第9話 アフレコ現場

 まず気がついたのは、異様な蒸し暑さだった。まだ半分まどろみにいた僕だが、あまりの暑さに思い切り跳ね起きた。


「あっつい!!」

「起きましたか?」


 聞き慣れぬ男の声に、一気に冷水を浴びせられたような心地になる。……そうだ、僕はあの時、この男の前で声を出してしまったのだ。そして、腹に強烈な一撃をくらって……。


「……僕を、どうする気ですか」


 後ろ手に縛られた拳を握り、箕洲を睨みつける。箕洲の体は、ジムにいた時と違ってすっかり元通りの大きさに戻っていた。


 ただし首だけは、依然根元がグラグラとしたままだったが。


 箕洲は僕の言葉に、人形を愛でる老婆のような笑みを浮かべた。


「なんと、あなたの声はいい……! 押し付けがましくなく、聞きやすく、すんなりと耳に入ってくる!」

「そりゃどうも」

「宝の持ち腐れになってはならない! 君、アニメの声優をやってみる気はないか!?」


 ――やはり、そうなのか。


 想定した通りの流れに胸が悪くなる思いをしながら、それでも生き残る芽が無いか脳をフル回転させる。

 ……そもそも、これは断ってもいいのだろうか。


「……あまり、そういうことに興味がないので、お断りしたいのですが」

「もちろん、選択権などありませんよ! 美しい声の持ち主は、もはやその人のものだけではない! 美しくさえずるカナリアが籠に閉じ込められるように、声優もキャラクターに閉じ込められなければならない!」

「……」


 聞き耳持たずか。そりゃそうだ。他の人だって、同じように懇願や命乞いをしたに違いない。

 そして、その結末は……。


 怒りと恐怖で、握り潰されたような痛みが胃に走った。このままでは、僕も彼女らの後に続くことになる。


「……それで、僕はどんな作品の、どんな役をすればいいんですか?」


 この男を刺激するのはやめておこう。きっと、時間さえ稼げば、曽根崎さんらが来てくれるはずだ。そう判断して、僕は箕洲に協力する姿勢を見せた。

 箕洲は、今にも取れそうな首を片手で支えながら、歯を見せて笑う。


「よくぞ聞いてくれました。作品名は、“ 夜に飛ぶ星の魚 ” 。一人の屈折した異国の青年が、義母や義妹、そして透明感のあるヒロインに囲まれて、少しずつ己を取り戻していくストーリーです」

「へぇ」


 聞いたことがない。誰の作品なんだろう。


「自分の作品です」


 お前のかよ。


 ツッコミが喉まで出かかったが、なんとか飲み下す。

 ……道理で、いくら探しても見つからないわけだ。


「自分で言うのも何ですが、素晴らしい作品です。これが世に発表された暁には、きっと世の人達はこのアニメに夢中になるでしょう! ……しかし、だからこそ、その声のキャスティングには気を砕かなければならない。ファンは、キャラクターを通して声優を見ます。その時、顔が悪かったらどう思います? 足が短かったら? 腕が長すぎたら? 歳をとりすぎていたら? 太りすぎていたら?」

「……そんなん、まるごと愛するまででしょう」

「幻滅するに決まっている!! 声優はキャラクターに沿わねばならない!! 同じ身長に! 同じ体格に! 同じ髪の長さに!!」


 ああ、だからあの残酷な遺体が出来上がったのか。僕は、唾を散らして怒鳴る男をこれ以上視界に収めていたくなくて、目を閉じた。

 しかし、ぐいと顎を掴まれ、無理矢理上を向かせられる。箕洲は、品定めをするように僕を眺めていた。


「……声もいい上に、顔も理想的だ。素晴らしい! 女性達はきっと君の虜になりますよ!」

「そうですか」

「惜しむらくは髪質か。君は少々癖っ毛のようですね。主人公はストレートヘアの長髪なので、カツラを被ってもらうとして……。目の色。目の色も違う。異国の青年である主人公の目は、透き通るような青色です。大丈夫、とても綺麗な色のビー玉があるんです。それをはめ込みましょう。あとは……肌の色。あなたはとても健康的なようで何よりですが、少々色が薄すぎる。主人公は褐色の肌をした男。なので、録音が終わり次第、火で焼いて肌の色を変えましょう」

「……ッ」


 好き勝手言う男に、僕は反吐が出そうだった。……いや、ダメだ。冷静になれ。時間を稼ぐんだ。

 顎に添えられた手を振り払い、辺りを見回す。……どうやらここは、スタジオのようだった。蒸し暑いのは相変わらずで、喉も渇いてきた。


「……わかりました。無事に収録が終われば、あなたの好きなようになさってください」


 ミキサー室のような場所に、派手な男物の衣裳がかけられている。僕が逃げ損ねるか、曽根崎さんが間に合わなければ、僕はあれを身に纏い四人目の被害者となってしまう。


 ――諦めるものか。絶対に、こいつを警察に突き出してやる。


 唇に薄く笑みを引いて、僕は箕洲を見上げた。


「しかし、この場所は暑すぎますね。空調は無いのですか? もしくは冷たい飲み物か何か。僕はこれから、曲がりなりにも声のお仕事をするのです。最高のアニメには、最高のコンディションで挑まなければ」


 箕洲は、それもそうだと言うように目を開いた。そして、ふいとかき消える。数分後に現れた箕洲は、両腕に冷えたペットボトルを抱えていた。


 ……大丈夫だ。会話が成り立つのであれば、つけ込む隙は必ずある。


 自らを奮い立たせつつ、暑さでぼんやりとする頭を振った。









「……あまり、時間が無い」


 箕洲は、壁に掛けられた時計を見上げて言った。あれから一時間。僕は、体の前に回してもらった両手を使い、原作の小説を熟読していた。


「時間が無いって何のです?」


 大体察しはついていたが、聞いてやる。箕洲は、イライラしたように答えた。


「あの時に、目立ち過ぎました。早くしないと、この場所が突き止められるかもしれない」

「大丈夫でしょう。あなたのような人外の動きを読める人間など、そうそういるものではありません」

「万が一ということがあります。あの曽根崎という男は、そういう人間ではないのですか」

「知りませんよ」

「知らないはずないだろ! あなたらはグルのはずだ!」


 凄む箕洲にビクリとしたが、認めるのも悔しいので、平然と開き直ってやることに決めた。


「……身内にコソ泥がいたのは謝ります。あれは僕のアルバイト先の上司です。まさか同じ時にジムに来ていたとは、正直驚きでした」

「あなたらが気を引いている間に、あの男が荷物を漁る手筈だったのでは?」

「何度も言いますが、僕は知りません。僕は兄に連れられてジムに行っただけです」

「そもそもあなた、極端な人見知りだったんじゃ」

「こんな極限状態で人見知っていられますか。それより、ここの主人公は具体的にどういう感情でこんな言葉を言ったんです?」

「あ、ああ、そこは……」


 綱渡りのような時間稼ぎは進んでいた。箕洲がまだ収録までこぎつけられていないのは、僕なりに頑張っている方だと思う。


 しかし、それもそろそろ限界だった。


「……もう十分でしょう」

「何がですか」

「台本の読み込みですよ。収録に移ります」

 

 箕洲の体が、熱を持って膨らんでいく。僕はそれに気づかないフリをして、彼に言い返した。


「いや、まだ主人公が何故義母に抱きついて泣き出したか全然把握できてな」

「いいから!!」


 怒鳴られ、大人しく頷いた。箕洲は、膨れつつある腕を動かし、僕に移動するよう指示する。

 異質な光景だ。無視できない恐怖に足が震えそうになるも、絶対に来てくれているだろう彼らを心の拠り所にして、足に力を込めて立ち上がる。


「……すいません。では僕は、何をすればいいですか」

「……そこに立って」

「はい」

「ヘッドホンをつけて……マイクの前に座って。今からアニメを流すから、それを見ながら、ちょうどいいタイミングで言葉を吹き込んでください」

「わかりました」


 それなら、まだまだ時間をかけることができそうだ。台本は覚えていないし、ましてや初めて見るアニメーションにピッタリ声を合わせるなんて、すぐにできることではないだろう。そこは、箕洲も理解しているはずだ。


 しかし、箕洲は少し考え、アニメーションを早送りし始める。


「計画を変えよう」

「……どうしたんですか」

「ここで収録するのは、一番大事なシーンだけにしよう。後は、別の場所で録音することにする」


 無念そうに、箕洲は言った。

 ……それは、僕にとっても大変都合が悪い。慌てて、彼を引き止めた。


「何故ですか。どこに行くかわかりませんが、ここより設備が整っている場所はないでしょう!」

「うるさい! こっちだってここで収録したいに決まってる! だけど、邪魔が入るなんてもっと御免だ……!」


 箕洲は荒っぽい手つきでパラパラと台本をめくると、最後の方のページを開いて僕に差し出した。


「ラストシーン。ヒロインに、主人公が愛を告げるシーンです。丸い月が出た丘の上で、去りゆくヒロインに “ 愛してる ” とあらん限りの声で叫ぶのです」

「……」

「では、まずはアニメーションから流します」


 絵本のような世界観のアニメーションが目の前で踊る中、僕は汗の滲む手で服の裾を掴んでいた。

 今にも取れそうな箕洲の首が、僕の青ざめた顔を覗き込む。


「……言っておきますが、ワザと妙な演技をなさらないでくださいね。そんなふざけた声優は、声優と見なさず、即刻処分させていただきます」

「……」


 ――ふざけているのは、どっちだよ。


 しかし僕に取れる行動など他にあるはずもなく、カクカクとぎこちなく動く長髪の男の口に合わせ、僕は慣れぬ愛の言葉を叫んだのだった。

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