第46話
~ ☆ ~
はうぅ……残念。
色々、ヤクモさんには聞きたい事が有ったのに。
もうあの眼鏡外されちゃうなんて。
けど、仕方が無いか。
別にそこまで聞きたいこと有ったわけじゃないし。
それに……ミラノがあそこまで魔法について前のめりなんだもん。
わたしもここで後れを取ってしまうわけにはいかないもんね。
そしたら、学園で入れ替わる事が出来なくなっちゃう。
精密に、出来る限り同じ事を同じ程度で出来るようにしとかないと。
「……水」
寝起きにそんな事を呟く。
日課のようになってきたけれども、こういった事を反復する事が大事だって言ってた。
それに……寝起きは喉が渇くしね。
「こういうこと、繰り返してるとダメな人になりそう……」
水差しとかあるのに、それが不要になる。
寝起きは顔を洗わないといけないのに、顔を洗いに行かなくても出来る。
そうやって出来る事が増えると、今度は行動範囲が狭まっていく。
何でも出来るから何もしなくなるって、なんだか矛盾してるよね。
「んぅ……。カティアちゃ~ん、あ~さ、朝だよ~……。起きて、朝食食べに行くよ~……」
ん~、もうちょっと、こう。
なんで眠い時にも起きなきゃいけないんだろう。
前の日頑張った分だけ次の日遅く起きても良いと思うのに。
けど、ヤクモさんが来てから一年生の時みたいな生活に戻っちゃったな~。
別に今が充実してないとは思わないけど、忙しいのは嫌だなあ……。
「にゃ……」
寝てる時は、猫だった記憶の方が強いのかも。
猫のように喋る姿は、とても可愛い。
けど、朝が弱いのも猫のままなんだよね。
今までは揺さぶって、少しでも起こして、着替えさせて、ふにゃふにゃのまま歩かせて起こす……。
それで良かったんだけど、最近はそうしなくても良くなったのを知った。
「……ご主人様」
「ごふひんはま……?」
その単語だけで一気に起きるから、長い時間をかけて起こす必要がなくなったんだよね。
それでも、寝ぼけてるまま着替えさせなきゃいけないんだけど。
……けど、なんだか思い出すなあ。
昔のあの子も、何もやらなくて……。
着替えさせるのも私がやってたっけ。
けどさ、そりゃそうだよね。
自分が”自分じゃない”と言う事を、よく受け入れられたなって思う。
ここに居る私が”ミラノ”で、じゃあ同じ記憶、同じ身体、同じ声、同じ知識、同じ経験を持ってるのに……、
”自分じゃない”。
自分が”ミラノ”じゃないのに、自分のせいで兄さんを目の前で失う。
絶望と虚無の奥に居た時は……空っぽだったもんなあ。
だけど、今じゃ本人である私よりも”ミラノ”らしいなって思う。
たぶん私が兄さんを失わずに生きていたならそうなったかもしれないという、そんな感じ。
兄さんを追いかけて、凄いな凄いなって言いながら追いかけつづけて。
父さんや母さんや兄さんに褒められたくて頑張って、同じようになってたかも知れない。
けど、理由は……違うみたいだけど。
カティアちゃんの着替えから始まった一日は、なんだか短く思える。
ヤクモさんが神聖フランツ帝国に行くと聞いてから、尚更。
ヴァレリオ家の人とヴォルフェンシュタイン家の人たちが帰ってから、余計に静かに感じるようになった。
人の目が減ったから、なんだか単調な感じに思える時間が増えた。
だから、魔法の練習をしていても、勉強や研究をしていても、少しつまらない。
「少し外すね」
「休憩?」
「うん、そんなところ」
「ん、分かった。じゃあ、私も少し纏めたら休憩するから」
「分かった」
姉さんとの勉強も少し疲れて、遠くから聞こえた音が途切れたと思ったから休憩することにした。
そんな事が気になってしまうくらい、気も漫ろになってるのなら意味は無い。
最近……神聖フランツ帝国に行くと聞いたあたりから、ヤクモさんは屋敷でも訓練をし始めたみたいだから。
あの音が、ヤクモさんの使っている武器の音だということは、だいたいの人が知る事になった。
廊下を歩いていると、窓からヤクモさんがカティアちゃんと一緒に戻ってくるのが見えた。
歩きながら、使っていた”じゅう”を無意識に弄りながら。
「あれ、アリア……」
「アリア様、どうしたの?」
「んと、ちょっと休憩……ですかね。集中力も切れちゃったし、ヤクモさんの出発まであまり日も無いですし」
「あ~……。ちょっと、無作法になるけど良いかな? 使った武器の整備をしながらになっちゃうけど」
「大丈夫ですよ」
ヤクモさんの部屋に入ると、色々と準備が進められていた。
前に部屋に入ったとき、変に触らないでねと言った代物とかも並んでる。
下手すると部屋丸ごと吹き飛ぶとか言ってたから、そこらへんは触らないように気をつける。
「ヤクモさん、よく整備してますよね」
「弓で言う弦の調整や張り具合の調整……みたいなものかな。整備しないと当たりも悪くなるし、最悪弾が出なくなったり暴発したりするんだよ。それに、精密なものだからどこかに不具合がないかを確認する意味もあるかな」
「そうなんですね」
「……いざという時に、用意してませんでした、準備してませんでした、やってませんでしたとか言いたくないしさ。そんなんで誰かの命を預かれないし、背中を預ける事も預けてもらう事も出来ない……というか、したくないかなって」
ヤクモさんは真面目だなあ……。
私だったら、旅路の途中で食べ物とか移動手段とか休む場所くらいしか考えないと思う。
その途中で魔物に会うことは考えたりもしなかった。
けど、そうだよね。
平和だと思っていた学園にまで魔物が集団でやって来たんだもん。
なら、こっち側もそこまで平和じゃないと思ったほうが良いのかも。
学園からここまでは、父さんや辺境伯さんが頑張って治安回復の為に兵を動かしたみたいだけど。
「ヤクモさんは真面目ですね」
「真面目、なのかな。むしろ、あの時……不真面目すぎた事を二人に詫びないといけないと思うんだ」
「え?」
「実は……あんまり言いたくなかったけど。この武器たちさ、使ったの5年ぶりなんだ。生きるか死ぬかの場面で、そんな”賭け”をしたことを謝らないといけないなって思って」
「い、いえいえ! まあ、今となっては逆に驚きですけど。ですが、それでも助けられましたし」
「……ダメなんだよ、それじゃ。賭けのように”たぶん”とか”おもう”とかそういった曖昧な状態で人を束ねるべきじゃなかったんだ。だから……無様を晒して、それで……二人に心配させたり、迷惑かけたなって思って。それだけは、謝りたかったんだ」
ヤクモさんは、真面目に……”クソ真面目に”そう言った。
けど、おかしいなってすぐに気がつく。
謝罪しているようで、実はそうじゃない。
私たちは誰も被害を受けなかった、受けたのはヤクモさんだけだった。
なのに、心配させたのも……悲しませたのも……”俺が悪い”?
なにそれ、無かった事にしたいの?
ばっかじゃ、ないの……かな?
「……それ、私達が心配した事も、死んだと思って嘆き悲しんだ事も”迷惑”だって言いたいんですか?」
「──え?」
私がふつりと沸かせた怒りとは対照的に、ヤクモさんの間の抜けた反応は冷や水を浴びせるようなものでした。
まるで「そんな反応、想定していなかった」とでも言いたげな、呆気にとられた顔。
けれども、すぐにヤクモさんは首を振りました。
「ああ、そうじゃなくてさ。誇り、というのかな。あの時俺は、何も判らないと言う事を優先して、ただボンヤリと日々を生きることしか考えてなかったんだ。魔物だとかそういったのは遠い世界の話で、ミラノに召喚されてから……関わる事は無いんだろうなとタカを括ってた。けど、そんなことは無かった」
「ですが、ヤクモさんは……そもそもあの時そういった事を求められていた訳ではないじゃないですか」
「だとしても、主張は出来た筈なんだ。理解してもらおうとは……出来た筈なんだからさ」
「それは水掛け論です。あの時の私たちは、そもそも出会って間もなかったじゃないですか。なのに、そんな”一方的”な事を言われても困ります」
「……一方的か」
「はい。まるで、自分さえ何かしていれば、全てが違ったんじゃないかという”思い上がり”のように聞こえますから」
……けど、これも水掛け論にすぎない。
被害が無かったからこそ、ヤクモさんの言っている事は間違いだといえる。
けれどもあの時、誰かが被害を受けていたら。
それこそ、命……を、失っていたりしたら。
今のように、私はいえただろうか?
ううん、言える気がしない。
なんで隠してたんだって、なんでやらなかったんだって言っちゃいそう。
それで、後悔する。
何かをするにも、何かを始めるにも下地が必要なのに。
信用も信頼も無いままにそんな事を言われても、たぶん困ったと思う。
ヤクモさんがそんな武器を持っていると知っても落ち着いていられたのは、私たちの為に使って魔物を倒してくれたから。
けれども、あの出来事よりも先に武器を用いて訓練しだしたら、きっと安心出来なかったと思う。
文字通り、力関係が逆転しそうだから。
アルバートくんが言ってたように、自分に向けられるんじゃないかって思ったかな。
そうならなかったのは、逆だったから。
仮にも私だって主人をやってたし、やってる。
ヤクモさんからしてみれば、知らないことだろうけど。
「全部、全部何とかしようとしなくても良いじゃないですか。確かに私たちは、頼りないかも知れませんが……。それでも、全部を押し付けて、自分たちだけ安穏と、安寧の中に居るつもりはありません」
「出来れば、安穏と安寧の中に居て欲しいんだけどな」
「何故ですか?」
「……ミラノやアリアが、俺にとっての”日常”の象徴だからだよ。戦いという非日常に行っても、日常に戻れるからこそ安心できるんだよ。けどさ、ミラノやアリアも非日常の中に来られたら……俺は、どこに、誰に日常を求めれば良いんだ? それに、個人的には……子供を戦いに参加させたくないと思ってるし」
「子供……」
「まあ、これは俺のわがままだよ。俺の居た場所では、子供を戦わせたりするのは反対されるものなんだ。忌むべき行為、排除されるべき行いなんだ。だから、そこにミラノやアリア、アルバートやグリムを参加させたくない」
……そう言われてしまうと、ヤクモさんの態度の違いが……分かる気がする。
英霊の方々には無遠慮な物言いをしているなとは思ったけど、アレは──あの人たちを、非日常に入れてるんだ。
戦いのなかに居るべき存在だと、そう判断して。
それは、なんだか寂しいな。
日常と非日常で、人って明確に棲み分けしなきゃいけないのかな?
私はそうじゃないと思う。
日常にも、非日常にも居られる人が居たって良いと思う。
普段は楽しく笑いあっていても、争いや戦いの中でも共に居られる存在が居ても。
そこまで考えてから、さっき言った事を思い出して──少し、納得した。
ああ、そうなんだ。
ヤクモさんは”潔癖症”というか、”正しくあろうとしすぎる”んだ。
だから、ヤクモさんが”変わった”ように思えるんだ。
自分自身を、日常と非日常で切り分けてしまっているから。
同じように、他人も日常と非日常に切り分けて配置してしまう。
そういえば、前は……”自分”と言っていたのに、今じゃ”俺”と言ってる。
自分を、切り分けてる?
まるで私みたい。
姉さんが居るから”ミラノ”を止めたけど、私の中にまだ”ミラノ”は残ってる。
存在しなかった、病弱で良い子という”アリア”と、本質の”ミラノ”のように。
だって、疲れないし気持ちが良いもん。
私が素の自分で居られる時、”ミラノ”でいるときは。
嘘をつかず、騙さず、自分が自分で居られるから。
だから……ちょっと考えちゃう。
あの日、兄さんを演じていて膝を抱えて蹲っていたヤクモさんは、どっちなんだろうかと。
兄さんを演じる事自体は、非日常だったのかなって。
「……不安は無いんですか? そうやって、足りない事や出来なかった事、やらなかった事、心残りなことばかり考えて」
「不安、か。正直な所、考えたくないし、考えないようにはしてるけど……。不安しかないかな。けど、夜に眠る時に眠れないより、朝起きて憂鬱になるよりは立ち向かう事を選んだ方が気が楽なんだよ。それにさ、ミラノやアリアも新しい魔法をなんだか勉強し始めて……負けてられないじゃん? 主人よりも弱い騎士、主人に守られる騎士なんてなっさけない事にしたくないし。せめてものちっぽけな意地を張りたいのさ。カティアの主人でもある訳だし、ミラノやアリアに比べて年上……なんだからさ」
そう言って、ヤクモさんは苦笑した。
たぶん、馬鹿馬鹿しいと思うだろ? と言いたいのかも知れない。
けれどもそう言わないのは、口にしてしまうことで私たちに肯定も否定もさせることになるからだと思う。
だから言わない、けれども態度や表情で何が言いたいのかはわかる。
「年上とか、関係あるんですか?」
「まあ、あるよ。それに、男だからってのもあるかな。男は女性を守るものだし、男は多くの艱難辛苦を前に立ちはだかって格好つけなきゃいけないんだよ」
「……そんなの、初めて聞きましたが」
「半分願望、半分はそういう存在だと思われてるってのが有るかな。それにさ、男は最終的に色々な場面で主軸になる事が多いだろ? 家庭を持ったり仕事を持ったり……何でも良いけど。そんな場面で男らしく振舞えたら、それで少しでも頼もしく思って貰えたり、少しでも良いから好意を持たれたいっていう願望もあるわけで──。あぁ、ごめん。ちょっと待ってね」
そう言って、ヤクモさんは一度バラバラにして、再び組み立てた”じゅう”を弄りだす。
それは聞いているとまるで呪文のようで、何の為にやっているのかはさっぱり分からない。
「アよし、ダストカバーよし。レ、よし。レ……よし。サンよし、サン……よし。タよし、タ……よし。アよし、ダストカバーよし。機能点検よし、結合終わり」
「手馴れてますね」
「そりゃ、ずっとやってきた事だからねえ。そうそう忘れたりはしないよ。で、なんだっけ?」
「えっと……なんでしたっけ?」
「ダメだな……。真面目に何かに取り組むと、何かが零れ落ちるからなあ。えっと──ああ、そうだ。なんで頑張るかってので、年上で男だからだっけ?」
そう言いながら、ヤクモさんは”銃”に紐を通す。
それをつけると長さを調整する事で肩からかける事が出来るとか。
有るのと無いのとでは負担が違うとかで、大分熱弁していたけど──。
こう、折角来たのに、相手を見ないんだなあ。
危ないとは分かってても、それは寂しいかな……。
「まあ、個人だったら別にどっかで手を抜いても良かったんだけどさ。デルブルグ公爵家のミラノに仕えているという意味では所属したわけだし、英雄としての噂が流れた事や、今回の神聖フランツ帝国とのこともあるし。甘い事は言えないだろうからさ。先んじて隙を潰しておきたいかな~って」
「一人で、ですか?」
「……本当なら、もっといい考えもあるんだろうけどさ。出来れば、そういったことも……親から学んでおきたかったなあ」
一瞬だけの寂しそうな表情も、紐を通し終えてから”じゅう”を持ち上げると掻き消えた。
ヤクモさんではなく、騎士や兵士としての顔に戻る。
それをみて、本の話を思い出す。
一面だけを見れば、お姫様を助けに来る騎士は英雄のようで格好良いと思ったことは多い。
けれども、その裏や別の面では苦労していたり傷ついていたりする事は少なくない。
なら……今こうやってヤクモさんが以前よりも自分や弱みを見せてくれたのは、良い傾向なのかもしれない。
さっきまでの疎外感は、少しだけ薄れた。
その変わりに、凛々しく頼もしいだけの騎士という印象は薄れていった。
英雄だとかなんとか言われてるけれども、あの子が……姉さんが言ってるとおり、ヤクモさんもただの人間なんだ。
不安で、恐くて、いやなことも有る。
けれども膝を抱えて居るだけじゃいられなくて、戦いながら生きることで何とか日々を活きている。
なら、本に描かれているのと同じなんだ。
悩んで、挫けて、それでも……本の中の英雄には仲間が居た。
悩みを聞いて、励まして、支えてくれる仲間が。
あの時”ミラノ”を演じていた私はヤクモさんを支える事が出来た。
なら、励ましたり……悩みを聞いてあげたりするのが、私に出来ることなのかもしれない。
そう思っていたけど、ヤクモさんはやっぱりヤクモさんだった。
旅立つ直前になって、私が長年抱えていた病を治す為に……姉さんに頼まれたとは言え、お薬をくれるだなんて。
ヤクモさんが去っていったその背中を見送りながら、今まで自分の中で咬み合って居なかった物がかみ合ったのを感じる。
それは、兄さんを失ったあの日に失った感覚で──。
魔法を使っても体調を崩さなくなった。
まだ身体が痛んで、熱もあったけど……。
それでも、自分の中にあった歪みが無くなったのが、ヤクモさんのおかげだなんて。
あの人は、どこまで人の為に色々差し出せば気が済むんだろう?
ううん、そうじゃない。
あの人は、どこまで手を伸ばして人を救うんだろう?
何時か、その手で持ちきれなくなったとき、私はなにがしてあげられるかな。
わからない……わからないよ。
~ ☆ ~
「……妹を治しなさい。出来る範囲で良いから、最善を尽くして」
私は、卑怯だったかも知れない。
あるいは、弱すぎたのかもしれない。
アイツに妹を……アリアを治せるかどうかを訊ねて、出来るのであればと望んだ。
兄さまが治せたのだから、アリアのことも……そう思って。
だけど、アイツは首を横に振っていたんだ。
── 主人は、自分に仕える人に”お願い”するかな ──
……それを聞いて、私は自分が情けなく思えた。
私は貴族で、仮にも公爵家の長女という事になっている。
なのに、そんな人物よりもよっぽど”高貴”だと私は思った。
学園に居た時もそうだったけど、ヤクモは変な所で真面目すぎる。
けれども、私は……だからこそ、英雄と呼ばれるようになったのかもしれないと納得して、悔しくなった。
父親が外交官だとか、背景は結構分かりながら憶測でしかないけれども。
それでも、アイツの方が”らしい”と思ってしまったのが、少し腹立たしい。
だけど、アイツは私の言葉を聞いて笑みを浮かべるの。
それこそ待ち望んでいた言葉だといわんばかりに。
「了解」
そう言って、ヤクモは”仕える者”として命令を受領した。
それからは、大分早かった。
夜にアイツの部屋に行った時には、もう準備が出来ていた。
それだけじゃない、私は……少しだけ覚悟していた。
兄さまを回復してもらっただけじゃない、アリアまで治してだなんていっておいてタダで済むわけがないと。
それこそ、何を言われても出来る範囲で応えようとさえ思っていた。
主人としても、何の見返りも与えないのは良くないと……そう思ったから。
なのに──、
「んじゃ、確かに預けたから」
アイツは、何も要求しなかった。
半ば放り捨てるように弧を描いて飛んで来たその小瓶を私は受け取る。
そして、成すべき事は成したといわんばかりにアイツは寝床に横になる。
またしても、私は傷つけられた。
格の差というか、人の差を見せ付けられた気がするから。
召喚された当初の、あの時からは考えられないくらいに人が違って見える。
父さまから「もう自由に生きなさい」と言われてから、コイツが違って見えるようになった。
魔法でも英霊を凌駕し、武芸でも英霊に一目置かれている。
そしてヘラさまに言われて、英霊と一緒に神聖フランツ帝国に行く事になっている。
……なにそれ? 馬鹿にしてる?
礼儀作法とかも分からなくて、常識も分からなくて……。
アルバートと決闘なんか始めるし、倒れて意識失うし……。
私が、私が何とかしなきゃって思ったのに、私の気持ちや考えなんか関係無しに勝手に歩き出した。
しかも、立場が逆転して。
別に良いの、どこから来たのか分からない以上は……魔法で負けてても、少しはきにならない。
けど、最早そんなのは比べるほどの話じゃない。
魔法でも負けて、危ない時に一番冷静に判断して人を導けて、武芸にも長けていて。
私の知らない知識で多くの事を覆せて、英霊にも気に入られてて、そして……国の政にも関わりだした。
全部で負けた気がして、それを許容できるほどじゃない。
別に、負けてる事実は受け入れられないほどじゃない。
けれども、私は──騙されていた気がして、それが許せなかった。
召還されたばかりの時のあの態度は嘘だったの?
色々出来ることを隠してて、それで私を嘲っていたの?
そう考えると、怒りがふつふつとわいてくる。
けれどもコイツはそんな事を気にもかけない。
貴族として、公爵家の娘として、魔法使いとして、人類を守る使命を神から授かった人々の一人として……。
すべてにおいて負かされた気がするのは、受け入れられない。
主人らしくもできず、けれどもコイツは私よりも”仕える者らしさ”を示した。
それが悔しかった。
もてる者の義務をコイツは感じさせない。
飄々としていて、普段はどこ吹く風と言わんばかり。
けれども、要点を抑えて必要だと思うことを把握しているのが余計むかつく。
”らしく振舞って欲しい”のに、コイツはそうしない。
下らない事をして、下らない事を言って、下らない事で怒らせたり怒られたりばかりしている。
軽佻浮薄とツアル皇国は言うらしいけど、正にそれで。
もうちょっと、色々出来るのなら、それに見合った事をして欲しい。
と、そうは思うけれども──それが出来ない。
私は召喚当初のあの態度が偽りだと思えない、変な確信めいたものがあったから。
もしかしたら、普段から私に対して従おうとしている態度や、主人として指示を仰いだり聞いたりするからかもしれないけれども……。
── ……ごめん ──
有難うと、決して言わない。
迷って、戸惑って、謝ってばかりだったのに。
それが当たり前で、謝る事しかしなかったコイツを知ってると、今のコイツと乖離しすぎてると思える。
アルバートと決闘をしてから、少しずつそんな顔は隠れていった。
それでも、形を変えながらも残っているのを私は知っている。
── 悪い ──
父さまは自由にして良いといった。
その上で、願うのならコイツと結婚して欲しいとさえ言った。
コイツは結婚ではなく養子になるとしか認識していないようだけど、それもきっとすぐに終わる話。
じゃあ、結婚ってなんだろう?
それを考えた時に、父さまや母さまを見て思ったことがある。
二人寄り添って、共に生きるのが夫婦なんじゃないの?
少なくとも、私は……コイツでも良いと思ってる。
私がなんなのかを知って、その上で”下らない”と真面目に言い切ってくれた。
深刻にならず、かと言って私を蔑んだり侮蔑したりはしなかった。
”そんなこと”と、言い切ってくれたのだから。
ただ、私は……今まで他人との係わり合いを軽視してきた。
自分の価値を高めれば、有用な夫人になれるだろうと。
そうしたら、婿としてデルブルグ家は存続できるだろうと……それしか考えてなかった。
だから、兄さまが戻ってきた事と踏まえて、夫婦ってそれだけなのだろうかと、悩んでしまう。
私は、自分を知って嫌ったりしなかったこいつを信用できる。
けれども、信用や信頼だけで婚儀は成り立たないと思う。
それはコイツ自身が言ってた。
── 恋愛婚が主流だから ──
じゃあ、恋愛……つまりは好悪を基準とするのならどうだろう?
考えて、考えてみて──無理だと諦めた。
”好き”がなんなのか、全く理解できなかったから。
けど、それはコイツも同じ。
「今は誰も好きじゃない。けど、将来どうなるかなんて保障も無い。誰かを好きになるかも知れないし、ならないかもしれない。もしかしたら欲の方が勝ってしまう事だって有りうる」
「色んな可能性があるのね」
「明日でさえ思い通りに行かないのに、何十日、一月、一年、十年と先の自分がどうなるかなんて答えられないしなあ」
そう言って、少しだけ”英雄じゃなくなった”。
軽口にも近い物言いが、夜の寝床でようやく出てくるだなんて。
けど、それも召喚されたばかりの時もそんな感じだったっけ。
人の目が有る時や明るいうちは警戒していて、夜や部屋でようやく気を抜く……みたいな。
そう考えると、今では部屋の中でも気を抜いてくれるくらいには信じてもらえたということなのかもしれない。
それは、少しだけ嬉しいかもしれない。
”けいたい”というもので、私は初めてコイツの家族や過去を見た。
部屋の隅に飾られている斑模様の服を来て、”じゅう”を持って訓練をしている様子。
同じ部屋に居た9人の”同期”が一緒に居て、同じような服装や装備をしていた。
泥だらけになったり、雨の中走ったり、顔に色を塗ったり、色々あった。
それだけじゃない。
家族の写真も見せてもらえて、母親が……私たちの母さまと全くそっくりなのに驚いた。
あとは、子供の写真や”どうが”というものを見せてもらった。
妹が結婚していて、時折見せに来たとか。
聞けば、撮影している本人がコイツだというのは声で分かる。
そして……子供は、とても可愛らしかった。
馬鹿みたいに可愛がっちゃって、やった事や物言いに似合わないことをしてるみたいでおかしかった。
けれども、それらを見て少しだけ考える。
婚儀を結ぶとなれば、必然的に子を成す事もありえる。
そうなった時、どうなるだろうかと考えてみた。
きっと、コイツは見せてもらった物のように、子供を可愛がると思う。
それが男の子であれ、女の子であれ。
そこまで考えてから、私は……少しだけ自分に驚く事となった。
今までは家の為に誰かを婿に迎え入れる事しか考えてなくて、それ以外は何も考えては居なかった。
けれども、ここで初めて……私にも、なにか遺せるということに気がついた。
家に誰かを取り込むだけの存在。
そこで自分が終わっていたのに、それよりも先があるのだとようやく考えられるようになった。
つまり……誰かの複製である私にも”自分”が持てるようになる。
これが自由ってことなのかしら?
……分からない。
学園で全てを完結させていた私は、そこから抜け出したら分からない事ばかりだと気づいた。
それをくれたのがコイツだなんて、生きていると……何が有るか分からないものね。
「……寝た?」
暫くしてから、私は改めて聞く。
同じ床に異性がいる。
はしたないかしらと考えないでもないけれども、別に……問題は無いと思う。
兄さまに似てる訳だし、特には……問題は。
けど、普段よりも寝つきが良いみたい。
病み上がりでまだ間もないのに訓練なんかしちゃって、凄い疲れたんだと思う。
死んでいるような眠り方だけど、耳を寄せれば微かに寝息は聞こえる。
……以前はなら、死んでるんじゃないかって驚いてたでしょうね。
今なら分かるけれども、コイツの寝方は隙の少ない寝方なんだって。
脅威を感じたり、不自然な音を聞き取ったり、名前を呼ばれるとそれだけで目が覚めるんだって。
だから、医務室以外では扉の開閉音だけでも目を覚ますし、名前を呼んだら確実に起きる。
それを頼もしいと思えば良いのか、それほどまでに安心したり気を抜いてないと思えば良いのか分からない。
じゃあ、どこならコイツは安心して、気を抜けるの?
それを作ってあげるのが、主人である私のやる事なんじゃないの?
とは言え、それも行き過ぎれば甘やかしすぎになるだろうし、コイツ自身の不忠を疑わなきゃいけないのだけれど。
ただ……私にすら気を許してないというのを不忠というのなら、それ以上のことをしてくれた事実はどうなるの?
コイツの……コイツの、考えが良く分からない。
結局、コイツはおどけて言ってみせたけど、それが事実なのかも知れない。
臆病だから──それも、色んなことに対して臆病だから、構えちゃうとか。
それならまだ、納得できる。
以前に主人を試すような物言いすらしてみせたけど、それも”私との関係性の間合い”という奴をはかっているとしたら?
それも理解できるし、納得できる。
コイツは……普段、必要が無ければ殆ど喋る事はない。
勉強、訓練、読書、復習、授業や日常で見聞きした事を纏めたり整理したりと、何かをやってばかりだ。
その合間合間に私にお茶を出したり、様子を見て部屋の簡単な整理をしたり、暖炉の薪を足したり、勉強や読書で出しっぱなしにしていたものを整えたり戻したり。
……父さまと母さまは、二人の時間を持ってたものね。
私たちも、そういった時間を持つべきなんだと思う。
義務と責任の時間じゃなく、個人と個人の時間を。
神聖フランツ帝国に行っちゃうから今からじゃ難しいけれども。
これから……うん、これから何でも出来る。
魔法の概念も観念もひっくり返して、英霊も救った馬鹿が居るんだもの。
それに比べたら、きっと……大丈夫。
だって、死んだと思っていた兄さまを帰してくれたのも、私が生まれなければ魔法を使うと体調を崩しやすい身体になる筈じゃなかったアリアも、アイツは治してくれたのだから。
ただ、最後の最後までアイツは「俺が悪いんだ」と言って、苦笑していたのを思い出す。
アリアが薬を飲んでから体調を崩して、本気で心配した。
けど──アイツは、約束を守ってくれた。
「大丈夫?」
「……あのね。なんだか、魔力が今までと違って……気持ち悪くないんだぁ。あの日以来だよ、こんなの」
「それって──」
「魔法を沢山使っても、体調を崩したり、咳き込んだりし無さそう……って感じ」
「──よかった」
兄さまも、少しばかり落ち着いたアリアの部屋で本当にうれしそうにしていた。
兄さまにとっては、あの日から5年も心残りのまま放置してしまった出来事。
5年間、そんな苦しみを味わっていたとは知らずに、一人悩んでいた。
表には出さなくても、兄さまの面倒を見ているラムセスへとしきりに薬で何とかならないか、そういった話を知らないかを訊ねていた。
それはヴァレリオ家の者にまで及んでいて、それで気づかれないというほうが難しい。
「兄さん、大げさだよ……」
「大げさなもんか! 僕が……僕が居なかった間、そんな苦しみを負っていたなんて思わなかったんだ。だからこそ、その苦しみから解放されるんだなって思ったら、万感の思いと言っても過言じゃない」
「……私も、同じ考えよ。5年前──ええ、5年前。私が生まれてから、アリアは魔法をうまく使えなくなった。私は、それも……」
「姉さんも、大げさ。だとしても、それで姉さんが──ううん、貴女が気に病む必要は無いもん。とはいっても、難しいか。”私なら”よく分かるだろうし」
「ええ」
同一人物だから、だったからこそ分かる。
たぶん立場が逆だったとしても、私たちはそれぞれに同じように気に病んだと思う。
身体が弱く、魔法を使うのも一苦労な妹として。
本来誕生する筈ではなかった、けれども自分の誕生に際して多くの犠牲を生んだ姉として。
双子と言いながらも、本当は全くの同一人物で。
……あの時の、あの場所。
出来るのなら、二度と使われる事が無いように破壊してやりたい。
けれども、私もアリアもあの場所がどこだか知る事が出来ずに居る。
この5年間、休暇で戻ってくるたびに探ってはいるけれども……。
少なくとも、お屋敷の近くじゃないって事だけは確かだと思う。
ただ、父さまは”賊”としか言わなかった。
賊が公爵家に手を出す危険性と、複製する事で得られる利益が分からなさ過ぎる。
……もっと立派だったなら。
そう、ヤクモみたいに強くて、色々判断できて、実行できるだけの能力と信頼が有れば。
父さまも、本当の事を言ってくれるかもしれないのに。
あと2年、けど2年しか居られない。
それまでに、私はどこまで成長できるのだろうか?
そもそも、私達がこんなになった原因を作った連中は、何だったのだろうか。
それくらいは、せめて──
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