第3話 到着

「ようこそいらっしゃいました、花婿様!」


 張りのある太い声が、旅館に訪れた僕らを出迎えてくれた。出どころは、丁寧な所作で頭を下げているちんまりした旅館の主人である。太陽はちょうど一番高い位置にあり、そろそろ空腹を覚える頃だ。

 にこやかな男性従業員が荷物を預かってくれ、僕らは身軽になる。


 六十代ぐらいの主人は、先頭に立つ僕を見て嬉しそうに笑った。


「こんな二枚目がお婿さんに来てくださるだなんて、オカエリ様もさぞ喜ばれることでしょう」

「オカエリ様?」

「ああ、山の女神様のお名前なんです。ここでは皆、オカエリ様と呼んでいます」

「そうなんですね」

「その名には何か由来があるのですか?」


 そう口を挟んだのは、曽根崎さんである。今回オカルトフリーライターとして来ている彼は、主人の口から飛び出した土着神の名を無視出来なかったのだろう。

 それに対して、彼は考えるように目線を上にやった。


「由来、ねぇ。何せ子供の頃から聞いている名前ですから。山に帰ってくる村人をいつも優しく迎えてくれる神様だから、そんな名前がついたんじゃないでしょうかね」

「ほう、一理ありますね」

「あまりお役に立てなくてすいません」

「とんでもないです。参考になりました」

「おや、参考だなんて。もしかして学者さんか何かですか?」

「まあそんな所です」


 嘘をつくな、嘘を。

 僕は主人に見えないように、曽根崎さんの背中を肘で小突いた。


 まず案内してもらったのは、一週間寝泊まりすることになる部屋だった。

 襖で隔てられた和室の一間は、四人が共同生活をするには十分過ぎるくらいの広さがある。大きな窓からは、程よく手入れされた庭園が見えた。


「何も無い村ですが、どうぞゆっくりなさってくださいね。じきにお昼の用意もできますので」

「ありがとうございます」


 お礼を言うと、主人は一礼して去っていった。襖が静かに閉められると同時に、藤田さんがゴロンと畳に横になる。


「疲れたー。覚悟はしてたけど、やっぱ長時間の移動は堪えるね」

「お茶でも入れましょうか」


 急須とポットに目を向ける僕に、阿蘇さんが言う。


「景清君、ここは事務所じゃねぇんだ。気を遣う必要はねぇぞ」

「僕も飲みたいんで構いませんよ。阿蘇さんもどうです?」

「そう言ってくれるなら甘えるけど……。コラ藤田、足にまとわりつくな」

「妖怪すねこすり」

「ウッゼェなほんと。すねこすりならもっと可愛いわ」

「そこスか」


 これはこれで仲の良い二人である。曽根崎さんはというと、部屋にかかっている額縁をひっくり返して裏側を見ていた。やめろ。お札の存在を確認するな。


「……無い」


 そりゃ無いでしょうよ。むしろあってたまるかよ。

 オカルトマニアっぷりを遺憾なく発揮している曽根崎さんに、僕は呆れて嘆息した。


「でもさぁ、オレほんとびっくりしたんだよ。いきなり曽根崎さんから連絡が来たかと思うと、景清が花婿になるなんて言うもんだから」


 藤田さんが、熱々の湯呑みを手で仰いで冷ましながら言う。


「……許可した覚えは無いぞと叫んだよね」

「僕、結婚するとなったら藤田さんの許しを得ないといけないんですか」

「景清はオレのかわいい甥だ。大いに口出しするよ」

「迷惑だ……」

「ともあれ、それがまさか期間限定で、かつ神様の婿だったなんてね。この行事が終わったら景清はバツイチになるのかな」


 笑いながら座椅子にもたれる藤田さんに、曽根崎さんは既に空になった湯呑みを覗きながら答えた。


「バツイチになるには入籍をする必要がある。つまり戸籍が存在しない神とは入籍できないから、景清君にバツがつくことはない」

「だってさ。良かったね、景清」

「それぐらい知ってますよ。そもそもバツがつくなら僕だってここへは来ません」

「百万円貰えるなら?」

「……。いや、来ないです。多分それ何らかの詐欺です」

「よし、偉いぞ景清。少し間があったのが心配だけど、まだちゃんとしっかり判断ができてる」


 ホッとしたような顔の藤田さんに、五百万円なら即頷いていただろう旨は伝えないでおくことにした。


「……スケジュールによると、どうやら本格的な婿入りは二日目の夜かららしいな」


 阿蘇さんが、旅館の主人から貰ったパンフレットを見ながら言う。そういえば、まだちゃんと読んでなかったな。

 僕の興味に応えるように、阿蘇さんは説明してくれる。


「一日目は旅の疲れを癒し、二日目の晩に婚姻の儀を執り行うんだ。そしてこの日の晩から、景清君は祠で寝泊りをするようになる」

「え、そうなんですか?」

「いわゆるオカエリ様との初夜ってヤツだな」

「なんか生々しいですね。それって普通に寝てしまっていいんでしょうか?」

「いいんじゃねぇかな。でも寝られんの?」

「僕どこでも寝られるんです」

「意外と神経太いんだな」


 しかし、そうなるとこの愉快な三人と離れてしまうことになる。それは少しだけ惜しいような気がした。

 僕の表情の変化に気づいたのか、阿蘇さんの声が少しだけ柔らかくなる。


「ただ、その寝泊まり以外は一週間自由にしてもいいとさ。食事代もかからねぇし、服も世話役が洗濯してくれる」

「逆にすることが無くなりそうですね」

「そうか? じゃ、俺が直々に川釣りを伝授してやるよ。一週間が終わる頃には釣りが趣味になってるぜ」

「え!? 景清はオレと飯処を制覇するんじゃなかったのか!?」

「初耳ですよ藤田さん。でもそれも魅力的だな……」


 料理のレパートリーも増えそうである。だが、川釣りもやった事がないし、何より楽しそうだ。悩ましい二択である。

 どちらからお願いしようか考えていると、がしりと大きな手が頭を掴んできた。


「……まずは私と調査だよ、景清君」


 一番選びたくない選択肢ではないか。

 しかし僕の口は勝手なもので、お馴染みの問いを彼に投げかける。


「……ボーナス出ます?」

「出すよ。多少色もつける」

「行きます」

「この守銭奴め!!」


 阿蘇さんと藤田さんに同時にツッコまれたが、おっしゃる通り僕は守銭奴なので、痛くも痒くもないのである。

 その後も繰り広げられた不毛な言い合いは、旅館の主人が襖を開けて昼食を知らせるまで続いたのであった。

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