第56話 深淵のモノクル
これまで感じてきたダンジョンの因子とは異なる何かを、深淵のモノクルから感じる。
ダンジョンの因子自体は確実に存在している。いや、その存在感は他のこれまで解放してきた装備品よりも断トツで大きいと言える。
このまま解放していいのか、悩むぐらいの大きさを感じるダンジョンの因子。
俺の一瞬の戸惑いをついて、目の前の敵がカニさんミトンから、無数の泡を形成し、撃ち出してくる。
結構な速度で迫りくる複数の酸の泡。
俺もとっさに自分の左手のカニさんミトンから、巨大な酸の泡を1つ作り、盾がわりに目の前に展開する。
シャボン玉が合体するように、敵の泡が着弾する度に大きくなっていく酸の泡。
その度に、ポヨンポヨンと俺の作った盾がわりの泡が揺れる。
しかし、その泡の攻撃は目眩ましだった。撃ち込む酸の泡を迂回するように、楕円軌道を描きながら何かが来るのが、盾にしている泡越しに見える。
(あれは、見たことのある形だ……)
敵の投げつけたホッパーソードが、空中を曲がりながら迫ってきていた。
(これは! インビジブルハンドのスキルかっ!)
俺がほとんど使っていないチェーンメイルのスキルを使いこなしてくる敵。
まさにそれは、見えない手。
不可視の伸びる手に握られ、操られたホッパーソードが、空中を進む。俺の首を狙って。
ギリギリで自分のホッパーソードを合わせて、攻撃をそらす。
しかし宙に浮いた敵のホッパーソードは通り過ぎた後に軌道を曲げ、再び今度は俺の足を狙って飛んでくる。
(ほとんどインビジブルハンドの検証をしていなかったツケが、こんなときに! この攻撃の軌道から見て、何か動きに制約がありそうだけど……)
敵の二種類の攻撃を凌ぐのに気をとられ、深淵のモノクルのスキルを解放する余裕がない。
(押されているな……。全く余裕がない。だけど、それはきっと敵も同じはず、と信じたい。敵は鑑定で意識のギアを強制的に上げている状態だろう。でも、同時使用しているスキルは、敵の方が多い。敵が俺と同じ能力なら、それで、いっぱいいっぱいのはずだ。なんたって俺が今、いっぱいいっぱい、だからなっ!)
俺は必死に敵の泡魔法とインビジブルハンドで操られたホッパーソードの攻撃を凌ぎながら考える。
(今は、例え押されていてても、とりあえず凌ぐのが最優先だ。幸いイド・エキスカベータによる精神汚染が思ったほどきつくない。多分だけど、修練のおかげだよな。ただ、多分だけど魂変容の方は、この修練でも、どうにもならないはず。)
俺はちらりと敵の姿を見る。
さっきまでゆらゆらと揺れながら攻撃してきていたその姿は今では痙攣しているかのように、異様な様相を示し始めている。
(やっぱりな。あの時感じた、魂の変容の果てにモンスター化するんじゃないかって直感は間違ってなかったみたいだな。一回前の敵は、身体が先に化け物になった。そして心がそれに引っ張られた様子だった。つまり魂の器たる身体から始まるモンスター化ってわけだ。今回は逆ってことだよな。敵は心が先に化け物になって来てる、はずだ。)
痙攣していた敵が急に攻撃をやめる。
倒していないのに、渦巻く黒い煙が敵の身体から溢れ出す。
同時に敵の装備していた装備品がどろどろと溶け始める。色鮮やかだったそれぞれの装備品が混じり合うことで、くすんだ汚ならしい泥のようになっていく。
黒い煙がその汚ならしい泥とさらに混じり合う。すると、まるで無数の泥色の触手のように変化する。
敵の身体にまとわりつくように蠢くそれ。
泥色の触手が、床や鏡の壁にしなる鞭のように叩きつけられる。
触手が触れた床や鏡の部分が、塵のようになってフワッと舞う。
物理的な衝撃で抉られたのではなく、まるで物質の結合自体が解けてしまったかのように。もしくは、永劫の時の流れの果てに朽ち果て塵と化してしまったかのように。
しかし、その泥色の触手の動きは、今のところ目的がないかのようにむやみやたらに振られているだけのようだ。触手だけが動き、さっきまでの痙攣が嘘のように微動だにしない敵。
蠢く泥色の触手が主体であるかのようにすら、見えてしまう。
未知の攻撃、未知の現象に、俺は無闇に近づくことを躊躇う。
俺は攻撃をいったん諦め、今のうちに深淵のモノクルのスキルを解放することにする。
一度試したからだろう、再びすぐさま感じ取れた深淵のモノクルのダンジョンの因子。深淵のモノクルを装備すると、巨大に感じられるそれを今度は一気に解放する。
脳に叩きつけられる、ただ鑑定したときの倍近い情報量。
こうなることを何となく覚悟していた俺は一瞬だけデータ処理器官を作る。
すぐさま情報量過多で過熱する脳内のデータ処理器官。
そして始まる魂の変容。
(時間がない!)
俺は深淵を覗きこむようにして、必要な全ての情報を見てとる。
敵の身体で蠢く泥色の触手の正体をさとる。俺は深淵のモノクルを敵に向け、手に入れたばかりの解放スキルを使った。
「上書き。」
俺の呟き。すると敵が、泥色の触手が、ともに一瞬だけぎゅっと縮むと、次の瞬間、爆散する。
激しい爆風。
空を舞う肉片。
泥色の触手もバラバラになり、まさに泥のように辺り一面に飛び散る。
新しい解放スキルの力。それは、鑑定で読み取った情報を書き換え、上書きするというものだった。
その結果は見ての通り。
敵の存在情報に「即時爆発する」と書き加えることで、俺は無事に敵を倒すことに成功したのだった。
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