第4話 村への違和感

 郷土料理に舌鼓を打ち胃が満たされた僕らは、早速村の探索へと繰り出すことにした。


「まずは、この写真の主を見つけないとだな」


 そう言いながら車に乗り込む曽根崎さんを、阿蘇さんは黙って引きずり下ろした。


「何をする」

「こっちのセリフだわ。何勝手に俺の車乗ってんだよ」

「安心しろ、運転する気は無い。公民館までよろしく頼む」

「俺は! テメェの専属運転手じゃねぇんだよ!!」


 最初から弟を頼る気満々の兄に、阿蘇さんはブチ切れている。その光景に僕がオロオロしていると、藤田さんが割って入ってくれた。


「いいじゃん、阿蘇。曽根崎さんに協力して、とっとと取材を終わらせようぜ」

「何、お前も行くの?」

「公民館の方が人多そうだしね」

「こんな場所まで来てナンパする気か」

「それもあるけど、早く終わればその分遊べるだろ。みんなで行こうぜ、ナンパ食い倒れ釣りツアー」

「誰が行くか、ンな不埒なツアー!」


 阿蘇さんと藤田さんが話をしている間に、曽根崎さんが僕に手招きをする。それに目で返事をし、二人で車の後部座席に乗り込んだ。


「あ! お前ら!!」


 阿蘇さんに気づかれたが、もうシートベルトまで装着した僕らに降りる気は無い。


「すいません、阿蘇さん。でも初日に村全体を見て回るのって大事だと思うんです」

「そうだぞ、なんせ一週間という長期滞在だ。どこに何があるか把握しておく必要があるだろ」

「息ピッタリか!」

「もう諦めて早く行こうぜ、阿蘇。それか……」

「それか?」


 代替案を提示しかける藤田さんに、阿蘇さんは眉を寄せる。

 なんだろう。この叔父はまた下ネタでも言うのだろうか。


 藤田さんはスッと笑顔を引っ込めて真顔になると、口を開いた。


「……オレが運転しようか?」

「行きます」


 折れた。どんだけ藤田さんに運転させるの嫌なんだ。


 藤田さんと曽根崎さんによる、幼少期に聞いたうろ覚えのアニメソングの合唱が流れる中、不機嫌な運転手を乗せた車は無事出発したのだった。










「普通の村だな」


 車でぐるりと村を一周した曽根崎さんは、何の感情も込めずに身も蓋もない感想を言い放った。しかし、同じ景色を見てきた僕も、彼の言葉以上の評価をつけることはできなかった。

 自然豊かなごくごく普通の村である。阿蘇さんも、後で釣りに行く川の目星をつけたようだ。


「ほんと何の変哲も無い村だよ。……第五地区以外はね」


 そしてこれは、助手席で腕組みをする藤田さんの言だ。難しい顔をして、畑仕事に出ている腰の曲がったおじいさんの姿を見ている。

 驚いた僕の横で、曽根崎さんはゆっくりと頷いた。


「私も君の意見に同感だよ。まあ、マレビトが来るとなれば、さもありなんといった所だが」

「またマレビトが関係あるんです?」

「あるともさ。景清君は、何がおかしいか気づいたか?」


 曽根崎さんに尋ねられ、首を横に振る。何だろう。確かに高齢者の比率が高い気はしたが、少子高齢化の進む日本の田舎では別段珍しいことではない。

 もじゃもじゃ頭の彼は、暑苦しいスーツに汗一つ見せず、窓に頬杖をつきながら言った。


「女性」

「え?」

「そして、子供」

「女性と子供?」

「そう。この第五地区にて、彼女らの姿を見かけたか思い出してみろ」

「……えーと」


 思い返す。旅館の主人に、従業員。料理人、世話役、すれ違った人。ついでに、今まさに畑で作業をしているおじいさん。

 僕の記憶の中にある第五地区住民は、皆男の人ばかりであった。


「……一人もいませんね」

「だろう。恐らく、私達の前に姿を見せないようにとの決まり事があるんだと思う」

「なぜ?」

「いくつか理由は考えられるが、山の神が女神である事が大きいんじゃないかな。もしくは、女性や子供は他に役割があるのかもしれない。驚くべきは、これらの風習が一つの集落で、今なお形骸化せずに完全に浸透している点だ」

「人口も多くなさそうですし、ちゃんと受け継がれているんじゃないですか」

「そうかもしれない」


 会話の途中で手帳を取り出し、曽根崎さんは何かを書き込み始める。その手元を覗いてみると、ミミズののたくったような字が、ぐちゃぐちゃと紙面を覆っていた。


「汚っ!」

「うるさいな。私が読めればいいんだよ、こういうのは」

「読めるんですか、実際」

「読める読める」

「じゃあこれは?」

「えー……確かこの時は文字の位置からして遊行人について考えていた時だから……」

「もう推理から入ってるじゃないですか! 読めてねぇだろソレ!」


 迷惑そうに僕を押し返してくる曽根崎さんの手を振り払いつつ、僕は彼の手帳を奪おうとする。――解読できるかどうか試してみたい。そんな挑戦心をくすぐる字なのである。


「……そこじゃないんだよね、オレの違和感」


 パワー面では分がある僕が、曽根崎さんから手帳をむしりとった所で、藤田さんが呟いた。手帳をオッサンの手の届かない位置にしまいながら、僕は尋ねる。


「女の人がいないってトコじゃなかったんです?」

「違う。言われてみれば、ああそうかなって思ったけど」

「気になるな。教えてくれ、藤田君」


 ぐいと身を乗り出した曽根崎さんをチラリと振り返り、藤田さんは頷く。開いた窓から入ってくる風が、端正な彼の顔にかかる前髪をなびかせていた。


 鮮やかな緑色を背景に、いやが応にも目を惹く優男が一人。写真集の表紙をも飾れそうなその男は、血色の良い唇を動かした。


「――そそられないんだ」

「……はい?」

「何故か、ここの住民には全く性欲をそそられない」

「……」


 何の話?


 唖然とする僕だったが、突然ブレーキをかけて止まった車に体と脳を揺さぶられて我に返る。

 慌てて運転席の阿蘇さんに目をやると、彼は驚愕の色に染まった瞳で藤田さんを見つめていた。


「……嘘だろ、お前……!?」

「ごめん、阿蘇。でも一番ショックを受けてるのはオレ自身なんだ」

「あ、ああ、配慮が足りなくてすまねぇ。もう宿泊は切り上げて帰るか? 早く下半身で会話できる人間と会った方がいい」

「いや、せっかくの旅行だ。たとえこの身が朽ち果てたとしても、景清に最後まで付き合いたい」

「バカ、死ぬぞ……!」


 動揺に任せてサラリと酷いことを言う阿蘇さんである。しかし、その表情は大真面目だ。


 ……藤田さんの性欲センサーの不具合なんざ、知ったこっちゃねぇよ。


 痛む頭を押さえながら、叔父の救えなさを謝罪しようと、僕は黙ったままの曽根崎さんに体を向けた。


「すいません、うちの叔父が……」

「信じられない……! 藤田君の性欲を抑えるなんて、第五地区の住民は一体何者なんだ!」


 いや、アンタもかよ。


「やはり、この第五地区には何かある……!」


 確信を持って断言する曽根崎さんに、阿蘇さんははっきりと首を縦に振る。藤田さんは、助手席で儚げに天を仰いでいた。


 ――アンタらどんだけ、藤田さんの性癖に信頼を置いてるんだ。


 緊迫した空気にツッコむこともできず、僕はその一言を飲み下したのである。

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