第3話 トリガーは
おしゃべりなバリトンボイスが去った事務所は、少しの間シンと静かになった。
後に残されたのは、見るも無残な犠牲者の資料である。
「さて、まずは共通点探しだな」
曽根崎さんは、手ずからテーブルや床に散らばった資料をかき集め、ソファーに身を沈めた。なるべく、僕には見せないようにとの配慮だろう。
僕は、彼の真向かいに腰を下ろした。
「……ボーナスをつけてくれるなら、手伝いますよ」
「やめとけ。夢に出るぞ」
「それが、もうどこかのジイさんのせいで一部見ちゃったんですよね」
「その一部で終わらせておきなさい。全容を把握し、理解してしまえばしまうほど、頭がおかしくなる」
曽根崎さんは、資料から顔を上げない。真っ黒な目は、絶えず被害者の情報欄を追っている。
が、ここで引き下がるような僕ではない。彼の読んでいる紙をつまみ、引き抜いた。
「なら、写真じゃなけりゃ構いませんよね? 今読んでいる資料なら、僕も見ることができるはずです」
「……なんだよ君は。以前にも増して事件に絡んでくるようになったな」
「まあ、早く借金は返したいですし」
色々あって、この人に三千万円の借金をしている僕である。曽根崎さんから貰う給料で曽根崎さんへの借金を返すというのも妙な話ではあるが、ともかく現状ではそういう流れができてしまっていた。
不審者面をした彼は、少し呆れたように言う。
「……押し売りもいい所だ」
「何言ってるんです、大安売りですよ」
「まあ君は有能だからな」
「言ってくれますねぇ。それじゃ、せいぜいご評価通りの働きぐらいはしてやりますよ」
「よし、それならこっちの束を頼んだ」
「待て、アンタの分より格段に多いじゃねぇか」
「景清君、有能! 最高! 超快調!」
「もしかしておだててるつもりですか? 資料ごと燃やすぞ」
世界一下手くそなヨイショを受け、僕は資料の束に腕を突っ込む。
既に、陽は傾いていた。
「わからん」
窓の外は、とっぷりと日が暮れてしまっている。僕と曽根崎さんは、資料がごまんと置かれたテーブルを挟んで、ぐったりと体を投げ出していた。
「生年月日、名前、年齢、利き手、仕事、出身地、人間関係、星座、出身校、家族構成、行きつけの店、行動範囲、習い事、好きな芸能人、好きな食べ物、嫌いな食べ物……全部が全部、見事にバラッバラでしたね……」
「被害者が二人であれば、まだ共通点は見つかりやすい。それが三人となれば、途端に難易度が跳ね上がるとは分かっていたが……」
「疲れた……。僕、実の母よりこの人達に詳しくなりましたよ」
「……では、ここでクイズです」
「どうぞ」
「私の好きな食べ物は何でしょう」
「アンタのクイズかよ。どうせ味噌汁でしょ。なんだよ、作れってか」
「塩分が足りたら、閃くかもしれない」
「僕も疲れてるんですけどね。……まあいいや。それじゃ、ちょっと待っててください」
渋々ソファーから腰を上げ、思いきり伸びをする。耳元でバキバキと骨の鳴る音を聞いて、フゥと息を吐いた。
……味噌、あったっけか。
キッチンに来た僕は、冷蔵庫の中をごそごそと漁る。そして、呟いた。
「……切れてますね」
「何が」
「味噌」
「……」
曽根崎さんが素早い動きでこちらを向いた。その顔は、今にも泣き出しそうである。多分、動揺しているのだ。
やめろ、罪悪感湧くだろ。
「いや、しょうがないでしょ。アンタめちゃくちゃ飲むんですもん。僕だって買い足しが追いつかない事だって……その目やめろ!」
「味噌汁……」
「ああもう、はいはい買ってきますよ! 行けばいいんでしょ! コンビニ二十四時間営業様々ですよ!」
「味噌汁……」
「すいませんってば!」
僕は、財布を引っ掴んで逃げるように外へと飛び出した。
いや、なんでついてくるんですか。
僕は、ぴったりと背中に張り付いてきた三十路を振り返った。
「徒歩三分のコンビニ行くぐらいで、過保護過ぎじゃありません?」
「そんな事は無い。こんな世の中だ、何が起こるかわからないぞ」
「今回狙われているのは女性だけです。僕は大丈夫ですよ」
「過信は禁物だ」
「……アンタ、もしかして事務所で一人になるのが怖いだけだな?」
図星なのだろう。曽根崎さんは何も言わなくなり、足を速め始めた。時々変な所でビビリなのである。
もっとも、あんな凄惨な資料を数時間眺め回していれば、無理からぬ事かもしれないが。
「……まあ、これぐらいの散歩なら、気晴らしにはちょうどいいですよね」
彼に届くかどうかの声量で、そんなフォローをしてやる。曽根崎さんの黒い背中に追いついた所で、コンビニにたどり着いた。
自動ドアが開く。中の店員は、中年の男性だった。店長かもしれない。
しかし、僕はそんな中年店長が迎える店内へと入る前に、コンビニの窓に貼られたポスターにふと足を止めてしまった。
「……景清君?」
「ああいや、すいません。つい、目が行ってしまって……」
怪訝な顔をする曽根崎さんに、慌てて片手を振る。僕が見ていたのは、とあるアマチュア合唱団のコンサートの案内だった。
曽根崎さんは僕の隣に並ぶと、しげしげとポスターを眺める。
「君が音楽に興味があるとは初耳だな」
「いえ、そういうわけでは無いのですが。ほら、ここ」
僕の指差した先には、三人目の被害者である中年女性が笑顔で写っていた。
「……ご存命の時に撮影されたんでしょうね。趣味が合唱とあったので、もしやと思ったのですが……」
……すっかり、僕の中で彼女は “ 知った人 ” となってしまっているらしい。よくわからない感傷に胸がいっぱいになったが、何故だかそれも失礼な気がして、胸元を握りしめて押し殺した。
それらを振り払うように、隣に立つノッポに明るく声をかける。
「すいません、行きましょうか、曽根崎さん」
「……」
「曽根崎さん?」
しかし、ここまで来て肝心の彼は店に入ろうとしない。変わらず、ポスターをじっと見つめていた。
「どうしたんです。何か気になる点でも?」
「ああ、ちょっと思い出した事があってな」
「思い出した事?」
「一人目の犠牲者の職業が何だったか、覚えてるか?」
言われて、思い返してみる。確か、あの人は……。
「……劇団員、ですかね」
「そう、舞台女優の卵だった。では、次の犠牲者が所属していたサークルは?」
「……落語研究会?」
「正解」
「それがどうしたんですか」
曽根崎さんは、ポスターの一点を見つめたまま動かない。
ぼそぼそとした低い声で、彼は訝しげな顔をした僕に言う。
「死んでしまった人間から消えてしまうものは、いくつかある。生命活動は勿論、その人の抱える記憶、経験……そして、声」
僕は、ハッと曽根崎さんの顔を見上げた。そして、急いで彼の視線の先を追う。
――彼は、コンサートホールの名前を見つめていた。
「トリガーは、声だった」
曽根崎さんは、ポスターに笑顔で写る彼女の首に、長い指を這わせた。
「そんな仮説は、どうだろうな」
殆ど断言めいた彼の発言に、僕は寒くもないのにブルリと体を震わせたのだった。
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