第4話 一人では行かせない

 それから事務所に帰り、曽根崎さんは味噌汁を麦茶の如くあおりながら裏付け調査を始めた。結果、やはり三人とも、ここ半年の間にあのホールで公演を行っていた事がわかった。


「さて、あのジイさんの名刺はどこにやったかな」


 どうやら財団に電話をかけるつもりらしい。ゴミ箱をひっくり返したような散らかりっぷりを見せる事務所机を、曽根崎さんはガサゴソと漁り始めた。


 ……ここは、僕の出番であるようだ。


「曽根崎さん、これ」


 長い体を折り曲げて、机の下に潜り込んでいた曽根崎さんの肩に手を置く。肩越しに僕を見た彼の鼻先に、ファイルブックを突きつけた。


「机の中の名刺は、全てここに収められています。あいうえお順に並んでいますので、た行を探してみてください」

「……君」

「なんです?」

「一体どこまでがめついんだ?」


 曽根崎さんは、ファイルに貼り付けられた値札を手の甲で叩いた。それに僕はシレッと返事をする。


「これで五千円は安いでしょう?」

「安い」

「ならいいじゃないですか」

「しかし言わずにいられなかった」

「まいどあり」


 五千円札を受け取り、僕はできるだけ悪い笑顔を作って、ファイルを開いて手渡してやる。


「……それでも、ちゃんと田中さんの名刺のページを開いて渡してくれる辺り、お人好しだよなぁ……」


 深夜の事務所に、三十路のぼやきが吸い込まれていった。









 それから丸一日経って、田中さんから連絡があった。


「それらしい犯人の特定ができたそうだ」


 電話を受けた曽根崎さん曰く、電話口の田中さんは怒り狂っていたという。分かってしまえば、何故今まで誰も気が付かなかったのか不思議なぐらいの話だからだ。

 そうは言っても、こういったものは閃きやタイミングもある。ましてや、今回は死体の惨状に目が行きやすい点も大きかった。あまり警察の人を責められないと素人ながらに思う。


 それより、犯人が見つかったのなら、曽根崎さんの仕事はもう終わりでいいのだろうか。


「ところが、そう簡単な話でもないらしい」


 曽根崎さんは、メールで送られてきた資料を印刷しながら言った。


「被害女性全員の公演に、その男は現れていた。だが、それだけだ。死亡推定時刻や死体遺棄時刻などを鑑みると、彼は真っ先に犯人から外れてしまう」

「アリバイがあるとか?」

「犯行時刻のアリバイは無い。だが、距離的な観点において不可能だ」


 もじゃもじゃ頭の三十路は、一気飲みした味噌汁のお椀を、北の方角へ向けた。


「……ヤツは、隣県の人間だった」

「……ああ、なるほど」

「午後四時に殺した女性を、ご丁寧にあんな装飾を施した上で、どうやれば午後六時までに河川敷に捨てられる? その間の距離は、どんなに早い交通手段を使っても三時間はかかるんだぞ」


 無論、彼の車のナンバーは防犯カメラでは目撃されていない……と曽根崎さんは付け加えた。僕は、印刷された資料を早速手に取り、内容に目を走らせる。


「二時間の内にあれだけの事と移動をし、誰にも見られず河川敷まで来て、遺体を遺棄する。……で、彼が最後に隣県で目撃されたのは、この日の午後二時。次に目撃されたのは午後六時半ですか……」


 確かに、これではどんなにこじつけても、普通の人間であれば犯行は不可能だ。


 ――ならば、まだ曽根崎さんの仕事は終わっていないということになる。


 僕は、彼にバレないようにため息をついた。


 ――人間でないモノであれば、その不可能を成し遂げられるからだ。


「……明日、大学を休みましょうか?」

「いや、構わないよ。私一人で行ってくる」

「僕も行きますよ。貰うもん貰いますけど」

「じゃあ払わん。君は大学に行け」


 存外きっぱりと拒否され、僕は目を剥いて曽根崎さんを見た。彼は、資料を見つめたまま顔を上げない。


 ――この人は、不気味で強大な力を行使することができる。しかし、あまりも人間離れしたその力は、角砂糖を削るように脆く、この人の正気を奪い去ってしまうのだ。

 先日告白された所によると、慢性的な狂気に陥りかけていた彼は、僕を側に置くことで、自身を正気に繋ぎ止めようとしたらしい。その目論見は成功し、以前に比べて多少は真っ当な感覚を取り戻しつつあるようだが……。


 ――この人を一人で行かせては、また狂気に呑まれてしまうのではないか。

 彼の発狂を目の当たりにしたあの日から、僕はそんな不安をどこかしら胸に抱え続けていた。


 なんとか、彼についていく手段は無いだろうか。僕は、拳を握りしめて彼に問いかける。


「……一人で行って、どうするんですか」

「まあ、直接本人に話を聞けたらいいな。犯人はスポーツジムでインストラクターをしているらしいから、入会したいとでも言って……」

「曽根崎さんが!? ジム!?」


 湿っぽい憂慮が吹っ飛んだ。この不健康そうなド文系が、スポーツジムだって!?

 驚いた顔の僕に、曽根崎さんは心外そうに言う。


「驚き過ぎだろ。足だけは速いぞ、私は」

「足だけはな! 他はどうです、ウエイトリフティングとか……」

「持ち上がらんだろうな」

「それならまだしも、犯人がエアロビ担当だったらどうします」

「大変愉快な絵面になるぞ」

「クソッ、見てみてぇ……!」


 奥様方に囲まれてエアロビする曽根崎さんの姿を動画で撮ろうものなら、向こう一カ月はそれで笑える気がする。僕は、喉から声を絞り出すように言った。


「……給金いらないんで、エアロビする曽根崎さんを録画してもいいですか……!」

「守銭奴にそこまで言われるとはいっそ名誉だが、断る。お留守番してなさい」

「今回はえらい頑なですね」

「そりゃそうだ。トリガーが声とあれば、君が狙われる可能性だってある」


 あ、と思わず声が出た。そういえばすっかり忘れていたのだ。声にこだわるのであれば、狙われるのが女性であるとは限らないと。

 僕の様子に、曽根崎さんは真顔で自分の唇の端を指差した。


「君の声は、好ましいよ」

「好ましいとは?」

「滑舌はいいし、メリハリもある。バリトンというわけではないが、かといって中性的でもない。耳に心地よい、まさに “ 好ましい声 ” だ」

「なんかめちゃくちゃ褒められた」

「その男の前で口を開かないというのなら、百歩譲って連れていってもいい。だが、本当にその男が声をトリガーにしているのなら、あの手この手で君の声も聞こうとしてくるだろう。だから、私は連れて行きたくない」


 それが曽根崎さんの弁であるようだ。突然褒められたが、要するに僕がその男に狙われないようにする為の措置なのだという。


 ……いや、だったらアンタだって危ないでしょうが。


「曽根崎さんはどうするんですか。まさか全部筆談で済ませる気じゃないでしょうね」

「私の声は魅力的なものじゃないから問題ないよ」

「わかりませんよ? 胡散臭いオッサンが出てくるアニメもたくさんありますから」

「じゃあヤツの前では全部裏声で話す」

「クソッ、見てみてぇ……! いや、追い出されますよ!」

「まあ心配するな。私一人ならいくらでも対処しようがある」

「その対処の仕方が心配なんですよ!」


 僕の怒鳴り声に、曽根崎さんは怒ったような顔をしてこちらを見た。恐らく驚いているのだろう。対する僕は、うっかり滑らせた口を気まずい思いで押さえていた。


「……そういや以前も似たような事があった時、君は無理矢理ついてきてたな」


 ぽつりと彼は言う。……恥ずかしい事を思い出させやがる。あの時は尾行に失敗した上、月上柊という絶世の美女に逆に後をつけられていたのだ。


「……学業の方は疎かになってないか?」

「僕を誰だと思ってるんです。明日一日休んだぐらいでは問題ありません」

「わかった」


 覚悟を決めたように、彼は僕の目をまっすぐに見た。


「こっそりついてこられては敵わん。景清君、明日の予定は空けておいてくれ」


 それに僕は、ニヤリと笑って答える。


「承知しました。せいぜい、綺麗さっぱり掃除してやりましょう」


 いつもの台詞を僕に奪われた曽根崎さんは、思わずといったように吹き出していた。

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