第57話 鏡は割れて

 俺は深淵のモノクルを剥ぎ取るように外す。


 爆散した敵から、一条の煙が俺の手のなかの深淵のモノクルに流れてくると、スライムの刻印がモノクルの縁に刻まれていく。


 しかし俺は、そんなことよりももっと気になることがあった。ステータスを開き、自身の魂変容率を確認する。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 氏名 朽木 竜胆(クチキ リンドウ)

 年齢 24

 性別 男

 オド 27

 イド 12


 装備品 

 ホッパーソード (スキル イド生体変化)

 チェーンメール (スキル インビジブルハンド)

 カニさんミトン (スキル開放 強制酸化 泡魔法)

 なし

 Gの革靴 (スキル開放 重力軽減操作 重力加重操作)


 スキル 装備品化′

 召喚潜在化 アクア(ノマド・スライムニア) 召喚不可

 魂変容率 10.7%

 精神汚染率 3%

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 ステータスを見ている間にも、精神汚染率は減少していく。


「ハハ。魂変容率が、一気に10%も上がっているよ。」


 俺の口から乾いた笑いが漏れる。


「深淵のモノクルの解放スキルを後9回も使えば、俺もあんな化け物になるのか。それは勘弁願いたい……」


 俺は目をつむり天を仰ぎながら、ステータスを閉じる。


「……そういえば、敵はどうなった?」


 ふとあたりを見回すが、渦巻く黒い煙が見えない。


 キョロキョロしていると、目の前の鏡に、無数のひびが入っていたことに、気がつく。 

 一度気がつくと、広がり続けるひびがはっきりと認識できる。

 正面の鏡、全面があっという間に、ひびにおおわれたかと思うと、そのまま砕け散る。


 不思議と音がしない。


 割れた破片は落ちることなく、きらきらと向こう側に向かって吸い込まれるように消え去る。


 そして次々に正面から左右の隣へと、連鎖するように砕けていく鏡。

 砕けた鏡の向こう側は真っ黒だ。


 光を通さない、漆黒の闇。


 俺はかつてダンジョンに拉致られた時の闇を思い出す。

 しかし、今度は闇が溢れ出すことはない。それどころか、何故か暖かみすら、その闇から感じる。


 そこで、急に意識が上に引っ張られていく。


 唐突に目が覚める。がばっと身体を起こす。

 そこは、ツボの間だった。辺りの煙は、すでに跡形もない。


「無事に終わったようだね。」


 師匠の声。


「全然無事じゃないですよ……」


 俺は振り向きながら、思わず泣き言が漏れる。


「ふむ。真実はいつも残酷さね。何も知らずに力に振り回されるよりは何倍もましさ。」


 そっと手を差し出す師匠。

 俺はありがたくその手を握り、立ち上がる。

 無数のタコと傷の刻まれた師匠の掌。

 ぎゅっと一度、強く握りしめられ、離される。


 それはまるで背中を押す、ひとおし。世界に立ち向かう前の最後の激励のようだった。


「己の中のダンジョンの因子を感じられるかい?」


 師匠の言葉に、改めて自分自身の中にあるダンジョンの因子に意識を伸ばす。


「ええ、感じます。でも、何だか前よりも、なんというか、暖かい?」


 鏡の間の、砕けた鏡の先にあった闇と同じような暖かみ。それと同じものが感じられた。


「ダンジョンの因子を一部とはいえ自身の制御下においたからね。おのが力の姿を知った今の竜胆なら、その引き金のない銃も応えてくれるかもしれん。ただ、ここは狭い。とりあえず戻るかね。」


 俺は、歩き出す師匠の背中を追い、よろよろと足を進める。

 その足を覆うGの革靴には、センスを疑うような刻印が刻まれていた。



 師匠の屋敷に着く。

 入り口まで近づくと、俺たちの帰りを待ち構えていたかのように、扉を吹き飛ばす勢いで、江奈が屋敷から出てくる。


「エナさん、ただい……」


 駆け寄る江奈。挨拶をする俺の言葉の途中、その勢いのまま抱きつかれる。


「良かった。本当に良かった。二人とも帰ってこないからもうダメかと……」


 人の暖かみ。突きつけられた自分自身のおぞましい可能性に荒んでいた心が、まるで包み込まれるようだった。


 俺は気恥ずかしくなり、そっと江奈の肩に両手を置くと、顔が見えるようにゆっくり身体を話しながら問いかける。


「エナさん……。心配かけたみたいだね。ごめんね。心配してくれてありがとう。というかさ、エナさんは修練の内容、知ってたの?」


 そっと目をそらす江奈であった。

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