第45話

「大分待たせたね」

「いや、ホント。この眼鏡したまま神聖フランツ帝国に親善大使しに行く羽目になるかと……」

「重ねて、申し訳ない。だが、こういったものは質問が適切でない場合、或いは抜け道を付いて明確な回答が得られなかったと感じてしまってもダメなんだ」

「なんですかその悪魔の証明……。聞きたい質問はちゃんとしないといけないけど、大まかに聞きたかった回答じゃないと外れないって事ですか?」

「そういうことになるね。だから、私は自分自身に問いかけ続けたんだよ。君に何を聞きたいのかをね」


 まあ、言いたいことはパスワードを問われて、そのパスワードを適切に入力できるかってのと一緒か。

 つまり、公爵が満足する回答が得られなければならないが、どういった問いをしなければ引き出せないかも考えなきゃいけない。

 なんだよこのメンドクセーマジックアイテム。


 書斎でソファーに腰掛けて、窓の外を見ている公爵。

 今日はエクスフレアがクラインと少しばかり手合わせをして、武芸魔術を教えているらしい。

 アレに関してはヤゴには教えられないが、触れて知っておく事は損にはならない。

 

「それで、問いかけは決まりました?」

「ああ。だから君に率直に問うことにする。『君は、ミラノとアリアを好きであり、大事に思っているか否か』。……どうかな?」

「その問いには、ちょっと自信が無いですけど。少なくとも、恩義を感じて守りたいと思うくらいには好きですよ」

「そうじゃない。『個人と個人として、どうなのか』を教えては呉れないだろうか?」

「──分かりません」

「分からない? 好きと嫌いの二択だのにか?」

「好き、だとは思いますけど。結局、それってさっきの回答に繋がっちゃうんですよね」

「ふむ。では『男女』としてはどうかな?」

「少なくとも、魅力的かなとは思ってますよ。勿論。ミラノはまだ知らない事や分からない事で戸惑ったり下手うってますけど、それでも色々と決断してものを言えるあり方は……正直、性格的には好みです。その対として、気がつけば支えてくれるようなアリアのあり方も、自分としては大いに好みではあります。もし……もし、男女の関係になったらと、夢想妄想したことはあります」

「で、どういった関係になるのかな?」

「……結局、戻っちゃうんですよ。ミラノとアリアは、二人一緒じゃないとダメなんです。だから、男女で妄想や夢想したとしても、現実に置き換えてどちらかと疎遠になるのは好ましくないです。と言うよりは、今の……学園で見るような状況が続いてくれれば、それが良いかなって」

「──……、」

「ミラノが居て、アリアがいて、アルバートが居て、グリムが居て。朝気だるげに起きたミラノが色々言いながら準備をして部屋を出る、するとアリアがカティアを連れておはようと言ってきて、カティアも眠そうに眼を擦りながらおはようと言ってくれる。食堂に向かう途中でアルバートが合流して、起きた事を億劫にしながらも朝食をとりながら今日の予定の話をしたり、グリムが課題や勉強の内容を話す。授業中は、ミラノがスラスラと答えて、アリアが補足するように少し説明するのを後ろから眺めてて、アルバートが慌てふためいたりグリムがクスリと笑ったり……。昼休みにアルバートと『寝たいな~』なんてダベって、けど午後の武芸の訓練では張り切って手合わせをして……。そんな日々を、今は壊したくないんです」


 未成年略取、犯罪行為になると言う事を除けば……ミラノもアリアもそれぞれに可愛い女の子だ。

 強気で何でもズバズバと言ったり行うミラノ。

 穏やかに、ただ気がつけば寄り添っているアリア。

 そのどちらも、違うからこそ甲乙つけ難いのだ。

 そして、甲乙つけ難い上に日常の方が今のほうは耽溺している。

 なら、我欲を殺してでも今の日々の方が楽しむに値する。


「……君は、自分が異質だと思っているのかな?」

「少なくとも、彼女らの日常と言う、形成されている輪に自分は含まれてるとは思ってないので。だから、加わろうとすれば……壊れかねない」

「それは……」

「だから、良いんですよ。日常と言う、彼女たちが作り上げる日々の片隅に居られるだけで。それを壊されそうな非日常的な時にだけ活躍して、終われば眠りに付くようにまた外に出て行くような……そんなんで」


 違う、そうじゃない。


「──それ以上は”我侭”になっちゃいますから。ただ戦う事で、誰かを傷つけ、誰かを殺め、誰かを泣かせる事でしか自分を表現できない自分でも、奪う事でしか存在の証明が出来ない自分でも、矛としてではなく盾として役に立った事を……それが一時とは言え求められた事で、もう十分なんで。だから、好きだとは思います。けれども、それは赤子が自分の面倒を見てくれる相手にそう思うようなものでしかないですから」

「……そうか」


 公爵はその回答で十分と判断したのかも知れない。

 少しばかり震えて見えた手が、眼鏡に触れた。

 そして、ゆっくりと眼鏡が外れる。

 ようやく、周囲の目線を気にせずに済むというわけだ。

 

「それが、公爵の聞きたかったことですか。娘たちに、男として危害を加えるんじゃないかと、そういう親としての懸念ですか。それとも、彼女らを通して公爵家を利用しかねないという、家柄から来る懸念でしょうかね」

「私は──」

「まあ、眼鏡が外れたということは白と黒、どちらかに転んだという確証は得られたみたいで……。あぁ、そうだ。旅の準備の途中なので、急ぎ取り掛かります。今回の一件で、何かしら沙汰があるのなら逃げませんので。それでは」


 そう言って、出来る限り自然に、かつ早めに退出した。

 呼び止められないように、追求されないように。

 そして──”偽り”が露呈しないように。


 多くの創作の主人公には『鈍感』や『都合が悪い時に耳が遠くなる』等と言ったものがある。

 最近では『偽悪ぶって、自分を生贄に話を纏める』といったこともある。

 なら、俺にだってその真似事くらいは出来るはずだ。

 ……そうさ、出来たんだ。

 

 自分が疑われていると言う、弱者の立場理論を振りかざす。

 公爵が晴らしたかった疑念は、自分がスパイや敵対勢力ではないかと言う”誤解をしていた”と言う事にする。

 そうやって壁を作っておかないと、どこかで……失敗するんだ。

 公爵が……ミラノかアリア、どちらかと結婚させる事で、デルブルグ家の一員にしようとしていること。

 その対象が、今までクラインの代わりになろうとしていたミラノの可能性が濃厚な事くらい……読める。

 

 それは避けなければならない、それは回避しなければならない。

 俺の人生が確定しきってしまう前に、彼女の日常を破壊してしまう前に。

 まだ……まだ、日常が始まったばかりだというのに、その居心地の良さを失ってたまるものか。

 なら、幾らでも弱者ぶろう、幾らでも加害者足りうる人物を演じよう、幾らでも頭の良い無辜の民を演じよう、幾らでもそういった”損得”に対してのみ頭の切れる若者を演じよう。

 公爵の問うた事柄に”公爵家や親としての疑念”として答えるのも、不正解ではないのは理解していた。

 アレだけ散々好奇心で色々な連中が質問や問いかけを投げかけてきてくれたおかげだ。

 おかげで、俺はこれからも詐欺師で嘘吐きでいられる。


 別に、望んでいないわけじゃない。

 ミラノやアリアが好きなのは事実だ。

 けれども、それが”愛情”によるものなのか、たんなる”性的”によるものかの自信が無い。

 前者なら……受け入れられる。

 だが、後者だった場合、自分はただの餓えた男でしかないということになる。

 そんなのに? 彼女らを? 巻き込む?

 ミラノは学年主席で天才なのに、その足を引っ張る?

 アリアは変な実験に巻き込まれて不遇でありながらも、ミラノに追いつくために努力している。

 それを、俺が、踏みにじる?

 

 ハッ……ありえない。

 彼女らが彼女らのままで在ってくれるのなら、俺なんか幾らでも好意を伝えるさ。

 だが、俺自身が感情に理解が出来ずにいるのに、彼女らの在り方を捻じ曲げる真似なんかできるわけが無い。

 それに、貴賎結婚と言うものがある。

 恋愛婚が当たり前な今では考えられない、身分や地位の釣り合いが取れていない結婚だ。

 その場合、ペナルティが課せられてしまう。

 俺なんかはどうでも良い、だが……それに相手や子供が巻き込まれるとしたら?

 そうでなくとも、数奇な相手を選んだと嘲笑される可能性すらある。

 そんなの、許してはいけない。

 

 だから、もし本気で彼女らと結ばれたいと願うのなら、頑張らねばならないのだ。

 公爵家の娘に見合う、釣り合いが取れて誰もがケチをつけられないような存在に。

 だが、そんなものは”ありえない”。

 俺は俺のことを良く知っている。

 諦めが早く、ちょっとしたことで心が折れて、直に逃げ出して、引き篭もる性質のヒトなのだから。

 

「もう眼鏡取れたんだ」

「……盗み聞きか? 行儀が悪いぞ、マリー」


 部屋を出てすぐに、彼女はいた。

 ただ、公爵に用事があったのかとスルーしたが、ついて来たので用事は俺にあるらしい。


「べっつに、盗み聞きされる程度の防音魔法を張ってる方が悪いのよ」

「と、天下の魔法使いが仰られる」

「は? なに? 喧嘩売ってる? 私が苦節と共に時間をかけて編み出した数々の魔法を、そんなものは子供の魔法だといわんばかりに常識規模でぶち壊してるヤツの言う言葉とは思いたくないんですけど」

「知らん知らん! 何度も言ってるけど、俺が考え付いた訳じゃないっての!」


 旅の準備とは嘯いたけれども、実際には殆ど終了している。

 学園に居た時からストレージに何でもかんでも突っ込んでいたおかげで、野営だろうが夜営だろうが、野外炊事だろうが何でも出来る準備くらいは済んでいる。

 あとは、覚悟も腹も決まらないというだけだが。


「てか、はっ……。マジックアイテムで何を聞き出すのかと思えば、あんな事に使うなんてね」

「親心もあれば、家の事も考えてる良い親父さんだろ? 子にかまけて家を傾ける事は出来ないけど、だからと言って子を蔑ろにするつもりも無い悩ましくも板ばさみになってる感じだけど」

「ええ、そうね。それは否定しようの無い事実だもの。家を守りながら子供たちを大事にしたいと思ってる……。立派な親」

「自分の親は、そうじゃなかったと?」

「……ううん、思い出しちゃっただけよ。私の親も、同じくらいに良いヒトだった。たとえ子供とどう接して良いかで戸惑ったり、それで酒に溺れたりしてもね」


 どうやら、マリーの父親も公爵と似たような人物だったらしい。

 違いがあるとすれば、マリーやヘラとの関係構築が下手糞で、酒を飲んでいたという事か。


「バカよ、本当に……。私たちを守る為に、最後の最後まで踏み止まって、その上死んでも偽情報で私達が生き延びる為に敵を遠ざけてくれたくらいだもの」

「……立派な親だったんだな」

「ええ、そう。ただ、それを理解したのは、大分後だけどね。……さ、何かお菓子を頂戴。それと、お茶」

「はいはい、全く困った姫様だこって……」


 部屋に入ると、マリーはさも当然のように席に着く。

 ここ最近、あまりにも続きすぎて抵抗する事すら諦めた。

 ……とはいえ、先ほどの出来事の後だ。

 誰かが居てワイキャイしているのは、精神的に良い。


「けど、驚いたわね」

「なにが?」

「アンタ、自分を”異物”として認識してたなんて」

「普通そうだろ……。記憶が無い、その上常識も知らなければ別の考えで行動して馴染めない存在なんて、異物以外の何になるんだよ。そうでなくても、学園と言う世間知らずの中にポイッと元兵士が投げ込まれて、雅な場所に血と死の匂いと非日常を意識させる存在が居れば、異物以外の何者でもない」

「……そういう、ものかしら」

「人間の世界に、英霊が混じるようなものと同じだよ。現在を生きる人々の中に、下手すりゃ御伽噺にしか思えないような連中が混ざれば」

「なるほどね」


 お茶ばかりで飽きたので、久々に珈琲を淹れる。

 コーヒー豆に関してはアーニャ経由で仕入れた、砂糖も牛乳も準備できている。

 久々の、苦々しい良い香りだ……。


「……アンタの言ってる事、少し理解できるかも」

「そう?」

「私も、人だとは思ってる。けど、英霊と言う肩書きがくっついたら、人間として存在させてもらえない。皆が変なんじゃない、私たちの方が異物という考えが……理解できて、納得まで出来ちゃうなんてね」

「……けど、自分の生まれ育った土地や場所に近いという意味では、異物過ぎるって事は無いだろ。たしかに常識や知識は色々変わっただろうけど、通用しないわけじゃないし。逆に俺なんか、魔法から衣類、戦いに至るまで異物の塊なんだからさ」


 自分が土足で踏み込んでいる事を自覚しなければならない。

 少なくとも、魔物の襲撃さえなければ銃を使う必要も、異物のまま浮き上がる事も無かったわけだ。

 そうなったら、ミラノに怒られながらも常識を学び、この世界の一員となれた筈なのだ。

 だが、そうはならなかったし、なれなかった。

 この世界に溶け込めなかった存在として認識され、浮き上がり、漂っている。

 隠しているものがあると認識されてしまった。

 

「まあ、不穏分子だとか騒がれたり、魔女裁判で処刑されなかっただけまだマシか」

「……その可能性もあったものね」

「公爵家とは言え、声が大きくなれば庇いきれなくなるしね。そういう意味では、英霊連中との繋がりが出来たのは、首の皮一枚で助かる要因を作れたってことになるんだろうけどさ」

「ホントl、色んなこと考えてるわね」

「じゃ無きゃ生きていけないし、敵を作らず味方を作れないからなあ」


 そういう意味では、記憶喪失の設定はある種正解だったともいえる。

 バカを演じる事が出来る、無知を装う事が出来る、何も感じず考えていないフリも出来る。

 あまり賢しらでも宜しくないし、あまり他者の言う事に付き合いすぎても都合が悪くなる。

 ちょっとずつ、ちょっとずつ色々な事柄でピントや打点をずらす事で、都合の良い展開に進もうとする。

 それは……たぶん、ミラノと結婚してデルブルグ家の一員になれという話のように。

 養子になれという意味で捉えておけば、ミラノとの婚姻話もかわす事が出来る。

 そこにマーガレットの……たぶん、利用する為の婚姻話が存在する。

 卒業までと長引かせておいたのは、それでミラノをけん制できると思ったからだ。

 卒業が近づいたら改めてマーガレットとの婚姻話は拒絶し、友人として彼女が死ぬ未来から救えば良い。

 ただ単純にマーガレットに返事をするのが恐かった?

 それもあるが、それが全てじゃない。

 関係を壊してしまうくらいなら、自分を歪めて利用した上で話を有耶無耶にした方がマシなのだ。


「マリーは旅の準備ってしてるの? たしか、軟禁状態だけど行く事になってたと思うんだけど」

「私に必要なのは魔導書と身体だけよ。あとは、便利な召使が一人居れば事足りるわ」

「えぇ~……。誰か雇うの? そんな金だれが出すんだよ……」

「アンタよ」

「なんでじゃあ!!!」

「あぁ、そうじゃなくて。アンタがやるのよ」

「なるほど。それなら金も掛からないし、大丈夫……んなわけね~だろ!!!」

「どして?」

「何で俺が召使せにゃならんのじゃ!!!」

「だって、アンタ以外は飲食しなくて大丈夫だもの。それに、最悪霊体化すればどこでも大丈夫だし。けど、アンタは飲食しなきゃいけない上に、少なくとも寝たり休むのに適切な場所が必要。だけど残念な事に私も姉さまもアイアスもロビンもそういったことには疎いの」

「えぇ~……」


 たしかに、飲食も寝る場所も必要なのは俺だ。

 魔力の供給さえあれば休むだけで事足りる英霊とは違い、宿や安全な場所の確保、買い物や料理が必要なのだ。

 

「ったく、仕方ねぇな……」

「そういうと思った」

「そうなると、準備を大きく見直さないとな。えっと、持ち物や在庫はどうなってるっけな。と言うか、召使ってなにをさせるつもりなのさ」

「え? 私たちに出来ない事全部」

「はいはい、交渉役と買い物役と料理役と身の回りの世話役ね……。あれ、学園に居る頃と変わらなくね?」

「それがアンタの言う”日常”でしょ?」


 そう言って、マリーはにんまりと笑みを浮かべた。

 それは少しばかりイタズラしてご満悦と言った様子で、悪い印象は無い。

 ……英霊と言う壁が無ければ、彼女のことも好きなままで居られただろうに。





 ~ ☆ ~


 クソがっ、出遅れたではないか!

 クソ爺の相手をしていたら、いつの間にかヤクモから眼鏡が外れている!

 もう少し大丈夫であろうと、様子見をしすぎたとでも言うのか?

 ……ぬかったわ。


「くそ。くそくそくそくそ! あ奴の本音を聞こうとしたというに」

「──アル、いつもその繰り返し」

「ぐぬぬ……」


 何を問いかけるか、質問攻めにする用意までしてきたというに、全て水の泡ではないか!

 試験前の紙切れのように、たくさん質疑を書いた紙を丸め棄てた。

 しかし、直にここがデルブルグ家だと思い返して暖炉の中に改めて投げ入れた。

 ゆ、床にポイ捨ては良くないな、ああ。


「……因みに、アルが聞きたかった奴。こ~しゃくが聞いてた」

「なぬ!?」

「──ヤクモ、その気は無いって、言ってた。今の毎日を壊したくないって」

「……それはそれで面白くないが、まあ良いだろう」


 あ奴にミラノに対する変な気が無いのなら、それはそれで安心なのだが。

 違う、そうではない。

 我が問いたかったのは、別の事柄なのだ。


「み、ミラノやアリアについてだけか?」

「──ん」

「我の事とかは、特に触れはしなかったか?」

「──アル、少し落ち着く。別に”友達じゃない”とか、そういう話はしてない」

「そそそ、そんな事は気にしてなかろうが!」

「──嘘吐き」


 く、ぐぬう……!

 グリムの奴、英霊ロビンに鍛えられだしてから余計に隠密行動に磨きがかかりおってからに……。

 部屋には一応個人ごとに施錠魔法が掛かっている筈なのだが、それを無視して全て筒抜けにされている。

 

「ど、どこまで把握している?」

「──ヤクモが~、ミラノを好きかどうかってのと~。アルをどう思ってるかってのと~、友達なのか親友なのかってのと~……」

「もう良い、分かった! くそう、今度はもっと違う場所に隠すべきだな……」

「──枕の中、寝床の下、机の裏、鏡の裏、本の中。どこでもど~ぞ」

「馬鹿にしおってぇぇぇえええええ!!!!!」


 どこか、どこかもっとうまい隠し場所を探さなくては!

 このままだと、点数の低い試験結果の用紙すら隠せなくなるではないか!


「……チィ、もう良い! 我が機を見て動けずに居たのは我が悪い。よって、これは教訓とする。何事も時を待っては逃す場合もあると」

「──アル、また賢くなった」

「フッ……我とて手をこまねいて待つだけの愚者ではない。とは言え、ミラノやアリアを含めて周囲が動き出している。これを見て動くなと言うのは、酷だ」


 クライン復帰、ヤクモの英霊との親交、ミラノとアリアの魔法に対する研究、グリムの英霊ロビンからの教育……。

 今まで、学園の中で同じような日々を繰り返して4年目に至ったが、ここに到ってようやく状況が変わり始めた。

 その中には、我にもミラノやアリアのような魔法が行使できる可能性があるというのも含まれる。


「……見よグリム。我とて、無能と言うわけではなかったようだ。まだこれしか出来ぬが、ミラノたちはこれを応用して様々な魔法を詠唱すら抜きに行使するという。我は、それに喰らい付いて見せるぞ」


 拳を握り、その腕を半ばほど掲げる。

 その拳から腕に到るまで、我の魔法が生じる。

 焔が、我の特質を示しているとミラノは言った。

 その焔は、我の髪の色に似て紅さを見せている。


「──グリム。ヤクモは幾らか恐るべき相手だ。我は奴の持つ武器は……正直言って恐い。だがな、ミラノも言ったのだ。持ち主である奴が……ヤクモが信じられるのであれば、安心しても良いのだと。それに、停滞し、腐り行く我に可能性を示し、ミラノたちを通して新たな魔法のあり方を見せてくれた。なら、我は奴の持つものを少しでも吸収してみせる」

「──アル、そのまほ~。どうやったの?」

「ん? ああ、これはだな……」


 ミラノやアリアの言っていた事をどこまで我が伝えられるかどうか……。

 

「目を閉じてだな、一度頭の中を空っぽにするのだ」

「──ん、分かった」

「それから、何も考えずに我の言葉を聞け。自分がどうありたいのか、今までと……そして続いていく未来をなんとなく思い描け。それは、激動の日々か、それとも安定した日々か、安らぎの日々か、それとも目まぐるしく過ぎていくものか。自分の未来を、将来を思い描いて……深く思い描け。明確に、その世界を頭の中で練り上げろ」


 ……あれ、グリムも頭が良すぎるのではないか?

 なぜこんな我なりの解釈で出来るようになる?

 しかもだ、グリム自身を覆うような風がその証左になっている。

 

「……グリム、そのまま目を開けて己を見るが良い」

「──お~。これ、そう?」

「──……、」

「──アル?」

「やるではないか! かねてから優秀だ、秀でた従者だと思ってはいたが、ここまでとは! 我も鼻が高いぞ!」


 まさかこんなすぐに出来るようになるとは思いもせぬわ。

 だが、我の説明如きで出来るのであれば、ミラノやアリアの話を聞いていれば尚更出来るようになるはずだ。


「でだ! 今の魔法の状態をよく記憶し、瞼を閉じていかなる時でも、自由に出せるようにするのが一歩だとか言っておったな。それが出来るようになったら、目を閉じずに使えるようにする。そこまでやって、他の系統でも同じように出来るか試すらしい」

「──ミラノたちは、ど~?」

「ミラノたちは……もう既に初歩魔法であれば、基礎4系統程度なら使えるそうだ」

「──お~」

「我か、そうでなくともグリムが同じように魔法を行使できれば全ては大きく変わるだろうな。──ミラノたちが言うには、瞼を開いていても目を閉じている時のように魔法を思い描き、現実にそれがあるかのように”現実に想像を上書きする”とか言っておったな」

「──現実に魔法を生み出すんじゃなく、魔法で現実を”望んだ姿に書き換える”?」

「まあ、小難しい話だったが……そういうことらしい」

「──学園で教わるのと、違う」

「あぁ。たしか、詠唱を礎とし神に祈りを捧げ、頼み事をし、魔力を変換してもらい、魔法を顕現してもらう……だったか。学園での教えが全て覆るな。いや、全てが覆るか」

「──けど、アル。疑問がある」

「なんだ?」

「えいれ~、居るのになんで”そんなことに気づかなかったの?”」

「……いや、英霊たちですら神に与えられた能力として認識しているからこそ”魔法がどういうものかを、誰もが理解してない”と言うのが正しいのではないか?」

「でも、それだと何で魔法の使い方について”これが正しい”ってなる?」

「ハッ、知れた事。長い時間が、時代が、時の権力者が”都合の良い物”にしてしまったのだろう? 何時か、何処か、誰かが始めたことだ。それも”反対するものが全員死ねば、事実になる”と言うのも、言わずとも分かるであろう」


 荒唐無稽な論説も、反対意見を持つものが殺されたり寿命で亡くなったりすれば痩せ細る。

 その間に敵勢を削ぎながら味方を増やせば、何時しかひっくり返る。

 誰だって、自分が美味い汁を啜れると思えば、なんだってやる。

 それは学園でもそうであった。

 公爵家の三男でも公爵は公爵……。

 我を盾に、名を用いて幅を利かせる輩は当然居た。

 だが、それでも……欺瞞とは言え、居心地は良かったのだ。


「……ぐ、グリム? そう、風の勢いを増さずとも良いのではないか?」

「──違う。目を開けたまま、発動したり切ったりしてみてる」

「い゛ぃ゛!?」

「──とても不思議。詠唱しなくても、呪文を書いたりしなくても、まほ~陣描いたりしなくてもまほ~が使える」


 優秀が過ぎる……優秀が過ぎるぞグリム!?

 話をして説明もまだ半ばだというに、もう目を開いたまま自在に使っておるとな!?

 負けた気にさせられるが、我が従者の事だから誉れとなれども気後れはせぬとも。


「──で、これで他の系統もやる?」

「ま、待て待てグリムよ。ここは他家である事を忘れぬようにな? ミラノやアリアですら開けた場所でやってるのに、我等がここで……失敗でもしてみよ。屋敷に被害を出した日にはどうなる!?」

「──アル、珍しくマトモな事言ってる。けど、おそかった」

「遅かった!?」


 なんでこう……うまくいかぬものだな!

 しかし、慌てたワリにはグリムの魔法制御は戸惑うほどでもない。

 ただ、今しがた教えたばかりだというに、初歩の系統規模ではあるが他系統も使いこなすか。

 ムムム……。


「──アル、教えるのうまい」

「い、いやいや。我とてこれでも噛み砕いただけに過ぎぬ。それにな……焔は何とかなったが、それ以外がうまくいかなくてな」

「──アル、火系統は大得意だけど、それ以外はあまり得意じゃなかった」

「……何が悪いのであろうな」

「──気質の問題。と、思う」

「気質?」

「まほ~、得手不得手が有る。アリア、そもそも最初はまほ~が凄い苦手だったし、ミラノも失敗が多かった。けど、一年が終わる事……全部直せた。だから、時間をかければアルもいける」

「そ、そうか!」

「──じゃあ、私がアルに教えればいい?」

「む。しかし、それだと英霊ロビンとの鍛錬に支障を来たすのではないか? 我の事はそう急がずとも、休みはまだある。だが、グリムが英霊ロビンの下師事を受けられる期間には限りがある。ならば、そちらを優先せよ」

「──い~の?」

「構わぬ。英霊から指導を受けられるなど、またとない機会だ。それとなく情報を集め、暇な時にでも還元すれば良い。その分、我はミラノやアリア含めて色々な事を知ろうと思う」


 確かに、なぜグリムがこうも早く習得したのかは気にはなる。

 だが、それをせっついて拘束した所で”優先順位”はそうあってはならない。

 たしか、ヤクモが……そういう事を言っていた。

 優先順位。

 そう、優先順位で対処や行動を並び替えると。

 魔物からの逃避行の時などに、そういうのを聞いた気がするのだ。


 そんな事をいっていると、かつて聞いた音が遠くから聞こえた。

 それが、誰の発したものかは聞けば分かる。


「……行け。我はちと、奴に会ってくる」

「──ん、わかった」


 グリムを追いやり、音のした方角へと向かっていく。

 さすれば、目的の人物は居る。


「カティア。今度は距離800、静止状態。出現から概ね4秒で隠してくれ」

「そんな短くて良いの?」

「良いんだよ。本来、視認からエイム、射撃までがそれくらいだと言われてる。なら、それ未満で狙って撃って当てられないのなら意味が無い」

「けど、確か──」

「大丈夫。距離の試算をしている間にスコープの調整位するさ。……新しい玩具だけどね」

「何をしているのだ、貴様は……」


 行き着けば、ヤクモがかつて見せてくれた武器を使っていた。

 それも、なにやら弄くっているようではある。

 射撃の的となるものを使い魔に出させて、それを撃つという訓練だ。

 弓とは違い、精確な射撃が安易に行えるそうだ。

 それを『調整』と言うそうだが。


「ああ、アルバートか……。まあ、ちょっと神聖フランツ帝国まで行かなきゃいけなくなってさ。前みたいにさび付かせたままの技術と知識のままじゃダメだと思ってね。すこし、真面目に訓練しなおしてるんだよ」

「なぬ、神聖フランツに……?」

「まあ、これ以上は言えないけど。長旅になると思う。だから……この前のような無様は、出来るだけ晒したくないんだよ」

「無様? 貴様が無様だとしたら、我は──」

「あ~、そうじゃない。俺は……ちょっと、許容できないくらいの失態を、或いは穢したくない範囲の中での失敗をしちまったんだ。だから、個人的に……そこを叩きなおしたいんだよ」

「──……、」

「あの魔物騒動の時も、今回倒れた件も……。慢心…………だな。慢心してたのさ。けど、戦って……少しだけ、思い出したんだ」

「なにをだ?」

「”俺たち”は、常に備え続けてきた。それが自国民救助の為であろうと、自国防衛の為だろうと、他国の動向に合わせてだろうと。なんであろうと対処できる為に、辞したとは言え……カタるのなら俺もそうすべきだと思ってね」


 仕組みや扱い方が分からぬとは言え、鍛錬や訓練が必要なようだ。

 弓や強弩のようなもので、狙いを定めたり取り扱うのに一定の訓練が必要なようだ。

 以前、奴が使っていた時はそうは感じさせなかったが、どうやら既に一定の訓練自体は終えているのだろう。

 

 だが、それとは別に……奴は、今の自分では不足だという。

 馬鹿か、凡愚か?

 

「貴様はなんだ? 思い上がっているのか?」

「思い上がり? なんで? 生きていれば不足を感じる場面は幾らでもある、生き延びれば……生き残ったのならば、自分の不足に気づく事は少なからずある。……自分でも考えもしなかった事柄に沢山首を突っ込んだんだ。なら、その分自分の未熟さや、衰えを感じる機会なんて沢山あるだろ」


 ……馬鹿だな。

 あぁ、大馬鹿だ。

 魔物に都市ごと陥落されかけた中生き延びただけでも行幸中の行幸。

 その果てに、何かに首を突っ込んで大負傷だったと聞くに……。

 ……いや、違うな。

 奴は”負け続けることが出来る”と言う”強さ”がある。

 ”負けることが出来る”のではない、それは”終わり”だ。

 勝ちも負けも未来へと地続きにさせる事が出来る強さ。


 だが、我としてはそんな”自傷行為”は賛成などしたくない。

 こんな事を考えるのはおかしいのやも知れぬが……。


「……まあ、あんまり質問しないで呉れると助かるかな。なんかさ、もう……俺、ダメかも知れないからさ」


 奴は、何時も何か諦めていた。

 ミラノに怒られていた時も、言い分が幾ら有ったとしても吐き出さずに怒られるに任せていた。

 我に決闘を仕掛けられたときも、全てが終わるまで言い訳をせずに居た。

 魔物の中に居た時でさえ、自分が全てを取り仕切る事を当たり前のようにしていた。

 そして屋敷に来てからも、色々有っただろうに……普段のように佇んでいる。


「もう、目立たないってことの方が無理そうなんだ。だから、余計な事を言ってお前らに迷惑をかけるのも嫌なんだ」


 そして、当たり前のように”自分をその他から切り捨てる”。

 切り捨てられるべきは、末端の自分であるべきだと言わんばかりに。

 それでも、その命が尽きるまでは”その他”の為にいき続ける。

 それが自傷行為や自罰行為でなければなんという?

 

「とは言え、アルバートに教えられることを教えるってのは無効にはなってないからな? 美味しい酒が貰えるまたとない機会だ。それを手放すのは些か惜しいんでね」


 天秤に載せる事が馬鹿げているくらいに吊り合わないほど多くを乗せて。

 その反対側に虚勢で膨らませた自分の全てを乗っける。

 つま先から頭のてっぺんまで。

 日々喰らう食事や、流す汗まで。

 その過程で失った血も、本来受ける筈のなかった傷ですらも”価値”に変えて。

 

「……見学なら、今俺が居る場所と前には出ないで呉れれば好きにしてくれて構わないよ。ただ、武器に関する質問も今後は一歳無しで。知ったら、”俺”を邪魔に思う連中があの手この手で調べ上げようとするだろうから。その時に迷惑になりたくない」


 だが、我はその先には突き進めない。

 足りない物だらけで、あまりにも”自然で当然”でありながらも”歪”なヤクモを見て、別のものを感じる。

 そうか、これが……「英雄になんてなりたくなかった」という言葉の終着点か。

 自分が自分で居られなくなる、ヤクモから”個人”が消えていくのを……我は目の当たりにしているワケだ。

 

 あぁ、なるほど。

 ミラノの言い分が、少し分かった気がする。

 このまま行けば、奴は周囲が望んだ”英雄”に成り果ててしまうのだろう。

 そこに”不要なもの”は残らぬ。

 行き着いた果てには”英雄”しか残らぬであろう。

 英雄ヤクモではなく、ヤクモの皮を被った英雄。


 静かに、けれども炸裂音を響かせる奴の背中を見て思う。

 それは、果たして我が追いたいと思った背中なのか? と。

 いや、違う……。

 我が追いたいのは”完全無欠な英雄”等ではない筈だ。

 学園で見せた、奴の姿を見て……思い出して、そう感じたのではないか?

 

 困苦を前にして頼もしく、誰よりも先んじて戦いに赴く。

 だが、全てが終われば我や誰らとも変わらぬ人間性を見せる。

 眠そうに起き上がり、空腹だと情け無い顔をチラと見せる。

 楽しければ笑みを浮かべ、疲弊すれば草臥れた顔をする。

 休みに入れば一息吐ける事に喜びを見出し、喉を潤す茶の甘味に感謝をする。

 そのような”人間性を下敷きとした英雄”にこそ憧れたのではないか?


「邪魔をしたな」

「あれ、悪いな。相手をしてやれなくて」

「なに。我もやるべきことを思い出しただけだ」


 あぁ、そうだ。

 我は人間味のあるあの英雄の姿にこそ憧れたのだ。

 であればこそ、このまま人間味を失わせたつまらない”完全無欠の英雄”になどさせてはならない。

 なれば、ミラノやアリアのように我は我なりにやらねばならぬ事が出来た。

 

 なにが”英雄”だ。

 こ奴は……只人だ。

 同じように笑い、同じように苦しみ、同じように怒り、同じように戸惑うだけの……。

 ああ、英雄などではない。

 英雄に仕立て上げようとする連中に一泡吹かせつつ、奴を英雄から取り戻さねばならぬ。

 でなければ……不快というものよ。

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