第8話 兄の錨

「……点が止まった」


 後部座席に座る曽根崎が、運転席の阿蘇に言う。点とは、箕洲につけられた発信機の位置の事である。それに、阿蘇は正面から目を離さずに返した。


「おかしくねぇか。位置的に山の中だろ」

「発信機の存在がバレて捨てられた可能性もあるな。ひとまず、そこまでは行こう」

「クソッ、あのブヨブヨに噛ませりゃ絶対落ちねぇと思ったんだがな」

「兄さんな、忠助のそういうセンスだけはホント信用してない」


 ちゃっかりスーツに着替えた曽根崎は、呆れ顔のままスマートフォンの地図アプリの表示を消した。そして、紙の地図を後部座席一面に広げて手帳を開く。


「……ガサゴソ何してんだ」

「根城の目星をつけねばならん」

「そんなもんつくのか」

「つく。あの能力があって、モタモタと迂回するはずがない。となれば、必然的に目的地はこの直線上にある」


 メジャーを定規代わりに使い、ペンで箕洲の通り道に線を引いた。顎に手をやり、指でその線をなぞる。


「……忠助、根城はどんな場所だと思う?」

「俺に聞くかよ」

「せっかくだから頭の体操をしよう」

「呑気な事言ってんな。まあ、発信機までまだかなりあるからいいけど」


 そう言い、損をするほどに根が真面目な男は考え始めた。

 しばし、車内に沈黙が落ちる。すれ違う車の音と、曽根崎が何かしら地図に書き込む音だけが、阿蘇の聴覚を満たしていた。

 そして、現役警察官は自分の推理を口にする。


「……普通の空き家、なんてどうだ」

「その心は」

「アフレコをするなら、音を漏らさない防音壁と、映像機器と、音声収録機器と、それを編集する機械があればいいだろ? その防音設備も、その気になれば自分で作れると考えると……。最悪一軒家さえありゃ、なんとでも改造できるんじゃねぇか?」

「及第点だな。五十点」

「及第点にしては低いな」

「目の付け所は悪くないが、マニアの気持ちになって考えることができていない。いいか、忠助。ヤツは非常にこだわりが強い人間だ。遺体に着せられていた衣裳を見たか? チンケなペラペラのコスチュームじゃない、かなり手の込んだものだった。しかも、わざわざ体の方を衣裳に合わせる入れ込みようだ」

「それが根城とどう関係すんだよ」

「声マニアなら、何を手に入れたらアニメを作ってやろうと思うぐらいテンションが上がるかな、と私は考えたんだ」


 テンション?

 いまいち要領を得ない言葉だが、肝心の兄は構わず続ける。


「アニメーションを作るのに必要なものはたくさんある。原作、デザイン、声優、原画、BGM、SE、それら諸々を編集したり録音する機材などなど」

「はぁ」

「例えば、だ。もしも声マニアがアニメーションを作りたいとなれば、何から手に入れようとする?」

「えーと……それこそ声優じゃねぇの?」

「勿論必要だ。しかし、捕らえた声優に、延々と読み合わせだけをさせるわけにもいかない」

「……じゃあ、録音機器か」

「惜しい。収録環境だよ」


 曽根崎は電話をかけ始めた。幸い、相手の人物はすぐに出たようだ。


「どうも田中さん、曽根崎です。今すぐ人を使って、今から言う場所周辺で、三年以内に廃業した収録スタジオを調べさせてください」


  ――収録スタジオ。

 なるほど、それは声マニアのテンションを上げそうな場所だ。


 曽根崎の指定した捜索範囲は、ちょうどスポーツジムと死体遺棄現場の中間辺りだった。あの場所であれば、確かに捜査の対象からも外れていたはずだ。


 しかし、それにしても……。


「……透明になって超高速で移動したから犯行が成立したなんて聞いたら、どんな名探偵でも秒でブチ切れそうだな」

「そんな幸せな世界の探偵には勝手に怒らせとけ。こちとら、今からバケモノ退治に出かけなきゃならないんだぞ」


 それから三十分ほど車を走らせて、二人はようやく発信機の場所まで到着した。山小屋も何も無く、一目でここに箕洲と景清はいないことがわかる。

 陽はまだ高いので、鬱蒼とした木々の中でも何とかライト無しで探すことができたのは幸いだった。やがて、阿蘇が小さな機器を片手に声を上げる。


「兄さん、あったぞ」

「やっぱり振り落とされてたか」

「装着させるなら服の方が良かったかな」

「だから、世界中どこを探しても皮膚に直接ぶっ刺そうとするのは忠助だけなんだって」

「じゃあ兄さんならどこに刺すんだよ」

「……あの状況なら、腕だな」

「ほれみろ。似た者兄弟なんだよ結局」

「いや、忠助はあわよくば肉を抉ろうとしてたろ。私はそうじゃなくて、服に刺した場合膨張しつつある体を……」


 そこまで話した時、曽根崎のスマートフォンに着信があった。こんな所まで電波がちゃんと飛んでいる現代日本に感謝しながら、彼は電話を取る。


「はい、曽根崎。……どうも、田中さん。収穫は? ……ああ、そうですか」


 曽根崎は、阿蘇に向かってピンと人差し指を立てて見せた。ビンゴ、という意味らしい。


「ええ、その収録スタジオを派手に取り囲んでください。ただし、例によってまず乗り込むのは私と弟だけにしておきましょう。……嫌でしょう? 屈強な警察官が得体の知れぬモノを見て発狂し、集団心理も手伝って大惨事になるのは。……はい、人質もいますよ。うちのアルバイトです」


 曽根崎の言葉は平坦である。しかし、弟である阿蘇だからこそ、兄の最後の一言に微かな感情が宿ったのを聞き逃さなかった。


「これ以上犠牲者を出さない、という点ではやる事は同じです。はぁ、私情? ……馬鹿馬鹿しい、私はそこまで腑抜けてやしませんよ」


 だがそれも一瞬である。曽根崎はいつも通りの淡々とした調子に戻ると、不愉快そうに電話を切った。


「兄さん」


 声をかける。兄の後ろ姿が、昔の彼に戻ったかのように見えたからだ。


「なんだ」


 振り返った曽根崎は、いつもの不審者面だった。鋭い目の下に濃いクマを引いた、だらしないもじゃもじゃ頭。


  ――この男は、やはり危うい。


 薄氷に立つ曽根崎を脳内にイメージしてしまった阿蘇は、苦々しい顔をして早々にそれを忘れることにした。


「……行こう。根城が分かったのなら、これ以上ここに留まる意味もない」

「無論。ジジイのヤニ臭い声で耳が爛れそうだ」

「お前だってヤニ臭ぇ時あるだろうが」

「やめなきゃなとは思うんだが、貰ったら吸ってしまうんだよな」

「金持ってるのに、その貧乏性なんとかなんねぇの?」

「こればっかりは」


 やめる気はないらしい。阿蘇はため息をついて、車のドアを開けた。


「……やっぱ俺じゃ、兄さんをこちら側に戻すのは難しいか」

「何か言ったか」

「別に」


 自分では、あまりに近過ぎるのだ。過去も、能力も、互いの理解も。


 阿蘇はここにはいない兄の正気の錨たる彼の安否を思い、アクセルを踏み込んだ。

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