第6話 宴会
それからの僕らは、釣りをして時間を過ごすことにした。
「おい、そっち行ったぞ、藤田!」
「ねぇこれ本当に釣り!? 毎回思うけどこれ釣り!?」
「藤田さん、こっちは完全に封鎖しました! 後はあなたの掴み取りの奥義さえ出れば……!」
「そんな奥義持った覚え無いよ!!」
「藤田君、気を張れ! 川のヌシは敏感に人の気を察知する。ならばそのアンテナを壊すほどの気を当てるまで!」
「なんでさっきからオレが全部できる前提で話してるわけ!?」
やたら藤田さんが怒鳴っていた気もしたが、僕の初めての釣りは大変楽しく終わった。惜しくも魚は逃したが、釣れたところでまた放流するだけなので、これはこれでいい結果だったと思う。
そうこうしている内に、瞬く間に陽は落ちてしまった。
「今夜は、村の代表者の人達と晩飯を食べるそうだ」
宿に戻った阿蘇さんが、釣り具をしまいながら僕に教えてくれる。川に落ちた曽根崎さんと藤田さんは一足先に大浴場に行ってしまったので、今は二人きりだ。
阿蘇さんは僕の背を励ますように軽く叩きながら、言ってくれる。
「ま、そんな大層なものじゃねぇだろ。あんま固くなるなよ」
「はい、ありがとうごさいます」
「なんの。それより、景清君……」
スッと阿蘇さんの顔が僕に寄った。
……近い。近過ぎる。突き刺さるような目が、僕の目を覗き込んでいる。
息がかかるほどの距離で、彼は声色低く問いかけた。
「……君、あの時に兄さんと何を話してた?」
あ、これヤバいやつだ。
僕の動物的な直感が、今すぐ逃げろと囁いている。しかし、逃げられない。逃げたら、曽根崎さんと交わした後ろめたい約束を認めるようなものだからだ。
よって、僕は蛇に睨まれた蛙のごとく固まってしまった。
「……俺にも言えねぇ?」
何故かこのタイミングで、阿蘇さんは僕に優しく微笑む。
――殺される。
冷や汗が背中を流れ、僕はいよいよ曽根崎さんを売るべきか考えた。しかし踏ん切りがつかないまま、そのまましばらく永遠とも言える時間が流れる。
ふいに、阿蘇さんが僕から目を離した。
「ど、どうされました?」
「ん」
彼はズボンのポケットの中をゴソゴソと漁ると、僕に何か硬いものを手渡す。
それは、車の鍵だった。
「阿蘇さん、これ……」
「ライトの付け方はわかるな? オートマ車だから大丈夫だとは思うけど、それでも不安なら今から行って練習してもいいよ」
「いや、え、なんでこれ」
「クソ兄の考えそうな事ぐらい大体わかんだよ」
阿蘇さんは立ち上がり、ポカンとする僕を見下ろして、ニヤリと笑った。
「あと、最近は景清君の事も、少しはな」
……怖ぇー……。
尋常じゃないぐらい勘の働く人である。
ほんと、敵に回したくない。
ともあれ、夜にこっそり資料館に行こうとする曽根崎さんの企ては、全てバレてしまっているようである。その上で黙って協力してくれる阿蘇さんには、もはや感謝の念しかない。
まあ、警察官が身内の犯罪を見過ごす事を、僕が喜んでしまってはいけない気はするのだが。
阿蘇さんは外に出る準備をしつつ、僕を振り返った。
「夜の運転は危ないからな。しかも慣れない道だ。幸いまだ夕食まで時間があるし、付き合ってやるから何度か往復してみろ」
「阿蘇さん……」
「何」
「どうしてあなたのようないい人が、曽根崎さんの弟なんかやってるんです?」
「それは俺にも分かんねぇな……」
そんな素朴な疑問が浮上するぐらいには、曽根崎さんには勿体無い弟さんである。僕は阿蘇さんの背を追って、旅館を後にした。
「あなたが今回の花婿様ですか! いやぁ、素晴らしい若者ですね!」
宴会も中ほどになった頃に現れた地区長を名乗る五十代頃の男性が、僕にビールを注ぎながら豪快に笑う。僕はそれに愛想笑いで返しながら、適当にコップに口をつけるフリをしていた。
「あいにく、しきたりで女性は姿を見せないがね! 君の姿を見たなら、ぜひ話したかったと歯噛みして悔しがるだろうよ!」
「そんな事はありませんよ」
「君だけじゃない、お連れさんも男前ばかりで!」
「どうもどうも」
「ありがとうございます」
声をかけられ、藤田さんと阿蘇さんがにこやかに答える。僕の隣に座る曽根崎さんは、自分には無関係の褒め言葉と判断したのか、無言でぐびぐびとビールを飲み続けていた。
今から運転する予定の我が身である。事前に曽根崎さんと相談していた僕は、時々こっそり自分の背にビールの注がれたコップを置いては、空になった曽根崎さんのコップを受け取るという事を繰り返していた。
無論そんなやりとりなど露ほども知らない地区長は、曽根崎さんのコップにビール瓶を傾ける。
「さあさあ、お連れ様も飲んで! いい夜に致しましょう!」
「いただきます。……おや、あなたは」
大量の酒に顔色一つ変えない曽根崎さんは、ようやく地区長を見たようである。
「ひょっとして田馬さんですか?」
それは、昼に公民館で聞いたあの写真の男の名であった。田馬と呼ばれた地区長は一瞬キョトンとすると、すぐ笑顔になる。
「ええ、そうです! もしかして私、まだ名乗っていませんでしたか?」
「はい」
「そりゃあ失礼。しかし何故私の名前を?」
「公民館で那巻さんという男性から、この写真に写っているのが貴方であると聞いていたので」
そう言うと、曽根崎さんは浴衣の懐から二枚の写真を取り出した。それには、確かに田馬さんそっくりの男が写っている。
「ああ、それは五年ほど前に撮ったものですね」
「百年前に偶然撮影された写真の人物と瓜二つだった為、当時は一部で大いに話題になったのを覚えています」
「懐かしいですね。あの時はこの村への観光客が微増したものです」
「まさかこれほど似通うなんて、遺伝というものは不思議ですね。撮影された方も予想だにしなかったことでしょう」
「そういえば彼も気持ちのいい青年でしたなぁ。まさに、こちらにいらっしゃる景清君のような!」
「いえ、僕なんてそんな」
またコップにビールを注がれる。ただでさえあまり酒には強くないので、匂いだけでくらりとなってしまうのは情けないところだ。
そういや、曽根崎さんは大丈夫なのだろうか。本人はいくら飲んでも酔わない体質だと豪語していたが、なんせあの量である。
一つ声をかけようとした時、突然がしりと腕を掴まれた。
腕の先には、うつむいた三十路のオッサン。
「な、なんですか、曽根崎さん」
「……そう」
「え?」
「吐きそう」
……嘘だろ?
「え、ちょ、アンタ酒には強いって」
「だめだ、戻す、ふらつく、正気飛ぶ」
「飛ばすな! あ、阿蘇さん!」
急いで頼りになる弟さんを呼んだが、そちらもそちらでとんだ事態になっていた。
「なーに持ってんの! なーに持ってんの!? 飲み足りないから持ってんの!! アッソーレ!!」
「わはははは! 兄ちゃん、いいぞー!」
「では次! 野球拳!! 負けたら一枚脱ぐか酒を飲むか相手に強制できるオレルール発動!!」
「いいぞ、参加するぞー!」
「おおー!」
あの短時間に何が起こったのだろう。すっかり場を掌握した藤田さんが、人だかりの中心となって盛り上がっていた。
少し遠くで見守る阿蘇さんが、僕の視線に気づいてこちらを見る。えらく冷めた目をしながら、腕でばつ印を作って首を横に振った。
いや、こちらこそ、叔父がほんとすいません。
頷いて返し、地区長に向き直る。
「……地区長さん、ごめんなさい。せっかくの宴会中ですが、この人の介抱に行かせてもらえませんか」
「ああ、最後までいられないのは残念だが、我々も調子に乗ってお酒を勧めすぎました。お詫びします」
「とんでもない。三十を過ぎて限度を知らないこの人が悪いんです」
曽根崎さんを支えて立ち上がる。とりあえず、トイレにでもぶち込んどけばいいだろうか。
「では、おいとまいたします」
軽く会釈をして、僕と曽根崎さんは大広間からズルズルと出て行ったのであった。
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