第2話 ツクヨミ財団
「見ての通り、死体には奇妙な点がいくつもある」
田中さんは、ソファーを挟んだテーブルに惨たらしい資料を並べながら言う。向かいに座る曽根崎さんは、青い顔をして口を片手で覆っていた。
無理もない。僕など、たった数枚の写真を見ただけで、嘔吐しそうになったのだ。それをじっくり、かつ全ての遺体を観察するとなれば、相当な精神力が必要だろう。
しかし、一方の田中さんはケロリとしたものだ。
「まず、遺体の損傷が激しすぎる点だ。検死の結果、これらは死後に施されたものらしい」
「……もしかして、こちらの特に損傷が激しい女性は、生前太り気味だったりしました?」
「流石曽根崎君、よく気づいたね。僕も君と全く同じ意見さ」
一体何に気づいたというのだろう。田中さんの賞賛に、曽根崎さんは一つ呼吸をして、人差し指で写真を撫でた。
「……通常であれば、人の体を先に採寸し、服を作るものです。しかしこの犯人は、人の体の方を、強引に服に合わせようとした」
なんだって?
曽根崎さんの淡々とした口調から放たれたおぞましい言葉に、僕は思わず目を見張った。
田中さんはというと、乾いた手を頬に当てて満足気に頷いている。
「ご名答。そうでなければ、服の丈に対して長さが不十分な被害者の足に、継ぎ足されるようにモップが突き刺さっていた事や、袖が短い服に合わせるように腕が切断されていた事態に、説明がつかない」
「でも、どうしてそんな事を」
「それほどまでに、犯人はこの衣裳に何らかの執着があるのかもしれない。もしくは、ただ採寸して一から服を作るのが面倒だっただけかもしれないが」
口を挟んでしまった僕を咎める事なく、曽根崎さんは説明してくれた。田中さんはうんうんと頭を動かし、曽根崎さんが滑らせる指の横に自分の人差し指を置く。
「しかしそうなると、次はこの衣裳だ。曽根崎君、君はどう見る?」
「……これは、ドレスですかね。とはいっても、どちらかというと……」
「どちらかというと?」
「……極端ですが、コスプレに近いものかと」
意外な単語に、僕は顔を上げて曽根崎さんを見た。彼は顎に手を当てて、写真に目を落としている。
「あまり洋装には詳しくないので、勝手な印象ですがね」
「いや、僕もそう思ったのさ。ただ、そちら方面になると僕は門外漢だ」
「そちら方面……アニメや漫画ですか」
「それだけじゃない。昨今の情報社会において、ウェブは大いなる自己表現の場さ。無名のアマチュアによる作品も含めれば、それこそ検証すべき対象は星の数ほどある」
「……それを、私にやれと?」
「やりたいかい?」
「断固拒否します」
「ならば、捜査の結果を待ってくれ。分かり次第連絡する」
曽根崎さんは、少しホッとしたような顔をした。確かに、人海戦術を用いたとしても骨が折れそうな作業を、一人でしたくはないだろう。
その代わりとでも言うように、彼はある推測をした。
「……これが本当に何らかのコスプレなら、見立て殺人の可能性が出てきますね」
「大いにありえるねぇ。むしろ本線だよ」
「やはり」
「恐らく、彼女らは何らかのキャラクターを模して、こんな格好をさせられた。その意図が何かは分からないがね」
「ともかく、並々ならぬ執着を感じますね。この方など、髪を切られた跡がある。そして、もし、他にもキャラクターがいるなら……」
「そう、続々と犠牲者が出るかもしれない。だからこそ、一刻も早くこの衣裳の出所を突き止めないといけないな」
「ですが、同じ作品とは限りませんよ。犯人好みのキャラクターを、複数作品から引っ張ってきている可能性もある」
「だとしたら、むしろありがたいね。ツンデレツインテールしか狙わないと分かれば、実に御の字じゃないか」
つくづく、余計な一言ばかりを付け加える人である。煙草は苦手であるが、いよいよとなれば口に突っ込んでやってもいいかもしれない。
しかし僕よりは長い付き合いだろう曽根崎さんは、全く彼の言を意に介さず、続ける。
「……遺体が見つかった場所は?」
「バラバラだね。最初の彼女は歩道橋の上、次の彼女は河川敷、その次はとある高校の門前」
「では、最後に目撃された場所は?」
「こちらもバラバラだ。出勤までの間、娘の迎え、バイトの帰り道。ちなみに行方不明になってから、きっちり二十四時間後に死体が発見されている」
「……なるほど、私に話が来るわけだ。誘拐時や死体遺棄の際、人目につきやすい場所や時間帯にも関わらず、情報を集められないのは不可解ですね」
「その通り。恥ずかしながら、警察ではもうお手上げだよ」
しかも、相当派手な殺し方である。防犯カメラも随所にある現代社会において、どうやってそんな犯罪をやってのけたのか。
「……トリガーは、何なのでしょうね」
ふと、曽根崎さんは誰ともなく問いかけた。
「適当に殺せる者を狙ったか、顔の好みで狙ったか」
「顔の好みで狙ったのならば、こちらの彼女の顔が潰れているのはおかしくないかい?」
「この三人の共通点は?」
「無い。住所、年齢、趣味、家族構成、交友関係、出身地、血液型、服の好み等々、さっぱり一致しやしない。強いて挙げるなら、女性という点だけだ」
「……ふむ」
曽根崎さんは、考え込んでしまった。そんな彼を見て、僕も腕を組んで脳を働かせてみる。
何から何まで条件が違う女性三人が殺され、異様ともいえる執念でサイズの合わないドレスを着せられていた。人の体の方を、継ぎ足し、切り取ってまで。
――なぜ、この人達が犠牲者に選ばれてしまったのか。
考えていると、田中さんのよく響く声が割り込んでいた。
「まあ、そんな所かな」
彼は、年相応の動きでゆっくりと立ち上がった。まだ58歳との事なので、老人扱いするには早すぎる気はするが。
僕の考えが伝わったのか、田中さんは振り返り、言い訳をするように口をすぼめた。
「先日、腰をやられてね。ようやく治ったが、無理は禁物との事だ」
「なるほど、有益な情報をありがとうございます」
「それは労ってくれるという意味で言っているよね? まさか、弱点を教えてくれてありがとうという意味ではないね?」
「お好きな解釈でどうぞ」
「おい、曽根崎君。さっきから、君がさらってきたガニメデ君の口が大変悪いんだが」
「給仕に口の悪さは関係ないので……」
「あるだろ? 罵倒しながらお茶でも出された日には客は帰るだろ?」
「そんな非常識を働く男ではありませんよ。加えて、大体うちに来る客は、彼のツッコミなど気にならないぐらい切羽詰まってるので、問題ありません」
「この事務所には厄介者しかいないのか」
アンタも大概だと思ったが、これ以上ここに留まられても迷惑なので、黙っていることにした。
しかし、それにしてもこの人は一体何者なのだろう。警察を動かせるぐらいなのだから、かなり偉い人だとは推測できるが……。
僕の疑問をよそに、曽根崎さんは田中さんを追うように立ち上がった。
「……報酬、並びに必要経費については、また追って連絡という事でよろしいですか」
「はいはい。ああ、連絡は、僕の携帯電話じゃなくて財団に直接かけてくれるかい?どうも携帯電話だと出られない事が多くてね」
「時代に取り残されているようでは、理事長は務まりませんよ」
「務まるんだなぁ、これが。僕の代わりはなかなかいないという事さ」
――財団? 理事長?
次々に出てきた新事実に、僕は目を丸くした。そんな僕の様子に気づいた曽根崎さんが、やっと田中さんに手を向けて言う。
「ああ、紹介するのが遅れたね。彼は、
「ツクヨミ財団って……あのツクヨミ財団ですか!?」
「おや、君のような若者にも名が知れているとは、嬉しいじゃないか」
田中さんは、ニヤリと笑った。
――名が知れているなんてものではない。
ツクヨミ財団といえば、海外も含めた数々の大学や銀行をバックに持ち、果ては警察や政府機関にまで独自のルートを持つと噂されている、冗談みたいな規模の財団である。その慈善事業は多岐に渡るが、もっぱら医療関係や自然科学など研究者への援助、災害発生時の支援を行なっていると聞くが……。
この人が? この減らず口のオッサンが、理事長?
つまり、一番偉い人?
……僕、漬物石で追い出そうとしたぞ。
「曽根崎さん……なんでそういう大事な事をもっと早くに言わないんですか」
「言ったところで君の態度は変わるのか?」
「変わりませんが」
「ならいいだろ。むしろそれぐらいがあの男には丁度いい」
あっさり言うものである。田中さんは、ニヤニヤ笑いながら着物の袖に両腕を突っ込んでいる。
「つまり、曽根崎君のパトロンというわけさ。僕は偉いんだ、万札でも撒こうか?」
「見ての通り、特技は権力と財力を振りかざす事だ。アレに付き合うのは構わないが、最低限にするんだぞ」
「迷惑な人だ……」
「言ってくれるねぇ。まあ、それだけ芯のある方が、怪異の掃除人の助手としては安心か」
誰が助手だ、誰が。
田中さんは軽快な足取りでドアの元まで行くと、ノブに手をかけ、最後にこちらを見た。
「……よろしく頼むよ。これ以上、無辜の民が人間でないものに傷つけられるなど、あってはならない」
「ええ、ご期待には添いますよ」
僕の隣で、きっちりと着こなしたスーツに乗っかるもじゃもじゃ頭が、縦に揺れた。
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