第51話 ツボの間
俺はピクニックをクリアし、焔の街に戻ってきた。
確かにコツはつかんだが、ダンジョンの因子の発動を安定させるのは、想像以上に難しかった。
どうやら、この世界という奴は空間の歪みが非連続体として広がっている雰囲気なのだ。それが移動しながらだと、でこぼこしている感覚になって感じられるみたいで。
だからうまーく、そのでこぼこにダンジョンの因子による世界のズレを合わせないといけない。失敗するとあっという間に通常空間に戻って、オドが霧散してしまう。
ただ、その空間の歪みは場所固定のようなので、何度も中岩とスタート地点を往復するうちに、段々と歪みパターンが体に染み付いて来た。最後の方は無意識でダンジョンの因子を発動させながら、踏破する事が出来るようになっていた。
気がつけば、この地に来て一月以上が経っている。
俺は感慨深いものを感じながら、師匠の目の前に立つ。
俺を一瞥して師匠が口を開く。
「ふん、どうやら準備できたみたいだね。ついといで。」
歩き出す師匠。
(えっ、それだけ!?)
俺はこの数週間の頑張りが軽く流され少しショックながら、仕方なく師匠の後について行くことにした。
師匠の家を出て、十数分。焔の町からも出て、ダンジョン中の第一層の枝道らしき所をひたすら進む。
急に開ける視界。
そこには祭壇のようなしつらえの小さな広場があった。
俺がキョロキョロしているのに気がついたのだろう、師匠が口を開く。
「ここはツボの間だ。ここで次の修練を執り行う。」
「え? あ、はい。よろしくお願いします?」
(こんな狭いところで何をするんだ? 確かに壺っぽいものはあるけど。)
俺は祭壇にまつられている赤褐色のシンプルな壺を見ながら考える。広さは10畳くらいの広場。狭くはないが、飛んだり跳ねたりは難しい。
俺が不思議に思っていると、師匠は懐から何やら草っぽいものを取り出し、千切りながらツボの中に入れている。
何をしてあるのかなーと思って見ていると、壺からブーンという低い音が鳴り出し、白い煙のようなものがゆっくりと溢れて床を這い広がっていく。
「このダンジョンは火が使えないからね。この壺は擬似的に薬草に熱を与えて、成分を揮発させる魔道具だ。さあ、竜胆。その中央の紋様の上で横になり、おのがダンジョンの因子と向かい合うのだ。」
師匠はそういうと、床の真ん中に書かれた模様を指差した。
俺はよくわからないままに取り敢えず言われた場所に横になる。
すぐに俺の周りを、壺から溢れた煙が取り巻く。僅かに、刺激臭のようなツンとした香りが鼻をさす。
「はい。横になりましたけど……」
「うむ、ダンジョンの因子を発動させよ。」
俺はダンジョンの因子を発動させようとする。それにはダンジョンの外とは違った難しさがあった。この『焔の調べの断絶』ダンジョン特有の波長があるらしく、俺の中のダンジョンの因子を発動させようとすると干渉を受けるような感覚がある。
俺が上手く発動させられないでいるうちに、壺から溢れた煙が広場いっぱいに広がり、師匠の膝ぐらいまで貯まってきている。
つまり、寝転んだ俺の顔はすっかり煙に覆われてしまった。
「えっと、大丈夫ですか、これ。さっきから結構な刺激臭が……」
「大丈夫さ。中毒性は大したことない。それより集中しなさい。」
「中毒性! いやいや大丈夫じゃないでしょ、それっ!」
俺は思わず起き上がろうとするが、なんと体が動かない。
「……体が言うことききません。」
俺はすっかり煙で覆われた視界のなか、師匠の声のする方を無駄に睨みながら伝える。
「ふむ、そういう効能もある。」
淡々と答える師匠。
「さあ、集中するんだ。己の中のダンジョンの因子と向き合い、克服し、支配せねば終わらないよ。」
俺は諦めて再びダンジョンの因子を発動させようと試みる。なんだかめまいのような感覚も襲ってくる。
ゆっくりと回り始める世界。
師匠の声だけがその世界の中で響いていく。
「竜胆のダンジョンの因子を形作ったもの。その一つ一つと対面し打ち勝ちなさい。それが新たな力になり、ひいては引き金のないあの銃の、真の姿へと至るはず……」
まわるまわる世界。
ふと、回りのダンジョンの因子と自身のダンジョンの因子がピタリと填まるような感覚。
その記憶を最後に俺は意識の深い所へと沈んで行った。
気がつくと、俺は鏡張りの空間に立っていた。
辺りを見回すと、壁一面に張られた鏡に写った俺も同じようにしているのが目のはしにうつる。
「あれ、この服装、どこかで……」
俺は鏡に写った自分の服をまじまじと見る。それはまだ俺がダンジョンで拾いをしていた頃の格好であった。
「あっ、でもGの革靴だけは履いているな。」
その時、俺は背後に気配を感じる。目の前の鏡で確認するが、俺の姿しかない。
(ちがっ!)
俺はとっさに前に転がるように飛び、俺の後頭部を狙った蹴りを避ける。
そのまま振り向き様に、急ぎ立ち上がる。
目の前には、Gの革靴を履き、俺と全く同じ格好をした、もう一人の俺の姿があった。
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