み様の言う通りにするなら、私はどうなればいい?」


 その一言に、阿蘇の目はまた沈んだ暗い色になる。抑揚の無い声が、曽根崎に降ってきた。


「……そうだな」


 弟の提案に、曽根崎は大人しく首を縦に振ったのだった。

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