第6話 箕洲との接触
「入会希望の方ですね!」
阿蘇さんと僕は、ハツラツとした坊主頭のインストラクターと向かい合っていた。彼の名は、
それに阿蘇さんは、意外な営業スマイルで頷く。
「ええ、友人から箕洲さんの教え方がとても上手いと聞きまして。ぜひあなたからご指導を受けたいんです」
「嬉しいお話ですね! そのご友人の名前は?」
「佐藤といいます」
「佐藤……ああ、佐藤さんね! かなり年の離れたご友人なんですねぇ!」
さすが全国で一番多い苗字はダテじゃない。恐らく阿蘇さんは適当に出した名前だろうが、箕洲の頭の中にもあったようだ。
「して……そちらの方は?」
日に焼けた黒い腕がこちらに伸ばされる。僕は恥ずかしがり屋の弟になりきって、阿蘇さんの影に隠れるよう彼の服を掴んだ。
阿蘇さんは仮の弟の頭をわしゃわしゃと撫で、笑いながら箕洲に言う。
「うちの弟です。極端な人見知りですが、たまには体を動かすのもいいだろうと連れてきたんです」
「そうだったんですね」
「あと耳も少し遠くてね。まあコイツに何か話しかけたい時には、俺を通していただければと思います」
「いえいえ、無理は言いませんよ」
苦笑しながら、箕洲は自分の顔の前で両手を振った。……どこからどう見ても、ただの二十代後半の好青年である。とても、三人の女性にコスプレをさせて凄惨な死体損傷を施した凶悪犯には見えない。
勿論、凶悪犯というのは僕らの推測であって、勘違いという線もあるのだが。
しかし、人は見かけによらないものだ。男の一挙一動を見逃さぬよう、注視するに越したことはないだろう。
ここで、耳に装着した受信専用のインカムから、曽根崎さんの声が届いた。
『ヤツの趣味を聞いてみてくれ』
同じく声を聞いただろう阿蘇さんは、ジムの入会書類にデタラメの名前を記入しながら、箕洲に尋ねる。
「……しかしいい体ですね。箕洲さんは普段、趣味の時間でも体を動かしてるんですか?」
それに彼は、首を横に振って答えた。
「こう見えて意外とインドアなんですよ。休日はもっぱら、撮り溜めた番組ばかり見ています」
「そうなんですか。……俺が最近見た中では、“ ミラクル☆殺し屋ぱんぷきん ” が大アタリでしたよ」
その一言に、箕洲は驚いたように目を見開いた。阿蘇さんはいつのまにか顔を上げており、声を潜めて彼に言う。
「特にヒロインの子。無名の声優でしたが、逆にそれがハマってましたね」
「わかります! あのたどたどしい感じがいいんですよね!」
「他のアニメでは、ああ上手くはいかなかったでしょう。作品に恵まれて良かったです」
「そうなんですよ、どんなにいい声優でもアニメでも、そのハマりが無いと駄作になってしまう……! それが顕著だったのは “ 飲ませて濁流シリーズ ” の最新作でしたね」
「ええ、あれはなかなか物議を醸しました。大きなテコ入れがあるとは事前に聞いていましたが、まさか敵の男幹部の性別が変わるとは……」
勿論、情報の出どころは阿蘇さんではない。ひっきりなしに、曽根崎さんがインカムを通して内容の指示を出しているのである。
……一日かけてアニメと声優の情報をかき集めていたのは、これを想定していたからか。僕はようやく納得した。
箕洲はすっかり上機嫌になり、同志と認定した阿蘇さんに難しい顔をして言う。
「いやぁ、違うんですよねぇ。制作側が狙っているものと、ファンが求めるものとは。いっそこちらで作らせてくれと思った事が、今まで何度あったか。むしろ、その方が上手くいくと思うんですよね」
「相当自信がおありなんですね」
「当然ですよ。特に、声優。ご存知ですか? 人の印象というものは、視覚と聴覚に大きく左右されるものなのです。つまり、顔と声さえ良ければ多少難のあるキャラクターでも愛せてしまう……。昨今では声優のアイドル化も進み、最初はキャラクターを追っていたのに気づけばその声優を追ってしまっているということも珍しくない。しかし、声優は人間です。人間である限り、間違いを犯す。そうなった時にファンはどう思います? 愕然とし、落胆し、大いに傷つく。しまいには、愛したはずの作品やキャラクターすら、見るのも嫌になってしまう。即ちそれは、作品の終わりを示す訳ですよ」
いきなり早口で語り出した箕洲に、僕は異様な雰囲気を感じて阿蘇さんの服を掴む手を強く握った。……話していることは極端ではあるものの、言葉として理解できない内容ではないはずだ。だというのに、少しずつ低くなっていく声が、一切まばたきをせずに阿蘇さんを見る目が、一度も息継ぎをしない語りが、彼の狂気と僕らの確信を深めていった。
そしてついに、箕洲は僕らにとって決定的な言葉を放った。
「一人でいいんですよ。人間もアニメキャラクターも、それぞれ一人ずつしか存在しない。ならば何故、同じ声優が複数のキャラクターを受け持つんです? 一人につき一人でいい。そして、その人間を永遠にそのキャラクターに閉じ込めてしまえばいいんです。そうすれば、そのキャラクターが汚されることは無く、作品は完全なる安心保証の元に永遠に愛されていくことになる。どうです? 素晴らしい案でしょう」
箕洲が阿蘇さんに詰め寄る。一瞬別の言葉を投げつけようとしたかに見えた阿蘇さんだったが、曽根崎さんの『同意しろ』という命令に、無理矢理口角を上げて頷いた。
「……あなたは素晴らしい。俺も、全く同感です」
「そうでしょう! いやぁ、あなたとはいい友人になれそうだ!」
興奮した箕洲の握手に、阿蘇さんは引きつった笑顔で応じる。……これは、もう間違いないだろう。この男が、あの猟奇連続殺人事件の犯人なのだ。
ひたすらに怖かった。何食わぬ顔で当たり前に仕事をし、平気な顔で阿蘇さんの手を握り友人を宣言する、目の前の男が。
どうすればこんな風に生きる事ができてしまうのだろうか。僕の本能が、安穏として生きていきたいのならば、ヤツは決して関わってはならない人間であると告げていた。
しかし、インカムの向こうの曽根崎さんは、淡々と次の指令を出す。
『協力すると言え。今のヤツの計画を聞いた上でな』
「……」
クソ兄、と阿蘇さんの口が動いたのを見た。
「……しかし、本当に素晴らしい案ですね。もしかして、何か作品のアニメ化計画をなさっているとか?」
箕洲は、目を見開いたままで口だけニヤリと笑った。
「実は、もうアニメを作ってるんですよ。声優も既に、何人か閉じ込めました」
阿蘇さんの拳が固く握られる。僕はそれを抑えるように、彼の背に手を置いた。
阿蘇さんは深呼吸をして、男に提案をする。
「……良かったら、俺にも手伝わせてもらえませんか。あなたの作品であれば、素晴らしいものになるに違いありません」
「ええ、勿論! こちらからお願いしようと思っていた、ぐらい、で……」
突然、箕洲の動きがおかしくなる。壊れたロボットのように、ぎこちなくカクカクと首を右に向けていく。
反応の速い阿蘇さんは、僕を乱暴に自分の背に隠した。
「……どうしました、箕洲さん。いきなり妙な挙動をなさって」
これは箕洲というより、曽根崎さんに向けたものだろう。対するインカムからは、呑気な声が聞こえてきた。
『ヤツのロッカーをピッキングして中を改めていたら、本を見つけたんでな。読んでるんだが、何かマズいことでもあったか』
マズい要素しか無いのはアンタだ!!
女性の悲鳴が上がる。
見ると、箕洲の首は今や人間ではありえない角度まで回っていた。ねじ切れんばかりになった首の皮膚が、ギチギチと音を立てている。
「箕洲さん! 大丈夫ですか!!」
正気に戻そうと、阿蘇さんは箕洲に呼びかける。しかし、男の理性が戻ってくることは二度となかった。
グルンとゴムが巻き戻るように、箕洲の首が阿蘇さんに向く。その目は白く濁っており、とても生きている人間のモノとは思えなかった。
ダランと開いた口から、呆けた低い声が漏れる。
「お前ら、さては気づいたか」
そのまま箕洲は跳躍した。その姿を目で追おうとしたが、何故か男はどこにも見当たらなかった。
「兄さん、逃げろ!!」
阿蘇さんは、マイクに向かってあらん限りの声で叫んだ。
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